294話 白ネズミの女王 Ⅱ 1
「どうして――サルディオーネになれないんですか」
マクタバは、呆然と、老人を見上げた。
門番に遮られて、それ以上先に進めなかった。そして突きつけられた真実に、マクタバはがく然として、力が抜けたように座り込んだ。
村を飛び出して、この首都トロヌスまで来た。マクタバは、王都の混乱がしずまるまで待っていたのだ。
祖母が止めるのも聞かずに村を飛び出し、ここまできた。砂漠を越え、行商人のジープにかくれながら、ほとんど飲み食いもせず、やっとここまで来た。
「あたしがサルディオーネになったら、村の古い慣習なんてぶち壊してやる! 必ず帰るから待っててよ!」
マクタバはそう言って、泣きすがる祖母と、止める村人たちを振り切って出て来た。
「パズル」は月の女神が授けた占術――サルディオーネになれないはずはない。
そう、信じていた。
だから、カーダマーヴァ村の入り口までマスコミを呼びつけ、「パズル」がいかにすばらしい占術か、語った。実際に、記者の一人の「リハビリ」もしてやった。もちろん、ただで。
記者たちもマクタバの術に感嘆し、「サルディオーネになるのは間違いないだろう」と言ってくれた。
なのに、この結果はどうだ。
マクタバは王宮にたどり着くと、鼻息も荒く、「サルディオーネになるマクタバだ! 通せ!」と命じた。だが、門番はぴくりとも動かない。マクタバを見もしなかった。
彼女は舌打ちをし、「あたしがサルディオーネになったなら、おまえら全員クビにしてやる!」と叫んで王宮内に入ろうとした。
強引に押し入ろうとしたマクタバは、門番たちにつまみあげられ、階段の下まで放り投げられた。
砂地に背中を打ち、マクタバは呻いた。サルディオーネに対してなんたる無礼――マクタバがごう然と顔を上げ、なおも押し入ろうとしたときに、門番のひとりが刃をかざした。
「侵入者め!」
「!?」
斬られる!
さすがのマクタバも怯んだそのとき。
「おやめ!」
門番たちに放たれた言葉――門番は、一斉にその女にひれ伏した。
身分の高い女に違いなかった。全身の装飾品は多く、身にまとう衣服は絹に透けるベール。化粧を施されたその顔は、気品にあふれていた。
「見ればまだ、子どもではないか」
刃を収めよと女は言い、腰を抜かしたマクタバにぴしゃりと言った。
「そなたのような子どもが入れる場所ではない! わきまえよ!」
「わ、わたしは、サルディオーネだぞ!」
マクタバは必死で叫んだ。
「サルディオーネ? おまえが?」
女は嗤った。
「サルディオーネは、おまえのような悪相の者がなれる身分ではない」
悪相? マクタバを、このマクタバを悪相というか!
「おまえこそ何者だ! わたしは、“パズル”をつくったマクタバだぞ!?」
女の表情が変わった。
「ほう……おまえが」
「この――無礼者がっ!!」
「ぎゃあっ!!」
マクタバは、鞭がしなる音を聞いた。門番の持った鞭が、マクタバの背に振り下ろされていた。
マクタバは再び、階段の一番下まで転げ落ちた。泣き出しそうな背の痛みに震えながら、なぜこんなことが起こったのか、まだ理解できなかった。
(わたしはマクタバだ。サルディオーネになる、マクタバだ)
「このお方は、サルーディーバ様つきの侍女にあらせられるユハラム様だぞ!」
「――!」
門番の言葉に、マクタバは震えあがった。サルーディーバ様の侍女――L03で、サルーディーバに次いで身分が高く、サルディオーネとほぼ同等の権力を持つといっても、差し支えないお方。
「その子どもを捕らえておけ」
ユハラムは厳しい声で命じ、王宮に入った。
――三十分も、待たされただろうか。
マクタバは、気が気でならなかった。処刑されるかもしれない、鞭打ちを百回もされるかもしれない、そんな恐怖より、サルディオーネになれないかもしれない恐怖のほうが勝った。
やがて、王宮の玄関口に姿を現したのは、老人だった。
――老人とも、言いがたい。
マクタバは、その「人物」が、男なのか女なのか、老人なのか、青年なのか、子どもなのか、それすら分からなかった。はっきりとこの目で見ている。存在が見えないわけではない。だが、そこに立っている人物の顔が、覚えられないのだ。
「なるほど――ユハラムの申したとおり、実に悪相」
老人は――美しい青年のようにも見え、何百年も生きている老人にも見える――彼は言った。
「ひざまずけ!」
門番が、マクタバの頭蓋を石畳に叩きつけた。マクタバは痛みに呻いた。
「宇宙儀をあやつるサルディオーネさまにあらせられるぞ!」
(サルディオーネ様!)
「よい。そやつだけは顔を上げさせよ」
サルディオーネが命じたために、マクタバは解放された。ふと後ろを見て、ぎょっとした。街を行きかうすべての人間が、王宮に向かって土下座をしている。
つまり、この老若さだからぬ人物に向かって、ひざまずいているのだ。
「マクタバと言ったか」
「は、はい――!」
やっと、サルディオーネに任命されるのだと、マクタバの顔は輝いた。
「ふむ――じつに悪相だ。月の女神が選んだだけはある」
サルディオーネは、マクタバの顔を確かめただけだった。
「傲慢! 強欲! 自堕落! 怠惰! 不満! 偏狭! 無知! ……見事にそろっておる」
「……!」
マクタバの唇は、悔しさに震えた。
とくに、「無知」のひとことは耐えがたかった。マクタバは、学問の神とされるイシュメルのもとで、古今東西のあらゆる書物がそろうカーダマーヴァ村で、物心ついたころから、学問に励んできたのだ。
村の子どものだれよりも、勤勉であった。村のだれより、頭がよいと言われてきた。
努力もしてきた。
なのに、この言われようはなんだ。
「これでは、サルディオーネは無理というもの」
老人の言葉に、マクタバは衝撃を受けた。
「わたしは――サルディオーネになれないんですか」
マクタバは、呆然とつぶやいた。
「どうして、サルディオーネになれないんですか」
無知で、傲慢で、強欲で、自堕落で怠惰、不満ばかりで、偏狭な性格が顔に出ているから?
それとも、アンジェリカに挑戦状を叩きつけるような真似をしたからなのか。
「そなたがサルディオーネになれぬ理由は、三つある」
マクタバは自分がしたかもしれないまずいことをひとつひとつ数え上げてみたが、老人は、マクタバを見下しながら言った。
「ひとつは、悪相であること。ふたつは、覚悟至らぬこと、みっつは、“パズル”を、マ・アース・ジャ・ハーナの神が認めておらぬということじゃ」
「――っ!?」
「サルディオーネとは、今までにない占術を編み出しただけでなく、その占術が、マ・アース・ジャ・ハーナの神に認められたものでなくてはならぬ」
青天の霹靂だった。マクタバは、新しい占術でさえあれば、サルディオーネになれると思い込んでいたのである。
「パズルは月の女神がつくりたもうた占術。かの神の支配下にはあっても、マ・アース・ジャ・ハーナの神が直接守護される占術にあらず」
マクタバの身体から、みるみる、力が抜けていった。
すべての希望が打ち砕かれた。
もはやカーダマーヴァ村にはもどれず、帰る場所もない。
「わたくしの宇宙儀の占術も、水盆の占術も、ZOOカードも、マ・アース・ジャ・ハーナの神の直接守護のもとにあるもの。かの神に認められるには、覚悟と引き換えでなくてはならぬ。それぞれの占術師は、覚悟を抱いておる。そなたには、それがない」
老人は淡々と言った。
「わたくしは、生涯、王宮から出ることがかなわぬ。一歩でも王宮から出れば、すべての神力を失う」
「――!」
老人は、階段の真上にたたずんでいた。この階段の外――マクタバがいる位置まで来れば、もう宇宙儀の占術は、この世からなくなる。
先だっての王宮封鎖の際も、この老人は、なにがあっても王宮から出られなかったのだ。
たとえ、王宮が戦火につつまれようとも。
自らも、王宮とともに焼かれようとも。
「水盆の占術師もまた同じ――アンジェリカは、もっとも過酷な道をえらんだ。生涯を、“サルーディーバに捧げる”道を」
老人は、階段をすこしずつ降りてくる。
「そなたは、カーダマーヴァ村から出るべきではなかった」
いつのまにか、マクタバの目前まで来ていた。
「サルディオーネになる者は、それぞれ不自由を抱えておる。つまり、契約に縛られておるのだ。そなたも可能性はなくはなかった。カーダマーヴァ村で一歩も外に出ること叶わず、焦燥を抱えながら、それでも誠実の心を失わずにあれば、いつかマ・アース・ジャ・ハーナの神も認めたものを――愚かなことよ。すべては、そなたの悪相が招いた結果だ」
「……」
「そなたのような愚か者は、月の女神くらいしか、守る神はおるまいて」
マクタバは、ゴーグルの内側に、いっぱい涙をためた。
「その月の女神から、通達がある」
マクタバははっと顔を上げた。
「先ほどのユハラムは、アンジェリカの侍女であった」
「……!」
「行き場がなくなったならば、彼女につかえるがよろしかろう。“パズル”は失うが、サルディオーネにはなれる――さて、どうする」
「え……」
「“パズル”を失いたくなければ、カーダマーヴァ村にもどるがよろしかろう」
「でも、カ、カーダマーヴァ村は、一度出たら、二度と戻れな……」
「月の女神が、“古時計”を手に入れられた。時間を止めてくださっておる。そなたは、今戻れば間に合う」
「――えっ」
「“パズル”を失うか、“サルディオーネ”をあきらめるか、じゃ」
マクタバは考えるまでもなかった。
サルディオーネになりたいがために、ここまで来たのだ。あきらめるわけにはいかない。
パズルも、サルディオーネになりたいために、毎日石室の掃除をし、イシュメルに拝んだ。その結果、できるようになった占術だった。
祈り続けて三年目に、月の女神から降ろされたパズル――それを捨てることになっても、マクタバは、サルディオーネになりたい。
「ユハラム様のもとへ、参ります」
老人が笑った気がした。
「月の女神の慈悲を捨てて、過酷を選ぶか!」
老人は再び背を向け、もどろうとした。だが、ふと振り向いた。
「そなたは、サルディオーネになるかもしれぬ」
マクタバが気づいたときには、もう老人はいなかった。門番も周りにいなかった。
マクタバは、夢でも見ていたのかと思ったが、違った。鞭で打たれた背の痛みは本物だ。
痛みに背を丸めながらふらふらと立ち上がると――ユハラムがいた。
「私の屋敷の、小間使いとして雇います。身分は一番下です」
マクタバは屈辱に唇をかみしめた。サルディオーネとなって、首都トロヌスを睥睨するはずだったのに、一番下の身分まで落とされるなんて。
カーダマーヴァ村の者は、歴史保管の民としてあがめられ、下級貴族と同じ身分だ。それが、最下層まで落とされた。
「そなたの部屋は厠のとなり。……いつ出て行ってもらってもかまわぬし、怠惰がひとつでも見つかれば、そなたは追い出す。どこでなりとのたれ死ぬがよい」
ユハラムは背を向けた。マクタバは、門番に、階段下まで突き落とされたときにひねった足を引きずりながら、ユハラムの後をついていった。




