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キヴォトス  作者: ととこなつ
第八部 ~セパイロー篇~
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320話 セパイローの使者と、太極図の扉 2


 その日、いつも通り、駄菓子屋の前のベンチに腰かけていたカンタロウは、異相の人間が三人、鳥居前に立ったのを見た。


 大路の前の道路を歩いてきたわけではない。いきなり、鳥居のまえに現れたのである。


 彼らは大きな布を、頭から足の先まですっぽり被り、顔は伺えない。

 ずいぶん古めかしい、木でできた杖を持っている。


 気配もない足取りで大路を進む――それをぼんやり目で追っていたカンタロウは、背が見えたあたりで、蒼白になった。


 今まで感じたこともない戦慄を覚えて、あわてて自宅内に取って返し、提灯(ちょうちん)をひっつかんで戻ってきた。


 大路に戻れば、カンタロウと同じく察した人々が、三人の前に飛び出し、地に額をぶつけて懇願し――あるいは提灯を振り回し、叫んでいた。


「お帰りください! どうかお帰りください!! まだ早い!!」

「お許しください!!」

「なにごとか、ご無礼があったでしょうか!? どうか、どうか、なにとぞ――!!」

「お帰りください! お帰りくだされ!!」


「なんや、あれ」


 キスケも駄菓子屋から飛び出してきた。カンタロウは、家の者を呼びに、一旦戻ってきたのだった。驚くほどぜいぜい言っていた。この剛毅なおじいが、これほどまでに動揺したのを見るのは、キスケは初めてだった。


「見りゃわかるじゃろ!!」

 カンタロウは、キスケもビビるくらいの声量で、怒号した。

「“セパイローの使者”や……!」


 キスケは、皆がしている行為が、「祭り」の行事のひとつだというのは分かっていた。


 祭りでは、ああして全身布を被り、鬼の面をつけた「セパイローの使者」が大路を歩き、階段を上がるのを阻止せねばならない。三人の鬼役が、階段を上がり切ってしまったらおしまい。そのあと、厄払いの祭りもしなければならない。


 不思議なもので、使者役の三人は、なかなか押し返せない。小柄で非力なものが鬼役をやってもだ。屈強な男たちが束でかかっても、押し返せないときは押し返せないのだ。


 階段前で食い止められれば、その年は順風満帆。(じゅんぷうまんぱん)


 階段を上がってしまえば、大路の皆で、「厄払いの階段上がり」をせねばならず、拝殿まで上がってしまうと、その年は世界規模で災禍厄難が多くなり、作物も育たない。


「なんで今ごろ、祭りなんて」


 祭りは2月やろ――いいかけたキスケは、次のカンタロウの言葉に、全身に汗が噴き出した。


「アホタレ! “本物”や!!」


 カンタロウは、そのまま、大路を駆けて行った。

 他の者同様、使者を抑え込むために。


「本物」を見たのは、カンタロウですら初めてだった。

 本物はまずい。本物に来てもらっては困るから、祭りをしているのである。


 セパイローの使者は、太古の神話の時代、腐敗したラグ・ヴァダとアノールの国を、ひと夜で、業火によって滅ぼした。セパイローの審判を告げる使者なのである。


 そのため、大路の皆が代表して、一年の、知らず知らずのうちに犯せる罪穢れを、毎回祭りで清め祓い、お詫びする――地球行き宇宙船ができて千年――欠かさず続けてきた。


「いたずらにしちゃあ、度が過ぎるじゃろ――」


 同じく提灯を持って駆けてきたオニチヨも、度肝を抜かれた。

 押し返すも押し返さないも、大路の皆も、押しとどめようとする群衆は、まるで役に立たなかった。

 使者たちは群衆をすり抜ける。透明になって姿を消し、数歩先に現れ、進んでいく。


「ホンマに!?」


「本物」が階段を上がってしまったら、いったい、どうなるというのだ?

 この宇宙船が裁かれるのか? 何が起こる?

 地球行き宇宙船が燃えあがりなどしたらたまらない。

 階段上からイシュマールが駆け下り、使者に向かってなにか叫んでいる――!


「アントニオを、ペリドットを呼ばんか……!」

「アイツら呼んだかて……ああ! 間に合わん!!」

「いかん……!」


 三人の歩くスピードは上がる一方だ。長い大路を、瞬く間に階段下まですり抜ける。


「なにとぞ! なにとぞォ!!」

「わしらに免じて! なりかわってお詫び申し上げまする!!」

「お帰りくだされ! どうかお帰りくだされ!!」


 大路中から人が集まる。皆々が、提灯を持って口上する。

 だが、だれも止められない。


 ――大路の者たちは、その目で見た。

 真砂名神社が――大路商店街が、一瞬にして業火に包まれるのを。


 悲鳴が方々で上がった。気絶したものもいる。それは、刹那の幻覚だった。

 使者たちが階段を上がってしまえば、その通りになるという現実を見せられた。


「なっ――なにとぞ、なにとぞォ!!」


 ナキジンが階段前でひれ伏す。それにならって男たちが、横一列になって階段をふさぎはじめた。


「我らに免じて、どうか!!」


 そのときだった。

 ――大路の皆は、把握が、だいぶ後になってからになった。

 この数秒の間に起こったことが、いまいち、理解しきれなかったのだ。


「どうもォ。コーヒー豆お届けに上がりましたァ」


 喫茶吉野の隣のシャインから、吉野にコーヒー豆を届けている業者が――髪の真っ赤な青年が、出てきた。ヨシノは、提灯を持って、涙目で階段前に飛び出したところだった。


「あ、ヨシノさん、サインくれ」


 青年が、右端の使者のまえを横切り、ヨシノにコーヒー豆を突き出した――途端。

 使者は、煙になって、消えた。

 ヨシノの口が、「あ」の形になって、固まった。


「ふんふん♪ ふふふ~ん♪」


 鼻歌まじりに、謎のウサギソングを歌いながら焼きうどんをつくっていたルナは、うどんを皿に盛ったとたんに、ぴーん! とうさ耳が立つのを感じた。


「ん?」

 ルナは焼きうどんの皿を持った。

「うさうさ?」


 ルナは一時停止したあと、ものすごい勢いで焼きうどんの皿を持ったまま、駆け出した。


「どこ行くんだいルナちゃん!?」

 レオナの叫び。


 ルナもどこに行こうとしているのか分からなかった。ただ、焼きうどんを両手で持ったままシャインに走り、いつのまにか、大路の、紅葉庵側に出ていた。

 なんだか大路は大騒ぎで、めのまえに、布を被っただれかがいた。


「どうぞ!」


 ルナは焼きうどんを差し出した――顔も見えない、布を被った不思議なだれかは、いきなり(かすみ)になって、消えた。

 ルナは、口をぽっかりあけた。

 向かいでこっちを見ているナキジンの口も、あいていた。


 ――ゆっくりと、階段の真ん中を、降りてくる女性がいた。


「……三はすべてを生ず。二は三を生じ、……一は二を生じ、」


 なにかつぶやいているが、聞こえない。

 ルナはなんだか、彼女に見覚えがあると思った。だが、思い出せない。


「――太極」


 彼女が階段の最後の一段目を降りきったところで、スニーカーのつま先が、使者のつま先と、小さくぶつかった。


「機を見るはこれ、神なり」


 彼女が言ったのか、使者が言ったのか――。


 ルナには分からなかったが、最後の使者は、やはり泡が弾けるように、消えた。


 大路の時間は、止まっていた。

 キスケが、腰を抜かしていた。

 最後のひとりが消えた瞬間、ルナの耳に、鍵が開く音が聞こえた。





「ウナちゃんこふぇうめえさひほー」

 何を言っているか分からないが、オニチヨだ。ルナが持ってきた焼きうどんを、大口開けて啜っているからだった。

「ひと口よこさんか」

「ひと口! せめてひと口!! ルナちゃんの手料理!! あ~!! おま、ホンマ鬼か!!」

「鬼やし」

 鬼科鬼目鬼属ですー。


 キスケとキキョウマルがつかみかかったが、オニチヨは猛スピードで――さっきの使者より早く、すべてたいらげた――賞味五口ほど。体格がでかいと口も大きい。食うというよりか、飲んだ。


「だんだん」


 使者みたいに消えた焼きうどんの皿をルナの膝の上に乗せ、「あああ」と無念の叫びをあげている幼馴染み二人をよそに、オニチヨはルナにあらためて言った。

 真剣な顔で。


「ルナちゃん、だんだん」

「う、うん?」


 頬っぺたにかつおぶしがくっついていた――焼きうどんのことなのか――それとも、ルナが、セパイローの使者を消したことか。


 ルナは、意味が分かっていなかった。

 大路の皆も、ほとんど分かっていなかった。

 ルナは一瞬で消えた焼きうどんに思いをはせ、この皿に真実、焼きうどんは存在したのか? 存在がない焼きうどんが消えた皿は、焼きうどんがあった皿と言えるのか――みたいな、哲学に陥っていた。


「そういえば、鍵が開いた!」


 ルナはそう叫んで、皿を持ったまま、ふたたびシャインに消えていった。三人の鬼カラスは、そのまん丸い後ろ姿を呆然と見送った。


「かつて、太古のむかし、焼きうどんは存在したのです、この皿に」

「落ち着くんだルナちゃん」

「ルナがカオスになってる」


 ルナは空の焼きうどんの皿を持ったまま、「太極図の扉」まで来てしまった。

 意味不明な行動をしたルナの後始末は大変だった。

 レオナとセシルは、いきなりルナが飛びだしていったので心配していたし――結論から言うと、やはり鍵は開いたのだ。扉は開いていた――その説明を、ルナはせざるを得なかったし、さらには意味が分からなかったので、ペリドットはナキジンに電話して詳細を聞き、さらにクラウドは、レオナたちに電話して、ルナという迷いウサギを確保したことを報告せねばならなかった。


「焼きうどんは、アズが持ってきてくれるってさ」

「この焼きうどんは、使者とやらが食べたのかね」

「ううん。食べたのは、オニチヨくん。でも、むかしむかし、この皿に焼きうどんがありました。おおむかしのお話だけど」

「焼きうどんの伝説が、新たにマ・アース・ジャ・ハーナの神話に加わる……か」

「ふたりとも。カオスから戻ってきて」

 クラウドが、ルナとエーリヒの不毛な会話をやめさせた。


「使者を消した人物を見たか?」

 電話を終えたペリドットは、ルナに問うた。

「見たよ。でも、見たことがない人だった」

 なんとなく、見たことはある気がする。夢の中でだろうか。でも、ルナは思い出せないのだった。

「ひとまず、鍵は開いたな」


 ペリドットたちは、鍵が開いた瞬間を見ていた。

 扉の中央に大きく刻まれた太極図が、真白い光を放って点滅し――鍵が、ガチャリ、と音を立てて開いたのだ。

 しかしまさか、同じ時刻、大路に「セパイローの使者」(※たぶん本物)が出現し、地球行き宇宙船なのか、世界なのかが危機に陥っていたことは、寝耳に水だった。

 ナキジンの話によれば、セパイローの使者は、三人とも階段手前で食い止められた。

 つまり、消えた。


 消したのは、コーヒー店「ソラ」の店主、クシラ。

 ルナ。

 もうひとりは――。


(ナキジンは、名を言わなかったな)


 知らない人間だとも言わなかった。だとすれば、意図的に隠している可能性がある。追及はやめた。

 ペリドットは、おそらくその最後のひとりが、(かなめ)だったであろうと確信した。


 ――機を見るは、これ、(しん)なり。


『分からん。分からんよ。わしにもよう分からん。なんでいきなりセパイローの使者が現れたんか――だが、あの三人は、“機を見た”んじゃな。三人が三人、階段手前でセパイローの使者を消してくださった』


 ナキジンが、まったく混乱しきった口調で説明するのを、ペリドットは冷静に聞いていた。


『意味の分からんことをと思っとるじゃろ?』

『いいや』

『ほうか。なら言うが、クシラは今朝、ちゃんと吉野にコーヒー豆を届けて、金をもらった。新しい注文があったわけでもないのに、またコーヒー豆を持ってきたんじゃ。クシラもなぜそんなことをしたんか、わからんで首を傾げとった』


 ナキジンの早口は、今日はもっと早口だった。そばにいたらさんざん唾が飛んでいただろう。


『セパイローの使者を消せるのは、“本物”の神しかおらん』

『今期はいろいろありすぎる!!!!!』


 背後から、イシュマールの絶叫が聞こえる。ペリドットは苦笑し、礼を言って切った。

 バンビが言ったように、セパイローに試されているのはたしかだった。

 裁きを下す神の使者を止めたのは、人慮を超越した、平和をもたらす神の使者。


「なるほど。うっかり、なにかの拍子に世界を救っているな……」


 無表情のエーリヒからこぼれた、表現しようのない感情がこもったボヤキを、ペリドットだけが聞いた。

 神話にもならない。焼きうどんを差し出されて撤収した裁きの使者。


「この焼きうどんが世界を救いました」


 ルナは厳かに言ったが、「そういうわけでもないだろう」とペリドットは訂正した。


「鍵が開いたことを、皆に知らせてもいいかい」

 クラウドが、ペリドットに話しかけた。

「ああ、少し待ってくれ」


 ペリドットは、すっかり扉を開け放った。皆が、向こうにある光景を覗いた。

 生垣の迷路が続いていると思いきや、扉の向こうは花畑だった。生垣の外にある、どこまでも続いている花畑だ。


「おい、開いたのか」

「扉が開いたんだね」

 アズラエルとセルゲイが、約束通り、焼きうどんをもって駆けつけた。

「ここからが、本物の迷路か?」

「いや。迷路ではなさそうだ」


 生垣の外とは違い、石畳の道が一本、まっすぐ続いている。高低差があるのか、果ては見えない。


「よし、行くか?」

「いや、待て」

 ペリドットは止めた。

「焼きうどんを持ってか?」

 アズラエルは自分が持っているものをすっかり忘れていた。


「たしかに道はあるが、ミヒャエルのようにならんともかぎらん。食料と野営の用意をして、明日、午前八時、リンゴの建物に全員集合だ。準備を整えてから行くぞ」

「分かった」





 だが。

 6月24日――いよいよ、扉の先へ行く、という話は、一日延期された。

 なぜなら、バンビが、チラン島のホテルで倒れていたからである。理由は、チラン島に渡るフェリーで船酔いしたからだった。

 長旅で、バンビの身体は疲れ果てていた。


「……ほんとに、彼、よくひとりで行こうとしたよな」


 クラウドのつぶやきに、大多数が同意した。

 遊園地サイドは、二つ目の封印が解けたが、バンビはひとつ目の封印にすらたどりついていないわけで、とにかく、歩調を合わせるために、バンビがふたつの封印の解除を見届けてから、先に進もうということになったのだった。

 だが、一日延期も、いいことはあった。


「ぷ?」


 ルナは、このところ、自分のZOOカードボックスを、肌身離さず持ち歩いているのだが――そのおかげで、手紙(カルタ)をすぐ受け取ることができた。


「ぷ?」


 連絡事項なら、グループメールが流れてくるはず。いったいだれからだろうと思って差出人を見ると、なんと「夜の神」だった。

 封筒を開けると、便せんが一枚と、セロファン紙くらい薄い紙が。その紙には、マフィンが描かれていた。

 このマフィンは、なんだか、見覚えがあるような。

 便せんを開くと。


 ――妹へ。

 チーズ・マフィンを持って行きなさい。使い方は覚えているな? 

 遊園地に持っていけば、紙切れはマフィンになる。


 ルナは、これが、「一度だけどんな動物にも変身できるマフィン」だったことを思い出した。


「あれ?」

 たしか、これは。

「夜のメルカドの外には持ち出せないんじゃ?」


 そう思ったら、便せんの字がすうっと消えて、別の文字が浮かんだ。


 ――賞味期限は二日。二日経ったら消えてしまう。


 そうだ。賞味期限が短い、とはケンイ――カンテンのウサギも言っていた。それでも、二日は持つのか。あのときは、ルナがカンテンのウサギの元へ行くまでずいぶん時間がかかったので、たった二日では消えてしまっていただろうけど。


「ありがとう!」


 分からないが、きっと必要になるときがあるのかもしれない。ルナがお礼を言うと、「どういたしまして」と文字が浮かんだ。

 カルタは、黒い煙を上げて消え、マフィンの紙切れだけが残った。

 



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