301話 天秤を担ぐ大きなハト Ⅱ 1
「“パズル”をチェックしたところ、ルーシーのリカバリに加え、LUNA NOVAまでリカバリされていた」
ペリドットはそう言った。彼の手元には、ルナが行くかもしれない場所の名前を羅列したリストがある。
「あたし、ルナにそれを聞いたんだけど、言うの忘れてた……」
ミシェルが頭を抱えた。
「でも、ララのもとにはいない。ホントにララは知らなかった」
クラウドが言い、
「ルナが消えたっていうなよ? ララのことだ。大げさに探し始めるぞ」
アズラエルは、リストにあるララの名前を、太い二重線で消した。
ルナが卒倒する直前、ルナの口から出た言葉が「ルーシー」のものだったため、「ルーシー」化したルナは、ララのもとへ行くと思い込んでいたが、どうも違ったようだ。
一刻も早く、ルナをとっ捕まえて、ノワと、ルーシーのリカバリを解除しなければ。
「いったい、どこに行ったんだ……ルナちゃん」
ルナは、こつ然と姿を消した。
遊園地でいきなりぶっ倒れたルナは、すぐに屋敷の自室に搬送されたが、一時間もしないうちに、姿が消えていたのだ。ルナが寝ていたはずのベッドはもぬけの殻で、跳ね上げられた毛布と、全開になった窓だけが、ルナの不在を物語っていた。
ふつうなら、三階の窓から飛び出したら無事ではいられないはずなのだが、なにしろ、今のルナには、あのノワがリカバリされている。
「今のルナちゃんは、下手をしたら、だれにも見えない可能性がある……」
クラウドの嘆息の意味も分かる。クラウドの探査機からも、ルナの存在は消えているのだ。
K19区の遊園地での大ごとが終わって、家に帰り、それから三日後に皆で遊園地に集まった。その会合まで、ルナはだれにでも見えていた。
表現はおかしいが、とにかく、ルナが見えないという者はたったひとりとしていなかったのだ。
シャトランジ! の継承が終わって、自然――役目を終えたノワのリカバリは解除されたのだと、皆は思っていた。
だが違ったようだ。ルナは知らぬうちに姿を消し、ペリドットが調べたところによると、まだリカバリは解除されていない。
書斎では、ペリドットとクラウドが、ZOOカードと探査機をめのまえにして、どうやってルナを探すか、昨日から頭をひねっている。
エーリヒは街に繰り出している。ルナを探すためだ。ノワの好きなセクシー美女を侍らせて――つまり、セシルを。
さっき、ミシェルがエーリヒに合流するといって出ていった。
美女欄に名前があげられなかったレオナは憤慨したが、レオナにもルナは見えないので、ある意味仕方がない。
リビングでは、アズラエルとグレンにセルゲイ、アントニオが、手持無沙汰に、ソファに座っていた。
アズラエルたち三人は、ノワを探しに行けない。彼らの姿を見たなら、ノワはますますかくれるだろうから、ということだ。
「俺たちがこの屋敷にいる以上、ルナは――ノワは帰ってこねえんじゃねえか」
アズラエルが分厚い肩をすくめた。
「そうとも言えないさ。ペリドットが、本人がこの場にいなくても、リカバリを解除する術を見つけたなら、ルナちゃんはルナちゃんとして、もどってくる」
アントニオの言うそれは、もっと可能性が低かった。ルナを見つけたほうが早いに決まっている。
「そもそも、なんで、そんなに俺たちを嫌うんだ」
アズラエルが、どことなく悲しげに言った。
グレンとセルゲイも同調した。
それはそうだ、ノワだろうがなんだろうが、ルナに嫌われるなんて、あんまり気分のいいこととは言えない。
「――自覚がないのは、いいことかもしれないな」
ちっとも嫌味ではなく、アントニオは言った。
「おまえは、ノワの歴史を知っているのか。その――ノワが、俺たちを嫌う理由を?」
グレンも聞いたが、アントニオは首を振った。
「ノワの詳しい歴史は知らないよ――でも、君たちの輪廻転生のパターンを見ていればわかるだろ」
アントニオはおおげさに両腕を広げた。
「結末のパターン! だいたいルナちゃんは毎回、セルゲイには閉じ込められて、アズラエルには殺される」
セルゲイは両手で顔を覆い、アズラエルはそっぽを向いた。グレンが二人をにらんだ。
「グレンとは、愛し合うパターンがけっこう多いけど、悲恋で終わる――だけど、これはあくまでも、ルナちゃんと君たちが異性で出会った場合、成立するパターンだ」
グレンもようやく、想像ができるところまで来た。
「つまり、俺たちは、ノワのケツを追いかけて回っていたってわけか?」
「君がかわいい女性で生まれていたなら、ノワも大喜びだっただろうが、同じ図体の大男に追いかけ回されて嬉しいわけがないよな」
「……」
アントニオの言葉には、だれもが同意するしかなかった。男たちは猛省したが、それだけノワが魅力的だったのだという言い訳に落ち着いた。
不精ヒゲ面の筋肉質なおっさんの姿は、この際記憶から消去した。
「イシュメルのときは、君たちはそろいもそろって美女だったからね。セルゲイは、イシュメルの父として生まれて、イシュメルがイシュメルとして生きるよう、厳しく指導はしたけど、イシュメルの目的も同じだったから、閉じ込めるだのなんだの、おおげさな方向には発展しなかった――イシュメルが、イシュメルとしての役割を捨てて出奔でもしていれば、別だったかもしれないけれど」
「……じゃあ、私は、ノワを閉じ込めようとしたってこと?」
セルゲイが、苦笑いと神妙な笑いを交互に織り交ぜながら、へんな顔で言った。
「君覚えてない? 真砂名神社の拝殿で、エーリヒに言った言葉」
『“いまいましい鳥め! 鳥の分際で私のノワを――羽根をむしって、今日の夕食にならべてやる!”』
セルゲイは再び沈んだ。「私のノワ」とか、たしかに言った――。となると、セルゲイもアズラエルも、グレンも、三人そろってノワの尻を追い続けていたことになる。
逃げられるのは当たり前だった。
「悠長にもしていられないぞ」
クラウドが、書斎から出てきて言った。
「いまのルナちゃんは、ノワだ。あちこち放浪の旅に出ていたノワだぞ? もしかしたら、気まぐれで、ふらりと宇宙船を降りてしまうこともあるかもしれない」
「――!」
「宇宙船が次の補給エリアに着くのは三日後だ」
アントニオがカレンダーを見ながら、言った。
「つまり、三日間が勝負ということか」
今回は、セルゲイもアズラエルも、グレンも動けない。彼らが動けば、ノワはますます逃げるからだ。
「落ち着いて、エーリヒからの連絡を待とう」
アントニオは冷静に告げた。
「ノワと同じリュナ族のアルベリッヒの話じゃ、ノワがファルコを置いて、勝手に遠くへ行くことはないだろうって。すなわち、エーリヒを宇宙船に置いて、自分だけ宇宙船を降りることはまずないと思う」
「……」
ぜんぶ、エーリヒ頼りか。
おもしろくはなかったが、今回に限っては、アズラエルたちは動けない。
歯がゆさを押し殺しながら、安心もできずに、押し黙った静かな空間に、突如電話の音が鳴り響いた。
だれのかと思ったら、バーガスの携帯電話だ。
「もしもし!?」
『バーガス?』
相手はなんとデレクだった。デレクの声は、焦っているようにも聞こえたし、半泣きのような気もした。
『助けて! なにが起こってる!? 意味が分からない!』
デレクの悲鳴だけは、リビングにいた皆にも聞こえた。
「どうしたんだ……」
ついに、グレンの腰は浮いた。
「なんだって? ルナちゃんが、店の酒を飲みつくそうとしてる!?」
バーガスの裏声に、全員が反応した。即座に立ち上がったアズラエルたちを押しとどめ、アントニオが立った。
「俺が行ってくるから、君たちはここを動いちゃダメ」
ジャケットを羽織ったアントニオは、すぐ外に出ていった。
「デレクが電話したすぐあとだ。――カウンターにもどったら、ルナちゃんはいなくなってて」
かわりに、これが置いてあった――と、マタドール・カフェのオーナー、エヴィは、瞬きもせずアントニオに、淡々と説明した。デレクも、グラスを拭く体勢のまま、たたずんでいる。
彼らも、なにが起こったか分からずに、混乱状態なのだ。
アントニオは、カウンターのスツールに、ルナの代わりに金の延べ棒が十本、綺麗に重ねられて、店内の薄暗い照明に反射して鈍く光り輝いているのを見た。
そして、延べ棒を囲むように散らばった、空の瓶や缶の山。
デレクとエヴィの話によると、ルナがいきなりふらりと店に現れて、スツールによじのぼるなり、にっこりと笑い、可愛い声で、「おしゃけ」と言った。
最近は、ルナもよく昼間に来てくれる。でも、昼に酒を注文するのはめずらしい。デレクが「いつものでいい?」と聞くと、ルナは「うん」とうなずいたので、バラのカクテルを出してやった。するとルナは、嬉しそうに、それを一気(!)飲みし、「おしゃけ」とまた言った。
「もっとつよいおしゃけ」
ルナの様子が、なにかおかしいのは、デレクにも分かった。
デレクが、別のカクテルをつくってやろうと厨房にもどったとき、事件は起こった。
ビールのケースがない。
デレクが必死でそこいらを探していると、店の方から盛大な歓声が聞こえた。あわててもどると、ルナが、店の客の喝さいを浴びながら、つぎつぎとビールを飲み干していく。デレクが探していたビールケースが、なぜかルナの足元にあった。
止めようとしたデレクだったが、ルナは瞬く間にケースのビールを全滅させ、「おしゃけ」と、デレクに向かってにっこりと笑った――。
「店の酒が、ほとんど飲みつくされちゃった……」
デレクは、ここに至るまで、瞬きを一回もしていない。あまりのことに、我に返ることすらできなくなっている。
ルナが「おしゃけ、おしゃけ」というたびに、倉庫の酒が消えていく。デレクは酒の追加注文をしに電話へ走り――やっと気づいて、ルナの屋敷へ電話をしたのだった。
そしてもどったら、ルナは、金塊を置いてこつ然と消えていた。
客たちが、「いきなり消えた!」と騒いでいるのをエヴィもデレクも見た。そして、こっそり金塊をくすねようとした客を追い払い、今に至る。
「……これ、本物?」
デレクは金塊を手に取り、「うわあ」という顔で眺めて、元の場所に置いた。
「本物なら、一本五千万デルってとこかな。十本で五億デル。――けっこうな酒代だね」
「五億!?」
デレクは、腰を抜かしてスツールに座り込んだ。
「騒がせ賃にしても、度が過ぎてるよね……」
エヴィも、金塊から距離を置いて、不審物でも見るかのように怯えた目で見つめている。
「ルナちゃんはいったい、コイツをどこから出したっていうんだ!? 来たときは、カバンも持ってなかった!」
デレクの絶叫に、アントニオは、
「ごめん。説明はあとにするよ」
と慌ただしく言って、店を出た。すぐに携帯電話を手にしたアントニオは、屋敷にいるクラウドに電話をかけた。
「やっぱりルナちゃんはまた消えた。船内の酒場を徹底的にチェックだ。――ああ、とりあえず、皆に姿は見えるようだ」
そのころ、ルナはK19区の遊園地にいた。ふわふわ、千鳥足のウサギである。真っ白のボンボンつきコートにブーツ、ニット帽をかぶった少女がノワだなんて、だれも気が付かない。
「うっさうっさ、うっさこ~!」
ルナはくるくる回り、べちょっと新雪のうえに尻もちをつきながら、遊園地へ入っていく。
(上機嫌だな、ルナ)
「うん! じょうきげん!」
ルナももちろんだが、ルナの中にいるノワも上機嫌だった。
「おしゃけ~♪ おしゃけおいひ~い♪」
(おしゃけ~♪ おいひいおしゃけ~♪)
酔っぱらいノワとウサギの合唱だ。
「おじーちゃん、あっついコーヒーください」
ルナは、セプテンじいさんの店で、ホットコーヒーを買った。
「のわ、今度は金ののべぼうはダメだよ? ちゃんと五百デル硬貨出して。今の時代のね!」
めんどうそうなノワのため息とともに、ルナのポケットに五百デル硬貨が現れた。ルナはそれをおじいさんに渡し、大きな紙カップのコーヒーを受け取った。五十デルのおつりが返ってくる。
「砂糖とクリームはいるかね」
「ううん」
「欲しくなったら、またおいで」
「うん」
ルナは門を開け、勝手知ったるふうに、錆びた遊園地に入っていく。どこもかしこも雪が積もって、銀世界だった。ドアが開きっぱなしの、オレンジの形の建物に入ってドアを閉めると、暖かいとは言えなかったが、凍えそうになるほどではない。
ルナはくちゅん! とくしゃみをした。
ティッシュを探していると、やはりどこからともなく箱ティッシュが現れた。
「のわがいきなり飛び出すから、あたし、なんにも持ってこれなかったよ」
(荷物は少ない方がいい)
「少なくても、お財布は持って出たほうがよかったよ」
あたしのバッグには、いつでもお財布と、ハンカチと、ティッシュは入っているとルナは説明した。ノワは笑っているようだった。
(ルナ)
ノワが尋ねた。
(おまえいま、幸せか?)
「うん、幸せだよ」
あつあつのコーヒーを啜りながら、間髪入れず答えた。
ルナは、しんしんと降る雪をながめ、遠くに見える観覧車と、女王の城をながめた。もうあそこに、閉じ込められた女王様はいない。
(あんなヘンタイどもと一緒に暮らして、それでも?)
「アズたちはたまにヘンタイだなあと思うことはあるけど、ヘンタイでもだいじょうぶだよ。ゆるされる範囲内だから」
ノワはまた、なにがおかしいのか腹を抱えて笑い転げた。しばらく、ノワがひとりで笑い続けるような時間がすぎて、やっとしずまったころに、また彼は言った。
(……いつかまた、殺されるようなことになっても?)
ルナは、コーヒーを飲むのをやめた。
寒くて狭い室内に、立ちのぼる湯気。まだまだコーヒーは冷めそうになかった。紙コップは、手袋をしていなければ、火傷しそうなほど熱いだろう。
「……もう終わったって、ゆってた」
いろんなことが。
ルナとアズラエルと、セルゲイとグレンの因果は、終わったのだとだれかが言った。
ロメリアも、言った。
(ほんとうかな)
「ノワも、分からないの」
(自分自身のことだからな)
ルナは、いつのまにかだれかの膝の上に乗っていた。それがノワの膝だということに、半分酔っ払った頭が気づくまで、しばらくかかった。
(ルナ、好きなように生きろ)
ルナは、ノワが自分の身体から分離していくのに気付いた。この感覚は、以前イシュメルのリカバリを解除したときの感覚と同じだった。
屋敷では、ペリドットが、勝手にZOOカードが動くのを、神妙な顔で見つめていた。
ノワのリカバリが、勝手に解除されていく。
(人の期待を裏切れ。だれかを助けようなどとするな。めんどうなことには関わらずに、自由に生きろ――どうせ、オチは決まってる)
「今度こそ、殺されないのですよ!」
ルナは叫んだ。
「みんな、幸せになるんだから!」
ハッピーエンドになるんだから!
ノワはいつのまにか、オレンジの建物の外にいた。
彼は、黒いタカ、ファルコを肩に乗せて、明るく笑っていた。
(イシュメルは、いつもおまえを見守っている――ストーカーのようにな)
「ひとことよけいですよ!?」
(俺はめんどくさいから、おまえを見張ったりはしねえ、じゃァな)
「のわ――!」
ルナがもうひとつ文句を言おうとしたところで、ノワは消えた。
ノワの代わりに、ストーカー呼ばわりされたイシュメルが現れ、ルナの隣に腰を下ろそうとしたが、狭すぎてそれがかなわないようだった。イシュメルはルナを膝の上に乗せ、言った。
(ルナ、K15区に行くとよい)
「K15区?」
(そうだ。――それから、酒は飲みすぎないほうがいい)
「のわにゆってください!!」
ルナはふたたび叫ぶ羽目になったが、イシュメルも苦笑しつつ、消えた。
イシュメルが座った場所には、ルナが最近使っている、ファー素材の肩掛けバッグがぽつんと置かれていた。




