321話 バンビと九庵、ベンと合流する 2
飲食店街で遅い昼を取り、ショッピングモールから出た。
ビルが立ち並ぶ大都市は、どこへ行っても人混みからは逃れられない。若干の疲労を感じながら、バンビは道路沿いに立ち、腕時計で時間をたしかめた。
「そろそろかな」
そう思っていると、大きなバンが――都市にはめずらしい、キャンピングカーが横付けされた。中から出てきたのは、Tシャツとカーゴパンツ、ブーツのアウトドアスタイルの男性だ。
「どうも、お久しぶりです」
「はじめまして――ベンさんかな――え?」
「え?」
キャンピングカーから降りてきた、個性はないがイケメンの部類に入るだろう好青年、ベンは、バンビの「はじめまして」に首を傾げた。
バンビはバンビで、「久しぶり」の語句に首を傾げた。
その様子を見て、九庵も首を傾げた。
「アレクサンドル博士ですよね!? 俺です俺!! ベン・J・モーリスです。心理作戦部でお会いしてるはずです。クラウド軍曹と一緒にいたでしょ?」
「えっ――あ――あっ! 君、いつもクラウドと一緒にいた! あっうん、覚えてる!」
「ウソですね! 絶対忘れてる顔だ!」
ベンは決めつけた。それから、がっくり肩を落として青ざめた。
「……俺ってホント、人に顔覚えてもらえないんだよな……そんなに地味か?」
「まぁ、クラウドとエーリヒと一緒にいればね……」
あのキャラの濃さに勝てなくても悔しがることないわよ、とバンビは慰めにもならない言葉を発した。
「クラウド軍曹が、とんでもない写真を送ってきたんですが、これはどういうことです?」
「ああ――」
ベンは首を傾げて、バンビに、クラウドから送られてきたバンビの顔写真を見せた。
クラウドは当然だろうが、スキンヘッドにタトゥ付きのバンビの顔写真をベンに送った。ベンは、「アレクサンドル博士」の顔しか知らないはずなので。
「いや、あたし、地球行き宇宙船ではこういう顔してるのよ」
「あなたがですか!?」
ベンはにわかに信じがたい顔をした。
「まぁ――こんな感じ」
バンビはウィッグをむしり取り、携帯電話をピッと顔に当てて、でかい星型のタトゥで目の周辺を覆い、反対側の頬に小鹿のタトゥもつけた。
一気に変貌したバンビの容姿と写真とを見比べ、「なんでまた、こんな変装を……」とベンは言いかけたが、彼も軍人だった。必要以上は追及しなかった。
「今は、アレクサンドルじゃなくバンビって呼んでくれる? それで通ってるの」
「わかりました」
これから向かうのは砂漠地帯だ。ふたたびタクシー運転手を振り回すわけにはいかないので、結局、アストロスにいたベンに協力を仰ぐことになった。pi=poの運転手のタクシーもあるが、何日も借り受けると金額がとんでもないことになる。
ベンが運転するキャンピングカーは、ほどなくして都市を離れた。
あれほどの喧騒がブツリと切れるように街が消え、砂の世界に入るのは、どうも不思議な感じがする。
九庵によると、L05もこんな感じの風景が多いらしい。
「わしらに付き合って、任務なんかはよかったんです?」
後部座席に乗った九庵が聞いた。ベンは苦笑した。
「一応、こっちの任務が優先だとエーリヒ隊長に言われまして」
「こんなところまで来てこき使われてさ、ちゃんと報酬はもらってるのよね?」
「ええ。退職金も含めて、けっこうな報酬をもらいましたから」
ベンのいうことはでまかせではない。心理作戦部を最後まで勤め上げればもらえる退職金とほぼ同等の報酬を、エーリヒから受け取っている。保険も加えてのことだろうが、その金をどこから融通したのやら。出どころは、聞かないことにしている。
つまりベンは、リリザでセレブ生活をしても、老後を心配しなくてもいいくらいの余裕はある。
無論、今度の任務の経費もクラウドから出ているし、そちらの出どころは地球行き宇宙船という話なので、ベンの懐は痛んでいない。
大都市ベニアロをほぼ真北に数百キロ。唐突に、砂漠地帯が現れる。
羅針盤が示したのは、そのワギリタ砂漠の入り口だった。入り口といっても、もう都市は見えない、砂漠のど真ん中。
「ここか」
「今日中についてよかったですね」
羅針盤が示す位置にはなにもない。砂の世界が広がっているだけだ。とりあえず、陽も落ちてきたので、ここで野営をすることにした。
ベニアロは温暖な気候だが、ワギリタ砂漠は昼夜の寒暖差が激しい。
ずいぶん冷え込んできたので、真っ先に火を起こした。
「あまり、惑星を一気に縦断しないほうがいいですよ。身体に異常をきたします」
「えっ?」
「北の果てから南の果てまでなんて、一日で移動するもんじゃないです。あまりに気候と温度が違いますから。行路は通じてても、人間の身体が持たない」
バンビたちの行路を聞いて、ベンが顔をしかめて言ったのがその言葉だった。バンビが熱といっしょに鼻血まで出したのは、そのせいらしい。
九庵はピンピンしていたが。
「ゆっくり行きましょう。クラウド軍曹からのメールによると、宇宙船では、これから封印を解きに行くみたいですから」
バンビはようやく思い出した。ルナのメールを。
彼女からのメッセージにも、「ゆっくりでいい」とあった。
あまりに立て続けに、とんでもないものを見すぎたせいで、すっかり忘れていたのだ。
バンビはあらためて、ルナのメールを読み返した。
「夕食の用意をしましょうか」
ただの四駆ではなく、キャンピングカーをレンタルしたベンはさすがだなあとバンビは感嘆したのだった。野営に慣れている。
pi=poのデイジーはテントも張れるので、そちらのテントには九庵とベンが入ることになった。このふたりはどこででも寝られる。ベッドが必要なのはバンビだった。
デイジーが起こしてくれた火でレトルトカレーと野菜スープを温め、簡単な夕食を取った。
「――え? こっちのセパイロー島じゃないの」
夕食時に、地図を見ながら、目的地の話になった。今のところ、羅針盤は次の目的地を指してはいない。この地で封印が施されるのがまだだからだろう。
バンビが、ジュエルス海にあるセパイロー島に行きたいという話をしたら、ベンに、「俺が行ったのは、こっちの島ではないです」と言われたのだった。
「たしかに、地図だけで調べると、セパイローの名がつく島はここしかないんですが、オルボブの宇宙港のインフォメーションで聞いたら、ほんとうのセパイロー島は、こっちのジャマル島のほうらしいんです」
ベンは、北のジュエルス海から指を引っ張って、南のアンブレラ諸島の島々のひとつを指した。
「俺が行ってきて、クラウド軍曹に報告したのは、こちらのほうです」
「そうだったのね……」
「では、北のほうには行っていないんですか?」
九庵がカツカレーを食べながら聞いた。
「ええ。インフォメーションのひとによると、こっちはセパイローの産屋がある島で、ここから神々がたくさん生み出された、という伝説はあるみたいなんですが、セパイローが初めに降り立った地ではない」
「なるほど」
羅針盤がどこを指すかわからないが、日程に余裕がありそうだったら、アンブレラ諸島まで足を伸ばしてみるのもひとつかもしれない。
「ごめんね、車を取っちゃって」
「平気ですよ。俺は野営に慣れてるんで」
「わしも、テントがあるだけマシですよ。――それにしても、綺麗な星空ですね」
九庵に言われて、バンビはベンとともに空を見上げた。満天の星。
「砂嵐じゃなくてよかったなあ」
ベンは、この美しい星空を、おっさんふたりとではなくイマリと見たかったな、とちょっぴり思ったし、バンビは、思いをはせた。
自分がこれから行く道を。
九庵も、ひときわ明るい星を見上げながら、ひそかに合掌した。
バンビについて、アストロスへ来た日から、九人を助けるというミッションが行われていない。だとすると、この旅路は、とても大きな意味があるのかもしれない。
毎日九人を救うより、よほど大切な何か。
九庵は人知れず、旅の無事を祈った。
ルナたちの安全を、祈った。




