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キヴォトス  作者: ととこなつ
第一部 ~時の館篇~
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36話 これからもいっしょ 2


 ルナが椿の宿からK12区のショッピングモールに向かっているころ、アズラエルもようやく、宇宙船にもどってきていた。


 クラウドからの連絡で知ったことだが、ルナはセルゲイが住むマンションにいたとかで。アズラエルは少し安心した。


 家を守る「ちこたん」にいくつか細工はしてきたが、セルゲイが住むマンションはもっとセキュリティが厳しい。そっちの方がいいに決まっている。

 セルゲイが一緒だと、おそらくグレンも一緒だろう。そっちは気に食わないが。


 しかし、ルナはすぐマンションを出たらしい。


(すぐに移動して、K12区に行って、それからしばらくK05区にいたって話だが)


 今朝は、K05区の椿の宿をあとにして、家にもどるはずだとか。


「ったく、野ウサギが」


 放っておくと、あちこちに飛び出して行ってしまう。まったく油断のならない野ウサギだ。

 ボディガード付きの自覚はあるのか。ないだろうな。


 アズラエルは、気もそぞろでK27区の自宅に向かった。

 自宅に、ルナは帰っていなかった。


「話が違うぞクラウド! ルナはどこにいる」

『帰ってない? ――あれ? このルートだと、K12区のショッピングモールに向かっているかな?』


 アズラエルは、すぐさまK12区に向かった。


「ルナおまえ、どこにいる」


 メールを送ると、すかさず返ってきた。


『あたし、椿の宿、チェックアウトしてきちゃったの。そいで、いまK12区のショッピングモールに向かってるのです』




「――カレン・A・マッケラン様でございますか?」


 カレンは顔を上げた。自分は、よほどひどい顔をしていたに違いない。自分の名を呼んだリリザの宇宙ステーションのフロントは、社交辞令の微笑を、感情の入った微笑に変えた。それも、同情の入り混じった顔の。

 この女性は、さっきカレンが人捜しを頼んだ顔ではない。


 カレンは、リリザの宇宙港改札前のひとごみを、呆然と眺めていた。

 ベンチに座って。

 着の身着のままで、起き抜けに、髪も寝癖つきっぱなしのままで。


 セルゲイが、宇宙船を降りると言うのを、止める理由などなかった。むしろ勧めたのは自分だ。

 一緒に行くパートナーがいないからついてきてくれと言ったが、彼にも家族がある。仕事もある。


 無理を言ったのは自分だ。


 自分でも、バカをやっているとは思っている。笑顔で送り出しておきながら、未練たらたらの恋人のように追いかけているなんて。


 彼女の訳知り顔が鼻について、カレンはますます自己嫌悪した。


 男に逃げられて、追いかけてきた女だとでも思われただろうか。不思議なのだが、こうしてすっかり男になってしまっているのに、カレンは女であると認識されることが多かった。


「セルゲイ・E・ウィルキンソン様には、待合室でお待ちいただいております」

「……見つかったんですか」


 声は情けなくかすれていた。これで完全に、恋人同士の痴情(ちじょう)のもつれとやらに思われたかもしれない。


「はい」


 手短に彼女は答え、親切に待合室の前のドアまで案内してくれたが、なかまで入ってくることはしなかった。


 早朝の待合室にはだれもおらず、広い室内でセルゲイだけが、奥のベンチで新聞を広げていた。かたわらに大きなスーツケースを置いて。


 カレンの姿を認めると、セルゲイは立ち上がった。セルゲイは、なぜ追いかけてきたのかと問わない。カレンが追いかけてくるのを予想していた気配はなかった。


 カレンは、抱きつくほどの勢いで、セルゲイのそばまで寄った。

 カレンのげっそりと青ざめた顔を見てセルゲイは、すべてを察した。


「――ごめん」


 二人は同時に同じ言葉を発し――それから互いにちょっと笑った。それからしばらく沈黙が続き、セルゲイが言った。


「カレン。とにかく座って」


 カレンは、セルゲイのベンチの真向かいに腰かけた。セルゲイは、カレンの隣に座り直すことはしなかった。


「……ごめん」

 カレンがうつむいたまま言った。

「あんたの説明であたしは納得して、べつに、あんたを引きとめる気なんてこれっぽっちもなかったんだ。こんなわがまま、二度と言うつもりはなかったんだ。宇宙船に一緒に乗ってくれといったのはあたしだし……あんたをつきあわせたのも」


「いや、カレン」

 セルゲイがさえぎる。

「私も悪かったんだ。君といっしょに地球に行く約束をしていながら、いきなり降りようとしたのは」


「そんなこと……!」

「もちろん、こうして離れたからといって、二度と会えないというわけじゃない」

「ごめん……」


「謝ることなんてない。もどると言ったろ? ほんとうにもどるつもりだった。じつは、さっきも電話でくわしい事情を聞いたんだが、義兄が病気になったとたん、患者が増えたんだって。義兄にそばを離れてほしくないあまりに、ささいな指の切り傷だの、あまりに小さな治療を求める連中が増えて、対処しきれなくなったらしい。それで私を呼んだんだ。どうしてもこちらに来てほしいという、強い要望ではなかった」


「……」


「兄は、地球行き宇宙船が四年の周期だということも知っている。旅が終わったら顔を見せてくれればいいと。余命を告げられたわけではなく、身体は動くし、医者の仕事もできる。心配はない」


「……」


「でも、彼も独身だから。仕事、仕事でこれまできたひとだからね。ふと、寂しくなったんだろう」


「ごめ……」


 カレンは顔を覆ったが、セルゲイは「いいんだ、カレン」と言った。


「最初に出会ったときに言ったとおり、私は、君のトラウマを癒してあげることはできないと思うし、私のカウンセリングとやらが、君に役立つとは到底(とうてい)思えない。だがもし、君の信頼できる友人になれれば、とそう言ったね」

「……ああ」

「その気持ちは、変わっていないよ」


 セルゲイは、カレンの手を両手で握りしめた。男であるセルゲイは、カレンを抱きしめることも、寄り添うこともできなかった。唯一、手を握ることだけが、許された方法だった。


「ごめん……ほんとうにごめん。あたしは、ジュリのことは好きだ、でも、あんたがいなくなると思ったら、急に怖くなって」

「カレン。いいんだ」

「セルゲイ……」

「私が、君の信頼できる人間であって、私がそばにいても大丈夫なら、それでいい」


 セルゲイは、カレンを立たせた。スーツケースを持って、歩き出す。


「さあ、宇宙船にもどろう」

「……ほんとうに、いいの?」

 

 カレンは、ぽつんとたたずんでいた。セルゲイから差しのべられた手を取っていいのか、迷っている様子だった。


 セルゲイにも覚えがあった。L47から救出されて半年も過ぎた、ようやくまともな人間の感覚がもどってきたころ。

 養子にならないかとエルドリウスに手を差し伸べられた。そのときのセルゲイは、今のカレンと同じ顔をしていたに違いない。


 セルゲイは、エルドリウスがそうしたように、半ば強引にカレンの手を取った。


「みんなに笑われそうだな。一日かそこらでもどってくるなんて」

「そんなことないよ。グレンもルーイも、みんな喜ぶよ」


 カレンの頬に、少し赤みが差してきた。セルゲイはほっとした。


「あ、コーヒーのいい香りがする」

「あの店かな」

「飲んで行こうか? せっかくリリザまで来たんだし」


 カレンが、うなずく代わりにセルゲイの手を握った。

 指先まで冷え切っているカレンの手を、自分の手で温めるように、セルゲイは、しっかりと握り返した。



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