301話 天秤を担ぐ大きなハト Ⅱ 2
「あっ! ルナちゃんのアイコンが出て来た」
クラウドが、三十分ぶりに探査機をリロードすると、ルナの所在を示すアイコンがやっと点滅し始めた。
「K15区に向かっているのか――?」
「おい、ノワのリカバリが解除されたぞ」
ペリドットが書斎から出てきて、リビングにいた皆に告げた。
「アントニオやエーリヒたちも撤収させろ。“真実をもたらすトラ”が、イシュメルからのメッセージを受け取ってきた」
「なんだって?」
「ルナは、二日ほどしたら帰ってくるから、自由に行動させろとのことだ」
「ノワのリカバリは解除できたのか?」
アズラエルが念を押した。ペリドットは、
「俺がやったんじゃねえが、さっき解除された。今は、ルナの動向は探査機でチェックできるはずだ。とりあえず、宇宙船も降りちゃいねえし、無事だ。帰ってくるまで自由にさせておけということは、なにかすべきことがあるんだろう」
「まったく……心配させやがって……」
グレンが大きく肩を落として嘆息した。
「とにかく、無事でよかったよ……」
セルゲイもほっとした顔をした。皆はとにかく、ノワ入りのルナが、放浪の旅をはじめてしまわないか、それだけが気がかりでしかたがなかったのだ。
昼近くなっていた。
ルナはシャイン・システムでK15区へ飛び、露店が並ぶ大広場で、アップルサイダーとサンドイッチの包みを買い、ストーブが焚かれたイベントテントのカフェスペースでもふもふと食べていた。
冬の最中で、みんなショッピング・センターのほうに入ると思いきや、野外のカフェスペースもだいぶ混んでいる。
ストーブがあるし、露店の方でつかっている火やガスコンロのおかげで、ずいぶんと暖かかった。
(そういえば)
こんなふうに、ひとりで外食しているのは、アズラエルがいなくなって、真砂名神社に行ったりした以来ではないか、とルナは思った。
(あのころは、ひとりであちこち、行ったなあ)
追憶に浸っていたルナは、自分の席に、キャリーケースを引きずった青年がまっすぐに歩いてくるのを見た。
アズラエルたちほど大柄ではないが、背もそこそこ高く、すらりとした細身の美青年だ。黒髪だと思ったが、光に照らされるとわかる、青みがかった黒髪なのだった。細いフレームのメガネをかけ、チャコールグレーのロングコートに垂らされたマフラーも、高級そうなものだった。
(L5系のひとかな)
興味を示したとたんに、ルナは彼の正体が見えて、絶句した。
何に驚愕したのか――。
彼の正体は、ハトだった。オルドと同じハト――しかし、その姿は、オルドとは桁違いに大きかったのだ。
「う、わ……」
ルナは思わず、サンドイッチを食べるのも忘れて見上げた。宇宙の中に、まるで惑星ほども大きなハト――天秤を担ぎ、惑星を衛星のように従わせている、巨大なハト。
ララの、八つ頭の龍より、大きい。
(こんなおおきなハトさん、見たことないです……)
ハトが、というより、ZOOカードの動物で、こんなにも大きな動物を、見たことがない。
ルナはぽっかりと口を開け、その青年に見とれた。そして、唐突に思い出した。月を眺める子ウサギからのメッセージを。
『ルナ、“天秤を担ぐ大きなハト”さんに会ったら、黄金の天秤をおねだりするのよ』
(おおきなハトさんだ!)
ルナのうさ耳が、ぴーん! と立った。
「それ、どこで売ってるの」
青年は、席を探していた感じではなかった。まっすぐに、ルナのほうへやってきたのだ。そして、ルナが齧っているサンドイッチとアップルサイダーのセットを指さして、聞いた。
「え?」
「そのサンドイッチ」
ルナは、齧りかけのパンを見つめた。そして、
「あっちのお店。となりの露店で、アップルサイダーを無料で配ってたの」
「ほんと!? まだあるかな」
青年は顔を輝かせてそちらへ向かった。
(おや?)
ルナの向かいの席に、キャリーケースを置いたまま――。
(もしかして、ここにすわる?)
ほどなくして、青年は、ホットドッグとアップルサイダー、それから、同じ店で売っているアップルパイをふたつ、プレートに乗せてもどってきた。
「サンドイッチは売り切れだった。残念だなァ」
そういって、ルナの向かいに腰かける。
(かわいい!)
にっこり笑う笑顔は、この青年がルナよりずいぶん年上だとわかるのに、なでなでしてあげたくなるような愛嬌にあふれていた。無料のアップルサイダーは、まだ配っていたらしく、青年は嬉しげに紙コップを口に運んだ。
「パイ、嫌いじゃなかったら食べてよ」
彼はふたつあるアップルパイをひとつ、ルナのほうへ置いた。
「えっ?」
「君は、名前、なんていうの」
眼鏡の奥で、やさしそうな目が細められる。こんな目で見つめられたら、大抵の女の子は、応じてしまうだろう。ルナは、口をパクパクとしながら、「る、るなです……」と自己紹介した。
「ルナちゃん! カワイイ名前! ――そうだな、俺は――」
青年は、ちょっと考えるようなそぶりを見せ、
「エルコレ、とでも名乗っておこうかな」
「えるこれさん?」
「エルでいいよ。君は、この宇宙船の船客なの? それとも、役員さんの娘さんとか――」
「せ、船客です」
「そう。めずらしいね、こんな時期まで乗っているなんて」
エルコレの話術は巧みだった。よくしゃべるというわけではない、適度な間もある。ルナに考える余地を持たせない不思議なスピードで、会話を終わらせなかった。
なので、ルナはなかなか席を立てず、必然的に、エルコレが食べ終わるまで待つことになった。
エルコレがすっかり、アップルパイまで食べ終わり、「ごちそうさまでした」と言って立った。ルナも立った。これでお別れかと思いきや、違った。
エルコレはプレートを返却口にもどすと、ルナの左手をとった。手をつないだのだ。ルナは口をぽっかりあけたが、なぜか振り払えなかった。
なぜか、子どもと手をつないでいるような、奇妙な感覚に襲われたからだ。
エルコレは、右手にルナの手、左手にキャリーケースを引きずりながら、シャイン・システムのほうへ歩いていく。そして、ポケットから出したゴールド・カードを挿入口に突っ込んだ。
(このひと――株主さん!?)
ルナとミシェルが、ララからもらった株主優待券カード。同じものを、エルコレも持っている。
(何者ですか! このひとは、株主さんですか!)
ルナが質問攻めにするまえに、エルコレが言った。
「何代かまえから、うちは、この宇宙船の株主で。ふつうの先客はシャインつかえないでしょ」
「――う、うん」
「あれ? もしかして、シャインのこと知らないかな?」
ルナはぶんぶんと首を振った。
「――ルナちゃんが、あちこち移動してる」
「ひとりでか?」
「いや、“モブ”と」
「モブ!?」
クラウドの探査機を全員がのぞき込んだ。
クラウドがいう“モブ”というのは、探査機には入っていないデータの人間だ。つまり、その他大勢として表示される。
「瞬間的にあちこち移動するってことは、シャインをつかってる――つまり、役員か、株主かだ」
クラウドのデータにない役員、および株主。アズラエルたちも知らない人間だ。
「また、ナンパされたのか」
「あいつはどうして、知らない人間に軽々しくついていくんだ……」
「夜の神が怒ってない……つまり、安全なのかな? 女性なの?」
「男性だよ」
「ええっ!? だいじょうぶかな?」
「身長百八十センチ前後。細身だけど、筋肉はしっかりついてる――スポーツマンの体格だ。髪は短い――マフラーにコート――革靴。株主かもしれない。身に着けているものがブランド品だらけだ。キャリーケースを持ってる。若いな――二十歳から四十歳までのあいだだ」
「その探査機、データがなくてもそんなところまで分かるのか。ZOOカードみてえだな」
ペリドットが、クラウドの探査機に、初めて興味を示した。
アズラエルたちは、急にせわしなくそのあたりをウロウロしはじめたが、とんでもないことが起こった。
アプリの画面に、ピンクのウサギが、デジタル画像で浮き上がった。そのとたん、クラウドの携帯電話は真っ暗になった。電源が切れたのだ。
「え――アレ!?」
「のぞき見するなってことだ」
ペリドットが肩をすくめて言い、あとは、クラウドがなにをどうしようが、電源がつくことはなかった。
エルコレの目的地は、なんと貴族の居住区であるK09区だった。
ルナの屋敷同様、シャインの出入り口が屋敷内、および敷地内に併設されている。大きな屋敷の敷地内に出たエルコレは、ルナの手を引いて、屋敷に入ろうとした。ルナたちの屋敷より、もうひとまわり大きそうな城だ。
玄関扉を開けて入り、「ちょっとそこに座ってて」と、ルナを大広間のソファに置き去りにして、映画にでも出てきそうな華美な装飾の階段を上がって、二階に消えた。
屋敷内は、いつも人の手が入っているようで、ホコリひとつなく、清潔を保たれている。
十分も経たずにエルコレはもどってきた。
「行こうか」
また、ルナの手を引いて、シャインに入る。
つぎにルナの視界に入ったのは、超高層マンションの室内だった。
レオナたちがかつて暮らしていた部屋のように、全面ガラス張りの壁の向こうに、都会の街並みが見渡せる。
「ここはね、中央区K01区に隣接する、K08区の端っこ」
エルコレは、コートを脱ぎながら、「さっきの屋敷は、先祖伝来の資産だけど、ここは俺が買ったんだ」と、ハンガーにかけながら言った。マフラーと一緒に、ハンガーにかけたはいいけれど、ずいぶん歪んでいる。ルナは直してあげた。
「ありがと」
エルコレは、ルナの手をにぎったまま、リビングのソファに座った。映画のスクリーンかと思うような大きなテレビがあって、エルコレはパチリとテレビをつけた。最新の映画が流れている。映画チャンネルらしい。
「映画って好き?」
「う、うん……」
「なにが好き?」
「……」
ルナは迷った。なにが、とジャンルを指定しなくても、なんでも好きだった。
「女の子だから、恋愛映画とか?」
「恋愛映画はあんまり見ないよ」
「見ないの?」
エルコレは驚き顔で言った。
「俺なんか、恋愛映画ばっかり」
「そうなの!?」
ルナの方も驚いた。でも、この女にもてそうな男のことだから、恋愛映画ばかりというのもうなずけるかもしれない。
いつも恋人と、恋愛映画を見ているのかも――。
「俺の好きな子は、あまりテレビも映画も見ない」
エルコレは、なにがおかしいのか小さく笑って、言った。
好きな子、というのは恋人だろうか。
「俺がマジ泣きする恋愛映画のシーンでも、真顔で見てるし、泣いてる俺を、いつもつめたい目で見るし――泣けるの確実! とか言われてる話題の映画でも、ぜったい泣かないんだ。でも、どうして、なんで泣くのか分からないってところで、泣くの」
エルコレは、チェンネルを次々と変える。
「荒涼とした砂漠とか――果てしなく続く氷の大地とか。そういうのが出てくると、たまに目が潤んでたりして、可愛い」
俺には、涙を見せたがらないけど、と言って苦笑した。
「絶対的で、さからえない自然の驚異ってものが、たまに怖くなることがあるんだって。それと同時に、震えるような感動を覚えることがあるって――そっちのほうが、繊細だと思わない?」
俺みたいな、いつでも流せる、安っぽい涙より。
ルナはだまってエルコレを見つめ、話を聞いていたのだが、やがて、「あ、あたし、これ見たい!」と言ってチャンネルを変えるのをやめさせた。
最近DVDになったばかりの、ファンタジー映画だった。
「おもしろそうだね」
エルコレは賛同し、ルナと一緒に見始めた。
ちいさな王国に、たったふたりの騎士がいた。
赤の騎士と、青の騎士。
ふたりは、攻め寄せる大国から、自国を守ろうと、必死で戦うが負けてしまう。
王を逃がし、追われる生活のなかで、滅びた王国を蘇らせようと、青の騎士は国に残って戦い続けるが、赤の騎士は――王が希望をかけた、王になる器を持つ騎士の方は、青の騎士とたったふたりで、田舎に引っ込んで、平和に暮らしたいと願う――。
結局、王国のために戦い続ける青の騎士のために、赤の騎士ももどるのだが、その先にあるのは、悲劇だ。
青の騎士と、ともに暮らしたいがために、王国を売ったのは赤の騎士だった。
青の騎士は慟哭する。
一番信頼していた友が、自分を過酷な任務から解くために、王国を売った。
ちなみに青の騎士は女性で、赤の騎士は男性――それが最後に明かされた。
これも、恋愛映画である。




