319話 バンビと九庵、アストロスへ
途方に暮れたバンヴィを見て、母であるセパイローは言った。
「おまえは何に乗って旅立ちますか? 鳥ですか、馬ですか。それともくじらにしましょうか」
バンヴィは、どうにもこうにも、鳥にも馬にも宝物は乗りきらぬと感じたので、くじらがいいですと母に言った。
すると母は、鍛冶の神イエトキアを生み出した。
イエトキアは、くじらのように巨大な船をつくることにした。
(マ・アース・ジャ・ハーナの神話/イエトキヤの船)
ルナはまた、不思議な夢を見ていた気がした。
そう、またもやレペティール(繰り返し)。
昼区画のスペース・グライダーで、シカがぐるぐる回っている夢だ。時刻はやっぱり夜。そして、お祭りみたいな曲がかかっている。
最初、昼区画だし、シカなので、カザマのことを連想していたルナだったが、そういえば、バンビもシカだったことを思い出したのだった。
「スペース・グライダーの象意は、宇宙、科学、神秘、などなど。科学者や、宇宙にかかわる研究や仕事に携わる一生を送る者の遊具よ」
なるほど、バンビのことかな?
「だって、“この宇宙船”、バンビがつくったんだもの」
――だれが? なにを?
「うさこ!!」
起きたらいたピンクのウサギに、ルナは絶叫した。ルナの腹の上に寝そべり、頬杖をついて説明していた。
しかも、「おはよう」も言わず、ルナの鼻っ柱にもふっともふもふの手を当てて、こう言った。
『ルーナ・ジェーナ(満月)』
「ルナ! 朝めしだぜ!」
「ルナ姉ちゃん、朝めし!!」
朝から元気なピエトとネイシャが、ルナを呼びに来た。
「おはようございます!!」
うさこはもういなかった。ルナは大声で朝のあいさつをした。
それから、携帯電話を手に取って、なんだかやたら冴えた頭で、長文メールをすごい勢いで打ち、バンビに送ったのだった。
地球行き宇宙船の日付では、6月20日。
バンビは、アストロス主要都市、ケンタウル・シティに到着していた。
スペース・ステーションは大混雑。それも、ほかの星に移住するアストロス人であふれかえっていた。
季節は、冬に差しかかったあたりか。もともとケンタウル・シティは緯度が高いので、気温は低かった。
宇宙船の中で、コートを出して着込んだバンビは正解だった。
じつはバンビ――初めてのアストロスだった。
前回の航路では、宇宙船がアストロスに着いたあたりに、ひどく体調を崩して、アストロスに降りられなかった。あれは人生初の長期入院だった。およそ一ヶ月。ハンシックの手伝いをしながらの研究と金策で、体を壊した。
「あ、ああ~……………」
バンビは、アストロスに降り立ったとたんに、号泣しそうになってこらえた。
念願のアストロス。
バンヴィの伝説を知るまえから、降り立ってみたかった星。
刑務所に入っていたこともあるくせに、あの一ヶ月の入院は耐え難かった。自分の運命を呪った。アストロスに降りられないことが、あれほど悔しかったことはない。
「これは、もう……」
なんだろう、この気持ちは。
自分がこの星出身でなかったことを、不思議に思うくらいの懐かしさと温かさだった。
「うう……アストロス……」
自分が双子だったら、片割れにでも会ったような恋しさで、バンビは号泣せずとも真っ赤になった目をぬぐい、ティッシュで鼻をかんだ。
呻き、不審者さながらに、よろよろと移動用宇宙船を降りて空港内に入った。
宇宙港の店舗は営業しているようだが、ちらほら休業も目に付く。それに、あちこちに軍人の姿が見える。厳戒態勢とまではいかないが――。
いきなり現実に引き戻された。
「メルーヴァのせいかしら……」
「今年一月に一度姿を見せて、その後、だれも見ていないそうですけどね」
バンビのつぶやきに、九庵が答えた。
九庵。
先だって、扉を開くカギになり、あれこれシリアスに取り沙汰されていた九庵である。
「だれ!?」
「それはこっちのセリフですけどね」
まさしく九庵その人を捜している真っ最中だったバンビは、ふと構内を眺めてそうつぶやいたのだが、いきなり話しかけられて腰を抜かすかと思った。
ビックリついでに、見覚えのない、その姿にもだ。
バンビが「だれ!?」といったのも無理はなかった。そして、九庵のセリフも、さもありなんというやつだった。
なにせ、「ふたり」とも、「髪」があったのである。
「――え!? いや、九庵さん? ホントに九庵!?」
「そちらさんこそ、バンビさんですよね? わし、間違ってないですよね?」
声は間違いない。九庵にバンビだ。でも、姿恰好がいつものものとまったく違う。
お互いに、しつこく確認する羽目になった。そう――ふたりの姿は、いつものふたりの姿とは、まったく違っていた。ほぼ別人と言っていい。しかしそれはわざとではない。
九庵は仕方なく――バンビのほうだって、それなりに理由あってのことだった。
なにしろ九庵には、髪があった。金色のふわふわの、鳥の羽みたいな髪が頭頂部を覆っていた。襟足は刈り上げ。別に彼は、好きでこの髪型にしたわけではない――これは、九庵が「パウル」だったときの髪型だ。
真砂名神社の拝殿まで上がることができた翌日から、九庵の頭には、ふさふさと毛が生えるようになってしまった。朝起きたらこうである。
いままでだって、毎朝それなりに毛が生えてきてしまうので、剃刀を当てて丸坊主にしているのだが、いくら剃っても、顔を洗っている数秒の間にもとにもどってしまう。ふさふさしてしまうのだった。
延々と伸び続けるわけでなく、この髪型になれば止まるのだから、剃り続けなければならないわけではないが。
ナキジンのガッカリ顔と言ったらなかった。「せっかくハゲチャビンズがトリオになったのに」と泣き顔だったし、カンタロウには「そこまで不死鳥にならんでもええんとちゃうか」と突っ込まれた。
九庵は、もともと六十代には見えない若さだし、童顔だしで、大きなTシャツにハーフパンツ、スポーツサンダルに斜めがけバッグひとつという格好も相まって、今までの面影が皆無になってしまった。
「なんとなく、“パウル”が許されたのかな、と思っています」
九庵は微笑んだ。笑みを見せると、面影がよみがえる気がする。
バンビは、階段を上がれたということに「おめでとう」という方が先か、ハゲチャビンズについて言及する方が先か迷った。
しかし、バンビがなにか言う前に、九庵が口を尖らせた。
「わしよりバンビさんのほうが分かりにくいですよ。意外と――うん――なんだか、すっきりしましたね」
「悪かったわねモブ顔で!!」
バンビは叫んだ。
今朝、身支度を整えて、階下に降りて行ったときも、全員に「だれだ!?」と警戒されたのだった。まさかのジェイクにもだ。叫びたくもなる。
奇しくも――バンビもまた、「アレクサンドル」の容姿にもどったというほうが、分かりやすい。
バンビのほうは急に生えてきたわけではないので、ウィッグだ。研究室にいたころと同じ、プラチナブロンドの長い髪を、赤いリボンで結わえている。このリボンは、デイジーがプレゼントしてくれたものだった。
顔のタトゥは電子なので、すぐつけ外しができる。右目の周りの星型も、子ジカのタトゥも消した。穴は開いたままだが、ピアスもぜんぶ外したし、個性的な彩りをなくせば、ずいぶん淡白になった。
「わしのは生えてきてしまうんでどうしようもないですけど、バンビさんのほうはどうしたんです? なにか心境の変化でも?」
「いや……べつに」
濁しながら、バンビは困った顔をした。
「あたしは、なんとなく。なんとなくよ。うん。なんとなく」
「なんとなく」
九庵は復唱した。
「まぁ……うん……。なんとなく、この旅は、素のままで行こうかなって……」
「素のまま、ですか」
「うん。……タトゥとかも、好きでしてたのよ。これはホント。ま、けっこう威嚇の意味もあったんだけどね。最近は、なんとなく、それをしなくてもよくなってきたというか……なんというか」
バンビも、説明しがたく思っているようだった。歯切れが悪い。
「そうですね。前の格好よりは、悪目立ちしなくていいと思いますよ」
「――いや、前の格好は、あれはあれで好きなんだけどね」
九庵の正直なセリフに、バンビは苦笑いするのみだった。
「でもあなた、ホントによかったの?」
「なにがです?」
のほほんと聞く九庵に、深刻の度合いはゼロだ。
「階段はその――上がれたのよね。おめでとう――であってるのかな」
「ありがとうございます」
「その、L05に帰らなきゃいけないっていうのは?」
「ああ」
バンビが、九庵の降船を――しかも、L05でラグ・ヴァダの武神と戦うために降りるということを知ったのは、つい先日のことだ。
アストロスに向かうときの供をお願いしていたのは、もっと前からだった。
なにしろ、ラグ・ヴァダの武神との対戦で重要な役どころは、地球行き宇宙船を離れられない――みんな、それなりに忙しいし。いくらソルテ(※旧名リュピーシア)というpi=poが役に立っているとしても、ハンシックは忙しいので、ジェイクまで連れだせない。
クラウドもなにかと用があるし、ルナなんかもっとダメだし、なにせバンビは、人見知りが過ぎるのだった。この神経質で引きこもりの人見知りが、ストレスなく一緒に長旅ができる人間など限られていて。
もう、いろいろ消去法で、九庵くらいしかいなかった。
その九庵にも断られることを覚悟で提案してみたら、意外にも、さらりと返事が返ってきてしまったのだった。
「いいっすよ」と。
しかし、一昨日の今日で、約束通りアストロスにいたのだからこれはもう驚いた。
容姿もタイミングもなにもかも――まぁいろいろと驚いた。一年分くらい驚いた。
腰は抜かすくらい驚いた。気絶はしなかったが。
最近は驚きすぎなので、この四年のうちに一生分驚いているんじゃないかとバンビは思う。
「今から帰って、その――戦いに間に合うの?」
「なんとか間に合わせますよ。一番早い便で二ヶ月くらいですかね。地球行き宇宙船がアストロスに着くのも、十月あたりでしょう。まだまだ余裕はありますよ」
九庵は呑気に答えた。
バンビとしては、途中でひとり、砂漠においてけぼりにされないなら、なんでもいい。
「そ、それなら、いいんだけど……」
せわしなく航空券を確認しながら、バンビはぼやいた。
寒い地から暑い地まで、縦長に移動しなくてはならないので、バンビの荷物といったらたいそうなものだった。リュックサックを背負って、一番大きいサイズのキャリーケースに、寝袋。首からは羅針盤と地球行き宇宙船の役員パスカードを下げている。パスカードがあると、いろいろ割引があって便利だからだ。
バンビは一応、船内役員になっている――ハンシックの従業員扱い。
さらにpi=poのデイジーが、ふよふよ、後ろをついてくるというのに。
「それで、どうしてあんたは荷物がそれだけなんでしょうね」
バンビは、同行者である九庵を見て平たい目をした。
九庵は、斜めがけバッグがひとつきりだ。
「こんなもんですよ。わしの出張は、いつも」
しかも、寒くないのか。コートも着ずに。気温5度ですけど。
よく考えたら、夏休みの旅行に行く大学生みたいな九庵を見て、バンビはちょっと意識が遠くなった。
しかし、ふだんはダボダボの衣服――袈裟で隠れている二の腕や足は、今日、表にさらされている。かなりガチムチだ。九庵は百六十三センチと、バンビより十センチも背が低いが、グレンやアズラエル並みの筋肉なので、彼の過去の経歴は、話を盛っているわけではないのだろうな、とバンビは思った。
今の九庵だからバンビは軽口も叩けるが、昔の彼では近づくのも無理である。
「ところで、まずはどこへ行くんでしたっけ」
九庵は、紙のチケットを眺めて聞いた。バンビはチケットを受け取り、考え込む顔をした。
「あたしは、まずセパイロー島っていうとこに行くつもりだったんだけどね……」
バンビの乗る移動用宇宙船がアストロスに近づいた段階で、羅針盤は、光を灯しはじめた。アストロスに降りると、針はぐるぐる回り――空港のカフェで紙の地図を広げ、その上に乗せると、ぴたりと止まった。
真南に近い南東――サザンクロス・シティの近くにある小島、チラン島を指した。
「まずは南からみたい」
バンビが最初に向かおうとしていたセパイロー島は、ジュエルス海の中。すなわち、ケンタウルから北にあたる。この様子だと、南から北上し、最後にセパイロー島、ということになりそうだ。
pi=poのデイジーが、旅行およびアウトドア特化型というのは実に助かった。アンジェリカのpi=poと同様、行きたい場所を示せば、最安値の行路を表示し、購入まで済ませてくれる。
紙のチケットは、サザンクロスの南端の町から、島に移動するフェリーのチケットである。これだけは、電子チケットにならなかった。
「じゃあ――出発しますか。みなさんも待ってることだと思いますし」
「うん……!」
九庵の言葉にバンビはうなずき、荷物を持ち直した。
ケンタウルから、南のサザンクロスまで飛行機でひとっ飛びだ。
ふたりが封印を解かねば、ルナたちが待つ扉は開かないかもしれない――先ほど、ペリドットのアイコンが、「扉に変化はない」というひとことと一緒に、グループメールに流れて来たばかりだった。
それから、ルナから個人的な長文メールが一通。
『行ってらっしゃい。気を付けて。悩んだら、昼間に決断して。太陽が出ている間に。夜には決断しないで。ゆっくりでいいので、ぜったい悩んだら昼間に、太陽が出ている間に決めてください。
セパイローとマ・アース・ジャ・ハーナは陰陽。セパイローは万能で優しくって何でもできる神様だけど、どっちかいうと普遍的。アストロスに平和が長く続いているのはセパイローの神様のおかげだけど、今は進化が必要なの。マ・アース・ジャ・ハーナの神様の。
バンヴィは真昼の月。バンヴィが出ている昼に決断し、動いてください』
バンビはルナからのメッセージを何度も読み返した。
いつもどちらかといえばカオスなのに、肝心な時には大切なことを教えてくれるのがルナだ。メールの内容は、あまりよくわからなかったが、気を付けた方がいい部分なのだろう。
それから、ちこたんからデイジーのpi=po経由で送られてきたルナのポーチには、真砂名神社のお祭りでもらえる、玉守りが入っていた。
数えたら、なぜか9個――真砂名の神の玉だけ、2個入っていた。
『持って行ってください。必要になると思います』
バンビは、ポーチをぎゅっと握って、願った。
(どうか、守ってください)
そして、搭乗手続きを済ませるために、保安検査場に向かった。
さて、こちらは地球行き宇宙船。6月18日にさかのぼる。
「不死鳥の扉」が開いた翌日だ。
バンビにメールを送り、それから朝ごはんを食べていたルナだったが、最中に、アズラエルやルナ、ミシェルらの携帯電話が一斉に鳴った。
グループメールに、連絡が入ったのだった。
「行ってきます! 今、地球行き宇宙船を出たところよ」
バンビのひとことに、「いってらっしゃい!」の文字やスタンプが並ぶ。
ルナたちが寝こけていた間に、バンビは出発していた。ルナもだいぶ遅ればせながら、「いってらっしゃい!」スタンプを送っておいた。
それからまもなくして、ペリドットが、「扉は、昨夜と変化なし」のメールを送ってきた。
寝ぼけ眼をこすりながら、もそもそパンを食んでいると、「ペリドット様以外に、こっち来てるひといる?」
今度はアンジェリカのアイコン。
「今、ビジェーテ使わずに行ける方法を模索してるから、昨日のルートで来ないでね。リンゴの建物で待機してて!」と流れてきた。
そのあとにすぐ、「変化なし」のひとこと。ペリドットだ。
ルナとミシェルは顔を見合わせた。
今日は、行かなくてもよさそうだ。
ルナとミシェルは、ちこたんが盗んだ(?)白イアラのストラップを、あらためて買いに行った。新品を返してもらったネイシャだったが、複雑な顔をしていた。
「pi=poに物を盗まれたのなんて初めてだよ……」
その日は結局、一時間ごとにペリドットが「変化なし」の連絡を入れてきて、終了した。
6月19日、早朝。
「やり遂げた!! 寝る!!!!!!!!」
アンジェリカの絶叫という名のメール。そばにサルーディーバがいたのか、彼女のアイコンから、一枚の写真が送られてくる。
それは、新しい、「鏡の部屋」までの地図だった。おそらくアンジェリカの手書きだ。前回帰ってきた道ではないが、やはり五分程度であの部屋まで行ける。今度はビジェーテなしで。
どんな裏技を使ったのか――さすがZOOの支配者だ。アンジェリカはひと晩がんばったに違いなかった。
アンジェリカの健闘をたたえる言葉が羅列され――最後に、サルーディーバのアイコンから、「ありがとうございます」の可愛いヒツジさんスタンプがピコンと出てきたので、ルナは和んだ。
サルーディーバも、最近やっと、スタンプくらいなら扱えるようになってきた。
6月20日。
バンビが、アストロスに着いたというメールのあとに、九庵とバンビのピースサイン姿――もちろん、別人になった写真が送られてきたので、皆はそろって「だれだ!?」と叫んだ。
アズラエルがグレンに向かってコーヒーを吹き飛ばしてしまったので、怪我人が出るところだったのだ。
そして、グループメールは「だれだ」の文字で埋まった。
どうしてアストロスに九庵がいるんだろうという疑問は、皆が持ったに違いないが、こっちは、だれもグループメールで理由を聞こうとはしなかった。
なんだかシリアスに考察したのがバカみたいに思えるくらい、九庵はいつも通りだった。
アズラエルなんかも、それなりに心配していたのである。
バンビは、どうやら九庵と行動を共にしているらしい――ふたりで羅針盤が示した方向、南のサザンクロス・シティのチラン島に向かうとのこと。
九庵が階段を上まで上がれたことについては、「おめでとう」の文字とスタンプで埋まった。
それだけだ。
その日も変化はまったくなく、一日が過ぎた。




