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キヴォトス  作者: ととこなつ
第七部 ~バラ色の蝶々篇~
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291話 幸運のペガサス Ⅱ 3


 その夜、ウィルキンソン邸宅に現れたのは、ミラだった。

 フライヤは、まだ帰宅していなかった。陸軍本部に残って、アストロスに出航するための準備をしていた。


「エルドリウスは帰っているか」

「ま、まあ――! ミラ様!」


 L20首相の突然の訪問に、腰を抜かしかけたのはシルビアだった。


「アポなしの訪問で申し訳ない――だが、今日はエルドリウスが帰るということを聞きつけてな」

「妻にたいそうな任務が与えられたとなってはね。仕事なんかしてる場合じゃない」


 屋敷の奥から姿を現したエルドリウスは、軍服姿だった。

 ミラは応接間に通され、熱い紅茶と、綺麗に並べられたサンドイッチをひとつ、いただいてからつぶやいた。


「このサンドイッチ、おいしいね。きゅうりが挟んであるだけの王道なのに、どうしてこんなにおいしんだろ? いつもながら、シルビアの手料理はおいしいものばかり」

「喜んで、すぐ調子に乗るぞ」


 熱い紅茶は、すぐに、エルドリウスが持ち出したウィスキーにとって代わられた。

 今夜は、長い夜になりそうだとミラは感じた。


「あなたが年若の妻をむかえたと聞いたときは、仰天したが、いやはや――」

 ミラは、感動を込めて、深く嘆息した。

「まさか、L20の“救世主”になるとはね」

 あなたの慧眼(けいがん)を見誤っていたようだ、とミラは詫びた。


「まだ、救世主になると決まったわけじゃないさ。しかし、地球行き宇宙船には僕の息子も乗っている。そして、アストロスに我が妻が向かうことを考えると、なにやら因縁を感じざるを得ない」

「セルゲイか――彼にも、ずいぶん迷惑をかけた」


 ミラは遠い目をした。エルドリウスには、彼女がずいぶん、老けた気がした。

 アミザが起こした騒動――マッケラン重臣の更迭――メルーヴァの捜索――ミラの背に乗る重圧はあまりにも大きい。


 ふと、ミラは言った。


「カレンは、なにを思ったか、セルゲイを宇宙船に置いてきた――てっきりいっしょに帰ってくるものと思ったら」

「もしかして、セルゲイには、思う人ができたのかもしれない」

「思う人? 宇宙船に?」


 エルドリウスの思わせぶりな台詞に、ミラは目を丸くした。


「だったらカレンは振られちまったということかい――いや、そのわりには、元気だったな」

「カレンがセルゲイを振ったのかも」

「それはないだろう。あんな完璧な男を」


 互いに笑いあい――エルドリウスは、グラスの中の氷を弄びながら、嘆息交じりにつぶやいた。


「今日、L19の軍部にも報告があった――アストロスで、メルーヴァの軍勢と見られる組織を発見したと。メルーヴァ本人、そして側近のシェハザールとツァオの存在は見つかっていないが、メルーヴァがアストロスにいることははっきりした」

「そうだ――そしてわたしは、フライヤを、メルーヴァ討伐の総司令官にした」

「そう。“メルフェスカ”の名で――」


 エルドリウスは、グラスをテーブルに置くと、嘆息した。


「実のところ、僕は困惑している」

 顔は涼しかったが、顔は苦渋に満ちている気が、ミラにはした。

「僕も望んでいたことなんだ。いつか、フライヤが傭兵としての名を持って、軍の中核に立つ――だが、いざそのときが来てみると、早すぎる気もするし、怖いような気もする」


 これが身内びいきというやつかね、とエルドリウスは苦笑した。

 ミラは、エルドリウスの決断力を評価していた。この男は英断し、後悔するということがない。だが、フライヤのことでは多少の戸惑いも見せるようだ。


「あなたも迷うことがあるのだな。これでますます好きになった」


 エルドリウスは困り顔で肩をすくめた。


「迷いは、少ないほうがいいに決まっている。自分に関してはね」


「フライヤも怖がっていた」

 ミラは、昼間の様子を思い出して苦笑した。だがすぐ、真顔にもどった。

「フライヤは、ここに来るまで、多くの自信を身に着けて来たし、信頼に足る友人も得て来た。――わたしは、早いとは思わん」

 ものごとには時期がある、と彼女は言った。


「ところで、ユージィンが姿を消したそうだな」


 ややあって、エルドリウスはうなずいた。ミラが、フライヤを、傭兵の名で総司令官にする――その策を取り上げた理由が分かったからだ。


「ユージィンはL19の監獄から消えた。だれが手引きしたのか――ロナウド家は躍起になって、彼を捜している」

「だとすれば、ロナウドが秘密裏にユージィンを消したわけではない」

「さすがにそれはすまい。ユージィンの身柄は、裁判に必要だ」


 ドーソン最後の屋台骨であるユージィンの消息が消えた。それはとても大きなことだった。

 すくなくとも、ミラは、この事態がなければ、フライヤを傭兵の名で総司令官にしようなどとは、夢にも思わなかっただろう。

 エルドリウスはつづけた。


「監獄星にいるドーソン一族に、動揺が広がっている――かつてない、大きな動揺だ。なにがあろうとも冷静さを保っていた者たちが、急に焦りだした。病気にかかる者まで現れたそうだ。――宿老たちがユージィンにかけていた期待は、よほど大きなものだったのだろう。彼がいれば、きっとL18にもどれると」

「……」

「ユージィンが逮捕されたときでさえ、彼らは揺らがなかったのに」


「行き先は? 把握を?」

「L22に向かったか、それとも独自のルートをつかってL55へ渡ったか――どちらにせよ、まだ見つからない」

「L22ね……アーズガルドのピーターは、彼をかくまうか? それとも、ロナウドに突き出すか」

 エルドリウスは苦笑した。

「さあ――わからん。だが、あの子は、“こちら側”の人間だ」


「サイラスは、一族とドーソンにつぶされたがな……」

 ミラはひどく悔やむ顔をした。

「もったいない男を亡くした。……ピーターでは、これからの難局を乗り切っていけるかどうか」


「そう心配することでもないと思うが」

 エルドリウスは眉を上げた。

「ピーターの器は、おそらくサイラス以上と僕は見たが」

「……? ピーターが?」


 ミラの頭には、どう考えても、フライヤより頼りなさそうな、マザコン男の顔が浮かんだ。

 人は好いが、ママなしではなにもできない跡取り息子。実の母親は早くに亡くなっているが、周囲を固める、ヨンセン率いるやり手の秘書陣――陰でピーターのママ軍団といわれている――は有名だ。

 アーズガルドが持っているのは、あの秘書陣のおかげともいえる。


「そうは思わんね。決定を下しているのは、ああ見えて、ピーターだよ、ミラ」

「――!」

「恐ろしい男だよ、彼は。僕はそう思う。――これは単なるうわさではあるのだが、ピーターは、女性を愛せないそうだ」

「めずらしくもない」


 ジェンダーの境が崩壊した昨今、特にL20では、めずらしくはない。ミラは、エルドリウスが何を言おうとしているのか分からなかった。


「彼はね、周囲の女性を、みな“ママ”にしてしまうのだそうだ」

「――は?」


 ミラは間抜けな声をあげ、それから納得した。あの頼りなさでは、彼の周囲に集う女は、そうなってしまうかもしれない。


「それとは、すこし意味合いがちがうのだ、ミラ」

 エルドリウスは、笑った。

「ママとは? 母親だ――息子のためになら、なんでもしてしまう母親だ。ミラ、母である君の方が、僕より母親の気持ちは分かると思うが。ピーターの秘書陣のおそるべき力は、おそらく母親の力なのだよ」

「……」


 ミラは、そうなのか、と思っただけだった。

 だが、エルドリウスの次の言葉は、ミラにとっても意外なものだった。


「傭兵組織が、一番警戒しているのは、ピーターだよ」


「……なんだと?」

 ミラはがく然とした。


「もはや傭兵組織は、ドーソンなど見てはいない。すでに次の手にかかっているのだ」


(次の手……?)

 ミラの背中を、冷や汗が流れ落ちた。


「世間も軍事惑星も、ドーソンの巻き添えを食らって、アーズガルドが半分の力に落ちたことを憐れんでいるが、――もともとそれは、ピーターの策略だったとしたら?」


「まさか!」

 ミラは笑い――それが冗談にも思えなくて、真顔にもどった。


「ピーターは、自分の理解者である将校だけを残し、ドーソン派である半分を、自ら切ったのさ。家の力が半減することを承知で」


「……!?」

 そうだとしたら、アミザ以上の思い切った行動だった。


「もはやアーズガルド家に、ピーターのジャマをする者はいないといっていい」


 エルドリウスにしては、興奮していた。顔つきは変わっていないが頬は紅潮している。彼は酒を一口飲んで気を鎮めた。


「L18にもだ――今のドーソンは、もはや風前の灯火だよ。僕はね、ミラ。L18はアーズガルドが台頭(たいとう)すると思っていた。ピーターが、急に動き出したのは、L18の支配に動くためだと思っていた――だがちがう。ピーターはドーソンの力が半減したL18を乗っ取りには動かなかった」


「なぜだ」


 ミラにも理解しがたかった。――そうだ。今のL18は、おそらくアーズガルドが本気を出せば、ドーソンに代わって台頭できるだろう。


「そこが彼のしたたかなところだ。彼は、本拠地をL22に移した。L18の、今の混乱を傍観しているわけではない。L22で新たなアーズガルドの足固めに精を出している。――不測の事態に備えて」

「不測の事態――とは」


 ミラにはすっかり予想ができた。だが念のため、聞いた。


「ドーソンがいなくなって空白化したL18を、傭兵たちが乗っ取るときのために」


 さすがにミラは、笑い飛ばせなくなった。

 L20にとって、メルーヴァの逮捕が最優先事項だから、その他のことは後回しになっているが、それらしきことは、アイリーンの口からすでに聞いていたからだ。

 アイリーンは、“あの”エーリヒが、心理作戦部の機密書類をL20に送ったことを、しきりに不審がっていた。

 そして、彼女は気づいた。

 今は、アーズガルドが踏ん張ってL18を守っているが、L18に残った傭兵グループがその気になれば、いつでも軍部を乗っとることができる状態にあると。


 それを聞いたときミラは戦慄したが、さすがにそこまで手を回せる状態ではなかった。だからそちらのほうはL19に一任したが、

「それはだいじょうぶだ。ピーターが調整役になっている」

 というオトゥールからの返事があった。


 どのように交渉しているのか定かではないが、たしかにL18の傭兵グループは、静寂を保っている。


 アーズガルドがL18の支配に乗り出していたら? 


 今度は、アーズガルドが「ドーソン」になってしまう。

 傭兵の敵となるのだ。

 ただでさえ、最近のドーソンの弱体化のせいで、いままで抑圧され続けた傭兵たちのあいだに、不穏な動きが広まっている。

 L18は、一番傭兵が多い。

 白龍グループの大きなアジトも、メフラー商社も、ヤマトの分社も、L18にある。


 もし、傭兵たちが「ドーソン」の代わりとなったアーズガルドをつぶしにかかったら、ひとたまりもない。

 そうなったら、ロナウドとマッケランが、傭兵たちのせん滅に動く。


 ――結果、軍事惑星群が戦場と化す。


 ミラはぞっとして、体温が下がった。


 ピーターは、そこまで見据え、L18を「空白化」しているのだ。

 傭兵たちを刺激しないように――。



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