317話 セパイローの庭 1
土の神オル・フェーケリヤは、あらゆる命を生み出す力と、どんなときでも道が見つかるように加護を授けた。
山の神エルトは、山の獣の王である。ゆえに、シカに変えられたバンヴィを神の姿にもどし、そして、自由に、いつでもシカの姿に変身できる力を与えた。それは、いくら食べても尽きない、ちいさな菓子によって為される。
樹木の神ネシウスは、なんでも好きな実のなる樹木を授けた。
火の神ベルパは、いつでもバンヴィが暖かいようにと、可愛がっていた火の鳥を授けた。
水の神パルベは、水に困らぬように、いくらでも水を汲みだす水瓶を与えた。
バンヴィは、きょうだいたちからの贈り物を見て、途方に暮れた顔をした。
こんなに多くの宝物を持ってはいけない。
(マ・アース・ジャ・ハーナの神話/バンヴィときょうだいたち)
6月17日。
ルナたちが、絵の謎を解いた翌日だ。
真砂名神社の階段下には、九庵がたたずんでいた。――朝からずっと。
朝からいたというのに、九庵はルナたち一行には会わなかった――それもそのはず。ルナたちは今日、階段を上がっていかなかった。奥殿にはこちらが近いといって、イシュマールに教わった、裏道のシャインから奥殿に直接向かったので、表の階段は上がらなかったのだった。
九庵は、階段の一番下で、ここからは見えない境内を見上げながら合掌し、ずっと立ちすくんだままだった。
そうして、ごくたまにやってくる、階段を上がるひとびとを見送っていた。
そんな彼の姿にカンタロウが気づいたのは、午後になってからだ。日課のように、幼馴染みのナキジンの店にあんみつを食べにやってきて、その姿に気づいた。
「どうしたん。また、上がれるようになったか」
カンタロウが声をかけると、九庵は振り返って笑みを浮かべ、首を振り、合掌した。
九庵が初めてここに来たときの様子を知っているカンタロウからしたら、本当にずいぶん、変わったと思う。
仏様。そういう顔をするようになったと思う。
九庵は、鳥居から、大路にすら入れなかったのだ。それが、何十年もかけて、やっと、階段下まで来ることができた。
そして、ルナのボディガードになってから、ついに階段を上がれるようになった。
最初は、アストロスの兄弟神がこの階段を上がる儀式のとき、六十三段まで上がった。
二度目は、ロビンの地獄の審判のとき。
拝殿までは上がれないが、八十段目辺りまで上がれるようになった。
「焦らんでも、絶対生きとるうちに上がれるようになるからな」
カンタロウはいつものようにそう励まして、あんみつを誘おうと思った。
だが、九庵は苦笑した。
「今日は、――お別れに参りました」
「は」
想定外の言葉に、カンタロウはポカンと口を開けた。
「お別れ?」
「はい。L05の、……故郷の大僧院から、呼びだしを受けまして。帰ってくるようにと。ありがたくも、この宇宙船で星海寺を任されたこともあり、最近の活動も含めて、大僧院はわしの罪をお許しくださるそうで」
「ほう……! そりゃ、よかったの」
カンタロウは、あまり緩まない厳しめの顔を、笑みに崩した。
「戻ってもよい、というニュアンスではなく、まさしく徴兵でございます」
九庵は苦笑を隠さなかった。カンタロウの笑みは消えた。
「ラグ・ヴァダの武神の亡骸があるL03では、想像を絶する戦いになるやもしれません。それゆえ、ひとりでも多くの戦士が欲しいのでございましょう」
九庵は振り返って、階段を見上げた。
「もう二度と、ここへは戻れぬ戦いに身を投じることを、覚悟しております。それがわしの道でございましょう。けれど、その前に、ただ一度でいい。わしを導いてくださったマ・アース・ジャ・ハーナの神に、拝謁したかった」
一段目を見つめ、見えぬ拝殿を恋しげに眺めたまま、時間は過ぎた。
「なにをいうか」
ふと気づけば、ナキジンが、かたわらに立っていた。
「おまえさんが会いに行く必要なんぞない。もうとうに、神さんのほうから、あんたに会いに来とるよ」
「――え」
九庵は、自分の袈裟がふいと引っ張られるような感じがして、階段のほうを見た。
だれもいない。
「ホレ」
不思議な顔をして、カンタロウとナキジンを見れば、彼らは微笑んでいた。
「なんだ。もうとっくに“上がってきた”もんだと思うとったわ」
ナキジンがそういうのと、ふたたび九庵の袈裟が引っ張られたのは同時だった――九庵はつんのめるようにして、階段に足を踏み入れた。
上がれる。
先だっての儀式のとき、アズラエルとグレンを、ロビンを助けに上がったときのように、上がれる。
その足取りは、今までにないほど軽かった。
まるで、だれかに手を引かれるようにして、九庵は階段を上がった。
十段、二十段、三十段――五十段、六十段、七十段目を超え、八十段目も超えた。
九十段目、百段目――。
九庵は、ついに拝殿に上がった。
息も切れていなかった。
玉砂利の、大地を踏みしめている。
それがわかったとたんに、九庵は泣き崩れた。いつのまにか、一緒に上がってきたカンタロウのなだめる手を背に、拝殿に向かって額づき、声を震わせて嗚咽した。
「ぷ?」
「どうしたの? ルナ」
ルナは、ふと、拝殿側に目をやった。
どこからか、鍵が開くような音が聞こえたのだった。
鍵穴に鍵を差し込んで回す、昔からある鍵の音だ。ガチャリ、とずいぶん大きな音が聞こえた。
「――どこかで、鍵が開く音がしなかった?」
「鍵?」
アズラエルは耳を澄ませたが、そんな音はしない。グレンもセルゲイもミシェルも――だれも、聞こえていないようだ。
「シャインの音じゃないの?」
「ううん」
ルナはウサ耳をぴこぴこと振って否定した。
奥殿側には、長いぐねぐねの山道が続いていて、椿の宿のほうへ降りることができる。そちらの道の途中に、祠にかくれるようにして、シャイン・システムがあるのだった。
神職しか使わないし、常に開いているわけでもないので、いつでも使えるわけではないが、今日はイシュマールがロックを外してくれていた。
こちらはたしかに奥殿とギャラリーに近かった。二百メートルも参道を歩けば、ギャラリーが見えてくる。
今日、神社に来たのは、昨日のメンバープラス、ピエトだ。
ネイシャも行きたがったのだが、白イアラを持っていないという理由で、参加は見送られた。
持っていない、というよりか、せっかく買った白イアラのアクセサリーを、彼女はなくしてしまったのだった。直前に気づいたので、来たくても来られなかった。
昨日と違って真夏日。太陽はこれでもかと照っていたし、気温も湿度も高い。二百メートル歩くだけで、みんな汗だくだった。
「それよりルナ、ウサ耳どうしたの?」
「ぷ?」
ミシェルが指摘した通り――このあいだ、「イアリアス」の成り立ちを聞いたときから、気づけばルナのウサ耳は揺れているのだった。まるでアンテナのように。
「ぷ」
ルナは困ったように首を傾げて、てくてく歩いて行った。
あれからずっと、心ここにあらずだ。
いったい、どうしたのだろう。
「みんな、白イアラは持ったな?」
バンヴィの絵の前で、ペリドットが確認した。
前回、遊園地で白ネズミの女王の封印を解きに行った際、白イアラがなくて置いて行かれたエーリヒは、あの後すぐ、この神社でお守りを買おうとした――玉守りに、白イアラが入っているからだ。
けれど、その必要はなくなった。カザマの娘のミンファが、手持ちの白イアラをつかって、ネクタイピンをつくってくれたのだった。もちろんエーリヒは大喜びだったし、大輪のバラの花束を彼女に送り、カザマ親子を高級レストランまで連れて行ってご馳走した。
クラウドのほうは、結局、アズラエルから時計を譲り受けた。ムスタファからもらったものだ。アズラエルはずっと渋っていたが、クラウドのしつこさに根負けした。
もともとあれを手に入れるのに、アズラエルの懐は痛んでいないし――ララからもらったものを、ムスタファに横流ししたので、謝礼にもらったものだ。アズラエルではなくクラウドがムスタファに持っていったなら、クラウドが譲り受けていただろう。そういう代物だ。
クラウドは、どこから手に入れたのか、アズラエルのコンバットナイフにぴったりの、角型に削り取った白イアラのストラップを手に入れて、それと引き換えに、交換を迫った。金の彫刻が施され、赤い革ひもがついた、なかなか素敵な代替え品だった。
アズラエルは白イアラが好きなだけで、時計に執着はない。しかたなく、クラウドに時計を渡した。
「無事に封印が解けるよう、皆に危険が及ばぬよう、祈ろう」
ペリドットにならって、皆はバンヴィの絵に柏手を打ち、さらに拝殿へと向かった。




