298話 アヘドレース 2
『我らが白ネズミの女王よ! ラグ・ヴァダの女王が到着されたぞ!!』
ボスネズミの大音声は、最上階のアンジェリカと白ネズミの女王のもとまで、はっきり届いた。
『アンジェ』
「うん」
アンジェリカと白ネズミの女王は、うなずきあった。
「こっちは聞こえてるよ! みんな、聞こえますか!?」
「アンジェちゃんの声だ!」
ニックが一等先に声を拾った。
「聞こえるよーっ!!」
ニックと白いタカが、大声で返した。
「みんな聞いて! シャチとサメたちは、女王様に反抗してない! つまり、みんなを攻撃しない! 反乱を起こしているのは、一部のネズミ!!」
『じょ、女王よ……』
さっき、攻撃を仕掛けてきたネズミたちのボスが、思いきり動揺した。
『われわれは、反乱を起こしたわけでは……!』
「うん分かってる! あたしたちのためにやってくれたことだもんね! でも、さっきから、シャチとサメのプールの近くに、ネズミたちがたくさん押し寄せてるの!」
『な、なんですと……われわれのほかにも、そんなネズミが』
困惑して考え込んでしまったネズミをよそに、アンジェリカは叫んだ。
「というわけで、そこにペリドット様とミシェルを残して、残りは最上階のプールに来て! そして、シャチたちに会って、玉をもらって欲しい!」
「玉?」
ペリドットが首を傾げた。
「その玉を、アヘドレースの壁面にはめて! そうしないと、ルナが危ない!」
「なんでルナが!?」
絶叫したのはもれなくアズラエルとグレンで、すかさずアンジェリカの声がした。
「説明する時間も惜しい! 最上階まで一気に来るエレベーターを開けたから、すぐに来て!」
アンジェリカの声が終わらないうちに、一行の前には、鉄柵でできた箱が現れた。
「行こう!」
『城の中を飛んでいいなら、僕は追って行こう』
白いタカだけは、乗らずに羽ばたいた。
ミシェルとペリドットを残した鉄の箱は、すさまじいスピードで上空に飛んでいった。中から、ベッタラの悲鳴が聞こえた。
高所恐怖症ならば、漏らしかねないスケスケの鉄柵でできたエレベーターが最上階に着いたときには、ベッタラは腰を抜かしていた。魂のほうもだ。これは生来、高いところがダメなのだろう。
着いた場所は、城の周りを囲む、広大なプールの一角だった。青空が広がり、雲の上に城がある。
『我らで、最後だと思っていた』
ボスネズミがつぶやく。
『ほかにも、暴れているやつらがいるなどとは……』
『貴様ら、だましたな!?』
声が聞こえた。
図体は、五メートルから三メートルと規格外でも、頭の中身はあまり上等でなさそうなネズミたちである。
彼らは、シャチとサメの海に誘い込まれていた。バシャバシャと盛大な音がするのでそちらへ行ってみれば、ネズミたちがそろってプールに引きずり込まれている。
「ここはワタシが!」
ベッタラとシャチが、プールに飛び込んだ。さっきは思い切りカッコ悪いところを見せてしまったので、挽回せねばならない。
ベッタラが相方のシャチとともに深く潜っていくと、ネズミたちが、水中でもがいていた。あぶくが水面に浮いたかと思ったら、それももう、届かないところまで。
ベッタラはその奥に、点滅している光を見つけた。様々な色がある――もしかして、あれが玉守りの宝石か?
先に、ネズミたちを助けねばなるまい。
相方のシャチが仲間たちのほうへ割って入っていく。ネズミはまだ暴れていた。
真っ暗闇の世界で、足元に水を感じて、まずいと思ったときには、シャチのテリトリーである水に引きずり込まれていたのだ。
『くそっ! くそっ!』
水中でもがくネズミたちに、シャチとサメは言った。
『暴れるな! おぼれさせたいわけではない!』
『そうだっ! 君たちには、すこしおとなしくしていてもらいたいだけだ!』
真っ先に最上階にたどり着いていたのか――海の上を、ぐるぐると周回しながら、白いタカも言った。
『くそっ!』
ついに、五メートルネズミがおとなしくなった。ボスの彼がおとなしくなったのと同時に、仲間のネズミも、観念したのか、暴れるのをやめた。
ネズミたちは、ようやく水面に引き上げられた。
『おまえたちには、夜の神の招集がかかっているはずだ』
シャチの群れが、海の道をあける――ベッタラの化身である、傷だらけのシャチ――「強きを食らうシャチ」が姿を現した。
『命令を無視すれば、罰則を受けるぞ』
『そんなもの、どうなってもかまわん!』
黒ネズミは吠えた。鎧に覆われたネズミ戦士たちも、いっせいに吠えた。
『友よ。話してみろ。――なぜ君たちは、われわれのジャマをした』
シャチは、厳かに聞いた。
『われわれを、友と……?』
五メートルネズミも、とたんに神妙な顔をした。それを見て、シャチとサメが、いっせいにうなずく。
『そうとも。われわれは、本来なら、白ネズミの女王様を守り、敬う立場としては、輩であるはず』
ネズミたちは急に押し黙り、みんなそろって、おいおいと泣き出した。そして、海水で顔をばちゃばちゃと洗い、ついに言った。
『こんな悲しいことが、あるものか!』
『われわれは、月を眺める子ウサギを憎んだ』
ネズミたちは口々に叫び――ベッタラとニックも、顔を見合わせた。シャチは、さらに聞いた。
『それは、なぜゆえにだ』
叫んだのは、ここまでついてきたボスネズミだった。
『月を眺める子ウサギが、とっくに、ラグ・ヴァダの武神を倒していたなら、こんな悲劇にはならなかったのだ――!』
女王様が御自ら、王様の胸に槍を突き立てることになるなど――。
すべての時間が止まったとき、なぜか動けたのは、クラウドだけだった。
「ルナちゃん!」
見えない壁も取り払われている。ピエトは、「壁」に手をついて、何か叫んだままの格好で、動きが止まっている。
「だいじょうぶか!?」
声が大きくなってしまうのは仕方がなかった。
「ぜんぜん動けないの」
クラウドが、ルナを持ち上げようとしたが、ダメだった。ルナの腰が、縫い付けられたように、椅子から離れない。しかも、椅子はボロボロだった。あちこちに穴が開いて、いまにも崩れ落ちそうだ。
「よく、無事だったな……」
ルナの周囲には、ちぎれ飛んだウサギのジニーのぬいぐるみが二体。そして、膝の上には、「椿の宿の古時計」――。
飛び散ったぬいぐるみのありさまと、穴だらけの椅子、そして敵方の駒が持っている槍を見た。
「ルナちゃん、ずいぶん、怖い思いをしたな」
「ク、クラウド、あたし、さっき気づいたんだけど、」
「ああ。俺も思い出した」
ふたりが思いのほか冷静なのは、そのせいだった。
ルナには「ノワ」がリカバリされたせいで、今朝から、一部の者には見えなくなっている――。
動けるのは、時計を持っているルナだけだ。エーリヒも操縦盤から身を乗り出した姿勢で止まっているし、対局者のメガネをはめた白ネズミのぬいぐるみも、右手を振り上げた状態で止まっている。
ルナと対極の玉座にいる――おそらく、これが白ネズミの王――も、玉座で足を組んだ状態で止まっていた。すべての駒もだ。
なぜ、クラウドが動けているのかは定かでないが。
クラウドは盤をまっすぐに駆け、玉座の白ネズミに近づいた。
(これは)
操縦盤のほうにいる、メガネの白ネズミの方へも行った。
メガネのほうは、“真実をもたらすライオン”たちと同じぬいぐるみだが、玉座の白ネズミは間違いない――。
(機械人形だ)
クラウドはそのまま、星守りがはめ込まれている壁に向かった。一番上には、「シャトランジ!」の文字が、でかでかと点滅している。このアトラクションの名称だ。
文字が彫られている下に、星守りがはめられている。
すぐ下に、二ヶ所はめる場所があり、さらにその下に七つ。
二ヶ所の部分には、片方だけ、星守りがはめ込まれている。色からして、真砂名の神の玉。
さらにその下に、七つの星守り。昼、夜、太陽、月、ラグ・ヴァダとアストロス、地球の玉が――。
クラウドは、真砂名の玉がはめられている箇所に、思ってもみないような名称があることに、目を留めた。
片方は「マ・アース・ジャ・ハーナ」。こちらは玉がはめられていない。
もう片方は――。
(セパイロー?)
マ・アース・ジャ・ハーナの神とともに、世界をつくったという、あの神か?
ミシェルは、ふわふわと、妙に弾力のある、まるで毛布のような魔方陣の世界を歩いていた。
ずっと向こうに、ペリドットがいるドアがあるから怖くはないが、この世界は果てがなく――迷い込んでしまいそうなくらい広かった。方向感覚もあやうくなりそうだ。
ミシェルは、ドアがまだ見える位置で、止まった。そして、周囲を探したが、槍らしきものは見当たらないし、“白ネズミの女王”もいない。
「こんにちは、あたし、グングニルを受け取りに、きましたよ」
ミシェルはそっと、底知れない宇宙のような空間に向かって、そう呼びかけてみた。
(――あ)
ミシェルの目前に、ミシェルと同じ大きさの、「偉大なる青いネコ」が姿を現した。
ペリドットと一緒に置いてきたはずだったのだが。どうしてここに?
その姿が、ひとの形になっていく。
ラグ・ヴァダの民族衣装を着た、長い茶色の髪の、女王に。
「ラグ・ヴァダの、女王様……?」
ミシェルが聞くと、女王は肯定するように、微笑んだ。
すると、キラリと宇宙が光って――空から、なにかが降りてきた。――まるで綿毛が舞うように、ゆっくりと。
真正面にいるラグ・ヴァダの女王とミシェルは、手をつないだ。
そこへ、円形のなにかが降りてくる。降りてくるのが槍だと思っていたミシェルは、想定外のものに目を見開いた。
それは、リンゴだった。
バスケットボールほどもある、大きな金のリンゴだ。
リンゴは、まったく重さがなかった。ミシェルと女王の手の上で、砂のように崩れて、消えた。
魔方陣も消えた。
ミシェルが立っている場所は、外から光が差し込む、明るい石畳の部屋だった。
(ラグ・ヴァダの女王さま)
ミシェルの耳に、かすかな声が届いた。
(シンドラは、たしかに、あなたの手に渡しましたよ)
その瞬間、ミシェルにはすべてが分かった。
シンドラという、「白ネズミの女王」の決意を。
これから、なにが起こるのか。
ミシェルが受けとった、“グングニル”の意味を。
「みんなーっ!!」
ふたたび上空から、鉄柵の箱がすごい勢いで降りて来た。
「シャチたちから、玉守りを受け取ってきたよ!!」
ニックが、白いタカに乗って、真っ先に地上に滑り降りてきた。
「あたしも、“グングニル”を受け取ったよ!!」
追うように、ミシェルの声。みんなはようやくほっとした顔で、ミシェルを迎えた。
「ご苦労だったな」
ペリドットが、白いタカから星守りを受け取り、ミシェルの真後ろにあった壁に、玉をはめ込んでいく。迷う必要はなかった。星守りをはめる場所に、名前が書いてあったからだ。
「こっちが昼の神で、ここは太陽、夜、月、と……」
躊躇なく嵌め込んでいくぺリドットの手が、一瞬止まった。
「セパイロー……?」
『どうした、ペリドット』
偉大なる青いネコが聞いたが、ペリドットは寸時止まっただけだった。「いや」とつぶやき、すべての玉をはめ込んだ。
こちらは九つ。
上二つの「マ・アース・ジャ・ハーナ」と「セパイロー」両方に。
下の七つも、同様に。
とたんに、石畳からチェスの盤が現れ、宙に浮きあがった。そのまま、玉守りの光ごと吸い込むように、急激に光を宿したかと思うと――一瞬にして、消えた。




