313話 幸運のペガサス Ⅲ 2
『スペツヘム・AAA・ベルタヘルムです』
そこに映ったのは、頬肉までそぎ落とされたような、鋭い輪郭を持った男だった。目だけは爛々と光り、口元には笑みを湛えている。
男は――スペツヘムは、なめらかなL系惑星群の共通語で話した。
通訳機能のお役目は、この時点で不要になった。
声は高いほうだ。気難しそうな容貌に反して、口調はひどく柔らかい。
「はじめまして。フライヤ・G・メルフェスカと申します。今度のメルーヴァ討伐軍の総司令官を務めさせていただいています」
フライヤはそう言って、スクリーンに向かって敬礼をした。
マクハランははっきり舌打ちし、サンディやサスペンサーもまずいという顔をした。
フライヤの謙譲は美点だが、腰が低すぎる。
こちらも対等に渡り合わねばならないときだ。へりくだる態度は、よくない――。
『大変申し訳ありません。お会いするのがずいぶん遅れました。こちらも、住民のアストロス星外への誘導など、多忙なもので』
フライヤの言葉に返ってきたのは、営業職同士のやりとりのような返答だった。
思ったより、居丈高なところはない。皆は拍子抜けしていた。マクハランも少々気がそがれた様子だ。
双方、軍人同士の会話というにはあまりに柔和だった。
だが、忘れてはならない――彼は、L20の助力を、はっきりと拒んだ。
『L20の助力、大変感謝しております。つきましては、アストロス太陽系到着後の、L20の逗留地ですが――』
コンシェルジュのような口調で、スペツヘムは続けた。それを、大声が遮る。
「メルーヴァは見つかったのか!?」
「マ、マクハラン様……!」
サンディがあわてて止める。
スペツヘムの頬より鋭いマクハランの大声に、スペツヘムは、ゆるりと視線をそちらに向けた。
『……こちらの方は?』
マクハランのこめかみに、青筋が増えた。すでにアストロス側に、軍勢の詳細は伝えてあるはず。
このマクハランを知らんとは!
「ローラ・F・マクハラン少将です。こ、こちらは、アズサ・G・トリーマン中将……」
アズサの名と階級を紹介した直後、スペツヘムの表情に微妙な変化があった。
それは、皆が気づけるほどの変化だ。
フライヤは、画面に映る全員を、スペツヘムに紹介した。マクハランだけが胸を張り、ほかの皆は敬礼をした。
紹介が終わると、スペツヘムは、フライヤに尋ねた。
『――あなたの階級は』
フライヤの背に冷や汗が流れた。フライヤは大佐だ。この中で、一番階級が上とはいえない。中将殿をさておいて、大佐が総司令官ともなれば、疑問を持たれるのは覚悟していた。
一番上の階級の者としか、話をしないといわれたら、どうしよう。
「た、大佐――になり、ます……」
フライヤの自信なさげな声が、スクリーンを通じて、なんとか相手の耳に届いた。
『大佐……』
スペツヘムの声が、驚いたように揺れた。
「無理もない」
マクハランが嘲笑った。
「おまけにそやつは、貴族軍人でも何でもない。傭兵上がりだ。この戦のために駆り出された、傀儡だ」
「マクハラン少将!」
サスペンサーの焦り声とほぼ同時に、サンディが、スタークのモモをつねった。飛び掛かりそうだったからだ。
『――傭兵』
いくら遠い星アストロスの民といえど、ラグ・ヴァダの軍事惑星における、軍人と傭兵の身分の差が、分からないわけはあるまい――マクハランはそう思っていた。
「傭兵上がりの大佐、しかも戦知らずとあれば、不安もあろう。このマクハランがL20の代表として、アストロスに赴いてもよい。所詮、フライヤに軍は動かせん」
「マクハラン様――それは!」
さすがにサスペンサーも言葉をはさんだ。
フライヤを総司令官に任じたのは、ミラである。
「最大勢力である私の軍は、フライヤの命では動かんぞ! スペツヘムとやら、正しい判断を下すのだな! どちらが長にふさわしいか――」
状況を見守っていたアズサが、口を挟もうとしたとき。
スペツヘムが、口を開いた。
『あなたは、この戦いを、どうお考えです?』
「なに?」
スペツヘムは、マクハランに尋ねていた。
『今度の戦いを、どうとらえていらっしゃる? あなたは、アストロスに来て、どうなさいますか』
今さらの問いだ。これには、アズサですら鼻白んだ。
マクハランは胸を張って答えた。
「知れたこと! メルーヴァの捜索と速やかな逮捕! 軍勢があれば我が隊をもって迎え撃つのみ!」
『あなたは?』
スペツヘムは、アズサに聞いた。彼女は、至極冷静に答えた。
「わたしは、ミラさまの命に従うだけ。フライヤを総司令官とし、宇宙軍を率いて、アストロス周辺の捜索と、警護を担当する。アストロスの地で衝突があれば、援軍として向かう」
アズサの言葉に、マクハランは舌打ちこそしなかったものの、盛大に顔をしかめた。中将殿には見えない角度で。
まったく、今回の軍勢はそろいもそろって、威勢がない。
『あなたは?』
「私にも聞くのですか? 私もアズサ中将殿と変わりがない。私は、アストロスの地で直接メルーヴァを捜索することになりますか」
バスコーレンは戸惑った様子だったが、自分の責務を答えた。
「メルーヴァは、まだ発見には至っていないのですか」
スペツヘムは、バスコーレンの質問には答えた。
『発見されています。おそらく所在地はエタカ・リーナ山岳。すでにご存知とは思いますが、あそこは、通常人が生息できる場所ではありません。捜索は難航していますが、つづいています』
しかし、だれかがさらに質問を重ねる前に、スペツヘムはまた聞いた。
『あなたは?』
「私は、戦闘となれば全力を尽くしてメルーヴァ軍を迎え撃つのみです。まずは、アストロスの地を知りたいところですな」
サスペンサーははっきりと答えた。
スペツヘムは、サンディとスタークにも聞いた――返事は、ほぼサスペンサーと似通ったものになった。
最後に、スペツヘムはフライヤに聞いた。
『あなたは?』
フライヤは、すぐには答えられなかった。なぜなら、フライヤの胸の奥に現れた答えは、おそらくこの場にいる全員に、臆病者とそしられる可能性があるからだった。
特にマクハランはだまってはいないだろう。これを機に、ミラに上申し、フライヤを更迭――総司令官になってしまうかもしれない。
けれど、おそらくスペツヘムをごまかすことはできない。フライヤはそう感じた。
どんな理由であれ、正直に話さねば――返答次第では、アストロスは本気でL20の介入を拒み、太陽系内にすら入れなくなるかもしれない。それでは、ここまで来た航海も無駄足だ。
しかし、スペツヘムを納得させるような最適解など浮かばない。
フライヤは、言葉を考えた。精一杯、考えた。
ミラは、「全面的にフライヤに任せる」といった。そのために、アズサ中将もつけてくれた。
いざというとき、マクハランという杭を押さえる槌として。
フライヤは震えそうになる足を叱咤して、答えた。
「――アストロスの住民の安全が第一」
スペツヘムの表情は、動かなかった。
「メルーヴァの速やかな逮捕はもちろんですが、もし、戦闘が起きずに済むのなら、その策を取りたいと思います。アストロスの地で、戦争を起こさない。できるなら、それを最善として」
フライヤの声は後半に行くにつれ、ますます震えた。
全員の視線が突き刺さっている気がした。フライヤの味方の、スタークやサスペンサーの視線すら、痛い気がする。
当然だ。フライヤは、サスペンサーたちが手柄を揚げる機会を、根こそぎ奪おうとしているにも等しいのだから。
「きッ……!!」
予想通りと言うかなんと言うか、マクハランが「貴様!」と怒鳴ろうとした気勢を、アズサが止めた。
「静まれ」
フライヤは震えていたが、スペツヘムは笑みを浮かべた気がした。
『アラン・B・ルチヤンベル――なるほど。あなたか』
スペツヘムの言葉はアストロスなまりが入っていたのか、皆、はっきりとは聞き取れなかった。けれど、アズサはその名を拾った。知っている名だったからだ。
「ルチヤンベルだと……」
その、口の中だけでこぼされた音は、だれにも聞こえない。
『承知いたしました。L20の御助力、歓迎いたします。つきましては、軍の逗留地など、詳細は後日打ち合わせを。その際、こちらでわかっているメルーヴァの情報をお伝えします。アストロス到着後、城塞都市クルクスにて、お待ちしております。――総司令官、フライヤ大佐』
スペツヘムはそういって、通信を切った。
ほとんど何の情報も得られなかった、同盟星の総司令官との初会合だったが、実りはあった――。
マクハラン以外の全員が、そう思った。
スペツヘムは、フライヤを総司令官と認め、対話の姿勢を取った。
すくなくとも、このままL20へ引き返すことにはならなそうだ――。
それが分かったとたん、皆の肩から力が抜けた。アズサでさえ、背に冷たい汗を感じていたほどだった。
しかし、マクハランだけはフライヤにつかみかかった。
「貴様! 貴様―っ!! なんという! なんという恥さらしな! L20の軍人たちが皆、貴様のような臆病者とそしられかねんことを、よくもッ――!!」
「お放しなさい、マクハラン少将殿!!」
スタークが間に入ろうとしたのも、マクハランの勢いも、咄嗟に止めてくれたのはバスコーレンだった。
「もともとアストロスは戦争のない平和主義の星です。フライヤ殿の返答は上手かった! あれが相手の本意でもあるのです。お引きください!」
「……っぐ、」
「すくなくとも、アストロス側は受け入れ態勢に入った。これは手柄ですマクハラン少将!」
サスペンサーも焦り顔で説得したが、頭に血が上ったマクハランは、地団駄を踏んでフライヤを離した。
「フライヤ大佐! 言葉には気を付けろ。ただでさえ士気が低いところにあの言葉はよくない」
サスペンサーは、マクハランの手前、語気鋭く総司令官を叱った。
「腰の低さも程度がある! 貴様はもう総司令官なのだぞ! もっと胸を張って対等に応じろ!!」
「もっ――申し訳ありませんでした!!」
フライヤは勢いよく、頭を下げた。
マクハランの怒りが静まらないことには、これ以上の軍議はできないと判断されたため、一度解散になった。
フライヤも猛省していた――ついクセで、頭を下げてしまうのだが、自分でも腰が低すぎるのは分かっていた。あの場に、アズサ中将たちだけだからよかったものの、ほかの高官たちが同席していたら。
フライヤはただでさえ傭兵上がりだ。貴族軍人たちの目は厳しい。いくらサスペンサーやスターク、サンディがかばってくれても、あまりに腰が低いところを見せ続ければ、軍の規律そのものが崩壊しかねない。
ミラの命令。
それだけが、フライヤの首をつないでいるのだ。
咳払いし、すこし背筋を伸ばしてみたフライヤだが、なかなか様にならない。
しょんぼりとして司令官室を出たところで、アズサがいた。フライヤを待っていたのか。




