317話 セパイローの庭 2
「九庵さん、降りちゃったの!?」
みんなそろって拝殿でお参りをし、バンビが交通安全お守りと旅行のお守りと合格守り、お札にストラップにと、あれやこれやと買いこんでいるのをしり目に、さっさと階段を降りたルナは、紅葉庵で驚愕の事実を知った。
「うん。ラグ・ヴァダの武神と戦うためやな」
「――え」
カンタロウの真剣なまなざしと声に、ルナは目を見張った。
九庵が?
ルナがくわしい話を聞こうとしたが、みんなが次々に降りてきて、紅葉庵は渋滞になった。
「今日は暑いね。アイスが美味しいはずだ」
セルゲイも、ソフトクリームを注文した。
拝殿から降りて来た仲間だけではない。紅葉庵にはひっきりなしに客が訪れる。アイスやかき氷ばかりが、飛ぶように売れていた。
カンタロウもナキジンと一緒に客をさばき始めたので、ルナはそれ以上聞けなかった。
紅葉庵にも長居はできない。今日は遊園地に行かねばならないのだ。
ルナは未練がましく紅葉庵を見つめながら、アズラエルに所持されて、シャイン・システムに入った。
「エアコンを、つけるべきかな」
K19区の遊園地のリンゴの建物も、尋常でなく暑かった。扇風機では用が足らない。まだ六月だというのにこの暑さで、真夏はどうなることやら。
「エアコンなら、俺がつけてやろうか」
意外と家電に強いグレンは言った。
「本当かい?」
アントニオが、助かったという顔をした。この遊園地に業者は呼べない。見える人間と見えない人間がいることだし――。
「エアコンを設置すればいいの? あたしもできるわよ」
バンビも手を挙げた。
「機械に強い人間が多いってのはいいな」
アントニオはほくほくと手を揉み込んだが。
「このくらいの広さなら、pi=poで十分なのです」
「「「え?」」」
アントニオとグレンとバンビが、同時に振り返った。ルナが、自分のpi=po――ちこたんのボタンをぽちっと押していた。すぐに、涼しい風が吹いてくる。
「pi=poにエアコン機能なんてついてたっけ!?」
バンビがほぼ絶叫した。
「ふつうのおうちには、エアコンは備え付けだからね。これ知ってる人、あんまりいないのです」
ルナはもっともらしく言った。
ツキヨおばあちゃんのカエデ書店は、かなり古い木造家屋で、エアコンがなかった。扇風機で用が足りていたが、あまりに暑い日は、pi=poのエアコンをつけていた。そんなに広いうちではなかったので、間に合ったのだ。
「みんな、お坊ちゃまだね!」
バンビもグレンも、返す言葉がなかった。バンビは科学の星で育ったので、エアコンをつけるつけないの問題でなく、空調は常に一定に保たれているのがふつうだったし、グレンは真正のお坊ちゃまだった。悪口にもならない。
「すごく広いお部屋は無理だけど、このくらいなら冷やせるよ」
ルナは威張って言ったが、皆はどうにも、突っ込みたいところだらけだった。
エアコンはともかくとして。
「なんで、ここにpi=poがいるの?」
問いは、もっともだった。聞いたのはアンジェリカだったが、pi=poの存在以前に、つっこみどころは満載だった。ちこたんの腕が伸びて、ルナの胴体にヒシとしがみついているのだ。
「とっても涼しい」
「だろうね」
ルナは、ちこたんの送風口を、みんなのほうへ向けた。
『ちこたんは、ルナさんの安全をお守りします』
「今朝からなんか、おかしいの」
『ルナさんは、ちこたんを置いていってはなりません』
付喪神つきのpi=poの噂は、アンジェリカやサルーディーバも聞いていた。ルナの困った顔は、ルナもこのことに対処できていない、いい証拠だった。
「いつからついてきてた?」
「最初からだよ。ギャラリーにもいたでしょ」
このpi=poは、ギャラリーでも拝殿でもいっしょに柏手を打っていた。普通の顔で紛れ込んでいた。アイスこそ食べなかったが――。
ミシェルは言った。
「いいじゃん。エアコンもついてるし」
『そうです。ちこたんには、エアコンがついています。あなたのお部屋を涼しくします』
「pi=poって、こんなにしゃべったかしら……?」
カザマが不思議そうに、ちこたんを覗き込んだ。
ピエトが「たぶん、ちこたんだけだと思うぜ」と言った。「学校のpi=poはそんなにしゃべんねえし」
「普段は、防犯機能があるから、外には出たがらないんだけど……」
今朝、ルナが出かけようとすると、ついてきてしまったのだ。「帰りなさい」といっても、『ちこたんを置いていってはなりません』とルナの胴体にしがみついた。それでしかたなく、連れてきてしまったのだった。
「付喪神つきなら、連れていけ」
ペリドットも気にしていないようだった。
「なにか察するところがあるんだろう。役に立つかもしれん」
『ちこたんは、お役に立ちます』
そういってから、『電源を節約します』と、ピエトのバックパックを勝手に開けて、中に入り込み、スリープモードになった。エアコンももちろん切れた。
「ほんとマイペースだよなぁ、この機械!」
ピエトは急に重くなったバックパックを横目で眺めて、眉をへの字にした。
「飼い主に似てんだよ」
パパが代わりに持ってくれた――ピエトのバックパックには、携帯食料と水も入っている。そこにpi=poだ。けっこうな重さだった。
「いつ出発するんだ?」
そうだ、いつまでもここで涼んでいるわけにもいかない。
「午後四時半か」
アントニオが腕時計を見て、窓の外を眺めた。
「昼間が長くなってきたのは助かるが、ノワが動くなら、夜になる前だ。急ごう」
「それもそうですが――今日は、夏至です」
「げし?」
カザマの言葉に、ルナは首を傾げた。
「ええ。地球の暦にあります。この宇宙船は、地球のある島国と同じ暦でできていますから――今日は、もっとも昼の時間が長い、夏至という日になります」
「今日は特別な日ってわけか。なにやら意味ありげだね」
アンジェリカがニヤリと笑った。
遊園地でまず一番にすることは、「セパイローのお庭番」であるノワを探すこと。
そして、「セパイローの庭」に案内してもらうことだ。
バンビが言っていた、封印を解く――それが、どのくらい時間がかかるのかは、分からない。
少なくとも、今日中に解決できるとは、だれも思っていない。
「見ろ」
みんなで手分けして園内を探そうと、ペリドットがZOOカードを展開したときだった。
「あちらさまから、来てくれたぞ」
ガラス張りの扉の向こうに、ノワが立っていた。肩にファルコを乗せて。
世界の呪文を唱えてもいないのに、遊園地はみるみる、ZOOカードの世界に変貌していく。
「のわ」
ルナの声とほぼ同時に、ノワは背を向けた。
――ついてこいと、言っているように。
「行くぞ」
ペリドットの一声で、出発した。ZOOカードボックスは、ペリドットのアムレトの中に消えていく。
バンビが、信じがたいものを見る目でそれを見つめ――白目を剥きかけて、セルゲイに叩き起こされた。
廃墟だった遊園地は、すっかりZOOカード世界に変貌したことを示すように、そこかしこに動物が歩いている。バンビは表情をまるごと凍らせたまま、扉前でたたずんだ。
「早くいけ」
出口を詰まらせていたバンビを、グレンが押し出す。
やっと全員がりんごの建物を出た――ルナが振り返ると、リンゴの建物は休憩所になっていた。はためくアイスクリームとコーヒーの旗。
まるで、紅葉庵だ。
「なにが――起こったの?」
「わぁあ……っ!!」
廃墟だったはずの遊園地が、リリザさながらの遊園地に変貌した結果、動揺してあたふたしているのはバンビで、目を輝かせたのは、ルシヤだ。
「すごい!! リリザみたいだ!!」
「このあいだは、こんなふうになっていたんだね」
前回は、遊園地の門前に置いて行かれたセルゲイとアントニオは、感嘆して辺りを見回した。カザマとサルーディーバは、特に驚いた気配もない。
「慣れてくれ。ルナちゃんといると、こういうことは日常茶飯事なんだから」
クラウドに言われ、バンビは半腰で、ガクガクと首を縦に振った。どんなことが起きても動揺しないと決めていたのに、もうこれだ。
めのまえを過ぎていく、仲が良さそうな「クマ」の親子に、バンビはふたたび白目を剥きかけた。
「気絶するなよバンビ!!」
ルシヤは分かったものだ。バンビのへっぴり腰を、一度スパーン! と叩いて正気付かせてから、その手を引っ張って、ノワを追いかけた。
遊園地にはいまさら驚かないが、別のことで驚いている者は、約一名、いた。
「ちこたんもついてきてる!?」
ルナは叫んだ。
なんと、ZOOカード世界に、ちこたんも来ていたのだ。「魂」である動物の姿でなく、pi=poの形のままだったが。
「付喪神だっていうなら、来れるだろう」
ペリドットはあっさり言った。
「だ、だって、イアラ鉱石は――?」
ピエトがちこたんの背後を指さした。ルナが覗き込むと、ちょうど、充電器の近く――紐が引っかけられるような個所に、可愛いイチゴ型の白イアラのストラップが、ちょんと括りつけられていた。
「だれがつけたの!?」
『ちこたんが、自分でつけました』
「……これ、ネイシャが買ったやつなんだよ。なくしたっていってたけど、ちこたんが取ったんだな」
ちこたんは、わたしじゃありません、という顔でツーンと横を向いている。
「それで、ネイシャちゃんは来られなくなったんだね」
ルナが言うと、ちこたんは、さっさとバックパックに隠れた。
「しょうがないな。あとで、ネイシャちゃんには同じものを買って弁償しよう」
ルナはあきらめた。
「それにしても、よく白イアラがないとここにこれないって、知って……」
「おい、置いていくぞ」
ぐずぐず、リンゴの建物の前にいた三匹は――ルナとピエトとちこたんは、それぞれ、所持された。アズラエルと、グレンに。
ノワは、消えては数メートル先で現れ、消えては現われることを繰り返しながら、一行を導いた。
ノワの存在も、ルナたちの存在も、見えていないのか、はたまた動物の姿で見えているのか――行き交う動物たちに、不審な顔で見られることはなかった。




