306話 わがままな黄ヘビ Ⅰ 3
その日、ミシェルもいっしょに夕食を囲み、空き部屋で寝泊まりしていった。
ルナがその夜見た夢は、大グマと子グマの夢ではなかった。
どうしてか、観覧車が出て来た。
いったいどうして観覧車なのか――ルナが不思議な思いで見ていると、やがて、ひとつのゴンドラがクローズアップされ、そこにいたのは、ブレアと月を眺める子ウサギだった。
ルナが再び見たのは、――ブレアが宇宙船を降りる前に見た、ブレアと月を眺める子ウサギとのやり取りだった。
あのときと、同じ夢。
ブレアが観覧車から出られなくなって、何度もスタートからやり直す。月を眺める子ウサギとともに絵を描いているうちに、やっと最後まで乗ることができた、あの夢。
(……?)
なぜ今、こんな夢を?
ルナは、目覚めてもしばらく考えていたが、まるで意味は分からなかった。
朝食をすませたあと、ルナはZOOカードを持ち出したのだが、頭の中は大混乱だった。
(リサがミシェルと別れて……あたしたちは、あと一週間で宇宙船を出て行かなきゃいけない?)
カザマは、「ぜったいにそうはさせませんから」と念を押していたが、ほんとうにどうにかなるのか。
あらゆることが、ルナの知らないところで話が進んで、頭がおかしくなりそうだった。
(落ち着くの)
ルナは泣きだしそうだったが、ぐっとこらえた。
そもそも、なぜ今朝、ブレアの夢を見たのか。
(フローちゃんも、観覧車に乗せろってことなの?)
どうもピンと来ない。ルナは考えた。必死に考えた。
――ブレアのカードは「ぐるぐる回る子ネコ」だった。
どうして、ぐるぐる回っていたのだっけ?
ルナがZOOカードのほうを見ると、一枚のカードが飛び出してきていた。
「これは……」
フローレンスのカードである、「わがままな黄ヘビ」のカード。
カードは、なぜかバチバチと雷に包まれている。ルナがこのあいだ見たときと同様、彼女の周りを流れるように、服やアクセサリーが過ぎて行って――。
ジャータカの黒ウサギは、なんといった?
『こういうのを、幸運の垂れ流しっていうのよね』
このカードの黄ヘビは、「飽き飽きした」目で周囲の様子を眺めているのではない。
――もしも、途方に暮れているのだとしたら?
流れるように消えていく“幸運”。
服もおもちゃもアクセサリーも、欲しいものは何でも手に入る。自分が邪魔だと思う人間すら、彼女はたちどころによそへやれる。
彼女に、叶わない願いはない。
けれども、幸運は無限にあるものではない。彼女のわがままによって、彼女が持ち合わせた幸運は流れるように消えていく。
だれも止めてくれるひとはいない。
両親ですら、彼女のわがままを増幅させるだけ。
このままでは幸運はあっけなく尽き、彼女は――。
(ジェットコースターだ)
ルナはようやく分かった。
フローレンスは、観覧車ではなくジェットコースター。
カードの中の黄ヘビが、ルナに向かって泣いているのに気付いた。バチバチと鳴る雷のなか、黄ヘビは訴えるように、ルナになにか、叫んでいる気がした。
よく見ていると、いかづちの中で、点滅するように、黄ヘビのカードが変わる。
ルナは何回か見て、やっと文字を理解した。
「社交界の華やかな黄ヘビ」。
――おそらくこのままでは、フローレンスはカードが変わることもなく、寿命が尽きるかもしれない。
(ピエトは導きの子ウサギ。あの子が導いてきたんだ)
黄ヘビのたましいが、助けを求めているのだ。
ルナがそこまで思ったとき、ZOOカードから、うさこが――月を眺める子ウサギが、ぴょこん! と飛び出した。
「リカバリ Ⅱ アロンゾ、パーヴェル、アイザック」
ルナがなにか言う前に、銀色の光がルナを包み込み――月を眺める子ウサギは、月のステッキを振り回しながら叫んだ。
「リカバリ Ⅰ アンナ・H・ラマカーン」
銀色の光が、方々に飛んでいく。あまりのまぶしさにルナは目を瞑った――まぶたの裏に残った光も落ち着いたとき、ルナが目を開けると、月を眺める子ウサギはいなかった。
「わがままな黄ヘビ」のカードも、姿を消していた。
「……」
ルナが呆然とZOOカードボックスを見つめていると、階下で、インターフォンが鳴る音が聞こえた。
ルナが慌てて、三階の廊下から見下ろすと、玄関にはフローレンスがいた。
ドアを開けたのは、セシルだった。青ざめているセシルを見下すように、なんのあいさつもなく入ってきたフローレンスは、胸をそらして宣言した。
「よくわかったでしょう! わたしの怖さを!」
ピエトたちが学校に行く前の時間帯である。広間には、ほとんどの大人がいた――ピエトが拳を震わせ、
「やっぱりてめえのしわざだったのか……!」
怒鳴ると、フローレンスは、しかめ面をした。
「このあたしが、原住民と食事をしていたなんて、思い出すだけでも汚らわしいわ!」
フローレンスは、ピエトが原住民だということは、知らなかったようだ。
今回のことで、父親あたりに知らされたのだろうが――。
寄らないでちょうだい! と拒絶するフローレンスに、耐えかねたネイシャが、「てめえっ!」と殴りかかりそうになり、セシルがあわてて止めた。
「まあ! ほんとに傭兵って、野蛮ね。いやらしいわ、わたしを殴ったら、刑務所行きですからねっ!!」
フローレンスは、ハンカチを口に当て、微笑んだ。
「さんざん、勝手に、引っ掻き回していったのは、てめえじゃねえかよ!」
ネイシャは叫び、フローレンスは、
「あたしをそんな、下品な呼び方をしないで! 耐えていたのはこっちよ!」
と叫んだ。
「お嬢さん」
レオナのこめかみは、今にもはちきれそうだった。
「あまり、図に乗るんじゃないよ……っ!!」
どんな怒りも、フローレンスには効かなかった。彼女は興ざめしたように、
「けっこうしぶとい方々ね! いつもはこれだけすれば、申し訳ないって、宇宙船を降ろさないでくださいって、土下座くらいするものよ」
みんな、這いつくばって、みっともないったらありゃしない。
プライドとか、ないのかしら。
冷笑するフローレンスに、さすがのセルゲイも、眉をしかめた。
「――君は、いままで、そうやって何人もの人を、自分のわがままで、この宇宙船から、降ろしてきたの?」
「わがまま?」
フローレンスは、聞き返した。
「わがまま? どっちがわがままなの? そっちでしょ、あたしの言うことを聞かないんだから」
それ以上、達者なフローレンスの口上も――だれかが彼女に飛びかかることも――なかった。それを止めるかのように。
すさまじい雷鳴が、とどろいたのだ。
その音は、あまりにすさまじく、屋敷の窓すべてを、ビリビリと震わせた。
「キャー!!」
けたたましく悲鳴をあげたのはフローレンスだけで――しかし、突然空を覆いつくした黒雲と、本降りになりはじめた雨――だれもが、一瞬怒りを忘れて外を見た。
そして、セルゲイを見た。
「わ、私じゃない」
セルゲイは焦って言ったが、ほんとうに、セルゲイではなかった。
夜の神の気配はなかった。
「もういいわ! 雨も降ってきたから、帰ります!」
フローレンスは、耳をふさいで悲鳴をあげたのをごまかすように、「帰るわよっ!」と外に叫んだ。今日は、執事つきのリムジンで来たようだ――「濡れるじゃない! バカね、傘を寄こしなさいよっ!!」と執事に怒鳴っている彼女の声。彼女の怒声に呼応するように、また空が光った。ついで、轟音。
「きゃあっ! なによこの雷! 気象部はなにをしているのよ!」
自動車のドアが開き、閉まる音。
「このあいだは停電になるし、ろくな宇宙船じゃないわ!」
彼女の悪態が、雷の音にも負けずに聞こえてくる。皆は、嵐という名の来訪を、呆然と見送った。
「なんて――ガキだよ」
バーガスの呆れ声がぽつりとこぼされ、レオナの怒りがふたたび沸騰しようとしたそのとき。
皆は、なぜか、自然と、――雷の正体を知った。
だれかに、知らされたわけではない。
だが、唐突に、原因は分かったのだ。
大広間の入り口に、ルナが立っていた。
エプロンの端を両手で引っつかみ、ほっぺたは、極限までふくらんでいた。怒りのあまり、顔は真っ赤になり――だれもが「戦慄」するほど、目が、座っていた。
「わるいこ」
ルナのひとことともに、また、すさまじい雷が、打ち付けられた。
ルナのZOOカードボックスから、月を眺める子ウサギが飛び出し、いっせいにリカバリを終えたとき。
L系惑星群中央区、L55のウィルキンソン財閥本社ビル会議室では、重役会議が行われていた。重役会議の中でも、特別な会議である。
「では、本日L歴1416年2月27日午前7時06分52秒――アンナ・H・ラマカーン予言師の、第27通目の遺言書を開示します」
ウィルキンソン財閥創成期に、偉大なる始祖パーヴェルのもとで活躍した予言師、アンナ・H・ラマカーンの「遺言書」は、ただの遺言書ではない。
「予言書」であった。
彼女のそれは、いままで、何度となく、ウィルキンソン財閥を救ってきた。
財閥や、関連会社が危機に陥ったとき、アンナはいつでも助けてくれた。
彼女の遺言どおりに決議すると、すべてがうまくいくのだった。
「遺言書」という名の予言の書――五十二枚は、何年の何月何日、何時何分にひらくように、それぞれ、日づけまで決められている。
今日は、その27通目をひらく日なのだ。
「では、開示します――」
重役たちが息をのむなか、遺言書は開かれた。
弁護士は、読みあげる。
「ウィルキンソン財閥で、“ダロズ・システムズ”を買収。ヴォバール財団に依頼し、“ヒューストン航空”を、買収。名義は“セプテントリオ”で。以上」
「では、そのとおりに」
代表の、サクラ・B・ウィルキンソンは、即座に決定した。だれからも、反対意見は上がらない。そもそも、アンナの予言書に対する反対意見は必要ない。
まったく意味不明なことが書かれていても、アンナの予言にしたがって行ったことは、会社にとって、よくなかったことはない。
「閉会」
重役たちは、席を立った。




