302話 予言の絵 Ⅱ 2
「う~ん……」
ミシェルはそのころ、真砂名神社の奥殿で、「予言の絵」と睨みあっていた。
手にはスケッチブック。口には、デッサン用の鉛筆をくわえて。
予言の絵――百五十六代目サルーディーバが描いた、予言の絵である。
ララにとってはご神体同然の絵であり、以前、ミシェルはこの絵を見れば卒倒するという、謎の事態に見舞われていた。
前世の自分が描いた絵なのに、自分が見れば卒倒するのはなぜなのだろう。
納得がいかないミシェルだったが、最近はじっと眺めていても、なにも起こらなくなった。
こうして、絵を前に、考えごとに耽っていても、大丈夫である。
『ミシェルよ』
「ぼわっ!?」
いきなり、めのまえに偉大なる青い猫が現れたので、ミシェルはうしろにひっくり返りそうになった。
「なによいきなり! びっくりするじゃない!」
『ルナに、油彩の道具をもらった。ケーキでも買って帰ってくれ』
いやにウキウキとしていると思ったら、青い猫は、すっかりパッケージから出した油彩の道具を抱えていた。
「え? それ、ルナが買って来たの」
『うむ。買ってくれたのだ♪』
青い猫は、いつもの威厳ある姿もどこへやら――浮き足だっていた。
「まったくもう――うちのネコを甘やかさないでよ」
ミシェルは鉛筆で頭をかきかき、うれしそうな青い猫を見つめた。青い猫はミシェルだ。お絵かき道具をもらったのが嬉しいのは、よくわかる。
青い猫は、ミシェルの横にいそいそとイーゼルとキャンバスを置き、さっそくなにか描きはじめた。
あの「お城」はけっこうな値段だった――ルナたちが購入した庭付き一戸建ては、三万デルだったが、お城は五万デルである。
痛い出費だったが、買っていいことはあったと思っている。
なにしろ、なかなかつかまらないというウワサの青い猫が、ほぼ毎日のように、ミシェルのもとに顔を出すようになったからである。
よほどあの城が気に入ったのか、気づけば城にいて、お茶を飲んでいたり、城のあちこちをリフォームしていたりする。ミシェルの知らない絵画が飾られていたり、食器が増えていたりした。
鏡の前で、ヒゲの具合なんかをたしかめている姿を、ミシェルは見たことがある。
「……?」
青い猫が手にしている油絵具は、おもちゃであって、本物に模してつくられてはいるが、本物ではない。だが、彼はおそろしく小さなチューブから絵具を絞り出し、丸いパレットで混ぜてから、絵を描いている。
だが今さら――ミシェルのメルヘン脳は、驚きはしない。アズラエルあたりなら、気絶しそうになっていることは間違いないが。
「……ねえ、ネコ。これって……」
ミシェルは、だんだんはっきり形を成していく青い猫の絵に、目を見張った。
青い猫は、いま、ミシェルの目の前にある予言の絵を、ちいさなキャンバスに描いているのだ。
――しかも、ちょっと違う感じに。
『ふむ。この絵を、完成させようと思って』
ネコは言った。
「完成?」
『うむ。これな、この絵は未完成だ』
「ええっ!?」
ミシェルは叫んで、壁の絵と、青い猫が描いている絵を見比べた。
『この絵を描いてる最中にくしゃみをしたら、あっけなく死んでしまってな』
わたしも年だったし――うわっはっはと笑う声は、あきらかに、百五十六代目サルーディーバの声だった。
「ちょ、え、ちょ……じゃあ、」
『K19区の遊園地に、わたしのアトリエがある。ミシェル、わたしの絵はこんなちいさなものだから、君が描いてくれたまえ! これと同じサイズで』
青い猫は、さっさと完成版を描き、筆で、壁の絵を指した。
『こんなかんじで!』
「アトリエ……? 未完成?」
ミシェルはついに怒鳴った。
「最初から、言ってよお!!!???」
数分後、青い猫を肩に乗せたミシェルは、「キッズ・タウン・セプテントリオ」に来ていた。
「もう、マジでなんなのよ……たいせつなことは、最初から言ってよね」
げっそり顔のミシェルに、青い猫はえらそうに言った。
『絵を描く道具がなければ、絵を描けないではないか』
「……」
このぬいぐるみたちが、非常にマイペースなのは、前から分かっていたことだ。今さら腹を立てても始まらない。
ミシェルは、リュックから、遊園地のマップがついたパンフレットを取り出した。
女王の城からの帰り道、メロンの建物の中にあったものを拝借してきたのだ。濡れたものが渇いてゴワゴワになっているが、読めないことはない。
クラウドにいわせれば、この遊園地は、千年前の建築物とはとても思えないそうだ。
千年も経っていれば、ほとんど遺跡のようになっているはず。寂れているとはいえ、荒廃具合は一年くらいしか経っていない状態ではないか――まず、千年も経っていたなら、紙のパンフレットが、こんなに綺麗な状態で残っていることはまずない。
おそらく、遊園地の入り口にいる「セプテンじいさん」が、時間を止めているのではないかということだった。
『あ、ここだ、ここ。“老ヒツジの美術館”のなか』
青い猫が、パンフレットを指さした。
「ここね」
ミシェルは、ネコと一緒に、まっすぐそこへ向かった。
遊園地の中央にある噴水広場を抜けたあと、すぐに見えてきた。星座がちりばめられた濃紺の壁に、電飾つきの看板が。
赤いビロード張りのドアはすっかり開かれていて、入り口に、老ヒツジの彫像と、だまし絵みたいなものが飾られていた。中は真っ暗だ。
「この中は行きたくないね」
ミシェルは、入り口を覗いて、あきらめた。携帯のライトを使ってもちゃんと見えるかどうか。とても不気味だし。割れたガラスが散らかっていて、危ない気もするし。
美術館というから、少し覗いてみたかったのだが。
『だったら、こちらから行こう』
偉大なる青いネコが促した。
老ヒツジの美術館の隣に、だれもないガラス張りのカフェと、まるで妖精の住処のような――こんもりとした山に、直接丸い扉がつけられた場所があった。
『ここだ』
丸い木の扉は、立て付けが悪くなっていたが、開いた――。
「わあ……!」
中は、小ぢんまりとした木造の部屋だった。丘をくりぬいてつくった部屋。椅子とイーゼル、油絵具の道具が置かれていて、窓から陽の光が差しこんでいる。奥は、壁そのものが、観音開きの扉だった。
『あっちは、美術館に通じている。大きなキャンバスを移動させるときは、あちらからな』
青い猫は、ミシェルから降り立って、窓のところへ行った。
『君の役目だ、ミシェル』
「――え?」
『ラグ・ヴァダの武神到達までに、わたしとともに、この絵を完成させよう』
青い猫は、陽光に溶け込むように、すうっと消えた。
――それから、三日も経たないうちに、ララの手によって、このアトリエと美術館が、修復されることになった。
ララにそれを頼んだのは、ミシェルではなくアンジェリカである。
アンジェリカのもとに現れた青い猫は、アンジェリカの部屋にある白ネズミの女王の部屋で、お茶をしつつ、アトリエ修繕の依頼をした。
修繕作業は一週間ですんだ。
青い猫とミシェルの姿が、アトリエに出没するようになったのは、翌日からである。




