39話 おおきなウサギの木の下で 2
「予言の、力?」
ルナは聞いた。サルーディーバは、重々しくうなずいた。
「……はい。見えないのです。どうも、靄がかかるようにして、未来が見えなくなってしまったのです。世紀の予言者と謳われながら、休養とは名ばかりに仕事を取り上げられて――はじめて――自分の居場所がなくなるのを感じました」
サルーディーバはさみしそうに笑った。
「そんなときです。しばらく応答のなかった天から声があったのは。一ヶ月後に宇宙船のチケットが届くから乗りなさいと。その宇宙船で、L77からきた少女と出会う。その子がわたくしを救ってくれると」
(それは多分、なにかのまちがいがなくても、あたしたち四人のだれかだ)
ルナはごくりと息をのんだ。
(L77からは、あたしたち四人だけだったし)
でも、サルーディーバの言葉を聞くかぎりでは、それはリサかミシェル、キラの可能性だってあるのだが。
「わたくしが天からお声を受けただけでなく、アンジェリカの占術でも、同じことが出ました。ですから、わたくしは一縷の望みをかけて、宇宙船に乗ったのです」
ルナはますます困惑した。
予言の力なんて。
ルナが、サルーディーバの予言の力なんてものを取り戻させてあげられるとは、到底思えなかった。
「宇宙船は居心地がよかった。真砂名神社のおかげもあるのでしょう。でも、まだあのころのように予言はできません。まだ、もとにもどってはいないのです。なんといったらよいのでしょう――わたくしも、自分の不調の原因を必死に考えました。なんと申しますか、――だれかに吸い取られた、と、いうのか」
サルーディーバは言い、頬を赤らめた。
「……おろかなことを申しましたね、すみません」
ルナは首を振った。
「なぜそう思ったのかと申しますと、ここにきてから調子がよくなったからです。この神社の神様になくなった力を分け与えてもらっているかのように、感じたからです。
八年前、わたくしはL03の長老会と対立しました。そのせいで、蟄居を命じられたのです。思えば、そのころからどうも、おかしかった。決定的に予言の力をなくしたのは、ガルダ砂漠の出来事のあとですが――でも、予言の力を吸い取るなんて、そんなことのできる者はL03にもおりませんし、聞いたこともありません」
サルーディーバは、首をかしげた。
「わたくしが、この宇宙船に乗ったころは、L03が混乱のときでした。そんなときに外地へ行くなど――と思いましたが、長老会も喜んでわたくしを送り出した。むしろ厄介者がいなくなって、せいせいしたという顔をしていました。
でも、乗ってよかったとも思います。知己であったアントニオとも再会できた。そうして、あなたと出会った」
サルーディーバは、必死ともいえる顔で、ルナを見た。
「あなたも、途方もないことをいわれて戸惑っているのは十分承知しております。ですが、わたくしは、一日も早く予言の力を取りもどしたいのです」
オッドアイが、困惑にゆれた。
「アンジェリカの婚約者の――メルーヴァという者の姉が、去年、行方不明になり――こんなときに、わたくしはなにも見えなくなってしまっていて」
「え?」
アンジェリカの婚約者の姉が、行方不明?
「アンジェの占いでは分からないんですか?」
サルーディーバはむなしく首を振った。
「メルーヴァの姉、マリアンヌもまた、アンジェ同様、ZOOカードをあつかう占術師なのです」
「えっ」
「もしかすれば、マリーが自ら、おのれの姿をかくしているやもしれません。そうでないかもしれません。なにもかもが、分からない」
サルーディーバの美しい両手は震えていた。震えを押し隠すように、細い指先が組まれた。
「宇宙儀の占いでは、マリーの身に不吉なことが起こると。それだけ告げて動きを止めてしまいました。アンジェリカもわたくしも、気が気ではなくて。恥を忍んで、宇宙船の、占い師の方にお聞きしたり、さまざまな方に伺ったのですが、だれも、わからないと――なにか、大きな闇がさえぎって、まったく見えないと。カードも、不吉なものばかり」
ルナは、息を呑んだ。
「ぜんぜんダメなの……」
「船内の役員で、占い師の方がいらして。彼女はいいました。これは、彼女本人が――マリー本人が、ものすごい力を持った占い師で、自分がだれにも見つからないように、隠れているのだと。そうおっしゃいました。ですから、並の占い師や予言師では、見ることはできないと。でも、マリーは予言師ですけれど、そんなに大きな力は持っていないはずです。アンジェリカのほうが、マリーより、ZOOカードの経験も技術も上です。アンジェリカが、見えないはずはない。彼女の双子の弟メルーヴァは、わたくし同様、伝説の名を持つ、千年に一度と呼ばれた神官ですが――」
サルーディーバは一息つき、ルナの目を見て言った。
「わたくしは、一刻も早く力を取りもどさねばなりません。あなたにご相談して――突然このようなことをいわれて戸惑っていらっしゃるでしょう――申し訳ありません。でも、どうか見ていただきたいのです」
見ていただきたい――なにを。
「わたくしが、調子を崩すきっかけとなった、ガルダ砂漠のできごとを」
ガルダ砂漠? ガルダ砂漠――グレンが、大ケガをして帰ってきた、あのガルダ砂漠の戦争?
そのとき、あんまりなタイミングで、インターフォンが鳴った。
サルーディーバは、あきらめたように口を閉ざし、うつむいてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい、ちょっと待っててください」
ルナは立ったが、サルーディーバは首を振り、ルナを引き留めた。
「また、うかがいます」
そういって、彼女は、その場から消えた。
「――!?」
まるで、今までルナが見ていたものが映像でもあったかのように、椅子から消えたのだ。
こつ然と。
「はわわ……」
ルナが泡を吹きそうになっていると、インターフォンがふたたび鳴った。
「ルーナーッ! いないの!!」
リサだった。
ルナは、なんだかものすごく、ほっとした。
L77にいたころと違い、リサは強引に押し入ってくるのではなくて、強引に連れ出した――ルナを。リズンへだ。
それに、リサひとりではなかった。シナモンとレイチェルもいっしょだ。
誘おうと思っていたのだからそちらはいいのだが、リサは突然どうしたのだろう。このあいだのキラの話だと、やっぱりミシェルと別れたのか?
ナイスミドルなおじさまと浮気中だという話は?
「へえ、それでリサ、いよいよ美容師なのね」
「そ。まあ――さすがに今すぐ働けるわけじゃないから、腕落ちないように練習はつづけて。それで――ちょっと見て」
リサが携帯電話をかざして見せた。レイチェルとシナモン、ルナが、限界まで顔を近づけた。
「なにこれ――!」
シナモンの絶叫に、レイチェルの呆れた嘆息が続いた。
リサが住んでいるのはK12区の高級マンション。それはルナも知っている。しかし、なかまで見せてもらったことはまだなかった。
シナモンが驚いたのは当然だ。室内の一室が、広い美容室になっている。設備が完璧に整っていた。
大きな鏡にスタイリングチェア、ワゴンや美容機器、シャンプー台などがひとそろい――。
「こんなとこ、よく見つけたわね!?」
「ミシェルが探してくれたの」
リサは優雅に微笑んだ。
「これ、もうほとんど美容室じゃない!」
「そうなのよね。有名なスタイリストが、この宇宙船に乗ってるあいだに住んでいたらしいの」
着ている真っ赤なニットにも劣らない、リサのバラ色のほっぺた。
「家賃は?」
リサが小声で言った金額に、全員が息をのんだ。
シナモンはうらやましそうに。レイチェルとルナはほとんど呆れで。
「プレゼントだって」
リサはいそいそと携帯電話をバッグにしまい、
「ここまで用意してもらったんだから、ぜったいL系惑星群一の美容師になってみせるわ――ついでにフラワーアレンジメントとか、メイクも勉強しとこうと思ってるの」
鼻息も荒くそういったリサに、「探偵って、もうかるんだァ……」と目から鱗が落ちた顔のシナモン。
「探偵がもうかるってわけじゃないみたい。ミシェルってもとは公認会計士だったのよ。しかも、おうちもずいぶんエリートがそろったお金持ちみたいで――もともと、資産はあるみたい」
「へ、へえ……」
同じL5系生まれのシナモンも引き気味になるほどだ。ルナは口を開けていたし、レイチェルも言葉を失って、「すごいひとね」とそれだけいうのがやっとだった。
シナモンは、
「なんなら、あたしヘアモデルやってもいいよ」
と綺麗に巻かれたロングヘアを指に絡ませながら言った。
「いいの!? ホントに!?」
現役モデルの髪を弄らせてもらえると知ったリサは、目を輝かせた。シナモンはウィンクした。
「もちろん。あたしそろそろ、短くしたかったのよね。それに、メイクなら、あたしも行ってる講習会あるから、いっしょに行かない」
「行く行く!」
「ねえルナ――あのアズラエルってひと、ほんとうにだいじょうぶなの」
「へけ?」
大金持ちだったミシェルの正体を知って、口を開けっ放しだったルナは、レイチェルが心配そうに自分の顔をのぞき込んでいるのに、やっと気づいた。
「傭兵、だって。エドが言ってたわ。そんな怖いひとと――」
「メッッッチャ、セクシーだったよね!!!!!」
いきなりシナモンが、大興奮で身を乗り出して話に加わってきた。
「声も渋いし、あの筋肉サイコー!! 今朝スーツ姿見たときは、マジあたし昇天するかと思った……」
わざとらしくめまいを起こしたシナモンは、真顔でルナに向き直った。
「なんでルナがあの人をオトせたのか、いまだに謎」
「あたしは、まだアズとはつきあったわけじゃ……」
ルナは言いかけたが。
「ルナには合わないわ」
レイチェルのやけにきっぱりとした台詞に、目を見張ったのはルナだけではなく、リサとシナモンもだった。
「レイチェル、アズラエルは見かけほど悪いオトコじゃないよ」
リサは苦笑しつつ言った。
「どっちかいうと、のんびりすぎて、ほとんど行動を起こせないルナにはぴったりのタイプだと思うけど?」
リサのお説教がはじまりそうだと思ったシナモンは、あわてて話題をそらした。
「それよりさ、リリザに着いたらいっしょに遊びに行こうね。なるべく女だけで――ミシェルとキラは行けるかな」
「ミシェルは大丈夫だと思うけど、キラはどうかな……」
言いかけたルナは、リサにさえぎられた。
「ルナも! ちゃんとやりたいこと見つけなさいよ? マジでこの四年間、のんびりマイペースに暮らすわけじゃないでしょ?」
「リサ、それじゃママみたいよ」
今度は、レイチェルが苦笑した。
「カレシのときも、さんざん心配して。ルナはルナで、きっと楽しみもやりたいことも見つけられるから、だいじょうぶよ」
「そうだよ。なんでリサってば、ルナ相手だとそんなママみたいになるの」
シナモンも不思議そうに言った。
「心配だからよ! いっつもボーッとして、のんびりしてるから! この子、ホントに生活していけんのかなとか思っちゃう。この宇宙船は、お金もらえるからいいけど、四年後の保証なんて、なにもないんだから。ツキヨさんみたいな優しい店主がいる本屋さんなんて、そうそうあるわけじゃないんだからね! ああいう小さい本屋だって、この先ずっとやっていけるとはかぎらないんだから」
シナモンは、ラテを吹きそうになった。
「それは心配しすぎでしょ!」
「……」
ルナのウサ耳がぺったり垂れたのを見て、レイチェルが目を吊り上げた。
「リサ、それって余計なお世話よ。あなたとルナは同じじゃない」
そして、ルナに微笑んだ。
「あたしは、ルナののんびりしたところが好きよ」
「ま、まあ――まあまあ。久しぶりに会ったんだから、ケンカはやめようよ」
シナモンがなだめた。
半分怒った顔で冷めたカフェラテを啜るリサは、それ以上なにも言わなかった。




