317話 セパイローの庭 3
「この方向は、女王の城か」
先頭で、ノワを追うペリドットがつぶやいた。
最初はバンビを引っ張っていたルシヤだったが、楽しそうな遊具や美味しそうな屋台に目を引かれて、すぐに立ち止まる。
「お嬢、急いで」
そのうち、バンビはルシヤを引っ張るほうになっていた。
ノワの足は速いが、だれも取り残されるものはいなかった。ファルコが一番後ろから、皆をせっつくからだった。つかれて立ち止まれば、ファルコがちゃんと待っていて、ノワの姿が見えるところまで連れて行く。
ずいぶんな距離を歩いたかもしれない――動物は、だんだん少なくなっていった。
リンゴの建物を出発したのが午後四時半だ。もしかしたら、閉園が近づいているのだろうか。
「ううん。夜のパレードもあるから、遊園地自体は、午後十時ころまで開いているはず」
「パレード!?」
アンジェリカの言葉に、ルシヤはますます満面の笑顔になった。ルナもなりかけたが、もとより、呑気にあちこち見に行けるような暇はないのだった。
「やはり、女王の城か」
着いたのは、夜・区画、「女王の城」――。
アントニオが時計をたしかめると、午後五時を過ぎていた。
大崩壊した女王の城は、完全に元の姿を取り戻していた。しかしたどり着いた場所は、以前来た、トロッコがあるほうではない。
城を囲む大きな堀に、三連に連なってかけられた、アーチ形の橋。その向こうに、正門がある。
女王の城の一部は一般開放されているのか、ちらほらと観光客が見えた。
「こちらへ来るのは、初めてだな」
ペリドットのつぶやき。
ノワは、橋を渡り、開け放たれた正門の中へ入った。
ルナたちの屋敷のように、入ってすぐパーティーでもできそうな大広間があり、左右に階段、その向こうは一面のステンドグラス。しかし、ノワは広間には入らず、外に面している回廊を、右に、滑るように飛んでいった。
「こっちだ」
いつしか、城の中に入っていた。
階段を上がり、無限に思える廊下を進む。
「ひい、ふう、ひい、ひい、……もうだめ」
バンビの足が止まることが多くなる。仕方なく、セルゲイが背負った。
回廊を右へ、左へ。左左、右、左――上がった階段を、今度は降り始めた。ついていっているピエトとルシヤはたいしたものだ。ルナはすでに頭がぐるぐるだった。ひとりで戻れと言われても、戻れる自信がない。
クラウドがミシェルを背負った。最初は断られたが、ミシェルも限界だった。
やがて、サルーディーバをグレンが、カザマをアントニオが背負った。
アンジェリカは「本当にすみません」とうなだれながら、ペリドットに背負われた。
アズラエルは、最初からルナを所持していたが、もうひとつの荷物――ちこたん入りバックパックを、ルシヤが引き取った。たいした体力だ。
全員、汗びっしょりだった。
この、降りるばかりの階段は、どこまで続くのか。
やっと降りきった場所は、剥き出しの岩で四方を固められた回廊で、冷やりとしていた。
水が落ちる音もする。ここは地下か。
行き止まりに観音開きの扉があり、ようやくノワが振り返った。
「ここか」
さすがの体力自慢たちも、息が上がっていた。
ペリドットが扉を押す前に、勝手に開いた。
中は、かなり広い部屋だった。かび臭い上に暗い。皆の持つアムレトが自然に光り、灯りをともした。ひとつひとつの光はささやかだが、この人数分集まると、だいぶ明るい。
「――これは」
入って右の奥に、大きな鏡台があった。台が滑稽なほど小さく、その上に乗った楕円形の鏡は、縦は三メートル、横幅も一・五メートルはあるだろうか。
ノワは、鏡を指さし、ふっと消えた。
「鏡?」
バンビが首を傾げた。
「鏡が、セパイローの庭?」
「ねえ、ちょっと待って」
みんなが鏡を注視しているさなか、まったく別のものを見ていたのはミシェルだった。
「ここ――なんだか、“来た”ことがある」
ミシェルは、ずいぶん広い屋内の、鏡とは反対側のほうにいた。扉から入って、鏡とは向かい側――左手の隅には、布がかぶせられた板が何枚も置いてある。ここは、おそらく倉庫だろう。
「やっぱり」
ミシェルは、被せられた布を引っぺがし、舞った埃に二、三度咳き込んでから、言った。
「危ないよ、ミシェル。得体のしれないものは触らないほうが――」
クラウドがその背から覗き込むと、それは、絵だった。様々な大きさのキャンバスが、無造作に、何十枚もまとめて置かれている。
「あっ」
クラウドも、見当がついた。
「もしかしてここ、百五十六代目サル―ディーバの、アトリエか?」
L05にあった、百五十六代目サル―ディーバのアトリエ兼、絵の保管庫。現実では博物館になっていて、先年、取り壊された――。
「ねえ、ここ……!」
皆のほうを振り返ったミシェルは、鏡の中にペリドットが吸い込まれていくのを目の当たりにした。
「ちょ――ペリドットさん!!」
「ペリドット様!!」
鏡を調べるために、ペリドットの右手が触れた、その瞬間だった。鏡の表面が液状化して、ペリドットを飲み込んだのだ。
「えっ!? あっ、ウソ!! わーっ!!!」
ついでに、そばにいたアンジェリカも、引っ張られるように飲み込まれていった。
「ええっ!? なに! なに!!!!???」
やはり最大級に動揺したのはバンビのみだ。
「気絶するなよ! 置いていくぞバンビ!」
まさに勇敢そのもの。ルシヤが、遅れじと飛び込んだ。ルシヤに負けるかと、ピエトも飛び込む。
「ピエト!!」
ルナママがピエトを追って飛び込んだ。「ルゥ!」アズラエルが遅れるはずもなく。
「チッ!」
グレンが追った。
「私たちも行こう!」
「ええ!」
セルゲイ、サルーディーバ、カザマ、アントニオの順に飛び込んだ。
エーリヒが、上半身からではなく、恐る恐る足から踏み込んだが、怪獣の口にでも飲まれるように、「わあー」と情けない悲鳴を上げて吸い込まれていった。悲鳴はアレでも、どこまでも無表情なのがエーリヒの、“らしい”ところだ。
「置いてかないでよ~!!」
ミシェルが遅れて飛び込んだ。それを見届け、クラウドが、バンビを見た。
「君が最後になる? それとも俺?」
「あ、ああああたし、先に行くわ!!」
ガクブル震えて、涙声のバンビは、そう言いながらもしばらく鏡の前で立ち往生していたが。
「早く来い」
鏡の向こうから、ぬっと太い腕が出てきて――ペリドットの腕だったが――バンビの胸ぐらをつかんで吸い込んだ。
「ギャアアアアアアアアアアアアア」
バンビの断末魔が響き、クラウドは、耳をふさぎながら後を追った。




