324話 ジャマル島 2
バンビが目覚めたのは、だいぶたってからだった。
セパイローの産屋の草むらで倒れたバンビは、なぜかベージュ色の天井を見上げていた――。
「!?」
飛び起きて場所を確認したが、病院ではない。おそらくビジネスホテルの一室だ。
「おはようございます、バンビさん」
九庵が、浴室のほうから顔を出した。服は着ていた。シャワーを浴びていたのではないらしい。
「起き上がれましたか。よかったよかった」
「え? あたし、どうなったの?」
自分が倒れたところまでは覚えていた。
「もしかして、救急車呼んでくれた? でもここは……」
病院ではない。
「いいえ。倒れたからびっくりしましたが、熱はないようでしたし。とりあえず港まで運んで、そこからフェリーとタクシーでオルボブへ。ホテルはデイジーさんが取ってくださいました」
九庵は、「どうぞ」といってミネラルウォーターの瓶を差し出した。
「う、うわぁ……。……面倒をかけたわ」
バンビは水を受け取りながら、焦り顔で謝った。九庵は笑みを絶やさぬまま、安心させるように言った。
「いいえ、いいえ。問題ありません。お疲れだったんでしょう。熱かケガでもあれば病院だったでしょうが、ここはアストロスですからね。通貨も違うし、いくらかかることになるか分かりませんしね」
バンビはチラン島で熱を出してこの方、一度も倒れてはいなかった。過信するつもりはなかったのだが。
「体力はある方だと思ってたんだけどなあ」
母星にいたころは、研究が佳境に入ればほとんど寝ないこともあったし、もともとがショートスリーパーの上、今だって、ハンシックの手伝いをしながら研究を続けているのだ。よく驚かれるが、体力はあるほうだった。それなのに。
「まぁ、研究と、こんなにあちこち調査して回るのとはちがうでしょうしね。かなりの距離をめぐっていますよ」
「そうね……」
移動距離だけ見ればたいしたものだ。シャインがあるから、まだこの日数で回れている。
「このホテル、温泉があるらしいですよ。行ってみましょうか」
さすがのわしも少しくたびれました、と笑う九庵に、疲れの色はないように見える。バンビに気兼ねさせないようにそう言っているのか、本当に疲れているのか、バンビにはわからなかったけれども。
ずいぶんな長旅になっていることはたしかだ。
アントニオが、「地球行き宇宙船からだ」と言って、旅費を出してくれなければ、体力より先に持ち金が尽きていただろうことは間違いないが。
「そうね――いったい、今何時なのかしら。――昼過ぎか」
地球行き宇宙船時間で、6月30日の午後一時だ。セパイロー島で気絶したのが6月29日の午前中だったから、ほぼ丸一日眠ってしまったことになる。
「ジャマル島までのルートもデイジーさんが検索してくれました。そう時間はかからなそうですよ」
「ホント?」
デイジーが示してくれた最短ルート表によると、ここケンタウル・シティの首都オルボブから、シャイン・システムで南の街マーシャルへ。マーシャルからアンブレラ諸島の一番大きなブッダイ島の端、ミガイ空港へ飛行機で。ミガイ市からシャインでドュォイ港。ドュォイ港からフェリーでジャマル島へ。
ずいぶん遠く見えたが、一日くらいで行けるらしい。シャイン万歳だ。
「ドュォイって……どう発音したらいいの」
「デイジーさんがアストロス語で発音してましたけど、わしにはできませんでした。コーヒー飲みます?」
バンビが水に手を付けないのを見て、九庵が言った。バンビがうなずくと、温かいコーヒーを淹れてくれた。
「そうそう! ペリドットさんたちと連絡が取れましたよ」
自分の分もコーヒーを淹れてから、九庵は思い出したように言った。
「無事だった?」
バンビたちがセパイロー島に渡る前から連絡が取れなくなっていた地球行き宇宙船サイド。
ペリドットたちは、「ZOOカードの世界」にいるわけで――なにか大変なことがあったのではないかと心配していたのだ。
「ええ。お元気そうでした。ペリドットさんたちも休息を取っていらしたんですね。それで、連絡が取れなかったようです」
「なんだぁ……」
バンビはほっとして、肩をすくめた。
「それから、あとでグループメールを見てくだされば分かると思うんですが、クラウドさんからのメールを」
九庵はゴソゴソと、自分の携帯電話を袂から出した。
「なに? 何か言ってた?」
「本物のセパイロー島、というか、セパイローが降り立った地というのは、やはりジャマル島のようです」
「アンブレラ諸島のほうね……」
「ええ。それから、ジャマルというのは、シャトランジの駒の“ラクダ”を意味するそうで」
「いよいよ、意味ありげな感じになってきたわね」
バンビも、自分の携帯電話でメールを見ながら言った。
「ルートも確認できたことだし、温泉にでも行って、ごはん食べようかな。それから、今日一日は寝かせてもらおう」
「そうしたほうがいいと思います。わしも、ひと眠りさせてもらいますよ」
翌日、デイジーが調べてくれたルートに従って、シャイン・システムで南の街マーシャルへ。マーシャルからアンブレラ諸島の一番大きなブッダイ島の端、ミガイ空港へ飛行機で。ミガイ市からシャインでドュォイ港。ドュォイ港からフェリーでジャマル島へ。
ほとんど波も荒れない航路で、小一時間ほどで島に着いた。
晴れ渡る青空、温かな気候。エメラルドグリーンの地平線。
北のセパイロー島とは違い、こちらは南国だ。
セパイロー島のフェリーもそうだったが、不思議とバンビは酔わなかった。島に着く間際、そういえばベンの運転でも酔わなかったな、と思い返し、首を傾げた。
どうしてだろう――その疑問を突き詰める前に、奇妙な一行が船着き場にいるのに視線を取られ、思考は霧散した。
「バンビさんですね? 私、“セパイロー島”観光課の、ヨド・B・ハンセンといいます」
淀みなく差し出された名刺を、呆然とした顔で受け取りながら――バンビは、思いもかけなかった出迎えに、しばらく瞬きすらできなかったほどだった。
ジャマル島は、大勢の人間であふれていた――観光客も、住民も。
特に、奇妙な一行――民族衣装の年寄りらと、スーツ姿の若者三名。女性がふたり。観光課の役員であるというヨドは、ずいぶん若かった。ルナと同い年くらいといっていいだろう。
ヨドの隣に、そっくりの顔をした同じ人間がいる。
――いや。
バンビだけが唐突に気づいた。
ヒューマノイドだ。
「あの、申し訳ありません。驚かれ――ましたよね」
ヨドは半分、焦り顔でいった。言葉も流ちょうなL系惑星群共通語だ。
バンビはハッとして、「え? いえ……」としどろもどろな返事を返した。
たしかに驚いた。
ヒューマノイドに目を奪われたのもあるが、それ以前に、ジャマル島のだれにも、観光課にも、「これから行きます」なんて連絡はしていない。島にある唯一のホテルには宿泊予約を取ったけれど。
まさか、こんな大々的なお出迎えがあるなんて。
「私から説明してもいいんですけど――ええと――長老が、ご挨拶したいみたい。私は、一応、通訳という形でついてまいりました」
ヨドが身を引くと、民族衣装の老人たちが大挙して押し寄せた。だれが長老か分からない。みんな似た顔をしていた。体形が、のっぽかまん丸かという差くらい。
そろって満面の笑顔で、泣いている者もいる。
「(ようこそ。バンヴィ様。生まれ故郷へ)」
「ようこそ、バンヴィ様。生まれ故郷へ」
『ようこそ。バンヴィ様。生まれ故郷へ』
ヨドと同時に、pi=poのデイジーが通訳した。
古いアストロスの言語を、pi=poのデイジーは正確に翻訳した。有料だったが、アストロスのマイナーな言語のアプリを入れておいて、本当に助かった。
「あら、pi=poにアストロスの古代言語を入れてらっしゃるんですね」
ヨドは驚き、
「とてもご用意がいいですね。私はいらなかったかしら――あの、不躾なご質問ですが、その、村の皆さまのお話を聞きに来られたのでは?」
「あ、はい……そうです」
封印を見届けるのが先だが、伝承を知っている者がいたなら、話を聞きたいと思っていたのは事実だ。
バンビはヒューマノイド・ショックと、ヨドとの会話のせいで気づいていなかったが、羅針盤の光が、この島に着いたときから消えているのに、九庵は気づいていた。
封印は、まだされていないのに。
「あの、間違いないでしょうか。あなたは、この島に、バンヴィ様の伝承を探しに来られた。あるいは、セパイロー。ええと――“ご自分のルーツ”を」
彼女の共通語は、彼女とよく似た女性が、島の言葉に訳して老人たちに伝えている。
ヨドの口調は遠慮がちだったが、表情に、不安や戸惑いはまったくなかった。
バンビは、デイジーの通訳機能を一度切って、聞いた。
「ええ――この島には、バンヴィの伝承があるの?」
封印を見届けに来たのが、一番の目的だけれども。
バンビの問いに、ヨドは苦笑いした。
「信じてもらえないかもしれませんけど、長老が――ああ、この方です。ひとつきくらい前から、あなたが来られることをよげ……予測してらしたんです」
バンビと九庵は顔を見合わせて、「え?」と言った。ヨドはさらに苦笑した。
「無理もありません。驚かれるのも――ええと、うん。なんていったらいいかな。この島では、そうめずらしいことではないのですけど」
老人たちはバスで。バンビと九庵はヨドの車で。
一行は、島にひとつしかないというホテルに向かった。
予想を超えて、ホテルは貸し切り。そんなに多くもない島民すべてが結集していたというのを聞いたバンビは、気絶しそうになった。
まさか、長老の予言ひとつで。
しかも、バンビの前世が「バンヴィ」だという、バンビ自身があまり直視したくない事実を、皆が把握していた。そして、歓迎していた。歓迎を超えて、大感激と大感動の渦が島全体を覆っていた。
もちろん、セパイローやバンヴィに関わる、島の伝承を聞くという目的は遂げられそうでよかったが、それにしても大ごとだった。
バンビと九庵はそれきり、携帯電話にもろくに触れなくなった。
島民の大歓迎を受けたためだ。トイレに行く以外は、まったく席を立つことができなかった。
「いやあ。あんなご馳走、初めて食べました」
九庵が目をキラキラさせながら言った。
たまに、このお坊さんの目は太陽みたいに眩しいときがあるのだが、錯覚だろうか。バンビは睡魔に負けそうな瞼を、九庵の目を直視することによって開けた。
「うわまぶしッ!!」
直視はダメだった。
「わしも世界各地を回りましたが、どこでも食べたことのない料理だった気がします」
「そうかも。あたしもずいぶん食べちゃったわ」
肉や魚は、幼少時のトラウマのせいで受け付けない身体だったのに、知らないうちに手を伸ばしていた。勧められたものを素直に口にしていた。
けれど、じんましんが出たり、吐いたりすることもなかった。
「あなたにとっては、“故郷の料理”に当たるんですかね」
ニコニコ微笑む九庵に、バンビは返す言葉がなかった。
アストロスに来てから、どうにも理解できないことが身体にも起こっている。船や車で酔わなかったり、肉や魚が食べられたり。
とりあえず、封印とか、突如空中に現れる紋章とかで、いっぱいいっぱいだったバンビは、それ以上考えないことに決めた。
ふたりがもてなされた料理を――まったく同じものを、ルナたちも、セパイローの宮殿で食べていたと知ったら、バンビは腰を抜かすだろう。
気絶するかもしれない。
「じゃあ、おやすみなさい」
「はい。よい夢を」
深夜近くなって、ようやく解放された二人は、用意された部屋で眠りにつくところだった。
ほとんどヨドの通訳だったが、島民たちは、バンビが来ることを知っていた。何故、この島に来たかという目的もだ。
そう、「封印」のことを知っていた。
今日は大ざっぱな話だけだったが、明日はもっと具体的に話が聞けそうだった。
そもそもバンビたちは、アストロスに来た結果、各地で謎の「封印」を見届けることになってしまったものの、この「封印」が何を意味するのか、分かっていなかった。
もっとも気がかりなのは――長老の言葉だった。
バンビが島に来た目的。
ルナたちが宇宙船でしているすべての準備は、なんのためにあるのかということを、明確に示した、あの言葉。
「(この星で、三千年前の戦が、再び起こる)」
長老は、はっきりと言った。
「(そのために、あなたが来た。アストロスの民を――アストロイを守るために、イアリアスの封印を解き、シャトランジを封じるのだ)」
時は熟したのだ――そうも言った。
窓から見える、暗いイヴェンティーナ海を眺めながら、バンビはスイッチが切れるように眠りについた。
翌朝。
きのうのように全島民に囲まれての食事だったらたまらないと思っていたバンビだったが、大きめのプレートに乗ったクロワッサンと、金のカップに入ったチョコレートを運んできてくれた者がいたので、ほっとした。
バンビの部屋に食事を運んできてくれたのは、きのうの、ヨドと同じ顔をした女性だった。
「あの――」
バンビは思い切って聞いた。
「あの、あなた、もしかしてヒューマノイド?」
間違っていたら失礼に当たるだろう。でも、バンビには確信があった。アストロスは、ヒューマノイド法がない星なのだ。つまり、疑似生命体は禁止されていない。
人口の一部は、少ないながらもヒューマノイドもいて――。
「ええ。そうです。わたしは、ヨドの妹で、フドと言います」
なめらかな共通語だった。笑顔も恐ろしく自然だ。感情もある程度持っているのか。しかし、不快に思う態度はなかった。
バンビは詰まった。これ以上、何を聞いたらいいのか。フドは、愛想のいい“ひと”らしく、笑みだけを残し、「お食事がすみましたら、きのうの広間に」と言い置いて、去っていった。
バンビは、トレイを持って、立ち尽くした。
“フド”は、“もとから”ヒューマノイドなのだろうか。たとえば、ヨドのきょうだいがフドという子で、幼いころ亡くなったために、両親がフドを模したヒューマノイドを養子にした――とか。そういう話はよくある。
アストロスでは、ヒューマノイドが禁止されてはいない。けれど、ヒューマノイド製造が許されているからといって、安易に手に入るわけでもない。人道的見地から守らねばならない法律もあるし、それなりの高級品であり、贅沢品でもある。高級車の購入費用や家を建てるのと同じくらいはかかる。
フドはまるで、ヨドのほんとうのきょうだいのようだった。昨日も見ていたけれど、さりげない会話や距離感、表情、それらはまるで、「人同士」のきょうだいと変わらない。
フドはまったく、「ひとそのもの」だった。体臭すら持ち合わせた――。
バンビは、なぜフドがヒューマノイドだと分かったのか、不思議だった。
あまりにも、あれは「ひと」だった。街ですれ違ったらおそらく気づかない。
もちろん、ハンシックの店に残してきた、デイジーとマシフの機械人形とはくらべものにならない、「精巧な人間」だった。
でも、あれは、「ヒューマノイド」だった。
機械人形のデイジーやマシフ、ルナの「ちこたん」のほうが、「生きている」と感じるのはなぜだろう。
あれが「フド」だとするなら、なぜ「フド」の魂がないのだろう。
バンビはふとそう思い――なぜか、移動用宇宙船から眺めた、青緑の星を思い浮かべた。
アストロスだ。
生きている。
バンヴィの手のなかで、トクトクと小さな鼓動を奏でて、生きていた。




