318話 不死鳥の扉と、バンヴィの羅針盤 1
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
バンビの悲鳴は甲高く、「うるさい!!」とルシヤにどつかれるまで続いた。
結果として、だれもケガもしていないし、行方不明になったものもいなかった。
鏡というドアを、潜り抜けただけである。鏡台の台が小さいせいで、だれもつまずかなかったし、勢いあまって床に尻もちをついてしまい、ちょっぴり埃まみれになったくらいだ。
鏡の向こうとこちらは、同じ部屋だった。
「左右対称になっているな」
右手奥に、さっき入ってきた扉と同じものが見える。
「これで全員だな。みんないるか?」
ペリドットが叫んだ。
「点呼するよ! ミシェルちゃん、ルナちゃん、アンジェ、……」
アントニオはちゃんとちこたんも点呼した。バックパックの中から、にょきん! とロボットの長い手が上がった。
すべてが、左右対称になっているのではなさそうだ。
扉を開けると、そこは、城の外にある回廊と同じだった。石でできた地下道ではない。だが、元の道に戻ったわけではなさそうで――なにせ、眼前は、一面の花畑だった。
「まあ!」
その美しさに感動して、一歩踏み出したのは、カザマだった。
一面の花、花、花。
バラにスミレにカスミソウ、タンポポにラン、ベコニア、バーベナ、ユリにポピーにアジサイ……。
「季節感がないなあ」
アントニオは、眩しすぎる夕日に向かって手をかざし。
「夏の花のみ、というわけではなさそうですね」
野生の花を踏まないよう、おそるおそる庭に降りたサルーディーバが、不思議そうな顔で見回した。
「おそらくここが、セパイローの庭だ。ここには世界中の花と木があり、ここにない植物は、地上にも生えないとされている」
ペリドットが言った。
向こうには山らしきものも見え、太陽が隠れようとしている。花は無造作に生えている場所もあれば、アーチ型に整えられていたり、花々のトンネルがあったり、花壇に、規則的に植えられている場所もある。
「あっちにひまわり畑があるぞ! ――あれは、休み場かな?」
バラのアーケードに囲まれた場所に、あずまやが見える。水の音もするので、川があるかもしれない。
跳ねたルシヤの襟首を、ペリドットがつかんだ。
「見て回りたい気持ちは分かるが、行くぞ」
上空からバサバサと、羽根の音をさせてファルコが降りて来た。
回廊をまっすぐ進み、左に曲がる角で、ファルコは花畑のほうに羽ばたいていった。
ペリドットは柵を開け、下に降りた。ベコニアの花壇を過ぎると、背の高い生垣が続いている。生垣はずいぶん高い。二・五メートルはあるだろう。まるで壁だ。
生垣のアーチに囲まれて、扉があった。ここが目的地か。
ファルコは、ここまで案内して、消えた。
古ぼけた木の扉に見えるのだが、錆びた鉄の取っ手を押しても引いても、開かない。ペリドットが三度押し引きして手を離したとき、中央に、ボウっと炎が燃え上がった。
「わあ!!」
バンビとミシェルは、悲鳴を上げて手を取り合った。
ペリドットも咄嗟に手を引いた。
炎は燃え上がり、だんだんと形を成していく。不思議なことに、これだけ派手に燃えているのに、乾いた木の扉には焦げひとつつかないのだった。
やがて、炎は、大きな鳥の形をつくった。
「鳳凰か?」
ペリドットがつぶやいたが、アントニオが首を傾げる。
「鳳凰――鳳凰か。――不死鳥、とかは?」
「不死鳥……」
「ほら、だれだっけ。ルナちゃんのボディガードだっていうお坊さんが、アストロスの武神の儀式のとき階段を上がったでしょ。そのとき、こんな不死鳥が――」
アントニオのつぶやきと同時に、ちこたんがバックパックから飛び出してきた。
『温度を感知しません』
「ん?」
全員が、ちこたんを見た。ちこたんは、炎を見ていた。
『威勢のよい炎です。火事です。スプリンクラーを起動しますか?』
ペリドットとアントニオは顔を見合わせ、「やってみる?」と言ったが、バンビが遮った。
「いや、待って。君、温度を感知しないと言った?」
バンビが聞くと、ちこたんはピピピポパ! と警告音を鳴らした。
『外見的特徴は、威勢のよい炎に合致します。スプリンクラーが必要です。しかし、温度は探知できません』
それを聞いたとたん、バンビは手を伸ばした。炎に向かって。
「熱いぞ!? バンビ!!」
ルシヤが止めたが、バンビは顔をしかめることもなく、炎の中に手を突っ込んだ。
「熱くない」
「えっ」
「本当か!」
「ほんとう――あ、ちょっと待って」
炎の先で、バンビは、でこぼこした何かに触れた――と思った。円形の、固いものだ。それは、カチリと手ごたえがしてくぼみから外れ、自然にバンビの手に落ちてきた。
バンビがそれを受け取った直後、炎は消えた。
すうっと上に、蒸発するように、消えたのだ。
扉は、開いていた。
「おい、開いたぞ!」
「これはなんだ?」
扉に注目するものと、バンビの手のひらに落ちて来たものに群がる者とに分かれた。
「羅針盤、だわ……」
バンビの手にあったものは、羅針盤だった。バンビの手のひらほどの大きさだ。元は金色だっただろうか。だいぶくすんでいるが――裏を見れば、星を手にした少年の姿が描かれている。
おそらくバンヴィだ。
表の壁面に文字が書かれているが、読めない。色落ちした飴色の金具が、夕日を受けて輝いた。
「これが、“バンヴィの羅針盤”、か」
クラウドが感嘆のため息とともに覗き込んだが、バンビはすぐさまぐっと握りしめた。
「あたし、行かなきゃ」
決意に満ちた目で、皆を見回した。
「すぐ、アストロスに発たなきゃ……!」
「ああ、だが、少し待て」
ペリドットが止めた。
扉は、すでに開いている。
「この先がどうなっているのか、少し見て、今日は俺たちも戻ろう」
「えっ? 戻るのか?」
ルシヤが拍子抜けの声を出す。
「うん。今何時か分かる? 実は、二十時を過ぎてる」
アントニオが腕時計を示すと、ルシヤは慌てて、自分のジニーの腕時計を見た。
「ほんとうだ!!」
とたんに、ピエトのおなかが鳴る。
「腹、減ったぁ……」
不思議なことに、太陽は、山の陰に落ちようとしているものの、いまだ踏みとどまっている。時間の流れがひどくゆっくりだ。
皆はそれを、不気味なものを見るように、眺めた。
「ここが、ノワに関わりがあるものだとすれば、夜より昼のほうが動きやすい。それに、封印を解くのが、アストロスに行くバンビとも連動するなら、今日明日で解ける封印ではないだろう。場所は分かったんだ。今日は帰ろう」
「なんだあ……」
ピエトも、ガッカリ顔をした。おなかもすいたので、余計に気が抜けた。
「とりあえず、先に進んでみよう」
ペリドットの先導で、皆は、扉の向こうに進んだ。
「もう、ノワもファルコも、道案内をしないな」
「ここからは、迷うことのない一本道かもしれん」
アントニオとペリドットが、そんなことを話しながら、先頭を歩いた。
生垣の中は、広かった。アズラエルとグレンとセルゲイが横並びになっても余裕がある。だが、生垣の高さはけっこうなもので、外の様子はうかがえない。
「たぶんこれ、迷路だぞ」
最初に突き当たりを右に曲がった時点で、クラウドがそんなことを言った。
「みんなついてきてくれ。はぐれるなよ」
曲がった先も、特徴のない緑の壁だ。まさか、迷路を行かねばならないとは。
「待て。一旦戻るか。これじゃあ、次の扉まで行くのに、さらに時間がかかるぞ」
ペリドットが引き返してきた。
「うーん」
クラウドが、「だれもはぐれてないだろうな。近くにいる?」とみんなの顔をたしかめて。
「ちこたん、お願いしたいことがあるんだけど」と言った。
ちこたんは両手を挙げた。
『お任せください』
「上空から、この景色の写真を撮ってくれ。迷路なら、道順が分かるように」
『次の扉への経路を、検索いたしますが』
「え?」
ちこたんの目みたいな電子パネルから、宙に液晶画面が映し出された。この迷路の地図だ。オレンジ色の道しるべが、次の扉までの道順を、あっさり表示した。
『次の扉までおよそ五十メートル。ナビを開始いたしますか?』
すこし動揺したクラウドだったが。
「あ、ああいや――やっぱり上空から写真を撮ってくれ。ちこたんがいないときも、皆がたどりつけるように」
『かしこまりました』
ちこたんはすぐ全容が見える場所まで飛んで行って、カシャカシャと何枚か写真を撮った。
それを見つめながらアズラエルが、「……まさか、ナビでたどりつける迷路とはな……」とつぶやいた。
「ファンタジーが台無し!」
バンビが嘆いた。
「まぁまぁ。もしかしたら、壁がひとりでに動いて、混乱させちゃう系の迷路かもしれないよ?」
アントニオが、なんの慰めにもならないことを言った。
ちこたんはすぐに戻ってきて、迷路を上空から移した写真を公開した――今のところ、勝手に動く壁はなさそうだ。
「ちこたんさまさまだな」
『ちこたんは、さまさまなのです』
「よいこだよ!」
ルナにナデナデされたちこたんは、満更でもなさそうに、電子音を発した。




