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キヴォトス  作者: ととこなつ
第七部 ~白ネズミの女王篇~
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298話 アヘドレース 1



「どういうことだ」


 さすがにエーリヒの顔にも焦りが見えた。チェスのようでいて、チェスでもない。シャトランジの駒の動かし方は、確か――。


「エーリヒ!」

 クラウドが駆け付けた。どうやら、棋士(アリーヤ)の席には来られるらしい。

「シャトランジのルールを!?」


「いや、覚えているつもりだったが、ここにきたらさっぱりだ」


 盤はチェスのものだが、シャトランジの駒は、チェスのように個性豊かな区別がない。すべて、粘土でつくられたような質感の、円柱型の駒ばかり。ほとんど区別がつかない。


「これはL03のシャトランジだな。地球時代のは、俺は知らないけど」


 賢者の白ネズミが最初に動かした“歩兵(ハイダク)”が、ルナの目前に迫り、急に姿を変えた。


「こっちはまだ、一駒も動かしてないのに――!!」


 さすがにクラウドも叫んだ。

 “将軍(フィルズ)”となった駒の中から、槍を振り上げたネズミが現れる。

「賢者の白ネズミ」が宣告する。


『“王は死んだ(シャー・マート)”』


「ルナ!」

 遠くで、エーリヒの絶叫を聞いた。

「ぬいぐるみで自分を守れ!」


「うきゃああああ!!! ペルチェっ!!!!!!!!」


 ルナは泣きながら、叫んで頭をかばった。巨大なぬいぐるみがボンッとマヌケな音とともに現れて、ルナの身代わりになった。

 槍の先は、玉座の肘掛に突き刺さって、止まった。

 貫かれて綿が(こぼ)れたぬいぐるみが、無残に放り投げられた。

 ルナは震えながら、それを見た。

 槍の穂先は、本物の刃だ。

 ――あんなものに刺されたら、死んでしまう。


「ルナ! 無事かね!?」

「ルナあ!!」


 ピエトの絶叫が聞こえる。


「だ、だいじょうぶ……」


 かろうじて答えたが、震えは止まらなかった。


(ルーシー、ルーシー! いったい、この遊園地はなんなの……!)





『致し方あるまい』

 巨大ネズミは、観念したように座り込んで、言った。

『すでに、アンジェリカさまは、自分の真名(まさな)を思い出されてしまった――歴史はもはや、紡がれるのみ』


 このネズミは、リーダー格のようだった。五メートルもあったのに、いつのまにかミシェルくらいの大きさに縮んでいた。もともと傷だらけだったのに、強きを食らうシャチにボコボコにされたので、さらに傷が増えている。


「最上階までの近道はないか」


 ペリドットは尋ねた。強そうなネズミは腕を組んで瞑目していたが、やがて言った。


『……ラグ・ヴァダの女王が、最上階まで行く必要はなかろう』

「なんだと?」

『女王は、この階層の部屋で槍が授かるのを待てばいい』

「城には入れんだろう。この階は、入ってすぐに、チェスの盤がある」


 だから、以前ペリドットは引き返した。チェスの勝負があるために、上にも下にも行けなくなっている。チェスの勝負をしない限りは――。


『あれは“アヘドレース”だ』


「アヘド……なんだって?」

 ペリドットが聞き返す。


『あれはチェスだ。この世界のチェス。だが、あれは、あそこで勝負をするものではない』


 ネズミは立った。仲間たちは、互いに介抱しあいながら、ボスの様子を伺っている。


『ついてこい』


 ボスネズミの後をついて、ペリドット一行は、女王の城に向かった。第七層(シエラ)の入り口だ。


 そこにいたのは、ネズミではなく、魚の着ぐるみだった。ルナが夢で見たまま――同じ魚だ。


 ペリドットが、レイチェルたちがくれた金のビジェーテ――四枚を出すと、すでに、ルナが夢で渡しておいたビジェーテとあわせて五枚――魚は数え、ハンコを押し、トロッコへ通じる門を開けた。


 ミシェルたちを乗せたトロッコは、城の中へ入っていく。以前、ルナが夢の中で乗ったときとは違い、ゆるやかな速度で、下へ下へと、真っ暗な坑道を進んでいった。


「ジェットコースターみたいになったら、どうしよう」


 ミシェルがそわそわしていたが、トロッコの速度は、せっつきたくなるくらいゆるやかだった。

 真っ暗な坑道から、岩だらけの場所へ――どんどん、地下へ入っていく。

 やがて、ゴールが見えてきた。行き止まりで、トロッコは止まった。


『ここからは、歩きだ』


 ネズミのボスが、ランプを掲げて先頭に立った。坑道をひたすら歩き、大きな鉄扉の前に立つ。トラが扉を押すと、勝手に開いた。


 ――中は、暗闇だった。


 床はあってないようなもの――地面いっぱいに魔方陣が描かれ、薄青く発光している。


「……以前きたときに見た、チェスの駒がなくなっているな」


 ペリドットが言った。ボスネズミが、深く嘆息する。


『女王よ』


 ボスネズミは、はるか上空――まったく奥が見えない、暗闇の天井を見上げて叫んだ。


『ラグ・ヴァダの女王が参られたぞ!!』





「ふ、ふは、ふへ……」


 ルナは、二つ目のぬいぐるみがこっぱみじんになってしまったのを見つめながら、顔を涙と鼻水でいっぱいにしていた。


 槍の勢いは恐ろしく、ふたつのぬいぐるみは、白い綿を飛び散らせて粉々になってしまった。


(うさこ、うさこ、たすけて)


 もうぬいぐるみはない。ルナの身代わりになってくれるものは――。

 次の勝負では、確実に、ルナが串刺しにされる。


(ルーシー……どうなってるの。あたし、死んじゃうよ!)


 二戦目も、あっけなく勝負がついた――エーリヒ側の駒は、動かないからだ。一戦目と同じく、歩兵(ハイダク)がまっすぐに進んできて、将軍(フィルズ)の駒となって、ルナに槍を振り上げた。


「フェアじゃないだろう! こんなのは!」


 クラウドが操縦盤を叩き、ルナを解放しようと盤のほうへ動きかけたが、味方であるはずの駒が槍を交差して、クラウドの行く手を阻んだ。


「なぜこんなときばかり動くんだ!」


 クラウドは叫んだが、容赦なく三戦目が始まる。


「なぜだ? 駒は変わりがない……」


 エーリヒも生まれて初めて、冷や汗をかいていた。互いの駒に、違ったところはない。目のようにも見える緑のランプが電源ならば、こちらの駒にも点いている。


「クラウド! エーリヒ!! ルナを助けて!!」


 ピエトの、涙声の絶叫を聞きながら、ふたりはまったくなす術がなかった。

 一戦目、二戦目と変わらず、まっすぐに、歩兵(ハイダク)一基だけが進んでくる――まるで死へのカウントダウンだ。


「ふ、ふひゃ、」


 ルナはもはや、恐怖で涙も出なかった。フィルズに変化したハイダクが、ふたたび槍を振り上げる――。


「ルナ!!」


 聞いたこともないエーリヒの絶叫とともに、ルナは目を瞑った。

 すさまじい音がした。槍が、石を砕く音だ。


「……?」


 ルナはどこも痛くなかった。恐る恐る目を開け、「フギャー!!!」と叫んだ。フィルズの槍は、ルナの腹を貫いていた。だが、ルナはどこも痛くないし、血も出ていない。


 フィルズは、焦ったように槍を引き抜き、何度もルナを刺した。だが、刺さらない。ルナをすり抜けて、座っている椅子ばかり傷つける。椅子には、大きな穴が開いていく。やっと、ルナは気づいた。


(あたし、透明になってるの?)


 思い出した。

 今朝、ノワがリカバリされたことを。


 フィルズには、ルナが見えていないのだろう。戸惑い顔で、周囲をキョロキョロ見回している。


(このネズミさんには、あたしが見えてない)


 ルナははっきりと悟った。ネズミの向こうに、だれかが立っていた。肩に大きな黒いタカを乗せた――。


(ノワ)


 口元をにやりと笑みの形に曲げたノワに、ルナが気づいたとき。

 ボーン、と、聞き覚えのある時計の音が響いた。


 ルナの膝の上に、「椿の宿の時計」が乗っている。


 めのまえに、すでにフィルズはいなかった。四戦目のために、もとの場所へハイダクになって、もどったのだ。

 時間が、止まっている。





 遊園地の中は、アンジェリカが発動した「世界(ムンド)」によって、天候まで支配され、すっかり晴れていたが、外は、尋常ではないありさまになっていた。


 ルナが見つからないことを嘆く夜の神によって、吹雪はますます勢いを増している。あげくに、すさまじい雷があちこちで落下し、宇宙船の街全体が停電になった。


 K19区の海沿いを照らす電燈はすべて消え、大通り向こうの街が、真っ暗になるのを、アントニオも見た。


 予備電源が徐々に点灯していく。サイレンの音が、アントニオの耳に飛び込んできた。


「……暗くなってきたな」


 日が落ちるにつれて、夜の神の力が増している気がする。


 真砂名神社は、夜の神を鎮める祈祷をつづけ、イシュマールは、「ペリドット、早くせんか」と困り顔をしていた。


 アントニオが太陽となっているおかげで、セルゲイは雪だるまにならずにすんでいた。二人のまわりだけは、円形に雪が溶けている。


「セルゲイさん……がんばってください!」


 アントニオが一生懸命励ます。セルゲイもまた、夜の神を励ましていた。ルナはいなくなったわけではない、かならず姿を現すと。だが、「妹がいなくなること」がトラウマとなっている夜の神は、それでは鎮まらない。


 私の妹を、どこにかくした――!!


 夜の神の咆哮(ほうこう)が、嵐となって船内を駆けめぐった。



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