297話 いざ、女王の城へ 4
ようやく合流したルナとピエト、それからエーリヒとクラウド、彼らのぬいぐるみたちは、第三層の入り口にたどり着いていた。
夜のメルカドの小路へ入った突き当たり――ツタに覆われた、巨大な扉がそこだった。
薄暗がりで、チカチカ、電灯が点滅しているほかに灯りはなく、さらに、雨が降ったばかりのように湿っぽい。メルカド大道路の喧騒とはかけ離れた、不気味といってもいい雰囲気だった。
「第三層」と彫ってある文字が見える。苔に覆われて、半分しか見えなかったが。
『火』
月を眺める子ウサギが呪文を唱えると、彼女のもふもふの指先に、ポッとちいさな灯がともった。まるでライターの火のようだ。
それを鍵穴と思しき場所に差し込むと、火はたちまち、扉の輪郭に沿って走った。燃え盛る火が扉を形作ると、ガチャリと音がして、ギィ……と不気味な音とともに、スライドした。
中は、エレベーターだ。
「入りましょう」
月を眺める子ウサギが促したので、みんなそろって入ったが、黒いタカは後から来るように申しつけられた。なにしろ一羽だけ、とても大きくて入らなかったからだ。
『これ以上小さくなりようがない』と彼は文句を言ったので、置いてこられた。
『光』
導きの子ウサギが唱えると、ピエトの持つアムレトが光り輝いた。ランプ変わりだ。
「これって便利なんだな!」
ピエトが感動していると、すっと扉は音もなく閉じた。中はアムレトの光がなければ漆黒の闇だ。怖くなったピエトは、ルナの手を握りしめた。
『第三層へ』
月を眺める子ウサギの声がした。同時に、エレベーターはスーッと下に動いた。身体が浮くような感じがして、ギギッと金具がきしむ音がしたきり、あとは静寂だ。
シャインよりも少し長い時間、金具の箱は落ち続け、ガタンと止まって、後ろに下がってまた止まり、さらに落ち続けた。
暗い上に、かび臭い匂いが鼻をつく。ルナたちは、寄り添った。
「どこまで行くんだよ……」
ピエトの声に泣き声が混じってきたとき、箱はすっかり止まった。そして、扉が開いた。
『第三層、到着しました』
皆は、急に吹き付けてきた冷たい風に、ようやく現実の気候を思い出した。
そうだった、今は冬だ。
第三層は、冬の景色だった。大量に積もってはいないが、雪がそこかしこに積もっていて、泥だらけの地面はぐしょぐしょだ。ぬかるみに気を付けながら、ルナたちは外へ出た。
世界は、廃墟のようにさびれていた。ルナたちが、最初にこの遊園地を見たときの景色と似ている。
「ここは……」
ルナがコートの前を合わせて景色を見渡す。耳まで凍えそうだ。遠くまで見ようにも、霧が遮って、よく見えない。
『第三層。地獄に該当するわ。アンディとルシヤたちがいたゴーカートコースも、ここにあるのよ』
「えっ!?」
ルナが月を眺める子ウサギを振り返ると、彼女は微笑んだ気がした。
『見ていく?』
ルナはあわてて首を振った。
『冗談よ。時間もないもの。だれかさんのおかげでね』
「地獄の審判もここかい?」
クラウドが月を眺める子ウサギに聞いた。
『いいえ。あれはさらに下よ。最下層』
話しているうちに、エーリヒと英知ある黒いタカがようやく追いついた。エーリヒは、外に出るなり身震いした。今朝の遊園地より、だいぶ寒いのだ。
「なにやら寂しげな景色だな。私はさっきのほうが断然いいね」
『同感』
『行こう。時間がない』
真実をもたらすライオンが、促した。
シャトランジ! は第三層のずいぶん奥だった。ルナたちはかなり歩いた。途中でくたびれたルナを、黒いタカが背中に乗せてくれたりして、ようやくついた。
シャトランジのアトラクションは、どうやら室内のようだ。入り口からは、大きさが把握できない、半球体の、ずいぶんな大きさの建物だ。
ツタに覆われた紺色の壁が、不気味にそびえたっていた。
「何者だね……!?」
エーリヒと黒いタカが思わず、ルナとピエトを後ろに庇った。アトラクションのまえに、ひとがいる。
おとなの男性ほどもある、灰色ネズミのぬいぐるみだった。
彼は、アトラクションの管理人だ。それを示すように、灰色ネズミの着ぐるみは、ルナたちに向かって、滑らせるように手を出した。
『ルナ』
月を眺める子ウサギに促され、ルナは「シャトランジ!」のチケットを出した。
彼は、そのチケットにポン! とはんこを押すと、うやうやしく、扉を示した。
華美な装飾を施された半円形の扉が、ギギィ……と不気味な音をさせて、開いた。
中は、真っ暗だった。
「待って。俺たちが先に」
クラウドとエーリヒが、相方とともに、真っ先に入った。その後ろから、ルナとピエトが。
扉の閉まる音に、ルナの肩が大きく跳ねた。
中は真っ暗だったが、ルナたちが入るのを合図に、アトラクションは起動しようとしていた。
円形の天井に星空が瞬く世界は、まるでプラネタリウムだ。地面との境目をなくし、まるで宇宙に放り出されたような感覚だった。
奥のほうから、ゆっくりと光が現れた。プロジェクション・マッピングだ。
やがて宇宙は、遊園地の光景を映し出した。
果物の形の建物が並び、軽食の屋台に、真ん中には噴水――。
写しだされる光景は、廃墟ではなく、ひとが行きかうにぎやかな遊園地だった。噴水からも、光と水が、際限なくあふれている。
もしもこの遊園地が見えない遊園地などではなく、リリザみたいにふつうに運営していたら、こんな光景が見られたかもしれない。
『ようこそ!“シャトランジ!”へ!』
白ネズミの姿が、スポットライトを浴びて、中央に現れた。これも、本物ではなく、映像だ。やっぱり、ルナのアムレトを持って行ってしまった白ネズミだった。
「ルナ、あいつだ!」
ピエトが叫んだ。
「うん」
ルナもうなずいた。
『さっき会ったね! 月を眺める子ウサギ! 僕は、白ネズミの王様です』
チケットにあった白ネズミと同じ格好をしていた。風船を手にした、陽気な笑顔の。
「あたしのアムレトをどこにやったの?」
聞きたいことは山ほどあったが、ルナはまずそれを聞かずにはいられなかった。
『いよいよ、このときが来たね』
「ルナ、これは“映像”だ。会話はできん」
エーリヒが止めた。
『僕が、ラグ・ヴァダの武神に殺されたのは、きみと同じ、三千年まえです』
白ネズミの王様は、人ごみを見つめながら、ぽつりと言った。
『君は知っているだろうか。僕は、とても美しい妻と、しあわせに暮らしていた。ラグ・ヴァダの女王さまのもとで。でも、妻があまりに美しかったから、暴虐な武神が見初めて、僕から奪いとった』
白ネズミの顔から、表情が消えた。
『僕は、とても弱くて――とてもちいさな白ネズミで。武神に逆らった僕は、なぶり殺しにされた。自分がいつ死んだかもわかりません。妻も、僕が死んですぐあと、子を産み落として亡くなりました。武神はそのころ、妻にはもうすっかり飽きて、ほかの女を妻にしていた』
まるで、白ネズミの感情を代弁するかのような雷が鳴った。彼の口調は、終始静かだというのに。
『僕も女王も、無念の思いを持ちながら――武神を倒すことはできなかった』
ルナは、ぎゅっとこぶしを握り締めた。
『僕は、君たちに謝らなきゃいけない』
ネズミが、ルナを見つめていた。
『君たちに託すことしかできなかったことを』
「そんなこと――!」
謝らなければならないのは、ルナのほうだ。
ラグ・ヴァダの武神を倒す力を持ちながら、イシュメルもダメだった。ルーシーのときも、アロンゾに殺されてしまった。武神を倒せなかった。
協力してもらったのに――。
「今度こそ――」
ルナは、決然と、顔を上げた。
「今度こそ、ラグ・ヴァダの武神をたおすの」
白ネズミの映像は、記録だ。会話はできないはずだった。でも、ルナの言葉を聞いた白ネズミの王様は、微笑んでいるようにも見えた。
『まるで君たちは満月、僕たちは新月――この盤で向かい同士にいるように、僕と君は、すれ違った。いつでも協力体制にありながら、ほとんど出会ったことがなかった』
ルナは、彼の名を呼ぼうとして、その名すら、知らないことに気づいた。
『僕たちはネズミだけれど、それはそれはちいさな生き物だけれど、ラグ・ヴァダの武神がつまづく穴くらいは、掘ることができるんだ』
ライオンやトラのように、武神の喉笛に、直接歯を立てることはできずとも。
『これは、ラグ・ヴァダの武神をたおす占術、“シャトランジ!”』
青紫の光源を背負って、白ネズミは、ひときわ白く輝いた。
「――!?」
『あなたに授けよう。“白ネズミの王”と、“白ネズミの女王”が、つくった秘術を――きっと、あなたが今度こそ、ラグ・ヴァダの武神をたおすと信じて――』
プロジェクション・マッピングが消えた。
遊園地の世界が、一瞬にして、あとかたもなく、消えた。
地面は、敷き詰められたチェスボードの床――チェスボード?
エーリヒとクラウドだけだ。首を傾げたのは。
『シャトランジ! ――起動』
白ネズミの王が手をかざすと、ルナの身体が後方に引っ張られた。
「プギャー!」
「ルナ!?」
デジャヴだ。今度は真砂名神社の階段の頂上ではなかったが、かつてと似たような状況になった。
ルナが、盤の端にある、王様の椅子に座っている――いや、強制的に、座らせられたのだ。
「ルナ!」
「うご、うご、うごかな……!」
ルナは、シートベルトなどで拘束されているわけではない。だが、椅子に張り付けられたように、動けなかった。
「つ、月を眺める子ウサギ……」
ピエトは慌てて周囲を見渡し、やっと気づいてがく然とした。さっきまでいた、自分たちの「魂」がいない。
月を眺める子ウサギも、導きの子ウサギも、英知ある黒いタカも、真実をもたらすライオンも消えていた。
『君が“賢者”だな』
今度は映像でない、本物の着ぐるみの、白ネズミの王が姿を現した。彼は、凶悪な顔をして、エーリヒを指さした。
『君が“アリーヤ”、つまり棋士となる』
エーリヒは、ただちに自分がつくべき場所を悟った。ルナが座らせられた椅子――市松模様の盤を見下ろす、すこし高い位置に、豪奢な椅子とテーブルがある。テーブルには、ちいさなチェスの盤。
チェスボードを挟んで向かいに、同じものがある。そちらに、白ネズミの王が座り、エーリヒと対局するのか。
だが、これがチェスでないのは、あきらかだった。
「これは、市松模様の盤だが、チェスではなく名称はシャトランジ、つまり、古代ペルシャのチェス――いや、L03のものかね」
『駒はそうだが、システムは違うぞ』
「そのようだ」
シャトランジには、市松模様の盤は必要ない。
『“シャトランジ!”をつくったのは、千年前のサルディオーネ、つまり僕だ』
白ネズミがぶわりと二重に重なった。残像を残すようにずれて、二体になった。王冠を被った白ネズミの王様が、ルナと対面の玉座に座り、メガネをはめた白ウサギが、エーリヒの向かいにある対局席に座った。
そのとたん、暗がりだった世界が、スポットライトを浴びて明るくなった。
市松模様の盤には、駒が並んでいる。等身大のぬいぐるみほどもある、巨大な駒だ。
さらに、彼の背後の照らし出された壁面が、そこだけさまざまな光をまとって輝いている。ルナは、真正面でチカチカと光る、8つならんだ光がなんなのか、ようやく気付いた。
ルナがお祭りのときに集めた玉守りの石だった。ちょうど8つ。
おそらく、あれはルナのものだ。さっき、アムレトごと盗まれた――。
ふだん持っているときとは違う、それ自体が発光する惑星のように、大ぶりな光を宿して輝いているのだ。
その上には、「シャトランジ!」の文字がはっきりと浮かんだ。
「ルナちゃん!」
「ルナぁ!!」
クラウドとピエトが盤の外で叫んでいるが、ふたりは入れないようだった。地獄の審判のときと同じように、見えない壁が、ふたりを阻んでいる。
『僕と月を眺める子ウサギが“王”、君と“賢者の白ネズミ”が、“棋士”だ』
白ネズミの王様は、悠然と王座で足を組んだ。
『君が負ければ、“王”は死ぬぞ』
『“歩兵”をE-3へ!』
メガネの白ネズミ――「賢者の白ネズミ」が叫んだ。
いきなり勝負が始まった。
「待ちたまえ!」
ルールの説明もなしか!
エーリヒは叫んだが、勝負ははじまってしまった。
先手後手を決めることもないとはどういうことだ。
敵の駒――チェスの歩兵とはちがう、巨大な円柱状の駒が、ズズン……と音を響かせて一コマ進んだ。
ルナは口を開けてそれを見つめた。
円柱の駒の中に、なにかいる――緑色に目を光らせたネズミが、ルナのほうをギラリと睨んだ。
ルナの目から、たっぷりと、涙があふれた。――恐怖のために。
「えっ、え、え、えーりひ……」
「落ち着きたまえ。かならず勝つ」
そういったものの、エーリヒの額には、今までの人生でかいたこともないような汗が流れていた。




