300話 キッズ・タウン・セプテントリオ 1
ルナがぱちくりと瞬きをしたのは、その日の午後だった。ルナはパジャマで、自室のベッドに眠っていた。
ルナの目がまず写しだしたのは、自分の部屋の天井で――それから、ゆっくりと思い出した。
シャトランジのアトラクションから、エーリヒに抱きかかえられて脱出したのは覚えている。
そのあと、アズラエルに飛びついて、遊園地を出たところで、今度はセルゲイに抱きすくめられ――ルナはそれから、意識を失って、あとのことは覚えていない。
「……」
ルナは、いつもどおりベッドに腰かけたまま、しばらくぼーっとしていたのだが、身体が勝手に動き出した。
「……!?」
勝手にベッドから出た身体は、勝手にクローゼットを開け、服を物色する。
『わたし好みの服が、ほとんどないわ』
ルナは、自分の中にいる人物の正体が分かっていた。
そういえば、さっきの夢は「リハビリ」ではなくて、「リカバリ」だったのだ。
(ルーシー!)
ルナは心の中で叫んだ。
(勝手に動かないで!)
『あなた、イシュメルのときもかなり自由にさせていたんでしょ』
(なんかだめ! ルーシーはだめ!)
『そんなこと言わないでよ』
(黒い下着はいけません!!)
ルナは押し問答の末、黒いスケスケ下着を着ることだけは免れた。
あれから、三日も経っていたのである。
ルナが起きて来たのを見たレオナとセシル――そして、ピエトとネイシャにもみくちゃにされて、ルナは、無事を喜ばれた。
「今日起きてこなかったら、リンファンさんに連絡しようと思っていた」
というレオナの言葉に、ルナは起きてよかったと心底思った。
なんにせよ、母親には心配をかけたくない。
母親への連絡が行く前に起きることができてほっとしたルナは、真っ先に、大広間へ向かった。大広間の暖炉近くのサイドボードには、ちゃんと古時計が置いてあった。
(“セプテンの古時計”……)
ルナは、夢で、この時計の正体を知った。
(時間を自由にあやつれる、魔法の時計なんだ)
「ルナちゃん、三日も寝てたんだからおなかすいたろ? なにか食べるかい」
「うん!」
バーガスはちゃんと、ルナの分も朝食をつくってくれていた。
レオナが、あつあつのチキン・スープとパン、卵料理がのったプレートを、運んできてくれた。
ひさしぶりの、バーガスのごはんである。ルナは礼を言って、もふもふと食べた。いつもどおり、とてもおいしかった。
時計を見られるソファで、ルナは夢の内容を、日記帳に書き写す作業をはじめた。
ミシェルが帰ってきて、ルナに飛びつくまで。
次の日、すっかり晴れわたった空を仰ぎ見ながら、ルナはミシェルと一緒に、ZOOカードボックスを持って、K19区へ駆けこんだ。
相変わらず、人っ子ひとりいない。潮の香りがして、ウミツバメが飛び交う、いつものK19区である。
「あいかわらずだれもいないね……」
「うん……」
ミシェルと一緒に、モダンなガードレールから、果てない水平線をながめ――顔を見合わせて、遊園地に向かった。
こちらも変わらぬ、錆びた景観ではあったが、遊園地はたしかにそこにあった。
ミシェルにもはっきり見えた。
今までと違うところがただひとつあるとすれば――それは、遊園地の看板が、掲げられていたことだった。
キッズ・タウン・セプテントリオ、と。
(せぷてんとりお?)
「――ルナ!」
遊園地の中から声がした。ルナが驚いて、うさ耳をぴょこん! と立てると、アンジェリカが、明るい笑顔で、両手を振っていた。
「アンジェ!」
ルナは猛然と門を乗り越えようとした――「ちょ、待った!」
苦笑したアンジェリカが内側から門をあけると、ウサギが飛びついてきた。
「よかった! 元気そうで――!」
「うん」
アンジェリカは、どことなく、二皮も三皮も剥けた顔をしていた。ものすごく美人になった気もする。
「――アンジェ、なんだか美人になった」
アンジェリカから身を離し、ルナが目をぱちくりさせて言った言葉を、アンジェリカは当然ひねくれた気持ちでは受け取らなかったし、そうなった意味も分かっていた。
アンジェリカは、「白ネズミの女王」となったからだ。
「でしょ?」
「アンジェ――え!? うわ、アンジェ!?」
ルナの後ろから駆けて来たミシェルは、アンジェリカを見たとたん、
「なんか、このあいだまでとオーラが違くない!?」
と正直に叫んだ。
「まあ、これでも、女王様だからね!」
不敵な笑みをこぼすアンジェリカは、やっぱりアンジェリカのままだった。
「それより――今日はルナもなんだか――いつもより、おとなっぽい格好じゃない?」
アンジェリカは、不思議そうに、三百六十度、ルナを見回した。
いつも花柄やベージュのワンピース姿のルナが、胸が広く開いた黒のラメ入りカットソーにジーンズ、わずかにでもヒールの高い靴に、濃いグレーのロングコートなど着ていては、なにごとかと思う。
ルナは言いにくそうに、小さくつぶやいた。
「昨夜、ルーシーがリカバリされちゃって……」
「ええ!?」
「ちょ、それまだ聞いてない!」
アンジェリカとミシェルが、声をそろえて叫んだ。
遊園地の世界は、このあいだ来たときと、なにも変わっていない。
錆びた遊具の数々――溶けかけた雪が滴を垂らして、地面を濡らしている。
「今日は、いい天気だね」
「うん」
「雪は完全にとけちゃうかも」
「うん」
ルナたちは、だれもなにも言わないのに、三人とも、同じ目的地へ足を運んでいた。
ほとんどしゃべらずにたどりついた場所は、「白ネズミの女王の城」だった。
「……こないだ、ものすごい勢いで崩れたはずだけど、崩れてないね」
ミシェルは言ったが、女王の城は、たしかに崩れてはいなかった。もとの形のまま、そこにあった。
ツタがレンガの壁を這い上がり、陽にさらされ、赤茶けた白壁が古めかしい。白ネズミの女王が閉じ込められていた最上階の塔は、日の光を受けて輝いていた。
城のてっぺんは、雲の上まで突き抜けてはいなかった。
ルナたちは、トロッコがある地下道の入り口を見に行った。
魚の着ぐるみはいない。錆びた鉄扉の向こうに、レールから外れたトロッコが転がっている。
トロッコはすっかり腐り、中にはたっぷりと汚れた雨水が。
扉を開けて、地下道をのぞくと、かび臭い匂いがした。ピチョン、ピチョン……と、雪解けのしずくが落ちる音だけが、暗い坑道に響いている。
「“世界”――」
アンジェリカが、自分のZOOカードボックスを両手で掲げると、紫色の光とともにふたがあき、周囲の様子が変わった。
『やっせ、ほいせ。ほいせ、やっせ!』
『やあどうも! 女王様、再建作業は順調ですぜ!』
『ほうほう、めずらしいですなあ! 白ネズミの女王と、偉大なる青い猫と、月を眺める子ウサギがいっしょに!』
ZOOカード世界が、ルナたちにも見えるようになった。
「あ――やっぱり!」
ミシェルが指を指して叫んだ。やはり女王の城は、完膚なきまでに崩壊していた。
たくさんのネズミたちが、城を建て直すために、瓦礫を運んでいる。
ネズミたちには、ルナたちの姿が、ウサギやネコに見えているらしい。あいさつしていくネズミたちに、アンジェリカはいちいち、「おつかれさま」とか、「よろしくね」と声をかけた。
「ムンド」
アンジェリカがもう一度唱えると、世界は、吸い込まれるようにZOOカードに消えた。
「くずれたのは、ZOOカード世界のお城だったのね……」
ルナは言った。
「一ヶ月くらいで、もとどおりになるって、工事責任者のネズミは言ってた」
「あのでっかい城が、一ヶ月で、ねえ……!」
ミシェルが感心したように、腕を組んで城を見上げた。現実世界のだって相当大きいのだが、ZOOカード世界の城は、地下最下層から最上階まで突き抜けた、すさまじく大きな城だったのだ。
古いたたずまいの荘厳な城は、ルナたちを見下ろし、静かにそびえたっている。
三人で、しばらく、まぶしい陽光を腕でさえぎりながら、塔と空を見上げていた。
「アンジェ」
やがて、ルナが言った。
「ごめんね。ずっと――ごめんね。あたし、イシュメルだったときも、ルーシーだったときも、武神を倒せなくって――」
ルナの突然の謝罪に、アンジェリカは、目を見張った。
「な、なに言ってるわけ?」
とんでもないことを言われたような声だった。アンジェリカはルナの肩をしっかりとつかんで言った。
「謝んなきゃいけないのはあたしのほうだよ! その件に関しては!」
アンジェリカは、首を振って叫んだ。
「あたしたちと、ルナたちの恨みは別でしょ。ほんとうは、あたしだって――あたしたちだって――自分たちの手で、ラグ・ヴァダの武神を滅ぼしたかった」
「でも、それができなかったんだもんね……」
ミシェルも、ぽつりと、無念の思いを口にした。
「あたしきっと、白ネズミの王様っていう宰相を、すごく信頼してたんだ――いまでも、そのことを思うと、胸がすごくきゅっとなる。信頼していた人を、ひどい殺し方をされて、でも、止めることもできなくって、さぞかし悔しかったと思う」
それは、ラグ・ヴァダの女王の想いだった。
「どうにもできなくて、でも自分の星には、あいつを倒せるやつがいなくて――アストロスの武神に託しちゃったみたいなものよ。――つまり、アズラエルとグレンにさ」
ミシェルは、肩を落とした。
「アストロスの星の民が、まかり間違えば、武神のせいでひどい目に遭うかもしれなかったわけで――それなのに、あたしはさ、――」
ラグ・ヴァダの武神によって悲劇に追いやられたのは、宰相アリタヤと、妻シンドラだけではない。たくさんの女が犯され、男たちが殺された。
しかし、ラグ・ヴァダの武神とたたえられるほどの、星一番の、強く勇猛な武の神――倒せる者が、いなかった。
毒も効かず、彼に振り下ろした刃は折れ、大きな岩の下敷きにしようとしても、粉砕された。
たくさんのたいせつな人々を殺された女王の悲憤は、言葉にしえないものだった。
アストロスでも、たくさんの人間が、ラグ・ヴァダの武神に苦しめられた。
セシルの前世は、かの武神に利用されて、今世呪いを受けるような罪を負った。ネイシャの前世は、武神に殺された。妻と子を、ラグ・ヴァダの武神によって失った、ベッタラの前世――彼の想いも、強く残っている。
「あたし、ちゃんと受け取ったからね。――白ネズミの女王様の気持ち」
ミシェルは、両手を開いたり閉じたりしながら、言った。
この手に、彼女から受け取った「グングニルの槍」がある。
「うん。――あたしも、白ネズミの王様の気持ちを受け取った」
ルナは、まぶしげに、目を細めた。鼻がツンとした。
「とっても――とってもおおきくて、悲しくて――あふれちゃいそうになったけど」
「ルナ、ミシェル」
アンジェリカも、塔を見上げてつぶやいた。
「今度こそ――ラグ・ヴァダの武神を倒そう」
「うん」
「あたしたち、今度は、ひとりずつじゃないよ」
ルナは言った。ミシェルとアンジェリカが、ルナを見た。
「今度は、三人が近くにいて、助け合える」
三人は、微笑んで、手のひらを重ね合わせた。――誓うように。
白ネズミの女王の思いが詰まった、塔を見上げて。




