304話 かごの中の子グマ Ⅰ 1
ルナは、久方ぶりに遊園地の夢を見た。
入り口からすぐの大広場は、めずらしく、たくさんの動物でごったがえしていた。
ずいぶんなひとごみに紛れ込んでしまったので、観覧車を目印に、ルナはまっすぐ進んだ。どうしてこんなに人が集まっているのか、不思議に思ったが、しばらく進んで分かった。華やかな音楽が聞こえてきたからだ。
大きな野外劇場で、ミュージカルが行われている。みんな、それを観に集まっているのか。
「あっ!」
人にもまれ、ルナは転んだ。
「いたた……」
起き上がると、目線の先に、おかしなものを見つけた。
それは、観劇のための特等席なのか――大きなクマのぬいぐるみが、王座みたいな椅子に座って、悠然とワインを傾けている。
周りには、着飾ったキツネや、サル、フラミンゴ、孔雀――、とても華やかな動物の着ぐるみたちが、王様クマを囲み、優雅に談笑している。
その王様クマの隣に、鳥かごが置いてあるのだ。
中には、小さな子グマがいた。
子グマはだるそうに、眼を閉じてしまっている。
鳥かごの周りには、おいしそうなお菓子や、あふれんばかりのおもちゃが並べられている。子グマはそれらに見向きもしない。
「お薬を」
真っ黒な老ヤギが、うやうやしく、瓶から透明な薬を、スプーンでひと匙掬い、子グマに飲ませる。
子グマはわずかに口を開けてそれを飲み、またかなしげに眼を閉じた。
ルナは思わず叫んだ。
「どうしてこんな鳥かごに入れてるの!? かわいそうじゃない!!」
王様ぐまは驚いてルナを見たが、鷹揚に微笑んだ。
「危ないからだよ」
王様ぐまは、「私は跡取り息子が大切なのでね」といい、「お嬢さんもワインをどうかね」と勧めてきたのだが、ルナは断った。
こんなところにいてはだめだ。
このままでは、子グマの病気は治らない。
ルナは、子グマの入った鳥かごを持ち上げた。そのまま、走り出す。
「な、何をするんだ! 私の息子が! 跡取り息子が!!」
「つかまえてくれ!!」
ルナは、人ごみの中を走った。
「だれかそのウサギを捕まえろ! ピンクのやつだ!!」
ルナは懸命に走った。大きな手が、追ってくる。おおきなくまの大きな手が、ルナと鳥かごを捕まえた。
「さあ、わたしの息子を返せ!!」
「うっきゃ!」
ルナは飛び起きた。
「どうした、ルゥ」
アズラエルも飛び起き、反射的にルナを抱きしめた。
「どうした? ――怖い夢見たのか?」
「ふえっぐ……、」
ルナは思わず泣いた。
「くま、くまが、おっきなくまが……!」
「クマあ?」
「おっきなくまがちっちゃなくまを鳥かごにしまってるの。おっきなくまが追いかけてくるの! 子グマを取り返しに――、」
「ルゥ、」
「ライオンとくまってどっちが強い!?」
「そりゃ――まあ――どっちかな――、ライオンか?」
それを聞くと、ほっとしたようにルナは、アズラエルの胸に顔を埋めた。
「……アズのほうがつよい」
アズラエルは嘆息したが、とりあえずルナの背を撫でた。
「あーあ、そうだな。ライオンのほうが強ェよ。心配すんな」
ルナのなだめ方も、さすがに慣れてきたアズラエルだった。
「フロイトは、『夢は無意識に至る王道である』と言った。つまりはルナちゃんの無意識下で、月の女神は活動してるわけだな。ウサギの形を取って」
「もういい。てめえの高尚な説明はわからねえと言ったろ」
「だから、すべてはアーキタイプなのさ。ルナちゃんの夢は比較的わかりやすい。ZOOカードを知っていればね。代理で置かれている対象が分かりやすいから――」
「俺はてめえの説明が分からねえ」
いつもの朝である。アズラエルとクラウドのやり取りも、いつものことである。
「ルナちゃんの今日の夢は、露骨なまでに、ムスタファとダニエルのことを示唆しているよね」
クラウドはしつこく言ったが、だれも返事をしなかった。クラウドにしても、ひとりごとなので返事がなくてもよかったのだが。
「でも、ルナちゃんがダニエルを取り上げて、ムスタファが怒る? そんなふうには、ならないと思うけどなあ……」
「あたしね、そこはあんまり気にしてないの」
ルナはドレスを選びつつ、言った。選ぶほどドレスがあるということが、ルナの人生史上驚くべきことであるのだが。
とにかく、鳳凰城に泊まるときに、アクセサリーや靴、バッグも含めて、タツキから十二着。アズラエルから一着、ララから三着、このあいだのクリスマスプレゼントで、エマルからプレゼントされた真っ赤なドレスが一着あるので、その中から選ぶことができる。
「気になるのは、なんだかね――大グマさんじゃないの。子グマっていうよりもね――なんだかね、違和感があるの」
「違和感?」
蝶ネクタイを整えていたクラウドが振り返った。
「うん、違和感」
ルナもうなずいた。
「ぜんたいてきに、いわかん。なにか引っかかるけど、よくわからないの」
ルナはそう言いながら、ドレスを選び、下着を引き出しから取り出した。アズラエルが買ってきた、紫とか赤とか黒とかシースルーとかの、ルナが封印していた下着群。
ミシェルが、自分のドレスを選ぶ手を止めて、ルナの手元を真顔で覗き込んだ。
「いわかん……いわかんなのですよ」
ルナは無意識に、ガーターベルトまで取り出した。
「……」
ミシェルだけでなく、クラウドとアズラエルまで、真顔でルナの行動を凝視しはじめた。
クラウドがルナの着替えを覗くなど、はっきりいって言語道断なのだが、今日ばかりはだれもクラウドを責めなかった。もちろん、クラウドにもそんな意図はない。
ただ、不思議だっただけだ。
「なんなんだろ……なにかがおかしいのですよ」
「ほんとうだな」
アズラエルが、黒スーツ姿で思わず言ったが、ふたりの会話の間には、齟齬があった。
ルナは夢のことを、アズラエルはルナの行動を言ったのだ。
栗色の髪をアップにし、宝石の付いた髪留めを使って止め、ルナにしては濃い目の化粧に、いつもはつかわない真っ赤なリップを引く。
着ているドレスも、ララがプレゼントした、レース地のスリットが入った黒。
毛皮のコートを着て、できあがったのは――。
「なんだこれ!?」
鏡の前で、完成図を見たルナが悲鳴を上げた。
「なんでこうなりましたか!」
「……ルーシーのしわざじゃない?」
ミシェルが至極真面目に、そう言った。
ララとムスタファ主催のパーティーの招待状に記載されていた日付は、あっという間にやってきてしまった。
アズラエルとクラウドは、ひさしぶりにスーツに袖を通し、ルナとミシェルも、ドレスの装いだ。
ミシェルもあのときとは違い、今度はちゃんとスカイ・ブルーの、裾が膨らんだ、まるで花嫁のようなドレス姿で、クラウドを「結婚式みたいだね!」と感激させていた。
ミシェルは当然、ルナは偶然――ララからプレゼントされたドレスを着ることになったが、アズラエルたちも文句は言わなかった。
ルナは、ドレスこそララからのプレゼント品だったが、小物はアズラエルからのプレゼントで固めたし、ミシェルは、どう見ても花嫁のようだったからだ。
ピエトも子ども用の礼装に身を包み、いくばくか緊張気味の顔をしていた。
屋敷まえに横付けされたリムジンから、出迎えの老人が出て来た。ララの邸宅のバトラーだ。今日はララもシグルスも、車には乗っていなかった。
「どうぞ」
ピエトは、新品の革靴を汚さないようにとアズラエルから注意を受けたが、心配なかった。なんと、屋敷の玄関からリムジンまで、赤い絨毯が敷かれていた。アズラエルとクラウドは目をぱちくりさせながら、ルナとミシェルをエスコートして、後部座席に乗り込む。
ルナもミシェルも、高いヒールのせいで、足元がおぼつかない。
「今日は、おとなしくしてよう」
「うん、ぜったい」
このヒールで、あちこち歩き回れるはずはなく、ドレスで隠れていることが幸いだった。歩き方も、なんとか不自然に見えない。
ルナとミシェルが緊張のあまり車酔いしそうになったころ、ムスタファの邸宅に着いた。
ミシェルは一度来たことのある場所である。
広い庭園中央の噴水は、きらびやかなイルミネーションに彩られ、ところどころ被さった雪も、まるで計算されてそこに置かれたかのようだった。
バトラーが恭しく、ミシェルのドレスの裾を持った。
屋敷の玄関には次から次へとリムジンや高級車がなだれこみ、軽い渋滞を起こしている始末だった。
ルナとミシェルは、なんとかアズラエルたちにエスコートされながら、一歩ずつ、慎重に階段を上がった。ピエトもキョロキョロと、挙動不審になりつつ、周囲を見渡し、四人の後を追った。
屋敷は、スーツや民族衣装、ドレスの人間であふれかえっている。子どもも時折見かけた。子どもたちのあいだだけで交わされる独特のアイコンタクトを、ピエトも、幾人かの子どもとかわしつつ、会場に着いた。
「やあ! ひさしぶりだ、アズラエル、クラウド!」
「ご無沙汰しています」
「どうも。お久しぶりです、親父さん」
会場に入ってすぐ、ムスタファと対面することになった。クラウドもアズラエルも、ムスタファと握手を交わした。
(このひとが、大グマさん……)
ルナは、一歩下がったところから、ムスタファを見つめた。
アズラエルと出会ったころから、話には聞いていた人物だった。この宇宙船に乗った傭兵――認定の傭兵や、あるいは軍人たちと懇意にしている富豪だ。
世間的には「石油王」と言われていて、L8系に大きな石油プラントや鉱山を所持している。
大グマというには、体形はそんなに大きくはない。アダムのように、外見が、クマみたいだということはないが、一代で事業を発展させた経営者は、やはり迫力がある気がした。
「以前会ったね。ミシェルさん」
「覚えていてくださって、光栄です」
ミシェルは、ドレスをつまんで、あいさつした。
「そして、あなたがルナさんかな。アズラエルから、よく話は聞いていた」
「あ! はじめまして! ルナです!」
ルナは上擦った声で名乗り、差し出された手を取って握手をした。




