295話 白ネズミの女王 Ⅲ 3
K19区まで来たアントニオたちだったが、そこには、やはり遊園地はなかった。
先日見に来たときと同じく、廃墟があるだけである。ルナと一緒に来たときは見えていたアズラエルでさえ、舌打ちする羽目になった。
「ここに、遊園地があるの?」
どう見ても、廃墟にしか見えない場所を見つめて、ミシェルが聞いた。
「ある――らしい」
頼りない、アントニオの声。
「おはようございます!」
「おはようっ! なんの役に立つか分からないけど、来てみたよ!」
ジャージ姿で防寒具を着たニックと、アノールの民族衣装のベッタラが駆けつけた。
「ペリドットは?」
「アンジェちゃんの様子を見てから、ここへ来るって」
ニックは言った。
「それにしても、ほんとうに、ここにユウエンチーとやらの建物があるのですか?」
ベッタラは不思議そうに、なにもない荒地を見つめた。
「だけど、ここになにかあることはたしかだ」
クラウドは、自身の探査機を見ながら断定した。
「今朝から、ルナちゃんの存在は、探査機にも感知されてないんだけど、エーリヒとピエトの姿が、三十分前から、この位置で消えてる」
「――!」
「消えてる……?」
セルゲイの不安げな声に、クラウドはうなずいた。
「ああ。ここの位置で消えたんだ。――存在が」
クラウドが、二歩、三歩と前後に後ずさって、位置をたしかめた。
「ここで。さっきから、探査機の記録を巻き戻して見てるんだけど、たしかにここで消えた」
「――いっ!」
「セルゲイさん、しっかり!」
セルゲイが頭を押さえて膝をついた。彼は悲鳴のような声で言った。
「とにかく、ルナちゃんを一刻も早く見つけないと――夜の神が暴れ出しそうなんだ」
「……!」
こちらも大問題だった。さっきから、暴風雪が尋常ではない。
カザマが昼の神を発動させつづけているので、奇妙な天候が、皆を囲んでいた。皆のいる場所だけ快晴で、五メートル範囲から外は、すさまじい吹雪になっている。
遠くで光る稲妻――ふつうなら、立っていられないほどの嵐だった。シャイン・システムの中でも、警報が鳴っていたほどだ。
「今日は、不要不急の外出を控えてください」――宇宙船の運行にも支障をきたすほどの荒れ狂いぶりだという夜の神は、ルナが見つからなければ、ますます荒れ狂う。
皆の背を、冷や汗が流れた。
「ちょっとみんな、下がって」
アントニオが、皆から距離を置き、昨日のように、太陽の神を降臨させた。火の玉のように、アントニオが燃え上がる。
みんなは息をのんだ――アントニオが燃えたことにではない――太陽の神が降りた瞬間に、皆の目にも、「見えないはずのもの」が見えたからだ。
遊園地はみるみる、輪郭を現していく。
アントニオが鎮火しても、存在は消えなかった。数分を持って、遊園地はすっかり、その全容を現した。
「――これだ! この遊園地だ」
アズラエルが、ルナとともに見ていたものは。
「ええっ!? こんなの、いつからあった!?」
前来たときはなかったもの! ミシェルが主張したが、今や現実に、遊園地はあった。ずいぶん古びた、錆びた遊園地ではあったが、たしかに存在している。
半円形のアーチ型の入り口に、ここからでも見える広場。くだものの形を模した建物、遠目からでも見える、観覧車。
なによりも、ルナが言っていた、「ルーシー・L・ウィルキンソン寄贈」と書かれた、ガードレールと似た形のモダンな扉が、そこにあった。
扉は、彼らを招き入れるように、すでに開け放たれていた。
「こりゃまるで――ZOOカードの中の、遊園地だ」
アントニオも感嘆して、入り口を見上げた。ZOOカード世界の遊園地が、そっくりそのまま、姿を現したようだった。
「すまん、遅れた」
空間すべてがシャインででもあるかのように、突然姿を現したペリドットを、今日のところは、アントニオが怒ることはなかった。
「ひでえ吹雪だな」
ペリドットは言い、セルゲイという名の元凶を見つめ、
「早いことなんとかしねえと、宇宙船が凍り付いて止まっちまうってンで、イシュマールと艦長から怒鳴られてきた」
「宇宙船が凍り付く!?」
ミシェルは気絶しそうになった。たしかにそれは、大問題だ。
「おーい! 兄さんがた」
呼ばれた方を振り返ると、コーヒースタンドから、おじいさんが手を振っていた。
「あ、あんた――!」
「あずかりものがある」
詰め寄ったアズラエルを制し、おじいさんは、チケットを四枚、差し出した。一枚ずつ切り離せる仕様になった回数券みたいなもので、四枚とも色は違うが、なにも書かれていない。
「かわいいワンちゃんたちが、幸福と引き換えに置いていったチケットだ。大切にな」
そういって、アズラエルの手に押し込み、また椅子に座って、パイプをふかしはじめた。
「あんたは、いったい」
アズラエルの言葉に、おじいさんは微笑んだ。
「まあ、用をすませておいで。わしと話は、いつでもできる」
「……わかった」
「行くぞ」
ペリドットを先頭に、グレンとニック、ベッタラ、そしてクラウドとミシェルが、遊園地に入ろうとしていた。アズラエルは、チケットをペリドットに渡した。
「これは?」
「……レイチェルたちが、ルナにくれたチケットだ」
たぶんな、とアズラエルは言った。
「ありがたく、つかわせてもらおう」
ペリドットは懐にしまった。
そのときだった――遊園地の奥から駆けてくる存在を見つけて、クラウドが叫んだ。
「エーリヒ!?」
扉の向こうにいるのは、たしかにエーリヒだった。
「どうしたんだ、君だけ!? ルナちゃんと、ピエトは――」
「ふたりは消えた」
消えた瞬間はすこしパニックになったエーリヒだったが、今は落ち着いていた。
「消えただって?」
「私の目の前で、閃光とともに消えた」
周辺を捜したものの、どこにも見当たらなかったから、とりあえず皆と合流しようと、入り口に戻ったのだろう。
「いったい、ここは――」
エーリヒが言いかけたときだった。ゴーン! と世界に響くような、鐘の音が鳴った。
「どうしたの!?」
ミシェルが飛び上がって叫んだ。
「これは――時の館の鐘の音か?」
ペリドットが緊迫した声でつぶやいたが、おじいさんが首を振った。
「いんや。女王様のお城の鐘の音だ」
「なんだと?」
「午前十時だ。始まったぞ」
おじいさんの言う通り、鐘はきっかり、十回鳴った。
「時計が一周するまで――十二時間じゃ。それまでに、シャトランジ! を起動して、白ネズミの王様を“倒し”、女王様を助け出すんじゃ」
「――!!」
白ネズミの女王を助けなければいけないのは分かっていたが、どうすればいいのか、方法はまるでつかめていなかった。だれもかれも。ルナもアンジェリカも――ペリドットもだ。
目的が明確になった皆は、互いの顔を見てうなずきあった。
白ネズミの王様を倒し――女王を、助け出す。
なぜ王を倒さなければならないのかは分からない。彼らは、仲のいい夫婦のはずだった。
けれど、シャトランジ! のアトラクションが、ペリドットの知る「シャトランジ」と同じものだとすれば、その勝負で、王を倒さねばならないのか。
女王の城の地下に敷かれた結界は、「チェス」に間違いなかった。
チェスと、シャトランジ。
いったい何の意味があるのか――たどり着いてみなければ、分からないということか。
おじいさんは、さらに言った。
「“賢者”は、月の女神と導きの子ウサギを追って、“シャトランジ!”のアトラクションを探せ」
「承知した」
エーリヒがうなずいた。
「ほかの皆は、ラグ・ヴァダの女王を守って、城まで女王に会いに行くんじゃ。特に、ラグ・ヴァダの女王はなんとしてもたどり着かねばならん。白ネズミの女王が、“あるもの”を託すために、待っておる」
「う、うん!」
ミシェルが代表してうなずいた。
「そんで、全員、“白イアラ”は持っとるじゃろうな?」
「白イアラ?」
皆の声が疑問形にそろった。
ペリドットは無言で、自分がいつも下げているペンダントを示した。
ニックとベッタラは、先日のお祭りのときもらった、真砂名の神の玉守りを出した。真砂名の神の透明な玉は、白イアラを磨いたものである。
ミシェルは露店でもらったペンダント。
グレンは先日、シャンパオで手に入れた腕時計。
アズラエルは、ムスタファからもらった腕時計と、ナイフの装飾。彼は白イアラが気に入って、わざわざ船内の職人に依頼して、自分のコンバットナイフの宝石のひとつを、白イアラに付け替えてもらったのだ。
ちなみにルナは、ミンファからもらったペンダントをつけているし、ピエトは、ルナからもらったお守りに、白イアラが入っている。
白イアラを持っていないのは、エーリヒとクラウドだけだった。
「おまえさん、それで、じゃ」
「それで?」
エーリヒは復唱してしまった。おじいさんのため息のように、パイプから煙がモクモクと噴き出た。
「おまえさんが白イアラを持っとらんかったから、“ZOOカードの世界”に入れんかったんじゃ」
「私は、置いて行かれたというわけか?」
エーリヒは不満気な顔をした。はっとしたのはペリドットだった。
「まさか――」
「うむ。この中はすでに、ZOOカードの世界と同化しておる。白イアラは、ZOOカードの世界では、“アムレト”となるんじゃ」
「なんだ? アムレトって」
アズラエルが聞くと、ペリドットが答えた。
「遊園地内のスタッフカードのようなもんだ。どのアトラクションにも入れるし、地図も入ってる。暗闇じゃ灯火にもなるし、――ま、便利な“お守り”だよ」
「アズラエル、クラウドに腕時計を貸してあげて」
アントニオの言葉に、アズラエルは渋々、腕時計を外して渡した。
「エーリヒには、私のを……」
セルゲイが外そうとしたが、アントニオが止めた。
「待った。白イアラは今、セルゲイさんを守っている。真砂名の神の仲介役をして、夜の神の暴走を止めている。外さないで」
「代わりにこれを」
カザマが自分のブローチを外して、エーリヒに渡した。彼女は、真砂名の神の玉守りも持っている。
「ありがとう。お借りする」
「これがすんだら、俺もどこかで、白イアラを手に入れなきゃならないな」
クラウドは、腕時計をつけながら嘆息した。
「みんな。勝負は十二時間だ」
入り口に残ったアントニオが、セルゲイを支えながら言った。
「日が沈んで夜になれば、夜の神の力が、太陽と昼の神の力を上回る。なんとか早く、白ネズミの女王を助け出してくれ」
「ああ!」
遊園地に入る皆も、残るアントニオたちも。
入り口に、だれか立っているのをその目で見た。
「――ノワ」
クラウドがつぶやいた。
ノワが――「LUNA NOVA」が、ファルコという名の黒いタカを肩に乗せ、古時計を片手に、チケット売り場の真ん前にたたずんでいる。
皆が、その姿をはっきりと認識したあと――ノワは、ふっと搔き消えた。
「ノワが招いてる」
「……!」
「いくぞ、みんな」
ペリドットの号令で、皆は中に向かって駆け出した。
ペリドットたちが小走りで遊園地内に入っていくのを見送ってから、アントニオはカザマに言った。
「ごめん、ミーちゃん。頼まれてくれないか」
「なんなりと」
「宇宙船の気象部に連絡して、日没の時間を少しずらせないか確認してくれ」
「……!」
「さすがに、ひと晩昼間にしてくれっていうのは無理だろう。でも、数十分なら、なんとかできないかな」
「承知しました、お待ちくださいませ」
カザマは、シャイン・システムのほうへ走っていった。アントニオとセルゲイも遊園地の中に入り、嵐がしのげるところで落ち着いた。
(ペリドット、アズラエル……頼んだぞ)




