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キヴォトス  作者: ととこなつ
第七部 ~白ネズミの女王篇~
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293話 白ネズミの女王 Ⅰ 


 ライオンやトラのように、武神の喉笛に直接歯を立てることはできずとも。

 ちいさなネズミのわたしでも、武神がつまずく穴くらい、掘ることはできるのだ。

 たとえあなたの胸にこの槍を突き立てることになろうとも。

 ラグ・ヴァダの武神を倒します。

 さよならわたしのあいするひと。

 ――きっと来世こそ、結ばれましょう。





(シャンデリアの象意(しょうい)は? 明かり――ともしび。照明――いや、ただの照明じゃない。シャンデリアは華やかなものの象徴だ。華やかな明かり、豪華、豪勢なもの。きらびやかなもの。それを“照明”の象意と照らし合わせると――)


 アンジェリカはボールペンをこめかみに当てて考え、思いつくまま、ノートに書きつらねた。


(華やかな成功、あるいは華やかな発見、ひらめき、真実への到達、発見――光明。幸福へのスタート。祝賀、めでたいこと――それも、一番華やかに祝うべきこと。――なるほど)


 ルナは、あの夢のあとにララと出会った。

 夢の中で、遊園地の美術館に入り、「船大工の絵」をもらい、「私の宝物が燃やされた」と泣いていた八つ頭の龍に、ポケットに入っていたちいさなシャンデリアを、渡した。


 ララは、当人自体が“華やかなもの”といっていいだろう。ルナにとって、ララとの出会いは華やか、豪勢なものとの出会いだった。


 ミシェルにとってもそう。ミシェルにとってララとの出会いは“華やかな成功”への入り口だ。


 ララにとっても、かつての恩人と運命の相手、両方に出会うことができた、一番“めでたい”ことであったのは間違いない。


 そして、あの個性的なシャンデリアの形は、アンジェラがデザインしたものだった。


(アンジェラがつくったシャンデリア、ということは、アンジェラにも関係があるかもしれない)


 アンジェラにとっても、華やかな出会いが約束されているはずだ。あれは、アンジェラの作ったシャンデリアだったのだから。


(――アンジェラの、華やかな成功。――華やかな、)


 火のように、華やかで派手であざやかな――火。

 火の祭事――。


「――!」


 アンジェリカはがばっと腹筋をつかって起き上がり、あわててララに電話をした。


 アンジェラが最近、とみに危うさを増したことは、ララも心配していた。

 ミシェルと出会ってから、アンジェラの生み出す作品群に変化が訪れたのだ。

 ララはその変化を(うれ)えている。

 アンジェラの生み出す芸術に、壮絶さが増した。彼女の名は、ますます高みを目指して押し上げられている。

 

 ――小一時間の電話を終え、アンジェリカは、呆然と携帯電話をソファに置いた。

 アンジェラがたどった、壮絶な生を思って、だ。


 彼女はもう、宇宙船を降りていた。アンジェリカも知らない間に。

 ララやシグルスの記憶も、なくして。


 アンジェリカは、アンジェラが壮絶な「最期」を遂げることを知っていた。匂わせたことはあったが、知らせなかった。知っていたのに、知らせなかったことを、ララは、一切責めなかった。それどころか、アンジェリカの身体を気遣った。


 なるべく早く仕事に戻れるようにする、というと、笑って、「今まで働き続けてきたんだから、少し休め」と言った。


 アンジェリカは、現在のアンジェラの様子を探ろうとしてZOOカードを目で探し、今はつかえないことを思い出して、手を引っ込めた。


 アンジェリカは、ため息をついて、無意識にバターチャイのカップに手を伸ばして口に運び、中身がないことに気付いた。


 カップの絵柄が目に入る。これはルナからの、誕生日プレゼントだった。ネズミたちがランタンを持って夜の街を練り歩く、お祭りらしき風景。


 アンジェリカはなんとなく和んだ気持ちになって、つくっておいたバターチャイをカップに入れるために立ち上がった。


「あっと!」


 脇に積んである、ZOOカードの記録帳が、バサバサと崩れた。

 飾り気のない学習ノートが二十冊以上。アンジェリカの歴史がそこにある。


 アンジェリカはもう一度ソファに座り、パラパラとノートをめくった。そして、また小さく嘆息した。


 相変わらずZOOカードは、さっぱり動く気配を見せなかった――先日、ルナが助ける人物が更新されたことの報告以外は、今までのままだ。


(でも、イシュマールさんも言ってたけど、あたしがZOOの支配者でなくなったなら、箱はもとの鉄箱にもどるはずだ)


 アンジェリカのZOOカードは、まだ神秘的な紫の光を宿したままそこにある。カードも出せる。

 ただ、動かない。占いができないだけ。

 ルナの場合は勝手にカードを出そうとすると、手が弾かれると言っていた。


(あたしは、ZOOの支配者でなくなったわけではないんだ)


 ペリドットの話では、これはZOOの支配者の正当な試練である。


 サルーディーバの提案に従って、月の女神に祈ってもみた。アンジェリカのZOOカード、「英知ある灰ネズミ」の支配者である夜の神にも祈った。


 だが、動かない。

 アンジェリカの|真名(まさな)も、まだあきらかにならない。


(八方ふさがりだ)


 アンジェリカはソファに寝そべり、天上を見上げた。

 最近は、ZOOカードの記録帳を一から見直したり、気になっているところを調べ直したりすることに精を出していた。気ばかり急いて、どうにもならない。


(年もあけちゃったしな)


 今年の十月には、アストロスに着いてしまうのだ。

 アンジェリカは、もう一度マグカップを見つめた。


(ルナのことは、大好きだ)


 それは間違いない。でも、この複雑な気持ちはなんなのだろう。嫉妬なのか、ひがむ気持ちなのか――冷静でいられない気持ちが、心のどこかに、しこりとなって残っている。


 それは、ルナが「ZOOの支配者」になったときに、決定的な杭となって、アンジェリカの胸に刻み込まれた。

 マ・アース・ジャ・ハーナの神は、自分の代わりに、ルナを「ZOOの支配者」に任じた。


 アンジェリカは、そのことに驚き、しばらくはなにも手に着かなかった。アンジェリカとマリーが、人生をかけて築いてきたものが、苦労知らずのL77の少女に奪われた、そんなふうにさえ思い、自分にはそんな偏見があったのかと、うろたえもした。


 ルナとは育ってきた環境が違うだけであり、苦労自慢をしたいわけではない。

 その上、ルナは「ZOOの支配者」とは名ばかりで、自由にZOOカードを使えるわけではない。


 こんなことは、ZOOの支配者だったころは、微塵も思わなかったことだ。アンジェリカは、自分がどれだけZOOカードに支えられてきたかを悟った。

 ZOOカードがなくなれば、自分は自分を見失い、こんなに醜いことまで考えるようになる。


(まるで、小さなころに、もどったようだ……)


 アンジェリカは、陽気でやんちゃな子どもだった。だが、ある日を境に、ひどく弱くなった。卑屈(ひくつ)と怯えに支配され、まともに外も歩けなくなった。


 ツァオに、「おまえほど不細工な女はいねえ」と罵られてからだ。

 だが、それはキッカケであって、アンジェリカが、本当に自分の顔は美しくないのだと、そう自覚したときからだった。


 ただでさえ、周囲を、特別美しい人間に囲まれていた。


 姉サルーディーバをはじめ、幼馴染みのマリアンヌも、貴族たちの憧れの的であったし、婚約者となったメルーヴァも、男とは思えないほど美しかった。

 実は、アンジェリカは、ほんのすこしだけシェハザールに憧れていたことがある。彼がマリアンヌを愛していたのを知っていたし、ただの憧れでしかなかった。身の程を、アンジェリカはわきまえていた。


 けれども、カタブツと有名のシェハザールでさえも、アンジェリカがメルーヴァの婚約者となったことを知ったとき、

「あんな醜女をどうしてメルーヴァ様の妻に……」

 と言っているのを聞き、ショックで、生きていることさえ嫌になった。


 自分は、それほどまでに醜いのか。


 どうして同じ姉妹に生まれながら、姉と自分の容姿はここまで違うのかと、親を恨んだこともあった。


 その深いキズは、アントニオが愛してくれたことで、消えたような気がした。


 しかし、そんな気がしただけだった。

 アントニオは、自分と同じくらい姉も愛している。もし、姉がアントニオの愛に応えていたなら。


(あたしは、見向きもされていなかったかも)


 それは想像であって、現実ではない。だが、そんなことを考えてしまうほど、アンジェリカは、ずっと不安定だった。


 自分が「醜い」ことから立ち直るには、だれよりも努力して、自信をつけるしかなかった。


 いつ、そう思えるようになったのかはわからないが、アンジェリカは、劣等感と戦っているのが、自分だけではないということに気づいた。


 いまだかつてない「女」として生まれてきたサルーディーバである姉も、自らの劣等感と戦っていた。

 アンジェリカは、そんな姉を、支えたいと願った。


 そして――ひたむきな努力のすえに、つくることができたZOOカード。

 それは、アンジェリカに自信を与え、彼女本来の力を取り戻した。


(そうだ)


 劣等感と戦っているのは、自分や姉だけではない。ルナもそうだった。いつだって、卑屈な自分と戦っていた。


 ルナは、たしかにL77の平凡な少女だが、その数々の前世を見たとき、アンジェリカはルナでなくてよかったと、痛切に思ったものだ。クラウドの記録にはない、あまりにも悲劇的な人生がいくつもある。


 その幾多のかなしみを乗り越えた先に、今のルナがある。

 ラグ・ヴァダの武神を倒すため、三千年目に、あの姿を持って生まれてきたのも、なにか意味があるのだろう。

 L77という、どこよりも平和な星で、おだやかに育ってきたのも。


 ルナは、数々の前世で、セルゲイと、アズラエルとグレンとの宿命に振り回されてきた。

 しかし、因縁を断ち切る道ではなくて、幾星霜(いくせいそう)も経て、おだやかに帰結する道を模索してきたのだ。

 その圧倒的な気の長さに、嘆息したくなる。


 アンジェリカは、今日何度目か知らないためいきをつき、ZOOカードの記録帳をめくる。


 なぜ、ZOOカードが動かなくなったのか、どうしてもわからない。


 ただひとつわかることは、ペリドットが「試練」を受けたときも、ここまで動かなくなることはなかった、ということだけだ。

 すくなくとも、ペリドットはZOOカードの世界を「見る」ことはできた。

 どの動物も出てこず、なんの反応も示さなくなったわけではなかった。

 支配者として、動物たちを動かせなかっただけであり、「遊園地」は見ることができた。


 なぜ、アンジェリカの箱だけ、動かなくなったのか。


 ネコと犬たちが、ネズミを捕まえたから? 

 アンジェリカが、真の「ZOOの支配者」ではないから? 

「真名」が見つからないから?


 そのどれもが正論ではあるが、もっと別のところに、理由がある気がした。


 ZOOカードの世界は、“たましい”の遊園地――その世界を、“見ることができなくなった”ということは。


(あたしが感じているのは、たましいの“欠落”なのか?)


 アントニオがくれた深い愛情でも埋められなかった、“なにか”の欠落。

 ZOOの支配者ではなくなり、ただの「アンジェリカ」にもどったとき。


 アンジェリカは深い喪失を感じていた。それは、ZOOの支配者でなくなったからだと思っていた。


 だが、違う。

 逆だ――この喪失の正体が見つからないかぎり、アンジェリカは、「ZOOの支配者」になれないのだ。


(ルナは、ずっと、運命の相手に翻弄され、そして、いつも悲劇的な結末に終わる人生を歩んできた)


 セルゲイに“縛られ”、アズラエルに“殺され”、グレンには、愛されるが、けっして幸せにはなれない道を。

 ルナ自身がグレンを呪った。グレンが、父や一族に縛られ続ける呪いをかけたのは、ルナだ。

 アズラエルに、愛するものと決して結ばれない呪いをかけたのも、ルナ自身。

 そして、その代償として、ルナ自身も、兄神に縛られ、けっして愛する人と結ばれない呪いを受けた。


(そして、あたしは)


 アンジェリカは目を瞑った。


(ルナと同じく、きっと、“たましい”になにかの制約を受けている)


 これは直感だった。いままで、ZOOの支配者として生きてきた、経験からの直感だ。


(“ラグ・ヴァダの武神が倒されなければ、運命の相手と結ばれない”呪いを、持っているのかもしれない)


 ふとアンジェリカは、メルーヴァを思い出した。

 婚約者となったその日、メルーヴァは、待ちかまえていたように、アンジェリカにキスをねだった。アンジェリカとキスをするために、ぜったいにほかの女に唇を奪わせることはしなかった、と頼りない幼馴染みは言った。


『わた――私は、アンジェがいちばん、好きだったんだもの』


 頬を赤らめ、消え入りそうな声でつぶやくメルーヴァ。

 キスを許したら、飛び上がって喜び、感激のあまり涙ぐんだメルーヴァに、呆れさえした。


 ――でも、ほんとうは、とてもうれしかったと言ったら、メルーヴァはなんというだろうか。


(メルーヴァ)


 あんたは、こんな不細工なあたしを、好きだと言ってくれたはじめてのひとだった。

 可愛いといってくれた、はじめてのひとだった。

 今でも、そう思ってくれているだろうか。


(どうして、あたしを、置いて行ったの?)


 アンジェリカは矢も盾もたまらなくなって、ジャケットをひっつかんで玄関に走った。

 ペリドットのもとに行こうとしたのだ。


「――!?」


 アンジェリカは、戸惑った。おかしい。玄関ドアが開かない。外側から鍵がかかっているわけではない。内側からもだ。


「?」


 アンジェリカは、ガチャガチャとドアノブを動かした。その途端、玄関のドアが消えた。


「なに!?」


 驚いて一歩下がった途端、部屋が変化した。

 クリーム色の壁紙の内装が、石造りの壁面に変わっていく。ソファも、棚も、あらゆる家具が消えた。


 なにが起こったかわからず、うろたえたアンジェリカは――ここが、塔の中だということに気づいた。


 いきなり右手に現れた半円形の窓から、外の光景が見えたからだ。夜の遊園地――これは、ZOOカードの世界だ――遊園地の中にそびえたつ、ずいぶん高い塔のてっぺんに、アンジェリカはいた。


 ――まだよ。


 アンジェリカの奥底から、声が聞こえた。


 ――まだ出てはダメ。


 いつもの見慣れた玄関扉ではなく、窓と同じ形の半円形の、大きな観音開きの扉がめのまえにある。塔の一番てっぺんである。眼下には遊園地――ふつう、こんなところに玄関口などない。


 けれどもアンジェリカは分かった。

 自分はここから出ていくのだ。

 時が来たら、ここから出ていく。


 ――そして。


 アンジェリカの目から涙がこぼれた。

 それは、この扉から出て行くときに成さねばならぬ、自分の使命のためだった。





 ……もう少し、あと少し。

 もうすぐ、ラグ・ヴァダの女王と、メルーヴァ姫の一行が、やってくる。


 王さまが「シャトランジ」をアリーヤと姫に託し、

 わたしが「グングニル」をラグ・ヴァダの女王に託したら、用意は整う。

 そのとき、わたしは塔から出て行きます。

 

「白ネズミの王」がつくったシャトランジ。

 千年の長きにわたり、塔から睥睨(へいげい)してきた盤上よ。


 わたしこそが最後の穂先。

 誓いのグングニル。


 泣かないで、わたしの仲間たちよ。

 誇りなさい、微笑みなさい。

 決戦は、アストロスの武神とメルーヴァ姫に託せども、

 わたしたちは、大地を掘った。

 ちいさなものよと(さげす)まれたわたしたちが、皆で大きな穴を掘ったのです。


 待たせたわね、アンジェ。

 もうすぐ、扉は開きます。

 未来永劫、わたしとともにあれ。

 わたしがよみがえることによってあなたが得るものは、「ZOOの支配者」のみならず、子孫である「アノール族」すべてを動かす位をも持つのです。


 あなたの真名(まさな)は、「白ネズミの女王」。

 アノール族、すべての祖。


 ラグ・ヴァダの女王に仕えたまいし宰相、アリタヤが妻、シンドラ――。

 



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