296話 いざ、シャトランジ! へ 1
「エーリヒ!? エーリヒ!!」
そのころ、ルナたちは、「消えた」エーリヒを一生懸命探していた。
エーリヒからすれば、ルナたちのほうが消えたのだが、ルナたちからすれば、消えたのはエーリヒのほうだった。
「エーリヒ! エーーーーリヒーーーーー!!!!!」
ピエトの絶叫があたりに響いたが、エーリヒの姿は見当たらない。
「ん?」
最初に気づいたのは、ルナだった。
雪がやんでいる。それどころか、雪が積もっていたはずの案内所の屋根には――地面にも、雪など見当たらない。
廃園だったはずの世界は、彩りを取り戻している。廃墟となり、ポスターやチケットが散らかっていた案内所は、綺麗な青色の三角屋根が、陽の光を反射して輝いていた。
「夜……じゃない……」
ルナは、「昼」の遊園地に来たのは初めてだった。いつもは、夜寝ているときに夢を見ているので、「夜」なのか。
――ここは。
「ルナ、ルナ……だれかいる」
ピエトが、ルナの腕をつかんだ。
案内所と、澄んだ青空に気を取られていたルナは、広場のほうを見て仰天した。
そう多くはなかったが、動物のぬいぐるみが、遊園地を行き来している。人とそう変わらない大きさの――ネコ?
まさか。
「……!?」
ルナは慌てた。持っていたはずの巨大ぬいぐるみがない。しかも、ジニーのバッグを下げている。毬色で買った、大きいほうのショルダーバッグだ。下げてきたのは、タキからもらったミニバッグのはずだった。
ルナは呆然と周囲を見渡し、不安そうな顔のピエトを見、それからバッグに視線を戻した。
バッグを開けてみると、手のひらに乗るくらい小さくなったZOOカードの箱と、薄っぺらい紙が二枚あった。その紙も、同じくらいの大きさで、ジニーの姿をしている。しかも、ピンクと白。
「ぬいぐるみが、紙切れになっちゃった……」
ゆっくり驚いている暇もない。ピエトが震える声で、ルナのおなかのあたりを触った。
「ルナ、これ、なに?」
ルナが首から下げていたのはスタッフカードみたいなものだ。これは、覚えがある。「アムレト」というやつだ。けれど、ルナが首から下げていたのは、ミンファからもらった、白イアラのペンダントだったはず――。
「俺も持ってる……」
ピエトも、ポケットからアムレトを出した。
「お守りが入ってたはずなのに」
まさか、本当に。
「良いものをお持ちで」
タヌキが、両手を揉みながら近づいてきた。
「それは“ぬいぐるみ”ですな。いざとなったら、自分の身代わりにできる優れもの――」
「ペ、ペルチェ?」
ルナはつぶやいて、後ずさった。すると、ルナの言葉に反応して、ヒラヒラの紙は、ぼんっと音を立てて、もとの巨大ぬいぐるみに戻った。
ピエトが、目を丸くしている。タヌキの笑みが嫌らしくなった。
「ペ、ペルチェっ!!」
ルナがもう一度唱えると、ぬいぐるみは紙に戻った。ルナは慌ててバッグにしまった。
夜のメルカドを思い出した。いい動物ばかりではないのだ、ここは。
「お嬢さん、これでいかがです? そのペルチェ、譲っていただけませんか」
タヌキが差し出してきたのは、銀のビジェーテが五枚。キラキラ輝いている。ルナはきっぱりと言った。
「これは、あたしたちに必要なものなんです」
「でしょうな」
タヌキは仕方なさそうな顔をして、あきらめた。そして、不貞腐れた顔で、遊具のほうへ歩いて行った。その手にあったビジェーテが、枯れ葉になって散っていくのを、ルナもピエトも、目を丸くして見つめた。
だまされるところだった。
そういえばルナは、この遊園地では、けっこうなお金持ちの部類に入るのだった。気を付けなければ。
「ピエト」
「うん?」
ピエトは相変わらず、恐々と、あたりを見回している。
「消えたのは、エーリヒじゃないかも。あたしたちかも」
「えっ?」
「あたしたち、ZOOカードの世界に迷い込んじゃったかも」
ペリドットたちが遊園地に入ったのは、ルナとピエトが、シャトランジ! を探すために、ゴーカート乗り場に向かったあとだった。
「ルナたちはいないな……。もう、シャトランジ! を探しに行ったか」
「おい。オイオイオイ。なんだここは」
アズラエルの呆れ声も、無理はない。グレンも、らしくないマヌケ面をさらしていた。
門の外から見る限りでは、ここは廃墟だった。なのに、案内所に挟まれた狭い道を抜けると、「人間」が、自分たちしかいなくなっていた。
見渡す限り、動物、動物、動物だらけ。しかも、スタッフも客も、みんなぬいぐるみ姿ときた。
「ルナの頭の中身みたいな場所だな……」
グレンは、かつてアズラエルが言ったセリフを繰り返すことになった。
「すごぉい! これがZOOカードの世界なの!?」
大興奮のミシェルはもとより、ニックもベッタラも、戸惑っている様子はない。せめてもの救いと思ってクラウドを見れば、「まだ慣れないの?」と呆れ顔でこちらを見ていた。
こんなものに慣れてたまるか。
見回しても、ルナたちの姿はない。エーリヒは尋ねた。
「私は、ルナたちを追わねばならないのだろう。どちらへ行けばいいのかな」
「まぁ、ちょっと待て」
ペリドットは、パチンと指先を鳴らした。
「召喚!」
呪文詠唱ともいえない短いつぶやきのあと、アズラエルたちの前に、等身大のぬいぐるみが次々に現れた。
「わっ!」
「なんだ、コイツ」
アズラエルの前には、同じような格好をしたライオンのぬいぐるみ。
グレンの前には軍服を着たトラ。
ベッタラの前には、同じ格好のシャチ、ニックの前には、騎士の格好をした白いタカ――が現れた。
ミシェルのそばにはサルーディーバの格好をした青いネコ、クラウドの前には、クラウドと同じ服装の眼鏡をかけたライオン――。
エーリヒの隣には、巨大な黒タカがいた。軍服は来ていなかったが、黒ネクタイをしている。
全員、不思議なもので、本人と同じ身長だった。
ペリドットは、自分の隣に「真実をもたらすトラ」が現れたのをたしかめ、「全員、顕現したな」と確認した。
「なんだこれ!?」
グレンが、どうも自分と似たような顔をした、軍服のトラから距離を取りつつ、言った。
「慣れろ」
ペリドットは、シンプルに言った。
『ここはZOOカードの世界だ。おまえらは、“あの世”に片足を突っ込んでいるんだ。つまり、自分の“魂”が案内役となる。“相棒”を大切にしろ。でないと、ここから帰還するのは難しくなるぞ』
いつでも言葉の足りないペリドットの代わりに、真実をもたらすトラが説明した。
グレンは恐る恐る、自分のトラの横に並んだ。アズラエルも、忌々し気な顔をして、自分と同じ服装のライオンと拳を突き合わせた。
ペリドットは、あらためて言った。
「エーリヒ、おまえはルナとピエトを追え」
『承知した』
「承知した」
タカとエーリヒから同時に声がして、ふたり――ひとりと一羽は見つめあった。無表情同士で、なかなかシュールだ。
「さて。ルナが自分の“相棒”の出し方を知っていればの話だが……おそらく、知らんままだろう」
『それは危険ではないか?』
黒タカが、エーリヒの代わりに返事をした。
「危険だな。月を眺める子ウサギか、導きの子ウサギのほうがいち早く気付いて、合流できれば御の字だが――」
考え込むペリドットの代わりに、真実をもたらすトラが、言葉を付け足した。
『ルナたちと合流したら、相棒がそばにいるかすぐに確かめてくれ。いなかったら、ルナに“召喚”の呪文を唱えて、顕現させるように言ってくれ』
『承知した』
返事をしたのは黒タカのほうだ。
「特に、危険はなさそうに見えるのだが……」
エーリヒは、遊園地を見回した。
親子連れの動物や、友人同士、カップルの動物、ひとりであちこちうろついている動物も多い。にぎやかな音楽が流れ、アイス売り場に風船、雑貨小物――まったく「ふつう」の遊園地にしか見えない。客もスタッフも動物でさえなければだが――光景だけ見れば、おしなべて平和だ。
「ここは平和な方だ。安全でない場所もあるがな。だが、シャトランジ! があるのは第三層――だ。ここよりずっと危険な場所だ」
「第三層?」
ニックが聞いた。
『この遊園地はぜんぶで十二階層あるのさ! ここは第七層! マ・アース・ジャ・ハーナの神の管轄下で、この遊園地全体の案内所、いわば入り口だね!』
白いタカは、ニック同様、声もかん高くて、さらにうるさかった。
『ここは、十二層すべての階層を体験できる』
青いネコが、厳かに告げた。
「シャトランジ! は第三層――つまり、夜の神の支配下にある階層だ」
「夜の神、ねえ……」
クラウドが考え込む顔をした。夜の神の管轄下、というだけで、物騒な証拠だ。夜のメルカドのように、危険が多い場所であることは伺えた。
「俺たちが向かう女王の城は、逆に、最上階だ」
「なんだって?」
「そもそも最上階には、白イアラがないと入れない。下の階層に比べて、危険は少ないと思うが――最近は分からん。ネズミたちがあちこちに出没していて、悪さをしてるらしいからな」
「ネーズミって――ネーズミというものですよね?」
ベッタラが不思議な顔をして、手のひらで小さい形をつくった。
「我々はシャーチーにトーラに、ラーイオンに、ターカです。ミーシェルは我々強い動物が守るといたしまして、そうそうネーズミと戦って敗北するのは、ないことです」
ペリドットは苦笑した。
「ベッタラ、ここは魂の世界だ。本来の大きさとはかけ離れた動物ばかりだぞ」
ベッタラの本体のシャチはにっこり笑って、みるみる大きくなりだした。十メートルを超えて、あたりから悲鳴が湧き出したころ、ようやく止まり、今度は縮み始めて、元の大きさに戻った。
「おまえの魂は、いざとなれば一キロメートル以上の大きさになる」
ベッタラは、パクパクと口を開けた。
「あのパコと戦い続けた魂だぞ? パコレベルにでかかったことは違いないが、今はラグ・ヴァダの武神と戦うために、もっと大きくなりつつある」
ペリドットはベッタラの肩を叩いて励まし、「下手をすりゃ、おまえレベルのネズミがいるってことだ」とよけいなひとことを付け加えた。
ミシェルの顔が分かりやすく引きつった。
「ネズミに負けるってのか? ライオンが?」
アズラエルが言うと、隣の本体が鼻を鳴らす。
『バカを言え。ネズミに負けるつもりか? 自信がないのか? 呑気な船内暮らしでなまったんじゃねえのか』
「いちいちムカつく子猫ちゃんだなコイツは」
自分同士で睨みあってもマヌケなだけだ。
「おそらくルナは、月区画にいるはずだ」
ペリドットは、「地図!」と唱えて、遊園地の地図を空中に広げた。四方から、みんなが覗き込む。
入り口から向かって右手が月区画だ。
「俺たちは、まっすぐ夜区画の奥の、女王の城に向かう。最上階までは、“豆のつる”をよじ登れば行けそうだが、俺たちだけならな。ミシェルがいるから、別の方法を探る方がいいかな」
『俺が背負って、登ってやろうか?』
孤高のトラが言ったが、青いネコは首を振った。
『できれば安全策を取りたい』
『そうだな。ネズミがどんな攻撃を仕掛けてくるか、分からないしね』
クラウドの、真実をもたらすライオンも、眼鏡を押し上げながら言った。
「行ってみなければわからんな」
ペリドットがオチを付けた。
『では、我々はここで。皆、健闘を祈る』
黒タカとエーリヒは、月区画側へ。
ペリドットたちは、太陽区画を経て、夜区画に向かうことにした。




