305話 かごの中の子グマ Ⅱ 2
黒ウサギが出したカードに、ルナは仰天した。
「えええええっ!?」
腰を抜かすほか、なかった。ピエトの運命の相手にも、――それから、ピエトが進む道にも。
ルナは、あんまり驚いて、言葉を失った。
『びっくりしただろうけど、これは必ず、このとおりになるというのではないわ』
黒ウサギは言い含めた。
『この先、ピエトやネイシャが歩む道によっては、変化していく――運命は変わっていくのよ。かならずこの通りになるのではない』
「……」
『もちろん、ルナ、あなたが進む道も、ピエトの未来に関与してくるからね』
ルナはしばらく口をぽっかりあけたまま、微動だにしなかったが、やがてはっと我に返った。
「じゃ、じゃあ、ダニエル――ダニエル・M・バージャという子と、フローレンス・K・スカルトンという子のカードを――」
『わかったわ。じゃあ、ダニエルからね』
黒ウサギは、ふたたび両手をもふった。
「カゴの中の子グマ」のカードが出てくる。
ルナが夢の中で見た、やせ細って、さみしそうな顔で鳥かごのなかに座っている子グマ。鳥かごの外は、おもちゃやお菓子であふれているが、鳥かごにいる子グマは、おもちゃを手に取ることすらできないのだ。
けれども、ルナは気づいた。
セシルとネイシャのカードは、かつて呪いのために黒いもやに包まれていた。あれほど濃いもやではなかったが、「バラ色の蝶々」のカードも、アンがガンであるために、薄い黒もやに包まれていた。
ピエトが病気だったころ、ピエトのカードはもやに包まれてはいなかったはずだ。
ということは、ダニエルは――。
「……ダニエルくんの病気は、治るのかな」
治る病気は、もやがかかることはないのではないか。
ルナが聞くと、黒ウサギは言った。
『あの黒いもやは、“死神”といって、つまり、もやがかかりはじめると死期が近い――危ないということなの』
黒ウサギが左手を上に上げると、そこから、薄気味悪い笑い声がして、カマを持ったガイコツの亡霊が姿を現した。
『黒いもやの正体は、この“ラ・ムエルテ”』
黒ウサギは、黒板に書いて説明した。ルナがZOOカードの記録帳に書き写すと、今度は、アンのカードである、「バラ色の蝶々」も出してくれた。
「あっ! もやが薄くなってる!」
バラ色の蝶々のカードを覆っていたもやは、かなり薄くなっていた。目を凝らさなければ、見えないほどに。
『まだ油断はできないけど、もやが薄くなったということは、治る見込みがあるわね。死期は遠ざかったわ』
「よかった……!」
ルナは心底、そう思った。
『見て、ルナ。この死神、子グマのカードには、出てないでしょう?』
「……!」
黒ウサギは、子グマのカードに、ルナの視線をもどさせた。
『だから、この子はまだ治る余地があるのよ』
黒ウサギはカードを見つめて考えるしぐさをし、
『そもそも、この子は子グマだからね。タフだと思う』
「え?」
『病弱ではあるけど、クマなのよ。分かる? アダムやバーガスと同じクマ。だから、ウサギのピエトより、よほど精神的にも肉体的にもタフ』
ルナは、思いもかけない言葉に、カードをまじまじと見つめた。
ダニエルは、ルナが出会ったころのピエトより痩せて、枯れ木のようだ。彼が健康だったら、アダムやバーガスみたいに、大きなクマになる可能性はあるということだろうか。
「この子の未来の姿は、見える?」
『ちょっと待ってね』
黒ウサギは、『未来!』と叫んだが、カードはキラリと銀色の光を宿したまま、絵柄は変わらなかった。
『無理そう。見えないわ――ロックされてる。彼自身が、“未来”なんてないと、あきらめているのよ。病気だからかもね。長くは生きられないと思っている』
「……」
『でも、寿命はだいぶ長いし、病気は治る可能性があるわ。だからルナ、あなたのもとに導かれたんだと思う』
「ダニーの病気は、治るのね?」
『ええ』
黒ウサギは、ルナが言うまえに、縁のカードも出してくれた。
ダニエルとピエトの間は、ずいぶん太い友情の線で結ばれている。
『彼らも、一生の友になるわね。いい友人よ。ダニエルは、ピエトの道を開いてくれる道しるべとなる』
「そうかあ……」
ジャータカの黒ウサギはマリアンヌで、すなわちアンジェリカとともにZOOカードを生み出したひとだ。ずいぶんくわしく教えてくれるので、ルナは助かっていた。今度から、彼女を呼ぼうと、ルナは決意した。
『――で、今度は、彼女だけど』
黒ウサギは、フローレンスのカードを出した。
――「わがままな黄ヘビ」。
「わあ!」
ルナにとっては、これも初めて見るZOOカードだった。
なにせ、画像が動くのである。
黄色のちいさなヘビの周囲にあるおもちゃやお菓子、素敵なアクセサリーや服が、めまぐるしく変わっていく。それを、黄色のヘビは飽き飽きした目で眺めているのである。
ダニエルのカードと対照的にすら見えるのが、ルナには印象深かった。
『こういうの、幸運の垂れ流しっていうのよね』
黒ウサギは、あきれ顔でつぶやいた。
ピエトのカードとの間には、彼女の方から一方的に真っ赤な糸が伸びているが、ピエトには届いていない。つまり片思いだ。
黒ウサギはひとつ嘆息し、左手を挙げた。
すると、出ているすべてのカードを覆うように、意地の悪い顔をしたピエロの画像が大きく表示された。
『あら、困ったわ。“災厄”の象意が出てる』
黒ウサギは本格的に困り顔をした。
『この黄色のヘビちゃん、トラブルを引き起こすわ』
「ほんと!?」
『ええ――これだけ大きく出たってことは、けっこうあちこち巻き込んで、大ごとになるわね……』
黒ウサギは、左手を上げてみたり、右手を振ってみたりした。
『導きの子ウサギにはよくないご縁だわ――でもしかたないわ。なんでもかでも、いい縁ばかりじゃないし、でも――いま彼女が関わってくるというのは、“かごの中の子グマ”の救済に関して、必要なことなのだわ』
黒ウサギは、デサストレ、と黒板に書きながら、ひとりごとのようにつぶやいた。
『つまりは――そうよ。無駄なことは、ひとつもないのよ』
“かごの中の子グマ”――つまり、ダニエルの救済に必要?
ルナは、夢のことを思い出した。
ルナが二度も見たあの夢には、黄色のヘビは出てこなかったが――。
「あ、あのね、黒うさちゃん」
『どうしたの?』
「あたし、同じ夢を二回も見たの」
ルナは夢の内容を黒ウサギに話し、またレペティールが働いているのかなと聞くと、黒ウサギは腕を組んで考えたあと、言った。
『……ルナが、まだ気づいていないから、何度も見るんじゃないかしら』
「え?」
『おそらくレペティールは今回、関係ないわ。夢の中には、ルナが気づかなければいけないヒントが隠されている。ルナがそれに気づくまで、見続けるんじゃないかしら』
「……ヒント」
ルナも、ウサギ面で考えた。
「それって、黄色のヘビちゃんが持ってくる災厄と、なにか関係がある?」
『さあ……わたしにはなんとも』
黒ウサギにも分からないようだった。
『黄色のヘビがもたらす災厄のことは、わたしが調べてあげる。ルナは、夢の中からヒントを探してみてちょうだい』
「う、うん!」
『じゃあ、またね』
ジャータカの黒ウサギは姿を消した。
同時に箱の蓋も閉まり、銀色の光も消えた。
(夢の中の、ヒント――)
ルナはすぐに日記帳を開いて、しばらくうんうん唸りながら考えてみたが、ちっともいい考えなど浮かばなかった。




