312話 セパイローとpi=poと、はじまりの予感 4
「ま、待って。クラウド、その話をどこから?」
それは、中央役所から借り受けた書籍にも載っていない話だ。バンビの疑問は、みんなの疑問でもあった。
「真昼の月っていうのは俺の勝手な解釈――でも、アストロスがバンヴィのつくった星かもしれないっていうことと、アストロスのそれぞれの衛星の名が、バンヴィの七人の兄弟に当たることは、本に書いてあったことだ」
「だから、その本を、どこから!?」
バンビの興奮具合は、メニューを眺めていた時のアンジェリカに匹敵した。
「カーダマーヴァ村、だよ」
もったいつけたわけではなかったが、やっとのことでクラウドの口から出た本のありかに、バンビ以外からも驚きの声が上がった。
「カーダマーヴァ村だって?」
「うん。あそこは伝説級の古書の宝庫だ。保管してある本をぜんぶ読んでしまって、暗記してるひとも多くいる――まさに生き字引の宝庫だね。そこで俺は、セパイローにまつわる話が残されてないか、問い合わせたわけだ。そうしたら、アストロスに関わる伝承が出て来たってわけさ」
バンビは深呼吸して、興奮を鎮めた。
「あそこは閉鎖的な村だって聞いてるわ――よくコンタクトが取れたわね」
カーダマーヴァ村とは、思いもよらなかったバンビだった。
たしかにあそこは、古い時代の伝承に関しては、一番の蔵書率かもしれない。バンビは、L36がL系惑星群の歴史保管所でもあるので、一応データベースを探ってみたが、アストロス版のマ・アース・ジャ・ハーナの神話の書籍はなかったのだ。
「以前、ルナちゃんがらみの事件で、世話になったんだ」
クラウドは、カザマの名は出さなかった。
「読みたいなら、書籍のコピーをもらっているから見せるよ。それで――」
クラウドは、ちこたんにデジタルメモボードをしまってから、提案した。
「明日、みんなで真砂名神社の奥殿に、バンヴィの絵を見に行くんだが、君も来ないか?」
「えっ?」
思いもかけない誘いにバンビが固まっていると、ルシヤが大声を上げた。
「明日は営業日だぞ! 昼間はダメだ」
それにわたしも行きたい! と騒ぎかけたルシヤをつかまえて、シュナイクルが言った。
「バンビ、明日はおまえも行け。絵を見てこい」
「で、でも――」
「店のことなら大丈夫だ。実は、前から話をつけてあるんだ」
「ど、どういうこと?」
『はじめまして。リュピーシアです』
ちょうどいいタイミングで倉庫側から現れたのは、アズラエルと、ロボット型のpi=poだった。身長は、ルシヤくらいもあるだろうか。
「わあーっ! すごい! ロボットだ!!」
球形のpi=poにはあまり興味を示さなかったルシヤだったが、ロボット型のpi=poには、大興奮で駆け寄っていった。
アズラエルが紹介した。
「コイツはリュピーシアっていって、俺たちが屋敷に入る前から、屋敷にいたpi=poなんだ」
「ええっ?」
「こいつを譲るって話を、前からシュナイクルとしてたんだ。ずいぶん高性能なヤツなんだが、うちじゃ持て余してる。なにせ、これのほかに、pi=poが三台もいるからな――ハンシックはいつも忙しそうだし、任務にも協力してもらわなきゃならねえし、ちょうどいいかと思ってな」
『ハジメマシテ。ハジメマシテ』
リュピーシアは、ルシヤやシュナイクルに、カクカクと頭を下げて回った。
「シュン、機械はいらないって言ってたじゃない」
バンビが困惑顔で店長を見つめた。シュナイクルは決まり悪げに顎を搔いた。
「いらないと思ってたよ。それは本当だ。でも、なかなか便利なモンだと思ってな……」
ハンシックの四人がルナたちの屋敷に遊びに行ったとき、シュナイクルは、初めてpi=poが活用されている生活を見たのである。
デパートや飲食店など、街にpi=poは溢れているが、自分たちの生活には必要ないものだと思っていた。現に、今までは間に合っていた。
ところがどうだ。今期は仕事以外でさまざまなことが起き、たいそう忙しい。ハンシックの営業は、四人のだれかがひとり欠けても成り立たない。
デイジーとマシフは、ヒューマノイドゆえ、人の前には出せない。皿洗いと掃除がせいぜいで、接客はできないのだ。
店をもって数年たち、客も増えてきた。繁盛するのは喜ばしいことだが、だんだん手が回らなくなってきたのはたしかだった。始めたばかりのころのように、のんびりとはいかなくなってきた。だが、シュナイクルは、これ以上店を大きくする気はない。自分の手の届く範囲で、こぢんまりとやるつもりだ。
もうひとり従業員を増やすか、pi=poを購入するか考えていたところだった。
「接客用アプリは入れた。掃除はもともと、完璧っていえるくらいだし、あとは毎日の仕入れに畑の見回り、か? それは、しばらく一緒に連れてって覚えさせてくれ。あ、そうだ。コイツは高級仕様だから、車の運転もできるし、雪かきもできるぞ」
「雪かきか! それは助かる」
「それに、防犯機能か……獣が出るかもっていうから、獣除けもつけといたぞ。大体、こんなところか? つかいにくいところがあれば、バンビがなんとかするだろ。専門だし」
シュナイクルはほっとした顔を見せた。
「いや、よかった。本当に、おまえには世話になるな」
シュナイクルとアズラエルの会話を、呆然と聞くバンビだった。
「このくらいはたいしたことねえよ」
「コイツはいくらだ。中古だといっても、高いんだろう。これで足りるか。おまえがセッティングしてくれた手間賃も含めて」
「ああ、いらねえよ。休日に来ちゃ飲み食いしてんのは俺たちなのに、おまえだって金を受け取らねえだろ」
「友人を招いているんだから食事の金はいい。営業日にきたときは払ってくれているだろ――これは別で、」
「いらねえって」
「受け取れ」
シュナイクルが厚みのある封筒を、アズラエルに押し付けようとしている。五十万は入っているだろうか――。
リュピーシアの背後にくっついている製品番号を見つつ、バンビは嘆息した。
「シュン。それ足りない」
「は?」
シュナイクルの声が一オクターブ上がった。
「……みんなが引っ越したお屋敷って、K38区の、金持ちばっか暮らすとこの屋敷でしょ」
「新婚夫婦が入る区画だったよ? でも、あたしたちが入ったとこは、たぶんお金持ちの入る家」
「うん」
ミシェルが言い、ルナがうなずいた。
「そこの備え付けだったってこと?」
「あのお屋敷の備え付けはもともと“ヘレン”だったの。ステラ・ボール。リュピーシアは、入った人が買って、置いていったやつみたい」
「あの屋敷の付属品って形で置いてあったから、屋敷を借りたとき、ついでに俺が買った。中古だったし、ちょっと高いステラ・ボールくらいの値段でな――どうかしたのか」
アズラエルも付け足した。
「だろうね」
バンビは額に影を落とした。
「L55オブライエン社製、1355年代品。BK761、カラーブルー……。これさ、多分、こないだ買った新品のトラックと同じくらいするわよ」
お茶を吹いたのは、ジェイクだった。
「このBK型自体、企業用で、初めて出たときは五百万くらいだったわよ。正規品でね。しかもこのグレード品番、BK761ってね、761台目って意味じゃなくて、正確にはBK76-1なのね? BK76型の1番目。それで、これは1番目っていうよりか、この色型が、多分これしかないの。1台しか。リュピーシアってカラー番号。つまり、限定品」
シュナイクルの顔と言ったらない。ルシヤは、おじいちゃんのそんな顔を、初めて見た。
「オブライエン社の何周年記念とか、何かの景品か、特別なイベントがあってつくられたものじゃないかしら。だとしたら、値段がつかない。マジもんのプレミア品かもしれない」
「なんでそんなものを持ってんだよ!!」
ジェイクが叫んだが、アズラエルたちの知ったところではない。屋敷の前の住人が、どれだけ金持ちだったか知らないが。
『リュピーシアは、結婚式のお祝いとして贈られました』
スラスラと、オブライエン社重役の名前が載ったお祝いメッセージが、リュピーシアの機械音声から出てきて、クラウドとバンビは苦笑いした。
「なるほど。部下の娘の結婚祝いの特注品か」
「個人情報は消去してから置いて行ってほしかったな」
「そんなの置いていくなよ! 持って帰れよ!!」
ジェイクが悲鳴のような声を上げたが、それはここにいる者すべての代弁だった。
「その高性能pi=poがさ、掃除くらいにしか使われてなかったんだぞ」
アズラエルは気の毒そうに言った。クラウドが、おそらくこれだけ消し忘れただろう結婚祝いメッセージを消去するのを横目に見ながら。
「俺専用で使おうかと思ったときもあったが、シュナイクルが欲しいっていったからな。ハンシックで使う方が、きっと役に立つ」
そんな高性能pi=poをもらっても、若い女性が選んだのは、機能ではなく、可愛らしい外見のステラ・ボールだった。
「年数経ってて減価償却したとしても、プレミア品なら値段もどう変わるかわからないわよね……。逆に価値が上がってるかもしれない。いやもうこれ、デイジーを店専用にして、あたしが欲しいくらいだわ」
なにせ大型だし、ステラ・ボールと容量がまったく違う。企業や研究施設向けなのだ。
「ダメだダメダメっ! これはもうわたしが、名前を決めたんだ!!」
ルシヤがリュピーシアにしがみついた。
「名前?」
ルナがウサ耳をぴょこたんしながら尋ねると、ルシヤは胸を張って紹介した。
「うん! 今日からおまえは、ソルテだ!!」
「ソルテ?」
どこかで聞き覚えのある名だと思ったら――その名を思い出した大人たちは、急に黙り込んだ。
「ルシヤだと、わたしと同じ名前になってしまって、呼ぶときが大変だし。アンディだと、もう一台欲しくなってしまうから。ふたりが一緒だ」
ソルテ。それはアンディ親子の姓だ。
バンビは、愛しげにpi=poを抱きしめるルシヤを見つめ、小さく言った。
「……お嬢、名前はセッティングしないと、覚えてもらえないわよ」
「えっ。ど、どうやるんだ?」
バンビが名前のセッティングをするあいだ――シュナイクルは、差し出した封筒を引っ込めることもできず、それ以上押し付けることもできず、困惑顔で固まっていた。
「シュナイクル」
アズラエルが胸に突きつけられた封筒を、そっとシュナイクルの胸に返した。
「分かっただろ?」
「いや、何もわからんが」
「だったら、今日タダでいいか?」
「……おまえがそれでいいなら」
彼はようやく引き下がって、目と額を、その大きな掌で覆った。
『わたしは、“ソルテ”です。ヨロシクオネガイシマス』
リュピーシアだったpi=poから、新たな自己紹介の声がすると、ルシヤは「よろしく!」と飛びついた。ジェイクが機械の手を取って、「よろしく」という。バンビも一緒に「よろしく」と握手した。
最後にシュナイクルが、機械の頭部に手のひらを置いた。
「たくさん働いてもらうぞ。頼りにしている」
『ハイ。ヨロシクオネガイシマス』
機械音声は、自分が活躍できる場を得たからなのか――なにやらとても嬉しそうな響きをまとっていた。




