308話 かごの中の子グマ Ⅲ 2
――ルナはその夜、また夢を見た。
大グマと、子グマの夢を。
(そもそも、なのです)
翌日、ルナは、広く長い階段に、ちこたんと一緒にモップをかけながら、夢の内容を復習していた。
夢の中の大グマはムスタファで、子グマはダニエル。そして、お薬をのませている黒ヤギがイーヴォ執事だろう。
ルナは夢の中で、このままでは、子グマの病気は治らないと思って、鳥かごごと持って逃げようとする。
すると、大グマが怒るわけだ。息子を奪うな、と。
全体をまとめると、こんな感じである。
子グマの周りには、おもちゃやら、お菓子やらがおいてあるが、子グマは見向きもしなくて――。
(ふむ)
ルナは、モップの柄に顎を乗せて、座った目をした。
雰囲気的には、フローレンスと似た状況だ。フローレンスも、ダニエルも、おもちゃやお菓子に囲まれているが、それらを見向きもしない。そして、親に甘やかされている環境――。
鳥かごに入れられて、置かれている環境が、まさにそのままだ。
(でも、ダニエルは仕方ないよね。病気なんだから)
甘やかされているから、治らない?
そんな簡単な問題ではない気がした。ダニエルはれっきとしたなにかの病気で、あれではつらいだろう。
いつも、高熱を出し、寝ていなくてはならない。
遊びたい盛りの子どもが。
おそらく、好きなおもちゃで遊ぶことも、お菓子をたっぷり、食べることもできはしないのだ。めのまえに、あふれんばかりのそれらがある環境で。
(……)
アズラエルから聞いた話によると、ダニエルの母親は、ダニエルを産んだあと、ムスタファと離婚して、本人はリリザで悠々自適の生活をしているらしい。どうも、金目当てで結婚したという話だ。
ほんとうかどうかは分からない。
すくなくとも、ダニエルは、母親に、一度もあったことがない。
ムスタファは息子を溺愛しているが、多忙な父親だ。
ダニエルはさみしいだろう。
いつも寝たきりで、イーヴォ執事くらいしか、話し相手はいない。
でも、ムスタファも、ダニエルを放っているというわけではないらしい。それどころか、息子を本当に心配し、気にかけていて、毎日、どんな多忙なときでも必ず一度は、ダニエルと話をする時間をつくる。
それに、ダニエルの病気を治すために願掛けをしていて、彼の病気が治るまでは息子ひとすじ――再婚はしないと決めている。
恋人はいることもあるらしいが、ダニエルを思って、結婚はしないらしい。
(う~ん?)
そもそも、あの夢は、なにを示唆しているのか。
(うさこは、あたしに、なにをしてほしいのかな?)
ルナが助ける人物の中に、たしかに「かごの中の子グマ」のカードはあった。
(だめだ。さっぱりわかんない。うさこに聞こう)
ルナは大急ぎで階段にモップをかけ、掃除をし終わると、部屋にこもった。そして、ZOOカードに向き合った。
「う、さ、こ」
ルナは呼んでみたが、うさこは出てこなかった。どのうさこもだ。ピンクも黒も、白もチョコレート色も出てこなかった。
「……」
ルナのほっぺたは、たちどころに膨らんだが、ルナのほっぺたのふくらみ次第でうさこたちが出てくるのならば、苦労はない。
だれかが、ルナの部屋のドアをノックした。
「ルナ。お茶でもしないかね」
「行く」
ルナはエーリヒの誘いに、カンタンに乗った。
「最近は、ルナちゃんがぜんぜん相談してくれないから、俺たちはお役ごめんだと思ってたんだよ」
クラウドはつまらなそうに言った。
「そういうわけじゃないの」
ルナはホットチョコレートを手にして、ため息交じりに言った。
「あたしもね、じぶんで考えなきゃいけないって、うさこにゆわれたの。だから考えてるの。でもわかんないときがある」
ルナとクラウド、エーリヒとセルゲイの四人で、マタドール・カフェに来ていた。レオナとセシルは二人でお出かけ。
最近は、四人でここに来ることが、気分転換の日課だ。
「今度は、ダニーのこと?」
セルゲイが聞いた。
「あの子はいい子そうで、よかったよ」
13歳の女の子に、恋の駆け引き相手にされたセルゲイは、肩をすくめて過去を振り払った。カレンが聞いたら、大笑いするに違いない。
「セルゲイ、君はダニエルの病気をどう見るかね」
「どうって、言われてもなァ……」
エーリヒに問われたセルゲイは、自分が担当医なわけではないし、と困り顔をした。
「病弱、の域を超えてることだけは分かる。子どもは病気がちなものだけど、やっぱり、なにか大きな病気が潜んでいるのではないかな。先天的に、疾患があるとか」
「でも、原因不明なんだろ?」
クラウドは言った。
「ムスタファの権力で、あらゆる医者に診てもらってもダメだった――カレンと同じパターンだ」
「だが、カレン嬢と違うところは、ダニエルの病はまったくもって、“原因不明”だということだ」
「そうだね。カレンの場合は、アバド病だということは分かっていたわけだ。治らないだけで」
おとなたちは、しばらく黙った。やがて、セルゲイが、ひとりチョコをもふっていたルナに言った。
「ルナちゃん」
ルナのうさ耳が、ぴょこたん、と立った。
「……あまり、ダニエルには、かまわないほうがいいんじゃない?」
セルゲイにしては、薄情な意見だった。
「ど、どうして?」
「カレンと同じパターンで行くと――というより、ピエトと同じと考えると、ルナちゃんは、ダニエルのためにご飯を作ってあげたり、生活を守ってあげることになるんじゃないかな。規則正しい生活をさせたり――ほら、ピエトを引き取ったときのように」
ダニエルと一緒に暮らしながら、とセルゲイは言った。
「……!」
「なるほど」
クラウドもうなずいた。
「ピエトのアバド病も、カレンも、極論だが、それで完治した――ダニエルもそのパターンで治す、ということになると――ムスタファは、けっこうダニエルを溺愛してる。ダニエルがルナちゃんに懐いて――もしかして、ムスタファが、ダニエルを奪われた、と思ってしまうことになるかも?」
「夢は、それを警告しているのかね」
エーリヒの問いには、セルゲイが答えた。
「もしかしたら、ってことさ」
ルナは考えた。
セルゲイやクラウドの言うことも、もっともである気はするし――ちがう気もした。
今度ばかりは、なぜかルナは、まったくそんな気になれないのだった。
そんな気とは――「ダニエルの、病気を治そう」という気に、である。
以前、ピエトを引き取ろうとしたときのように、すぐさま、ダニエルのお世話をしよう! という気にはなれないのだった。
それは、なぜなのかわからない。
ダニエルには、ルナが口を挟む環境はまったくないことも理由だろうが――ダニエルは孤児ではないし、なんでもしてあげられるお金持ちの父親がいて、執事までいる。
あんなに小さな子が、寝たきり状態なのもかわいそうだと思うし――なんとかできるものならしてあげたいが――。
(病気?)
ルナはちいさな頭を抱えて考えたのだが、わからないのだった。
(なんだか、べつのところに、問題がある気がする)
これは直感だから、どうも説明がつかないのだった。
ルナたちがマタドール・カフェから帰ってくると、驚くべき事態が発生していた。
ムスタファが、ダニエルとともに、屋敷にいたのだ。もちろん、執事のイーヴォも。
「どうしたんですか」
ムスタファ自ら、屋敷に来るなんて――。
クラウドも驚いて聞いた。
「突然お邪魔して、すまないな」
ムスタファは微笑んだ。
ヘレンと一緒にコーヒーを運んだバーガスも、まったく驚いたというように、両手を広げていた。
「先日は、息子がご馳走になった」
ムスタファは、ルナに礼を言った。
「い、いいえ――たいしたものではないです」
ルナが慌てて言うと、
「オムライス、とてもおいしかったです!」
ダニエルの声は、今までとは比べ物にならないほど、張りがあるように聞こえた。そんなダニエルを、ムスタファを愛おしげに見つめ、頭を撫でた。
「イーヴォの話では、まったく残さずに、食べきったと」
「はい、そうなのです、旦那さま」
イーヴォは、深々とうなずいた。
「この子は、いつも、そんなに食えんのだよ。パンひとかけらすら、食べきれんときもあるのだ」
ムスタファは、感極まったように言い、ルナを――困惑させた。




