表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キヴォトス  作者: ととこなつ
第七部 ~かごの中の子グマ篇~
760/965

309話 かごの中の子グマ Ⅳ 1


 ダニエルは、終始はしゃいでいて、はしゃぎすぎてよろめくこともあったが、倒れなかった。


 ピエトといっしょにお風呂に入り、子どもだけでゼランチンジャーのDVDを見たり、カードゲームをしたりした。


 すぐに就寝時間の午後九時が来たが、ダニエルは、「まだ寝たくない」と駄々をこねた。しかし、あまりに顔が赤くなってきたので、アズラエルが抱きかかえて部屋に連れて行った。


 その日、ダニエルは、ルーム・シェア初日だったので、さみしくないようにと、ピエトとネイシャがいっしょに寝たが、次の日からは、いっしょに寝ることは許されなかった。


 もしピエトが風邪を引いたりでもしたら、すぐダニエルにうつるからだ。ピエトは抵抗力があるから軽い風邪で済んでも、ダニエルは重症になることがある。


 ルナは、『病気の人がひとりいるというのは、カンタンなことではないのよ』という母親の言葉を実感することになった。


 初日の興奮がいけなかったのかもしれない――ダニエルは、次の日、高熱を出した。


 それから、ルナの怒涛の看病生活がはじまった。

 とにかく、ダニエルは、一日じゅう寝っぱなしだった。長く起きていることすら、困難だった。

 ルナは、ダニエルから目を離せなくなった。

 放っておけば、トイレに出たときに、廊下で倒れていることもあるからである。


 イーヴォから言い含められた通り、きちんと薬を三度が三度、飲ませて――それは、ピエトのときからやっていたことだったので負担はなかったが、アバド病がひどかったときのピエトより、ダニエルは手がかかった。


 ルナは、うさこに頼んで、「満月(ルーナ・ジェーナ)」の呪文をしてもらって、イシュメルのよみがえりの魔法を食事に混ぜ込んでもらえないか、ZOOカードをめのまえにして頼んだのだが、そういうときにかぎって、うさこは出てこない。

 イシュメルも無反応だ。


 ルナは分かっていたので、あきらめて、ふつうに看病することにした。


 最初の二週間は大変だった。

 環境が変わったせいもあるだろう。ダニエルの熱は、上がったり下がったりを繰り返した。それも、極端に高熱を出す。


 ルナは、ダニエルの看病以外のことを、ほとんどできなかった。

 それでも、ダニエルは、「うちに帰りたい」とか、「パパやイーヴォに会いたい」とは、一度も言わなかった。


 ルナは、ピエトを引き取った初期のころのように、毎日ムスタファ邸へ連絡をしていたが、イーヴォのほうが、ダニエルが心配で、いてもたってもいられないようだった。


 だが、ムスタファからきつく言い含められていたらしい。ルナたちに任せるといったのだから、決して口出しはせず、ダニエルが「帰りたい」と言ったとき以外は、会うこともしてはならないと――。


 レオナとセシル、それにpi=poたちが屋敷の掃除やら、こまごまとしたことをぜんぶやってくれて、ルナはほんとうに助かった。ルナは、ダニエルの看病以外のことを、ほとんどできなかったからだ。


 バーガスも、ダニエルの口内が荒れて、まともな食事をとれないときは、どろどろのサプリ入りオートミールではなく、美味しいリゾットを作ってくれた。


 いつもそばにいてくれるルナを、熱にうなされた頭では、勘違いするのだろう。

「ママ、ママ」とルナの手をにぎって離さないダニエルを、放っておけなかった。


「ルナの母性がマックスにさしかかってるわ~」


 呑気に言うミシェルも、真砂名神社で病気平癒のお守りや、ダニエルの好きなプリンを買ってきたり、ルナと交代で、一日、そばにいてくれたときもあった。

 真夜中、ダニエルの熱が急激に上がり、彼の主治医を呼びつけたことも二、三度ではない。ルナは、夜もほとんど眠れなかった。

 ちこたんとヘレンには、医療用と介護用アプリも備わった。


 ルナは、ミシェルがダニエルのそばにいてくれた日、久々に昼寝をした。

 ひさしぶりにぐったりと、自分のベッドで眠り――また、あの夢を見た。

 大グマと、子グマの夢を。


 はっとして飛び起きた。

 ダニエルの介護に必死で、このところ、ZOOカードのことも、夢のことも、まともに考えていなかった。


(うさこ?)


 ルナはあわてて、クローゼットからZOOカードボックスを出してみたが、まったく様子は変わらなかった。





 怒涛の二週間が過ぎた朝。


 ダニエルの熱が、ようやく平熱に戻るきざしを見せた。まだ微熱はあったが、ダニエルは二週間ぶりに、自分の足で立って、食卓まで来た。

 ルナと一緒に、キッチンに顔を出したダニエルを、バーガスは大喜びで抱え上げた。


「元気になったか、ダニー!」


 バーガスに高い高いをされて、ダニエルは嬉しげにはしゃいだ。


「はい! 熱が下がりました」


「マジかよ、熱、下がったのかダニー!」

 ピエトが駆けつけて、ダニエルの額に手を当てた。ダニエルが「つめたい!」と首をすくめた。

「下がってる!」

「うん!」

「ダニエル! ゼラチンジャーごっこして遊ぼうぜ!」

「うん!」


「こらこら、病み上がりだから、あまり無茶しないでね!」

 ルナは、そう子どもたちの背に呼びかけてから、ダニエルの薬がなくなったことに気づいた。

「いけない、ダニーのお薬、主治医さんに頼まないと」


 ちこたんを呼ぼうとしたルナを、セルゲイが止めた。


「これ」

 セルゲイが、紙袋をふたつ、ルナに渡した。


 両方とも薬の袋だったが、片方は、ダニエルの主治医のサインがある薄い緑色の紙袋で、中には半透明のボトルに入った、シロップ状の薬が入っていた。いつもダニエルが飲んでいる薬だ。

 もう片方は、クリーム色の袋に入っていて、中央区の病院の名前が記されている。

 中身は、同じボトルに入った、小児用の風邪薬だった。


「ダニーの主治医から処方箋をもらって、同じ薬を、病院で処方してもらった」

 セルゲイは、なんだか難しい顔で、薬を見つめていた。

「ただの、――風邪薬、なんだよね」

「え?」

「ダニーの薬」

 小児用の、ちょっと強い熱さましだと、セルゲイは言った。

「ムスタファさんも、薬の正体は知ってる。原因不明だし、とにかく、いままでいろんな薬をためして、何も効かなかったから、いまは熱を下げるのが目的で薬を飲んでるみたいなんだけど――」


 彼はそれ以上何も言わなかったが、考え込むようにして、だまってしまった。

 ルナは、様子のおかしいセルゲイに不審を感じたが、とにかく眠かった。ダニエルと一緒に朝食を取ってから、三十分ばかり眠ろうと思った。

 ダニエルがいつも飲んでいる野菜ジュースをさがしに、クローゼットを開けたが。


「あれ?」


 クローゼットにしまいこんであったはずの野菜ジュースのケースがなかった。パックが三十個は入っていたはずだ。初日にダニエルが一本飲んだだけで、なくなるというのはあり得ないのだが。


「バーガスさん、ここに置いてあったジュースは?」

「ああ、それな」

 バーガスは、ルナにこっそり、耳打ちした。

「セルゲイ先生が、捨てた」

「――え!?」

 バーガスも、理解できないという顔で、肩をすくめた。





 さて、二週間ぶりに起きたダニエルは、玉子料理と、スープとサラダ、パンの朝食を食べ、アズラエルに連れられて、近所に散歩に出かけた。

 その日、ダニエルの熱は下がりもしなかったが、上がりもしなかった。


 それからだ。

 ――奇跡のようなことが起こり始めたのは。


 ダニエルの病気は、みるみるよくなった。

 よくなった、というよりか、つまり、熱が上がらなくなった。

 ルナがつきっきりだった二週間を過ぎ、その後一週間も、はしゃぎすぎて夜に熱を出すことはあったが、次の日の朝には下がった。


 ダニエルは、見違えるように変わっていった。

 まず目の下からクマがなくなり、顔色がてきめんによくなり、体重が増えた。食欲も増進してきたし、四週間目の後半は、一度も熱が上がらなかったのである。


 二週間ごとになくなる薬は、定期的にムスタファ宅から送られてきたが、セルゲイは、「熱が上がっていないんだから、飲まなくていい」と言った。

 現に、薬を飲まなくても、ダニエルは熱をあげなかった。


 約束の一ヶ月――正式には四週間後が、やってきた。

 ダニエルの顔を見たときのムスタファの顔と言ったら――なかった。


 ムスタファの涙を見ることになろうとは――彼は、屋敷中の皆の手を取り、「ありがとう、ありがとう!」と百回も言ったにちがいない。

 いままで、どんな名医に見せても治らなかった息子が、血色もよくなり、すこし太った気さえする。

「パパ!」と抱き付いてきたダニエルの身体を、しっかりと抱きしめて、ムスタファは、はばかることもなく、大声で泣いた。


「――神よ!」


「さあ、坊ちゃま、帰りましょう」

 イーヴォがリムジンのドアを開けたが、ムスタファは止めた。

「待ちなさい」

 涙を拭き、元気になった息子の顔をしっかりと見つめて――言った。

「どうだろう――もうひとつき、預かってもらうわけにはいかないかね?」


「だ、だんなさま……!」

 ムスタファの言葉に、イーヴォがうろたえた。


 アズラエルは、屋敷の皆を見回したが、だれも反対する顔をしていなかった。


「俺たちはかまいませんが、――ダニー、いいのか?」

「いいんですか!?」


 ダニエルだけでなく、ピエトとネイシャの顔も輝いた。

 ムスタファは、涙をハンカチで拭きながら、微笑んだ。


「どうか、頼む」


「イーヴォは、さみしゅうございます……」


 世話役はそうつぶやいたが、これ以上ムスタファに言える言葉もなく――ダニエルは、もうひとつき、屋敷でお預かりとなった。

 


 


「イシュメルは、なにかした?」

『いいや? わたしはなにもしていない』


 ルナはZOOカードに向かって言ったが、めずらしく返事が返ってきた。イシュメルが、ルナの隣に座っていた。


「のわも? うさこも?」

『すくなくとも、われわれは、なにもしていないよ』

「――そう? でも、おかしいよ」

 ルナは言った。


「なんだか、おかしい」


 四週間目には、アズラエルとグレンに連れられて、K33区に行って、原住民の子どもらと遊んでくるまでになった――ネイシャとピエトにくらべたら、まだ格段に身体は弱いが――運動をしても、無理をしなければ、熱も上がらなくなった。


 たしかに、カレンとピエトにしたことと、同じことをした。完璧にとは言えないが、栄養バランスの整った食事を三食提供し、薬もちゃんと飲ませた。


 だが、それだけで、ずっと抱えてきた、原因不明の難病が治った?


 ルナのほっぺたはぷっくり。

 つまり、納得していないのだった。


 ピエトの場合は、あの当時、メリッサとタケルに対する反抗心から、薬をちゃんと飲んでいなかったし、食事も適当で、滋養のあるものを取っているとは言い難かった。

 二日か三日に一度、ジャガイモを数個、食べるだけ。母星で、一日なにも食べない日もあったというピエトの食生活は、ひどいものだった。それを、L7系の一般人と同じレベルの食生活にしただけだ。


 ルナはレトルトだってつかうし、外食だって行く。管理栄養士とはちがって、完璧ではなかった。それでも、ピエトのいままでの食生活とは、格段に違った。

 ピエトのアバド病は、最初から、医者に、「ちゃんと栄養を取って、薬を飲めば治る」と言われていたものだ。そのとおりにしただけで、変わったことはしていない。


 カレンも、たしかに毎日、ルナの愛情がたっぷりこもった、栄養バランスのいい食事はとっていたと思う。けれども、バランスのいい食事だけですべての病気が治るのなら、この世界に医者はいらなくなるし、難病もない。


「なんか――ひっかかるのです」

『それは、おまえがまだ真実に到達していないからだ』


 意味深な言葉を残して、イシュメルは消えた。


(真実?)


 ルナはその日、また夢を見た。

 遊園地で、子グマの鳥かごを持って、大グマに追いかけられる夢を。

 ルナは子グマの鳥かごを持って、必死に逃げる。

 大グマが、ルナを捕まえようと迫ってくる。


『さあ、わたしの息子をかえせ!』


 ルナは、ふたたび飛び起きた。


「……ママ? どうしました?」


 ダニエルまで起こしてしまった。ルナは今夜、ダニエルの、はにかみながらのおねだりに負けて、一緒のベッドで眠っていた。

 時刻は、深夜を回ったばかりだ。


 ルナは、「なんでもないよ」と言ってダニエルを寝かしつけ――そして、決意した。

 もう、迷うのは、やめた。


 納得はいかずとも、ダニエルが元気になったのは事実だ。

 どんなに考えようが、分からなかろうが、ダニエルが屋敷にいるのは、あとひとつきだけ。


(あたしにできることを、してみよう)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ