314話 光る武神の目と、女王の部屋
“始まって”いたのは、地球行き宇宙船と、L20の軍機において、だけではない。
舞台となるアストロスでは、ずいぶん前から、その“兆し”は現れていた。
メルーヴァの姿がエタカ・リーナ山岳で発見される、少し前のことである。
まだ、年も明けない大晦日前夜。
「いえね、はとこが、なんたら小難しい名前の、顕微鏡とやらのメンテナンス業者でね、地方飛び回ってるんですわ」
「ほう」
アストロスの古代都市クルクスの市長、ザボンは、よく専用車のリムジンではなく、民間のタクシーや電車をつかう。
今日も今日とて、彼は陽気な人間が運転する、個人タクシーに乗っていた。最近は、アストロスのタクシーもpi=poや自動運転ばかりだが、人間の運転手も悪くはない。彼らの話はいつも面白い上に、多様な情報をもたらしてくれる。
身体は上下に揺れ、相槌も舌を噛みそうな山道は、すっかり雪が積もっていた。まもなく舗装された道路にたどり着いて、揺れはまだましになるだろう。お互い、叫ばなくても会話ができるようになるまで、もうすぐだ。
「で、飛行機をよくつかいまさぁね。いつアクルックスにシャインができるんだってボヤいてますよ! シャインなんぞいらねえだろ、できちまったらこちとら商売あがったりだよなんて、よくケンカしますけどね。こないだはめずらしく、アクルックスからガクルックスへひとッ飛びなんて、ジュエルス海またいでいったそうなんですわ! 突然だったもんで安い便がなくてね。観光用のたっかいチケット払って。でも、クルクスの街の前を通る最高のロケーションでねえ。仕事なのに、チッと観光気分になったそうですよ、うらやましいなあ!」
「そうだねえ」
息継ぎもなくしゃべり続ける運転手の話を要約すれば、はとこが、ジュエルス海を横断する飛行機に乗った――ということらしい。
これは、よく観光コースに入っているルートだ。
古代都市クルクスは、エタカ・リーナ山岳がジュエルス海に張り出した出島のような形で、周囲を海に、背後は山岳に囲まれた天然の要塞であった――今は観光地である。
ちなみに、市内に飛行機は入れない。上空を飛ぶこともできない。つまり、空港もない。
クルクスに一番近い空港は、三キロほど離れたアクルックスにある。高速自動車道の出口もその付近だ。そこから舗装された広い道路を通って検問所を過ぎ、ようやくクルクスの敷地内にたどりつく。
そこで、一番に目に入るのは、巨大な石壁だ。
しかしそれは、ただの石壁ではない。遠くから見ると、人の足の形をしているのが分かる。
兄神の右足の端から、弟神の左足の端まで、自動車で何分かかるだろう。兄弟神の足と足の間には、乗用車が横並びに十台も通れるような、石畳の大道路があるのだ。それはまっすぐ、クルクスの奥の城へとつながっている。
その古代都市の玄関を守る、巨大な武神像の頭は、雲の上。
飛行機ならば、ご尊顔を拝し奉ることができる――つまり、観光名所のひとつになっていた。クルクス付近を通る飛行機から、兄弟神の顔が見えるのだ。
運転手はそのことを話したいのだろう。
エタカ・リーナ山岳の標識を通り過ぎた。まもなくクルクスだ。
「飛行機はクルクスに入れねえでしょう。だから、近くを通り過ぎるだけなんですけど、――ほら、見えるんですよ! 兄弟神の顔が!」
「うんうん」
大正解。――けれど、その後に続いた言葉は、ザボンの想定を超えた。
「いやあ。話を聞いただけでびっくらこいた。知ってます? こないだから、目が光ってるっていうんですよ!!」
「えっ?」
舗装した道路に入ったせいか、叫ばなくても互いの会話が聞こえるようになった。
「SNSでだいぶ話題になってまさぁ! 市長さん知らなかったんで!?」
運転手の声量は、舗装された道路になっても変わらなかった。
「い、いや、知らなかったなあ――」
ザボンは慌てて、携帯電話で検索し始めた。
探せば出るわ出るわ、写真がどんどん流れてきた――たしかに、兄弟神の目が。
石であるはずの目が、白く光を発していた。
昼間は分かりづらいが、夜の写真のほうがはっきりと見える。まるで、管制塔の光のように、四つの目が光っているのだ。顔の輪郭さえ、夜闇に浮かび上がらせるように。
「すごいでしょう!! 今、これだけを見に、地元のモンも飛行機乗ってるって話で――」
運転手は興奮気味だが、ザボンは一気に背筋が寒くなった。クルクスはエタカ・リーナ山岳の真下で、寒いことは寒いが、タクシーの中は暖房が効きすぎるほど効いている。
この寒気は、気温とは関係ない。
「わたしも見てみたいな」
やがてザボンは顔を上げて、そういった。顔は真剣だった。声の震えは、自動車の揺れでごまかされた。運転手は気づかない。
「だったら、早く予約を取った方がいいですよ! SNSで話題になってから、みんな押し寄せてるそうなんで。臨時便も出るとかで」
明日は大みそか。年の最後の日だ。
すでに休みに入り、おとついから家族と年越し旅行で、ナミ大陸の首都オルボブにいたザボンは、急遽クルクスに呼び返されたのだった。
それこそ年末で、あらゆる交通機関は満員満車。一番近道の、ジュエルス海を往復する船はどれも満席だ。ザボンは、シャイン・システムとタクシーと飛行機を使って、なんとかクルクスにもどろうとしていた。
市長が急に呼びだされるだけの、異常事態であった。
ザボンはなんとなく察した――この武神の目のことは、今、クルクスの城で起こっている異常事態と、関係がある。
あくまで、直感にすぎなかったが。
(なにかが、起ころうとしている?)
検問所を過ぎ、兄弟神の足元まで来ると、新たな年を祝う飾りが、家々に飾られているのが見えた。
タクシーはまっすぐ坂道を上がっていく。雪が降り始めてきた。
深夜近いというのに、通りの家々は明るかった。
――城のどこからか、おかしな音がする。
二週間ほど前からだろうか。そんな話が出たのは。
幸いにも、ホテルを利用する客から苦情は出なかったが、城で働く者たちを、落ち着かない気持ちにさせる音であることは間違いなかった。
クルクスの大通りをまっすぐ上がり切れば、ザボンの勤め先である、古代の城、サルマバーンディアナ城がある。
三千年前からある、巨大な城だ。今はクルクスごと観光名所になっている――城の一部は博物館化され、一般公開されていた。さらに、VIP専用ホテルとして利用されている個所もあった。
しかし、それは城全体のたった二割ほどで、八割は保護遺産として人の手は入っているものの、普段は閉じられたままである。
あまりに城は広大で、迂闊に迷い込めば出られなくなるくらいだし、地図を持って巡ったとしても、一日で回り切れるかどうか、といった具合だった。城だけでそのスケール。森や草原などの敷地をあわせれば、途方もない広さになる。
最初に、そのおかしな音を拾ったのは、博物館化された区画の事務室に努める者たちだった。
ホテル側は、常に流れている音楽にかき消されて気づかないし、客からも苦情は出なかったが、音がだんだん大きくなっているのはたしかだった。
まもなく年末年始の休みに入るというのに――市役所のほうで、城のどこから音がするのか、調査に入った。
城はあまりに広く、調査は一日二日では終わらず、年明けに再度調査ということで落ち着き、ザボンも休暇を取ったのだった。
そこへ昨日、音が出ている場所が見つかった、との知らせが入った。
音の原因が分かり、残った社員でなんとかできる状況ならばザボンが呼びだされることはなかった。
よりによって、音は、「女王の部屋」から出ていたのである。
女王の部屋。
三千年前のサルーディーバ女王の私室であったという、今は「開かずの間」になっている部屋は、城の奥にあった。
開かずの間になっている部屋というのは、実はそう多くない。城のほとんどの部屋はすでに調査、手入れ済みだった。
けれど、この女王の部屋は特別だ。
まず、扉が、一人で開けられるような大きさではない。純金でできた扉は、それだけの厚みと重さがあった。さらに、内側から、特殊な絡繰りによって鍵がかけられている。つまり、内側からしか開かないのだ。
扉には取っ手がない。つまり、押して開ける扉だ。
女王の私室であったがゆえの頑丈さなのかもしれないが、女王ひとりで開けられる扉ではない。
だれかが封じたのだろうか。
ようするに、三千年前から、だれの手も、調査も、入っていないのだった。
さらに大変なことには、この城はアストロスの世界遺産であり、扉そのものを破壊するか、あるいは機械でもって扉を外すにしても、面倒な手続きが必要であることはちがいなく――つまり、残った社員の一存ではどうにもならなかった。
そして、音は、どんどん大きくなっていた。
ザボンは納得した。
扉前まで来てみれば、耳をふさぎ、大声で怒鳴らねば、隣に居る人間に聞こえないほどのごう音だ。
ゴロゴロゴロゴロ……。
石が回転する音のようにも聞こえる。
ここが城の奥でよかった。しかし、このまま音が大きくなれば、ホテル側にも響くようになるかもしれない。
官公庁はもう休暇に入っている。工事の申請をするにしても、年が明けねば、どうにもならない。
ザボンは、途方に暮れた顔で、厚い扉を眺めた。
右扉の中央――ちょうど、手で押せるあたりに、へこんだ部分があることに気づいた。この扉はあまたの宝石と装飾に彩られているので、表面の凹凸はたいそうなものだが、たしかに模様ではないくぼみがある。
円形だ。手のひらサイズの円形のものが嵌められるくぼみ。
ここに、なにかが嵌め込まれていたのではないだろうか?
だとすれば、鍵かなにか……。
ザボンはそう思ったが、見当がつくはずもなく。やはり重いため息とともに扉を見上げるしかなかった。




