38話 もしものおはなし 1
「キラがK16区って、さびしくないかな。あたしらK37区でしょ。せっかく一緒に来たのに地区バラバラって。来るまで分からなかったけどさ」
ルナははっとした。めのまえにいるのはミシェルだ。
ここは、どこだろう。
ルナが座っているのは、ネオンがチカチカ、視界を素通りしていく――クラブのボックス席だった。
カクテルグラスがふたつ、テーブルに置かれていて、ミシェルも自分も、キャミソールワンピースを着て革のコート。ミシェルの顔が暗がりで、ほとんど見えない。
ネオンの光彩が眩しすぎる。ものすごい音量で流れ続ける音楽。
ルナはクラブに行ったことはないが、ここはクラブだとなぜか思った。リサやキラはよく行くが、ルナとミシェルはこういう場所は苦手なたちだから、行ったことはない。
どうしてこんなところにいるのだろう。
たくさんの男女がひしめき合って向こうで踊っている。派手なたくさんの若者たち。
普通のファッションや、髪型が逆にめずらしいくらい。ルナたちなんて地味な方だった。
キラがいた方が、違和感がないだろう。
ルナの目に入るのは、タトゥの乱舞に濃い化粧、カラフルな髪の色。トゲトゲだらけのアクセサリーにスカルの模様がついたジャケット、派手なピアスにボロボロのアンティーク・ファッション、パステルカラーの、アニメから飛び出してきたようなファンタジックな装い、はたまたゴシックか――エトセトラ。
「……あ。ごめん。聞こえなかった、なに?」
「出よっかここ。さっきからうるさくって、話もまともにできやしない」
ミシェルが顔をしかめて怒鳴った。どうして、こんなところに入ったんだろう。ミシェルとルナ二人では、おそらく入るはずのない場所だ。
「やっぱり、ちょっと遠いけど、K27区の、マタドール・カフェに行こうよ。あそこのほうがいいよ!」
「そうだね!」
叫ばないと、互いの声も聞こえない。
「K37区って、飲み屋は居酒屋かクラブばっかりなのかな。たしかにおもしろいカクテルばっかだったけど、おいしさではマタドール・カフェに負けるよね」
この会話は寄り添って小声。
ルナはなんとなくわかりかけてきた。
時の館のドアは開けなかったが、これは「もしものおはなし」だ。
(これは、もしかして、あたしにチケットがきて、ミシェルと来たパターンの――)
ルナはキョロキョロとあたりを見回した。
(あたしたち、どうしてこんなところに?)
ここはどこだろう。雑誌かSNSで、おもしろいカクテルがある店とでも紹介されていたんだろうか。でなければ、たぶんクラブなんて、ミシェルと二人だけのときは絶対行かないから。
(あたしにチケットが来てミシェルと乗ったときは、K37区に住むんだ)
ルナがぼんやり考えている間に、カクテルを飲み干したミシェルが席を立ち、さっさと出口に向かおうとする。ルナはあわてて立った。
「あれ? もう帰っちゃうの?」
帰ろうとしたふたりのまえに、三人の男が立ちはだかった。知らない顔だ。
「うお、マジ美人じゃん」
「だろ? 俺、このあいだから目つけてたんだ」
「な、俺こっちの子イイ?」
スキンヘッドの、頭中央だけに真っ青な髪が辛うじて残った、前衛的すぎる髪型の眉毛のない男が、いきなりルナの肩を抱き寄せた。無遠慮に触られ、ルナは思わず突き飛ばしたが、男の腕は多少揺らいだだけで離れない。
「いいよ。俺らじゃあ、こっちの子な」
顔じゅうピアスだらけのふたりがミシェルの肩を抱く。
「なにすんのよ!」
ミシェルが騒ぐが、この騒音ではまるで意味をなさない。
「離すのです!」
ルナは無理やり男の腕をはぐと、ミシェルを連れて行こうとする男につかみかかった。
「うるせえなあ」
突き飛ばされ、ルナはよろけた。
「あっちいこ。踊ろうぜ」
ミシェルが無理やり連れて行かれる。ミシェルの声に、周りの人間がちょっと振り返るが、無関心だ。何事もなかったかのようにすぐ友人や恋人の方に向いてしまう。
「……ルナ!」
ミシェルが今にも泣きそうな顔だ。
「あんたはこっち」
スキンヘッドの変な男がルナを引っ張る。
「噛みますよ!」
ルナは肘で男を突き飛ばした。ルナがこんなに気が強いとは思わなかったのか、男はちょっとひるんだ。背ばかりひょろっと高くて、力はなさそう。
しばらくアズラエルみたいなマッチョしか見てなかったから、こんなペラペラのクレープ生地みたいなやつ、怖くない。
(どうしよう。ミシェルが連れていかれた)
「役所に通報しますよ!」
ルナは睨んだが、男は「はァ?」と間抜けな声を出した。
「バカじゃねえの。ケーサツのまちがいだろ?」
バカはおまえだ。ルナは驚いた。
役所に通報されれば、船を降ろされるということが、わかっていないのだろうか。
ルナは泣きそうになった。L系惑星群の共通語が通じないサルがいる。顔まで寄せてくる。やめてくれ、殴ってもいいですか。
従業員を捜したが、見当たらない。叫ぼうか。
ルナがせめて足を踏もうと、足に力を込めたとき。
天の助けは、ルナに覆いかぶさろうとしている男よりも、頭上から降ってきた。
「お客様になにしてんだ」
恐ろしくドスのきいた、低い声だった。前衛的な男は、振りむいてその男を見たとたんに、あからさまに目を丸くし――すっかり酔いがさめた顔で、あわてて逃げだした。
――グレンだ。
Tシャツ姿にジーンズの、ラフな服装だけど、威圧感丸出しのグレン。
グレンの顔を見たとたん、ルナは急にホッとして、泣きだしそうになった。
また、助けられてしまった。
「だいじょうぶですか」
グレンがルナの無事を確認するように声をかけてきた。
「あっ、はい」
ルナはよれかかったキャミソールを直した。まだ心臓がバクバクしている気がする。
これは夢だ。夢だけれども。
グレンはルナに聞いた。優しい声で。
「この店初めて?」
「え? あ、はい」
「ここはああいうナンパが多いから、変なのにつかまったらすぐ声をかけて。このTシャツ着てるヤツが、この店の私服警備員だから」
「――え、あ、」
グレンは、ピンクでパンクな店の名前が入った黒Tシャツを着ていた。
店の名前は、「ルシアン」。
「あ、はい!」
「じゃ、楽しんで」
そのまま背を向けてダンスフロアに向かおうとするグレンを、ルナはあわてて呼び止めた。
「あのっ、すっ、すみ、すみま、」
グレンが振り返る。
「えっと、……ミシェ、ミシェル!」
「どうしました?」
「あっ、あたしのともだちが、さっきの前衛的なやつの仲間に連れてかれて……!」
「前衛的!」
グレンが吹きだした。
「あんたおもしろいこと言うな。……どっちに行った?」
「え?」
「連れていかれたって、どっちに行った?」
ルナはダンスホールの方を見た。目を凝らして探すが、見つからない。どうしよう、外に連れ出されでもしていたら。
「茶色いショートヘアの、あたしと同じワンピ、色違いで――あと革コート……」
ルナは泣きそうになって目をさまよわせたが、見つけられない。集団より頭ひとつ背の高いグレンが先に見つけた。
「あの子?」
グレンが指す方を見ると、ミシェルはいた。まだ店内に。人ごみの中、二人の男に揉みくちゃにされて、泣きそうになっている。
「ミシェル……!」
「ここにいて」
ルナの肯定の合図で、グレンは人ごみを容赦なくかき分け、ミシェルを救出してくれた。
ふたりの男は、グレンのひと睨みで、やっぱり逃げるように立ち去った。
外に出て、やっとのことでミシェルとふたり、深呼吸し――顔を見合ったとたんにミシェルはルナに縋り付いて泣きだした。
「メッチャ気持ち悪かった……!」
あいつら人の体ベタベタ触ってきたし! サイアク! ほんとサイアク! とわめくミシェルの後ろに、グレンが追い付いてきて小さく頭を下げた。
「見つけるのが遅れて申し訳ありません」
完全に泣きべそをかいていたミシェルはハンカチで顔を拭き、
「い、いえ……だいじょうぶです」
「今通報しましたから。……病院、行かれます?」
ミシェルはあわてて首を振った。
「ケガとかはしてないんで――」
「よかった。タクシー呼びますから、気を付けて帰ってください」
またにっこりと、愛想笑い。ちょっぴりミシェルが赤面した。
それを見てルナは口を開けた。
ルナは驚いたけれども、マタドール・カフェでチンピラを撃退したグレンは殺し屋みたいだったが、それにくらべたら、こっちのグレンは、頼りがいのある、カッコいいイケてるメンズでしかないので、ミシェルの反応も無理もないかもしれなかった。
ミシェルはあまり男の人をカッコイイといわないタイプなので、(じつはクラウドのこともカッコイイといったことはない)ので、これはレアケースだ! とルナは驚いていたのだが。
(あれ? たしか、ミシェルとくるパターンだと、あたし、グレンとスピード婚……?)
この様子だと、ミシェルと付き合いそうなんだけれども。
修羅場はいやだ。
(おや?)
しかしグレンは、さっさとルナたちを置いて店に戻ろうとした。
(……ナンパ、してこない?)
「おっさん。……やってくれんじゃねえか」
おっさん?
耳障りの悪い声がしたかと思ったら、さっきの前衛的な男と、ミシェルを引っ張っていった男二人に、さらに知らないヤツが三人加わって――仲良くおそろいのナイフを持って立っていた。
前衛的な髪形は二人に増えていた。なんだか緑の髪が芝生のようにイニシャル型に刈られていたし、もうひとりは、髪の毛の赤い角が生えて恐竜のようだった。
彼らは、ルナたちではなくグレンに声をかけていた。でもグレンは、自分だと思わなかったようで、無視して道路を渡ろうとしている――。
「ちょ、待てよ!!」
焦った声で恐竜が叫んだ。グレンがやっと振り返る。
「どうかなさいましたかお客様」
棒読み。そういってちらりと道路の向こうを見たので、ルナとミシェルは察した。
あれは、「早くパトカーかタクシーか、役所の車がこないかな」と思っている顔だと。
十代のヤンキーどもは、グレンがビビらないのが不満そうだった。
たしかに、三人が連れてきた仲間のなかで、コンバットナイフをもった茶髪の、革ジャンを着た男はそれとなく強そうだった。グレンより大きいかもしれない。
しかし。
さっきのルナにまとわりついた前衛的なヤツといい、こいつらがそろってバカなのは、ルナにもよく分かった。この宇宙船内でもめごとを起こしたらソッコク退場、という決まりすら知らないのだ。
「たしかに、この宇宙船に乗るのに試験はなかったけどさ」
ミシェルがボソッとつぶやいた。
「もう少しで役員が到着しますのでお待ちください」
グレンの棒読みに、ヤンキーどもはサルみたいにキィキィ唸った。
「てめえ! こっちは六人だぞ! ビビってんじゃねえよ!」
ミシェルを連れて行ったひとりが、グレンに向かって叫んだが、自分たちを勇気づけている言葉にも聞こえる。
「俺がやってやるよ」
素肌に革ジャン一枚のマッチョが前に進み出た。余裕たっぷりにナイフを見せつけながら。
「お願いします! L62の青少年大会優勝のボクサーのすごさ、見せてやってくださいよ!」
仲間のだれかが応援する。それは不必要な紹介だった。
「ほぶ!!」
ミシェルとルナはほぼ同時に吹いた。グレンの顔もヒクついた。あれは笑うのを堪えている顔だ。
ボクサーなのに、なんでナイフなんだろう。
ミシェルが小声でぼやいた。ルナも突っ込みたかったが、先に言われてしまったのであきらめた。
しかし、笑っている場合ではなかった。
「これはたいへんだ」
ルナは思わず手を口で覆った。
すでに知っている――グレンはハチャメチャに強いのだ。
グレンは道路を渡りたそうな顔で、顔だけこちらに向けている。ルナたちを気にかけていることは分かった。酔っ払いヤンキーは集団で、しかも武器を持っているわけだし。まもなく警察かタクシーが来るけども、まだ来ないわけだし。
とりあえずこれは夢なので、ほんとうにケガをする心配はないけれども、ルナたちはここを去った方がいいのではないだろうか。巻き込まれないように。
「グレン、さん、あの、あたしたち、もう少し行った先でタクシーを拾うから――」
そう言いかけて、ふたたび口を手で覆った。
――そういえば、あたし、グレンの名前をまだ聞いてない。
案の定、グレンが不思議そうな顔でこっちを見た。
「俺、名前言ったっけ?」
ルナはあわてて、首を何度も縦に振った。グレンが首をかしげているが、革ジャンが、グレンがルナに体を向けたスキに、ナイフを振りかざしてグレンに迫った。
「あぶな……っ!」
ミシェルが叫びかけたとき、フッと熱い熱風のようなものがルナの鼻先をかすめた。
それがなんなのか、ルナにはだいぶ経ってから分かった。グレンが身をひるがえして、ものすごいスピードと重力で、右ストレートを男に食らわせていたのだ。
ルナにも見えなかったし、脇役たちにも見えなかっただろう。なにかがぐしゃっとつぶれる音がして、彼はずいぶん遠くはるか――仲間を越えて、クラブの向かいのカフェの看板を倒して壁に頭と背を激突させた。
吹っ飛ばされた。三メートルは軽く。
グレンの「しまった」という顔。
青少年大会優勝のボクサーは、ぴくりとも動かない。ルナは間抜けな声を上げそうになった。濡れた地面に伸びている男は、顎が砕けて顔が変形していた。
「ああ、やっちまった……」
グレンはだいぶ不本意な顔をしていた。殴るつもりはなかった、という顔だ。
「グレンさん強い!!」
ミシェルの歓声。野次馬の中からも口笛が上がった。
男の仲間たちは、青ざめるものとわめくものとに分かれた。逃げだしかけた一人は、わめくだれかに引っ張られて転びそうになっている。
タクシーも警察も役員も、まだ来ない。ヤンキーたちは壮絶に仲間割れをしている。
「バカ野郎! アイツ軍人じゃねえか! だれだよただのおっさんだって言ったヤツ!」
「……はァ? 軍人?」
「よく見ろよ! ドッグタグつけてんじゃねえか!!」
「俺、K34区のバーで見たことある」
「先に言えよ! だからてめえは、」
「役所がなんだよ。ケイサツだろ?」
「バカかてめえ! 役所に通報されたら宇宙船降ろされんだよ! そんなことも知らねえのかバカ!」
「俺巻き添え食うのゴメンだからな!」
ルナは、ものすごい仲間割れに唖然としていたが、彼らが言い争いに夢中になっているうちに、やっと警察が到着した。
六人はひとりも残らず連行されていった。のびた青少年大会(以下略)は救急車で。




