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キヴォトス  作者: ととこなつ
第七部 ~かごの中の子グマ篇~
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307話 わがままな黄ヘビ Ⅱ 3


「アンナ」


 ルーシーは、彼らの謝罪も、フローレンスの八つ当たりも、必要ないという態度で、だれかの名を呼んだ。


 “アンナ”は、ルナたちのソファの真後ろに座していた。

 ZOOカードを展開させて――。


 彼女の眼前には、バチバチと電光を発する、「わがままな黄ヘビ」のカードがある。


「“封印(セリャド)”」


 アンナがつぶやくと、カードの雷は消え――動く絵柄は停止した。とたんに、黄ヘビの周囲から、おもちゃや服、アクセサリーはなくなった。


 それだけではない。黄ヘビは、ただの黄ヘビになった。


 周囲から品物が消えただけではなく、ヘビが着ているドレスもリボンも、アクセサリーも、完全に消えた。背景も消えた。


 真っ白なカードの中に、ぽつんと、ただの黄色いヘビがたたずんでいる。


「“赤子(ベベ)”」


 アンナは、カードに向かって、最終宣告を告げた。

 紫と白金が混ざった光がカードを包み込み――黄ヘビのすべては、リセットされた。

 なにも持たない、「赤子(ベベ)」の時期まで――。


 ――フローレンスは、急に、自分がなにも持っていないような気にさせられた。


 裸になった気分だ。

 彼女は慌てて、自分の様子を探ったが、裸にはなっていなかった。

 服は着ている、靴も履いている。お気に入りのリボンも着けている。


「フロー?」

 急に静かになった娘を、母親がいぶかしく思って、名を呼んだ。


 なぜか、心細さがこみ上げて来た。

 ホールのケーキをもらったのに、そのケーキがなんであるかも知らないうちに、いつのまにか、欠片(かけら)すら残さず消えた――そんな感じだ。


 でも、たしかに、ケーキはそこにあったのに。

 自分にはいつでも、うんざりするくらいのケーキが与えられ、好きなものを好きなだけ、選べたはずなのに。

 ケーキはない。なにもない。選ぶどころか、ケーキは欠片もないのだ。


 怒りすら込み上げてこない。

 腹の底に残ったのは、虚無感と、虚しさだけ。


 フローレンスは、自分が、とてもちっぽけな存在に感じられた。

 だって、自分は、なにひとつ持っていず――あまりにも心細いのだ。


「ママ……帰る」


 フローレンスは、母親に訴えた。

 彼らはまだ、謝罪の言葉すら口にしていない。

 

「帰るんだな」


 アロンゾが、葉巻の煙を吹きながら、低く告げた言葉に、父親の肩は大げさに跳ねた。


「お客様のお帰りだ」


 アイザックの声。


「お車をお呼びしますか」


 ミシェルが案内するまえに、スカルトン家族は、抜け殻になった娘を抱きかかえ――逃げ出すように最上階をあとにした。


「リカバリ、解除」


 “アンナ”こと、アンジェリカが指をパチリと鳴らすと、まず最初に、アズラエルが噎せた。


「うごっ! うぐほおっ! なんつうタバコ吸ってやがんだコイツ!!」


 アズラエルはアロンゾの葉巻の趣味に文句をつけた。高級葉巻らしいが、アズラエルの口にはまったくもって合わない。


「はあーっ。リカバリって、けっこうたいへんだな」


 ラスボス顔のパーヴェルから、ヘタレ顔のセルゲイにもどり、彼は過去の自分に変装するために着けていた口髭を、苦心して取った。


 グレンは煙草に火をつけ、「アイザックとは、共存していてもよさそうだな」と呑気に言ったが。


「……ルナちゃんに踏まれるのが好きだったのか。意外だな、グレン」

「え?」

 セルゲイに白い目で見られて、グレンが間抜けな声を上げた。

「踏まれ……?」

 

「でも、アンナの真似までする必要はなかったかも?」

 アンジェリカのまんまでよかったんじゃないかな? 


 すっかりルーシーが消えた、アホ面ウサギが首をかしげて言うと、アンジェリカは口をとがらせた。

 アンジェリカは、L03の衣装を着て、装飾品もまんべんなくつけてフル装備で今回の仕掛けに臨んだ。


「ええーいいじゃん! パーヴェルとアロンゾ、ルーシー、アイザックでそろったら、アンナでいかないと!」


 そこは、こだわりがあったらしい。アンジェリカは主張した。


「それより、ルナ! 報酬報酬!」

「うん! 特大マンゴーパフェ食べよーっ!!」

「おーっ!!」


 ネズミとウサギが、大歓声を上げた。


 ルーム・サービスが、運ばれてきた。

 まったく、ホテルの最上階スイート・ルームを貸し切って、特大マンゴーパフェを食べる機会などは、そうそうあるものではない。

 いろいろあったが、マンゴーパフェですべてが解決した。

 三十センチもあるような巨大グラスに盛られたマンゴーパフェをつつきながら、ルナはアンジェリカに、あらためて言った。


「アンジェ、いそがしいとこ、ほんとにごめんね」

「いいよ、だいじょうぶ! こんな楽しいことに呼んでくれなかったら、かえって恨むよ――それに、どっちにしろ、さっき占術をしたのは、あたしじゃなくて、“アンナ”だったから」

「じゃあ、やっぱり、うさこが“アンナ”のリカバリをしたんだ」


「そうみたいだ」

 アンジェリカは、自分の両手を見つめ、

「あたしは、“アンナ”をリカバリしといても、不自然はないみたい」


「ルーシー」たちが、このホテルのスイート・ルームでスカルトン家族を待ち構えたのは、決して謝罪を受けんがためではない。

 フローレンスに占術を施すためだったと――ルナたちが気づいたのは、すべてが終わってからだった。


 ともかくも、ルナたちは、リカバリされた「中身」の意志通りに動いた。

 というか、動かされた。


 怒りまくっていたルナはたいへんに文句を言ったのだが、

「あのホテルのマンゴーパフェはきっと美味しいよ」

 という「パーヴェル」のひとことによって、おとなしくなったという説がある。


 スカルトン家族が去るのを見届けたミシェルが、もどってきた。


「よお、ミシェル先生」

 アズラエルが高級葉巻の箱を、ミシェルに投げた。ミシェルは受け取り、

「おいおい、こいつ、けっこういい葉巻だぜ? ほんとにいらねえの」

「やるよ。胸焼けがする」


「ミシェル! 弁護士さん役、ほんとにありがとね!」

 ルナが叫び、ミシェルはネクタイを緩めつつ、「いいや」と笑った。

「気分良かったなァ、けっこう楽しかったよ。でもこれで、ルナちゃんたちが、宇宙船降りずにすむことになったってわけだ」

 ミシェルも、パフェを一口失敬した。生クリームとマンゴーの部分をたっぷりと。

「うん、イケる」


 ミシェルを弁護士役につかおうと言ったのは「パーヴェル」だった。

 ミシェルの「リカバリ」はなされなかったが、ミシェルの前世は、パーヴェルが懇意にしていた弁護士だったらしい。

 今回、ミシェルは案内役として「弁護士」を演じただけで、特に弁護士としての役割は必要なかった。


「しかし、千年前の会社が、あいつの会社を買収したなんて――いまだに信じられねえよ」


 ミシェルは両手を広げて、そう言った――セルゲイたちは、すべての顛末を、パーヴェルたちの記憶のよみがえりとともに、理解していた。


 ルーシーの死後、パーヴェルとビアードのよき相談役となったアンナは、ルーシーの殺害によって、長期間刑務所に入ることになったアロンゾともつながりを持った。


 ビアードとアロンゾは、晩年和解し、事業提携を結んだこともある。仲立ちをしたのがアンナだった。


 彼女は、生涯歴史の表舞台に出ることはなかったが、五十二通の、遺言書という名の予言書を残して、世を去った。


 おそらく、ウィルキンソン本社で、その予言書が開示された。


 ダロズ・システムズと、スカルトン航空が買収されたのは、おそらくアンナの指示だ。


 アンジェリカは、ZOOカードのほうを見ながら、言った。


「オチはまだ、ついてないよ」

「オチ?」

「アンナの残した予言書は、ウィルキンソン財閥にとって“いい話”なわけだから、きっとこれで、終わりじゃない。会社の買収は、ルナたちを助けるためでもあったかもしれないけど、それだけじゃないはずだ」


 ルナは、巨大なアイスの塊をやっとひとつ片付け――ふうとためいきをついた。

 セルゲイも、スプーンをパフェに突っ込んだ。


「まだ、ぜんぶ解決してないってこと?」


「そうだね――ともかくも、あのフローレンスって子を、月を眺める子ウサギは救済した」

「救済?」


 どう見ても、身ぐるみはがされたって感じだろ、とグレンは言ったが、アンジェリカは首を振った。


「彼女の父親は、ずいぶんな罪を重ねてる。たぶん、これから、長い裁判になるよ。両親は離婚。会社は社長の逮捕で崩壊――母親は親権を手放すだろうから、フローレンスは最悪、13歳の身空で、親の借金を背負って、人生を破壊されるところだった」


「――!?」

 ルナは、マンゴーをごっくんと丸のみした。


「ひとことでいうとそうだけど、かなり深刻だよ。細かく説明しようか? 最悪だよ? 彼女が今までしてきたことのツケを一気に払わされる。借金に、究極の貧乏暮らし、大病に、身売りに――やめとく?」


 ルナの顔色が悪くなっていくのを見て、アンジェリカはやめた。


「それが回避されたのさ――彼女の持つ“すべての財産”を失うことで。たしかに“身ぐるみはがされた”けど、一番金の動きが大きい二社が、さらにでかい会社に買収されることで、二社の社員たちは、本社の崩壊に巻き込まれて、路頭に迷わずに済む。フローレンスも、いま父親と離れることで、最悪のケースは免れるってこと。おまけに、まっさらの“赤子(ベベ)”の状態で、厳しいと評判の叔母のもとで再教育される――」


 アンジェリカは、真っ白な空間で膝を抱えている黄ヘビのカードを、箱にしまった。


「フローレンスは、最高にステキなレディになるのよ――これが、月を眺める子ウサギと、アンナからの伝言」


 ルナは、マンゴーを突き刺したスプーンを握りしめ、アンジェリカの言葉を聞いた。


 すべてが流れていくカードの中で、必死に助けを求めていた黄ヘビが、救済されたと思っていいのだろうか。


 両親は離婚してしまうだろうし、これからフローレンスにおとずれる運命は過酷だが、厳しく、肝の座った叔母のもとで、彼女は強く、気高く、ほんとうのレディになれるのだろうか。


 すべては、月を眺める子ウサギが知るのみだ。

 ルナは、ZOOカードボックスを見つめた。


 ルナにとって、今回の「舞台」の意味は、それだけではなかった。

 月を眺める子ウサギがセッティングした、この「舞台」――。


 きっと、千年前、パーヴェルとアロンゾと、アイザックと――四人で並んで座ることはなかったかもしれない。


 ルーシーを間に、さまざまな思惑が絡んだ関係の中で、協力し合うことなど決してなかった。


 ルーシーにとっても、不思議な空間だったにちがいない。


 ルナは、ルーシーの心が、不思議なあたたかさに満たされているのを感じた。


 ルーシーの心が、ちょっぴり癒されている気が、ルナにはした。


「もう! 食いきれないよ。ながめてないで、手伝ってよ!」


 アンジェリカが、男たちに催促した。セルゲイがさっきから一生懸命手伝っているが、まったくパフェは減らない。


「甘いものは苦手だ」

 敬遠するグレンに、アンジェリカの目がギラリと光った。

「甘党の連中をリカバリしようかな――捜すか」

「待て。食うから待て。リカバリはたくさんだ」


 ルナに踏まれる気はねえ、とあわててスプーンを手にするグレンの横で、ミシェルが笑い、アズラエルは屋敷に電話をかけていた。


「おい、シャインでこっち来れねえか――仕事は片付いたが、パフェが片付かねえんだ」

「甘っ!!」


 ひと口で弱音を吐いたグレンを小突き、アンジェリカが笑う。

 パフェと聞いて、大喜びで、甘党のセシルとレオナがかけつけるのに、数分とかからなかった。


 その日。

 ――すべてが終わり、ルナはひさしぶりに、おだやかな気持ちでベッドに入った。そして、眠りについたはずだった。




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