表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キヴォトス  作者: ととこなつ
第七部 ~白ネズミの女王篇~
722/930

295話 白ネズミの女王 Ⅲ 1


 アンジェリカのリカバリはしておく、と告げたペリドットを残し、皆々は帰路についたわけだが、すでに事態は始まっていたのだった。


 屋敷に入った途端に――ルナが一歩、屋敷に足を踏み入れたそのとき――大広間の古時計が鳴り始めた。


 ボーン、ボーン、ボーン、……。


 長かった。時刻は午後6時半、すなわち18時半。なのに、たしかに時計は、19回鳴った。


「……いま、19回鳴ったね」


 それに気づいたのはクラウドだけだった。ルナも違和を感じ、じーっと時計を見つめているのだが、鳴った回数には気付いていないようだ。

 クラウドも、時計を見つめて思考した。


(19回……K19区を示唆しているのか?)

 K19区に、行けと?


 時計から返答はない。あるはずもない。ルナは、穴があくほど時計を見つめていたが、それ以降はなにも起こらない。

 19時になったら、やはり時計はまた、19回鳴った。


 その日は、滞りなく過ぎた。


 バーガスとアズラエルがつくった夕食をみんなで食べ、ルナはまた大広間の時計とにらめっこし、入浴し、ふたたび時計とにらめっこした。


 なにかが起こることはまったくなかったので、ルナは部屋にもどり、ZOOカードを引っ張り出してきて、またじーっと眺めたが、だれも出てこない。

 あきらめて、ベッドにもぐりこんだ。


 ZOOカードボックスから、ぴょこん、と月を眺める子ウサギが顔を出したのは、みなが寝静まった深夜だった。


「リカバリ Ⅱ LUNA NOVA」


 うさこはそれだけ言って、またひょこっと箱の中に姿を消した。


 ルナはその夜、夢を見た。

 ノワの夢だ。


 しかし、ノワの前世を見たのではない。ノワが、リビングにたたずんでいた。

 ――椿の宿からもらった古時計のまえに。


 彼は、時計を抱きかかえると、ふうっと姿を消したのだ。


 ルナはあわてて、玄関から外へ出た。ノワがまるで招くように、少し離れたところからルナを見つめている。ノワのもとへ行こうとすると、彼はまた姿を消す。そのくりかえしだ。


 ルナは深夜の街を、ノワを追いかけて走った――最後にノワが消えたのは、K19区の遊園地のまえだった。

 なぜかルナは、大きなぬいぐるみをふたつ、両脇に抱えていた。

 そこで、目が覚めた。


 事態が静かに急展開したのは、翌朝だった。

 ルナは、飛び起きると、アズラエルが「まだ寝てろ……」とルナをベッドに押し込めようとするのを跳ね上げ、一目散に大広間に走った。

 夢は正夢だった。サイドボードにあった古時計がない。


「たいへんだ! のわが持っていっちゃった!」


 ルナは頭を抱えたが、なぜ彼が時計を持っていってしまったのかは不明だ。


(……やっぱり、K19区の遊園地に行ってみよう)


 ルナは朝ご飯を食べたら、すぐ遊園地に向かうつもりでいた。


 リビングに、バーガスがやってきた。

 ルナは、「おはよ……」とあいさつをしかけて、おかしなことに気付いた。バーガスがこちらを見ていない。彼は、ルナを見ずにまっすぐ玄関扉を開け、郵便ボックスにつまっている、大量の新聞をどさどさと運び入れてから、外で深呼吸をした――「いい朝だ!」

 そして、家の中にもどってきて、ルナに気づくことはまったくなく、まっすぐキッチンに向かった。


「……!?」


 ルナはあわててバーガスを追いかけ、「バーガスさんおはよう!」と叫んでみた。

 だが、バーガスからいつものように、「おはよう! うさちゃん」と元気のいい返事がかえってこない。彼はひとりで野菜を刻みながら、不審な顔でキッチンのドアを見るのだった。


「今日は起きてこねえな、うさちゃん」

(……!)

「あ、もしかして、昨夜はアズラエルとアレか」


 ニヤケ面でひとりごと。ルナは思わず、バーガスの尻に向かって頭突きをしてみた。


「うおごっ!?」


 バーガスがのけぞり、不思議な顔であたりを見回す。ルナは確信した。バーガスに、ルナが見えていないのだ。


 ルナはあわてて、部屋に戻った。


「あじゅ! あじゅ、あじゅ、あじゅっ!!!」


 ルナは寝こけているアズラエルを揺り起こした。


「なんだ? どうした」

「あたしが見える!?」


 また朝からカオスか。

 アズラエルはうんざり顔で目を開けた。アホ面のウサギがいる。


「見えるがどうかしたか」

「バーガスさんに、あたしが見えてない!」


 アズラエルはうなりながら起き、やっとルナの言葉を認識した。


「――は?」





「じゃあ、ルナちゃんが見えるのは、アズラエルとグレンと、ピエト、エーリヒだけなんだね」


 クラウドは、だれもいない席のまえに置かれたプレートの中身が減っていくのを、不思議な面持ちで見つめた。その席には、透明人間になったルナがいる。


 そう――透明人間という言葉がいちばんしっくりくる。


 ルナは見えないだけで、たしかにそこに存在している。触れば、いるのが分かるのだ。ルナの頭突きが、見事バーガスのでかい尻にヒットしたように。


「ルナ姉ちゃん、透明人間になっちゃったの!?」

 すげーと言いながら、ネイシャがつついている。


「あたしにも見えないってどういうことなのよ」


 ミシェルもつつきながら言った。アズラエルから見たルナは、「ぷにぷにしないでっ」とむずがっているが、ルナの声は周囲に聞こえないので、攻撃されっぱなしだった。


「不思議なことにはもうすっかり慣れたけど、今度のことは極めつけだね」

 レオナが呆れたように、ルナがいる“らしき”方をながめた。


「ルナちゃん、ちょっとは加減してくれな」

 バーガスは、ルナの頭突きが相当痛かったらしい。まだ尻をさすっている。


「ルナがごめんって言ってる」


 ピエトが訳した。アズラエルとグレン、ピエト、エーリヒ以外には、ルナの声も聞こえないのだ。

 ちなみに、ちこたんをはじめ、pi=poは、ルナの姿を認識できるようだ。


「いったいどうして、こんな状況になった」

 アズラエルが落ち着きなく、コーヒーカップを持ったり置いたりした。


「たぶん、ノワがリカバリされたんじゃないか」

 クラウドが明快に、疑問を解決してみせた。

「昨夜のルナちゃんのカオス発言のせいで中途になったけど、K19区の遊園地が、おそらくノワの墓と呼ばれるものなんだよ。ノワ自身が、その名の通り新月――つまり、“見えない月”。だから、決まった人間にしか見えないんだ」


「ルナ姉ちゃんが透明人間になっちゃったから、今日は学校を休もうかな」

 適当なことを言いだしたネイシャに、セシルはすかさず言った。

「バカ言わないの」

「だって、雨も降りそうだし」

 ネイシャは窓の外を指さして言いわけした。


 たしかに、今日は一日、天気がくずれそうだ。外は、まるで夜みたいに真っ暗になっているし、雷の音も聞こえる気がする。


 クラウドが、「ルナちゃん、ノワの前世の夢は見た?」とだれもいない席に向かって話しかけた。


「見てねえって。そのかわり、ノワが――」

 また、ピエトが訳した。

「ノワが?」

「ノワが、椿の宿の時計を持っていっちまったって」


 ピエトの言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、全員がいっせいにリビングへ駆けた。


「ほんとうだ」


 サイドボードには、時計がなかった。そして皆は、今日の朝食の席に、一名足りなかったことに、やっと気づいた。


「ちょっと待って」

 クラウドが言った。

「セルゲイは?」


 グレンが朝方までバイトをしていたり、バーガスやアズラエルが、飲みに行った翌朝はいなかったり、セシルとネイシャがベッタラのもとへ行ったりしている――食事の席に全員そろわなくても、気にしない。

 でも、セルゲイが朝食の席にいないのは、めずらしかった。


 おとなたちは二階のセルゲイの部屋に突進した。透明ウサギは、アズラエルの小脇に抱えられて移動した。

 セルゲイの部屋のドアは、開いていた。


「失礼!」


 クラウドが部屋に入ると、ベッドの毛布が跳ね上げられていた。あきらかに、飛び出したようすだ。部屋の鍵はかけられていない。セルゲイはどこにもいなかった。


「いつ家を出た?」

「今日はまだ、だれもでかけてねえはずだ――屋敷のどこかに?」


 口々に言い、今度は屋敷中、セルゲイ捜しをすることになった。


「セルゲイ先生まで透明人間になっちゃったの?」

 ネイシャが青ざめたが、「まさか!」とセシルは励ました。


「セルゲーイ!」

「どこにいるんだ、出て来い!」

「風呂かな?」


 みんなが必死で屋敷中を捜していると、玄関ドアがバタンと開いて、――そこには、息を切らした、スウェット姿のセルゲイがいた。


「ルナちゃんが、いない」


 開口一番、彼は言った。

 セルゲイは、ルナを捜しに出ていたのか? しかし、朝食の席には、セルゲイはいなかった――つまり、今朝、ルナとセルゲイはまだ接触していないはず。

 バーガスが、セルゲイを落ち着かせるように、言った。


「それが、落ち着いて聞けよ? 実はルナちゃんは、」

「ルナちゃんの気配が消えた!」


 アズラエルは、このセルゲイのテンパったようすを、どこかで見た気がした――そうだ。かつてヘルズ・ゲイトの連中がグレンを拉致(らち)しようとしたとき――「ルナに危険が迫っている!」と騒ぎだしたときと、とてもよく似ている。


「セルゲイ! ルナはここだ!」


 アズラエルが、小脇に抱えたルナをセルゲイのほうへ放り投げた。もちろん、セルゲイが受け止めることを想定して、だ。


「ぷぎゃっ!!」


 ウサギの鈍い悲鳴。ルナはソファに、べちゃっと落下した。

 ――セルゲイを、すり抜けて。


「!?」


 その光景に目を見張ったのは、ルナを見ることができる連中だけだった。


「いひゃい……」

 涙目でうずくまっているウサギがいる。


「ここって、どこ!?」

 セルゲイが悲鳴のような声を上げて、周囲をキョロキョロと見回し、「いないじゃないか!」と叫んだ。


 ルナは絨毯を這うようにしてセルゲイに近づき、その身体に触れようとする。だが、ルナが完全に空気にでもなったように、彼の身体に触れられない。

 ルナは、口と目を真ん丸にして、アズラエルのほうを見た。


「ルナちゃん! ――ああっ! もう!」


 セルゲイは一度、ぶんぶん首を振ると、そのまま壁に突進していった。自らそうしたように見えた。彼は壁に頭をぶつけると、一度よろめいて――「ご、ごめん」とよろけながらつぶやいた。


「よ……夜の神が怒ってる」

「なんだって?」

 セルゲイは冷静に告げた。頭を押さえながら。

「ルナちゃんの気配が消えた、消えたって、焦って捜してる――」

「……」

「あ、ルナちゃん! いるじゃないか!」


 セルゲイはルナを見つけたが、すぐに焦り顔で、ひとり芝居のようなことを始めた。


「どこにって――そこに! あ、また見えなくなった! だから、あなたには見えないんですよきっと! でも、ルナちゃんはいますから! みんなには見えてるし――しょうがないな、もう!」


 エーリヒとクラウドは顔を見合わせた。やはり、夜の神には、まったくルナの存在が感知できなくなっている。


 昨日クラウドが想定したように、「新月」は、夜には見えない。すなわち、夜の神には見えないのかもしれない。そして、姿が見えないだけではない――声も聞こえないし、その存在に触れることもできないらしい。


 セルゲイ「だけ」になれば、ルナは見える。だが、「夜の神」が装着されると、まったく見えなくなるらしい。


「アントニオとペリドットを呼ぼう」


 クラウドが自分の電話を取りに走ったところで、インターフォンが鳴った。

 そばにいたので、あわてて開けた。玄関扉の向こうにいたのはカザマだった。彼女もずいぶん急いで来たようだ。息が乱れていた。


「おはようございます! 実は、夜の神様が――セルゲイさん!?」


 セルゲイが、頭を押さえてうずくまったところだった。カザマはお邪魔しますを言うのも忘れて屋敷に飛び込み、セルゲイに駆け寄った。


「まもなく、アントニオが来ます!」

 カザマの勢いに怯みつつ、バーガスが、やっと返事を返した。

「そ、そうか」

「今朝がた、真昼の神がわたくしを起こして、夜の神が荒れている。このままでは、宇宙船の運行にも支障をきたすほど荒れ狂うかもしれない、と仰いまして」


 窓の外で、ぴしゃり、という稲光と、すこし遅れて鳴った雷のごう音。

 そういえば、さっきから、外の様子が不穏だった。

 やがて、打ち付けるような大雨が降りはじめた。


「夜の神だけではないのです。――昨夜、アンジェリカの身にも大変なことが起きまして」

「なにかあったの」


 クラウドの言葉に、カザマは深呼吸をし――やっと言った。


「家から、一歩も出られなくなってしまったのです」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ