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キヴォトス  作者: ととこなつ
第七部 ~バラ色の蝶々篇~
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292話 天秤を担ぐ大きなハト Ⅰ 1

               



 “ママ”



 

 オルドは、ほかの秘書たちとのあいだに、言いようのない壁を感じることがある。


 秘書室は女ばかりで、唯一の男だから、というわけではない。

 彼が傭兵だから疎外感がある――そういうわけでもない。秘書室は、アーズガルドの将校もいれば、傭兵もいる。


 オルドは「秘書」という名目はもらっているが、肝心の「秘書」としての仕事を果たせていない気がするのだ。


 仲間外れにされているわけではない。かといって、ちやほやされているわけでもない。だれもがオルドに平等で、ピーターとの仲をからかわれることはあっても、(それは、オルドにとって不愉快なことだったが)秘書たちは、それ以外の理由で、オルドをのけものにすることはなかった。


「ピーターのお嫁さん」呼ばわりされること以外は、いっさい文句はない。

 彼女たちの有能さに関しても、自身の扱いに関しても。


 お嫁さんあつかいは、オルドがピーターと一緒に暮らしているからだろう。

 彼女たちが「愛の巣」とふざけた名前で呼んでいるのは、ピーター所有の高層マンション。

 秘書が交代で食事をつくりに来るのだから、「愛の巣」では決してないことをわかっているはずなのに。

 オルドだって、冗談と本気の区別くらいはつく。冗談にしては、行き過ぎの気がするのだ。


(なんなんだろうな……)


 ケヴィンたち双子のガイドを引き受け、サルーディーバ救出の特殊任務について帰ってきてから、なおいっそう、その気持ちは強まった。

 疎外感(そがいかん)――いや、踏み込めない壁は厚くなった気もした。


 勝手な行動をしたオルドに、怒りを感じているわけではないようだ。


 ケヴィンたちのガイドを引き受けることは、オルドも、勝手な行動だとは思っていた。だから、ピーターにも秘書陣にも、その旨は告げた。オルドは秘書陣の中でも新米である。ダメだと言われたらあきらめるつもりでいた。


 だがピーターも彼女たちも、強い反対はしなかった。

 サルーディーバ救出に関しても、彼女らは裏でフォローをしてくれ、特にオルドの功績に嫉妬を抱いているわけでもない。


(自由すぎるからか?)


 オルドは考えたことがある。

 どうも、秘書という立場にしては、オルドには自由が与えられすぎていた。仕事はあるし、忙しいと言っても差し支えないが、――そうだ。

 オルドはぴったりな言葉を見つけて、それを考えたくもなくて一度は振り払ったが、そのたとえが、一番しっくりくるのだ。


(まるで、ピーターに嫁いだみたいだ)


 オルドは「お嫁さん」。

 ほかの秘書たちは、「姑」。

 ピーターの「ママ軍団」だと、陰口をたたかれているのはオルドも知っているから、そう考えてしまうのだろうか。


 オルドは、いつまでも重要な案件には触れさせてもらえない。

 秘書陣とピーターが、オルドの知らぬところで、なにかの計画を進めているのは分かっていた。

 その計画の内容も、進捗(しんちょく)状況も、オルドはまったく教えてもらえない。

 オルドだけが、だ。


 オルドとほぼ同時期に入ったモニクは、その詳細を知らされているようだが、オルドがこっそり、何気なさを装って、モニクに聞いたとき、彼女はうろたえたように、


「あ、あたしもほんとに詳しいことは知らないし――オルドが直接、ヨンセンさまに聞いたほうがいいわ――べ、べつに内緒にしてるわけじゃないから、きっと教えてくれると思うの」

 それから彼女は、小さく言った。

「ピーターさまは、きっと教えてくれないだろうから、ぜったいヨンセンさまね!」


 ウィンクした彼女は、ほんとうに、オルドを疎んでいるわけではない。けれども、オルドが、「詳細を教えてもらえない」理由も分かっていそうだった。

 オルドは嘆息し、あきらめた。ヨンセンは苦手だ。重要な案件に触れずとも、仕事はできる。

 それよりも気にかかったのは。


(ピーターが、俺に教えない?)


 秘書として入ったばかりで、すぐ信用されるとはオルドも思っていない。ましてや、女ばかりの秘書室に、たったひとり男の自分が入るのだ。多少の疎外感はしかたがない。


 オルドは基本的に、そんなことでめげるようなタイプではなかったが、――それでもなにかが、おかしかった。


 違和感を覚えるのは、前述した理由だろうと思って、与えられた仕事をこなしてきた。


 だが、時折、自分だけがなにも知らないような――そんなもやもやとした気持ちにさせられることがあった。


(まさかほんとうにあいつら、俺をピーターの嫁にする気なんじゃねえだろうな)


 ピーターが、女に興味がないと知って、おまけに、自分に特別な目が向けられていると言われたときはオルドも驚愕したが、オルドはべつに男が好きとかではないので、その件はそれで終了したはずだ。

 ライアンともそういう仲になったことはないし、アイゼンなど論外だ。

 女どもの想像力の逞しさに絶句させられることはあっても事実は違う。


 オルドにふられたピーターはがっかりし、でもオルドにマンションを出て行かれては困るのか、それ以上言わなかった。


 ピーターは、ひとりでネクタイを締めることもできないお坊ちゃまだ。オルドが毎朝、ピーターのネクタイを結ぶのも、ヨンセンにやらされている仕事の一つと言っていい。


 ピーターをフッたことを知ったヨンセンママには平手打ちされたが、「ママの出る幕じゃねえだろ」とオルドが凄むと、もう一発返ってきた。

 傭兵の女に口答えなどするものではない。


(細い腕しやがって。メリーより強烈だった)


 オルドが帰ってきたのは、ピーターを支えるためだった。

 だから、秘書として働く分には、文句はない。

 しかし。


(嫁になる気はねえ)


 ピーターが甘えたで頼りないのは、子どものころから知っていたことだ。だが、当主となれば、甘えたばかりでいるわけにもいかない。たとえママが何人ついていたとしても、だ。


(ピーターが、俺が思っていたほど、頼りなくはないって?)


 たしかに、ヘタレではあるが、山のように持ち込まれる案件に、オルドもびっくりするようなスピードで裁決を下していく手腕と、秘書たちの話を一気に聞いても混乱することなく、要所を瞬時に理解する聡明さ。


 俯瞰(ふかん)し、全体を見て決定を――ピーターは即時に決断し迷わない。


 そして、おそるべき忍耐強さ。待つべきところは待つ。どんなときでも動じず、笑顔を絶やさない強靭さ――それを見たオルドは、アーズガルドが持っているのは、けっして秘書陣だけの功績ではないと悟った。


 それは、オルドが見たことのない、ピーターだった。

 これだけ完璧な当主ぶりで、それを補佐する秘書たちも余りある才能の持ち主。

 オルドは一瞬、自分はいらなかったのではないかと思ったが、ピーターが自分を必要としているのはわかるので、全力を尽くして支えるまでだ。


 だが、そのことも――ピーターらしからぬピーターを知ったことも、オルドにもやもやとした気持ちを抱かせる一要因でもある。

 オルドは、ピーターと一緒に暮らしていながら、なぜか、ピーターのことを何も知らないような錯覚に襲われることがある。

 L03で、アイゼンに言われたこともしかり。


(さすがに、ガキの頃のままじゃねえだろうが)


 オルドの錯覚は、錯覚ではないかもしれない。

 ピーターと暮らし始めてまもなくのころだった。


 夜中にピーターの叫び声がしたので部屋に駆け付け、ドアを全開にする前に――ヨンセンが人差し指を唇のまえに立てた。

「見るな」の合図を、オルドは受け取った。

 色っぽい透ける生地の、下着姿のヨンセンは、ピーターを膝に抱いてあやしていた。


「ママ、こわい、たすけて、こわい、こわい……」


 ヨンセンの膝にすがりついて、ピーターは震えていた。

 オルドはだまって自分の寝室にもどったが、見たことを悔やんだ。


(まだ、治ってねえのか……)


 ピーターは、昔から、ひとりでは眠れなかった。だからいつも、オルドがいっしょに寝た。オルドがピーターを放っておけないのは、そこにも起因していると思う。ピーターはふたつ上の兄のようなものだったのに、オルドがいなければ、眠ることさえできなかったのだから。


 オルドがいないと、いつもうなされて飛び起き、泣く。

 きっとピーターは、昔から、まともに眠れたためしなどないのではないか。


(ピーターの母親は、たしか、ピーターが六歳ころに亡くなっていた――父親も)


 オルドは四歳だ。四歳の記憶では、あまりにもたよりない。

 トラウマでも持っているのか。――ピーターのトラウマとは?


(俺は、ピーターのことを知っているようで、なにも知らねえ)

 

 オルドは、翌日、ヨンセンから驚くべきことを聞いた。

 ピーターは毎夜、四人の秘書たちが交代で添い寝につくが、一度だって肉体関係になったことはない。ピーターはママなしでは眠れないだけだ。

 秘書がいないときにうなされることも何度もあったが、ヨンセンは、「ぜったいに行くな」と告げた。


「いまは、ふたりとも子どもじゃないのよ。処女のままでいたかったら、放っとくことね」


 女を殴れないオルドは、怒りのやり場を見失って、壁を殴るしかなかった。

 オルドは、ヨンセンがピーターの恋人だと思っていた。それを告げると、彼女はさすがのオルドも怯むような顔で平手打ちをした。

 ここにきてから、何回、このおそろしい姑に平手打ちされたことだろう。


「わたしたち、一度だって、ピーター様に抱かれたことなんてないのよ」


 ヨンセンの気丈な声が震えていた。


「どんなに誘惑しても、好きにしていいといっても、わたしたちはママにしかなれないの。それがどんな残酷なことか、あなたには分かる?」


 オルドに分かるはずもなかった。オルドは、だれに対しても、そんなに激しい感情を持ったことがない。


「あなたがうらやましいわ。ピーター様が、欲しがることのできる、唯一の、あなたの身体が」


 オルドはそれ以上言わなかった。

 抱くのか抱かれるのか知らないが、ピーターとそういう関係になる気はなかったし、恋愛沙汰で争うのはこじれるだけだと思っていたからだ。


(参ったな)


 オルドがピーターとそういう関係にならないから、いつまでも信用されないのか。だが、オルドの能力は買われているし、ヨンセンを筆頭に、古株の四人には嫉妬されているかもしれないが、表面上は、オルドはうとまれていない。


 与えられた自由を(かて)に、自分なりに、ピーターのために動くしかない。


 オルドはそう思っていた。――今日までは。


 その日、秘書室の面々は、それぞれの仕事で外出していた。本社のビルの別の課で、与えられた仕事に出向いていたオルドに、いきなり社長室にいるピーターから呼び出しがかかった。


 ピーターは今日の午後から、長期出張に出るはずだった。期間は二ヶ月弱。行き先は、L55と聞いていた。


(なにか不備があったか)


 今日はヨンセンもいない。ビルに残っていたオルドは急いで部屋にもどった。


「どうかしたか、ピーター」


 ピーターしかいない部屋だったので、うかつにも、軽い口調で呼びかけてしまった。ピーターはもちろん、それを(とが)めることはしない。

 ピーターはいつもどおり笑顔だったが、すこし沈んでいる気がした。


「オルド」


 ピーターはあらたまって、オルドに聞いた。


「――アイゼンに、なにか言われた?」



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