288話 ルナの決心と、黄金の天秤
食事もすっかり終わったところだったし、午後十一時も過ぎていたので、子どもたちは入浴して歯をみがき、就寝するように、セシルに言いつけられた。
オルティスは、「いきなり泣き出しちまって、悪かった」としきりに言ったが、だれも責めるものはいなかった。
この屋敷に、悲しみを理解しない人間はひとりもいない。
場はしらけてなどいなかった。アンの歌が終わったとたんに盛大な拍手が上がり、みんなは、おいしいケーキを口にした。
アンの声のように、甘いケーキだった。
「河岸を変えて一杯やろうぜ」
バーガスは、オルティスとアズラエル、そしてアンの担当役員のテオドールと、マタドール・カフェに向かうことにした。
アンは、ツキヨが自室へ連れて行った。
カルパナとシシーに、残った料理をたっぷり手土産に持たせ、おとなたちとpi=poは片付けにとりかかった。
準備をはじめたときと同様、ひともたくさんいたので、片づけはすぐにすんだ。
男たちは、今夜は自室のシャワーで済ませると言った。それぞれの部屋に、シャワーと小さなバスタブはついている。だが、大浴場があるので、あまりつかわれていなかった。
ルナは、ミシェルとリンファン、エマルとレオナ、セシル、ネイシャ、ジュリと一緒に、なだれこむように大浴場に入った。
大勢で入っても余裕がある大浴場は、リンファンとエマルも気に入り、「まるで温泉みたいだねえ」と幸せそうだった。
「ほんとに、温泉のお湯を引いてるそうなの。お風呂だけだけど」
セシルが言うと、ミシェルが「マジで!?」と叫んだ。
「ミシェルちゃん、知らなかったの。この家に入ったとき、カザマさんがそう言ってたじゃない」
「美肌の湯だって」
レオナが言うと、
「ほんとかい!? じゃあ、定期的に入りに来なきゃ!」
エマルは、豪快に、ざっぱざっぱと顔に湯を浴びた。
「エマルとリンさんは、――ツキヨさんも、ほんとに、この屋敷には住まないのかい」
レオナが残念そうに言った。ルナは顎まで浸かって、アホ面だけを水面に出して天井をながめていたが、その言葉を聞いて、母とエマルのほうを見た。
「アズが嫌がるだろ、あたしと一緒は」
アイツは生まれたときから反抗期だからね、とエマルは笑い、
「それに、母ちゃんも入退院をくりかえすことになりそうだ――シャインもあることはあるけど、あれはあんまり大っぴらにはつかうなって言われてるんだろ?」
「……」
ルナとミシェルが、ぶくぶくと泡を吹きながら目の下までお湯に浸かったのを見て、エマルはいたずらっぽくウィンクした。
「病院の近くに部屋を借りることにしたよ。落ち着いたら、遊びに来てよ」
長風呂から出て、ルナが髪を乾かしているあいだに、脱衣所はルナだけになっていた。
ルナはキッチンではちみつ入りのホット・ミルクをつくった。すっかり日付変更線はまたいでいたが、目が冴えて、眠れなかったのだ。それを飲みながら、ぼんやりと、広いダイニング・キッチンをながめた。
ミルクを飲み終わり、大広間とみんなで呼んでいる、リビングに出た。
ルナは高い天井と、リビングから見渡せる、二階と三階の廊下を見つめた。
(セルゲイは、この旅行が終わったら、カレンのところへもどる。――グレンは? グレンは、地球に住むのだろうか。バーガスさんとレオナさんは、きっとL18にもどるんだろう。――エーリヒも。そしてジュリさんは、エーリヒといっしょに行く)
セシルとネイシャも、ベッタラとともに、彼の故郷に行く。
ルナは、クラウドとミシェルですら、例外はないというのに気付いてしまった。
(クラウドには、ララさんから、秘書にならないかって話が来てる)
ミシェルも――ララのもとで、有名な画家に、なるのかもしれない。
ルナは、なんとなく、別れのときを想像してしまった。
(いつまでも、みんな一緒じゃ、ない)
ルナはとぼとぼ、三階の自分の部屋にもどろうとした――部屋にもどろうとしただけだ。聞く気など、これっぽっちもなかった。けれども、ルナの部屋は、ツキヨとアンに提供した部屋の隣――自室に入るまえに、通り過ぎなければならない。
ドアの向こうから漏れ聞こえた会話に、ルナは足を止めてしまった。
「こんな母親がいるものですか」
アンの声は、潤んでいた。
「子どもたちを、みんな犠牲にして、生きながらえた母親なんて、いやしない」
「……まだ、オルティスさんがいらっしゃるじゃないか」
ドアは、ほんの少しの隙間を残して、開いていた。
ツキヨが、アンの細い肩をさすっているのが、ルナにも見えた。アンは、やはり泣いていたのだ。
「子どもたちに幸せになってもらいたくて引き取ったのに、わたしは、みんな死なせてしまった」
ツキヨは黙って聞いていた。アンの震える背を撫でさすって。
「マルセルはきっと、死んだのね」
ルナはどきりとした。
「オルティスは――あの子は――わたしにそれを、言えなくて、ひとりで抱え込んでいる」
「……」
「なんて残酷な母親でしょう! 長年支えてくれた息子を犠牲にして、――こんな、」
アンの慟哭は、もはや言葉にならなかった。
「アンさん――生き残った者には、やらねばならないことが、きっとあるのよ」
ツキヨの、優しい声を聞きながら、ルナは逃げるように自室に駆け込んだ。しっかりとドアを閉め、ぺたりと絨毯にしゃがみこんだ。
泣きそうな気もしたが、涙が出てこなかった。悲しいわけではないのだった。――いや、悲しい――悲しいけれど、それだけではない、奇妙な気分だった。
みんなとの、いつか来る別れを想像したら、奇妙な気分になったのだった。
(ケヴィンも、ナターシャも、エレナさんも、カレンも、あたしは見送った)
もうすぐ、レイチェルたちとの別れが来る。
ルナは、クローゼットを開け、なんの反応もない銀色の箱を取り出し、絨毯に置いた。
「うさこ」
ルナは箱を見つめてつぶやいた。
「どうして、アンさんとマルセルさん、ふたりを乗せてあげられなかったんだろう?」
どうして、マルセルの分はチケットがなかったのだろう。どうして、マルセルは、死んでしまったのだろう。ルナには分からない。
(マルセルさん、どうして死んでしまったの?)
オルティスは、五千万デルは貯まっていた。マルセルの分のチケットを買えたはずだった。けれど、それは、拒絶されてしまった。
(どれだけ長い間、彼らは逃げ続ける生活を送ったんだろう)
アンが、きっとマルセルが生きていく支えだったのか。
ルナは想像できなかった。
貧しく、孤独で、何十年をも生きていくつらさを。
海岸で出会ったマルセルは、まるで浮浪者のような身なりだった。身なりは、アンもたいして変わらなかったけれど、マルセルには、貧しさがもたらす苦悩が、全身に表れていた。
(ツキヨおばあちゃんがいてくれて、よかった)
アンドレアの想いをくんであげることができるのは、ツキヨしかいないと、ルナは思った。
ツキヨも、地球から飛び出してユキトのもとへ行き、一年もない結婚生活のあと、夫を亡くし、たったひとりでエマルを産んで育てた。エマルが軍事惑星に家出したあとも、ひとりで生きて来たのだ。新しい家族を持つことは、なかった。
ツキヨも、深い孤独を知っている。悲しみを知っている。
ルナは、ひとすじの涙をこぼした。
この宇宙船は、乗りたいものが乗れるのではない。
乗りたくても、乗れない人間はたくさんいる。乗りたくなくても、チケットが当たる人間もいる。
エレナは、宇宙船のチケットを、一度は客に奪われたことを、かつてルナに話した。エレナの遊郭の常連客だった富豪は、年寄りの慰安旅行程度の気持ちで、ジュリをだまして、エレナのチケットを買った。
ほんの、数万デルで――一億にもなるチケットを。
エレナにとっては、人生が変わるかもしれないチケットだった。すくなくとも、エレナの運命は変わった。あのままあそこにいたら、あと数年で、病気になって死んでいただろうとエレナは言う。
ナタリアは、最初に乗ったときは、なにも変わらずに、降りた。
そして、二度目にチケットが当たって乗船し、アルフレッドたちと出会い――変わった。
ルナを逆恨みし、バーベキュー・パーティーに乱入し、アズラエルたちを宇宙船から降ろそうとしたイマリが、まだ宇宙船に乗っているというのに、アズラエルたちを庇ってくれたレイチェルたちが、降りなければならなくなった。
レイチェルたちは、ほんとうは地球に行けたのに。
K19区に来る子どもたちも、どうしてみんな、死んでしまうのだろう。
タケルは、「まるで死に場所をもとめて乗るようだ」といったけれど、チケットが「幸運」だというなら、チケットが当たったことで、子どもたちは「幸運」をつかいはたしてしまうのだろうか。それではあんまりだ。
でも、ピエトは生きている。
子どもたちを全員、K19区から出せばいいだけなのだろうか。
違う気はした。
もっとなにか、深い理由がある。
ルナは、乗れなかったマルセルを想った。
不思議なめぐりあわせで、ロイドの兄からもらったお金で、宇宙船に乗ったキラの母、エルウィンを想った。
どうして、ルナにチケットが来なかったのだろうと、かつて悩んだけれど、今はツキヨがこうして、地球への帰路についている不思議を想った。
K19区の子どもたちが、どうして生きていけないのか、ルナは悩んだ。
(うさこ)
ルナは、運命の不条理さを感じざるを得なかった。
(……うさこは、あたしに、なにをしてほしい?)
レイチェルたちが、ルナに“幸運”をくれたように。いつもアズラエルやクラウド、ミシェル、みんなが助けてくれるように。
あたしも、うさこといっしょに、なにかができるだろうか。
(あたしはうさこで、うさこはあたしなの)
あたしは、うさこのお手伝いをできるだろうか。
だってうさこは、なんでもできるうさこだけれども、あたしがいないと、“なにもできない”のだ。
うさこの声は、アンには聞こえない。ツキヨにも聞こえない。あたしを通してでしか、うさこは動けない。
あたしが今まで、“なにもできない”と嘆いてきたように。
(やっぱりあたしたちはいっしょだ、うさこ)
「うさこ、あたしね、できるか分からないけど、やってみたいことはある」
アンのように、たくさんの子どもたちを自分の子どもにして。
アンソニーのように、担当になったひとを、かならず地球まで連れていくことができたらいいな。
ルナがそうつぶやいたとたんに、ぱあっとZOOカードの箱が光り輝き――ピンク色のウサギが、姿を現した。いつも、ルナと同じワンピース姿のうさこが、今日はドレスを着て、王冠をのっけていた。
「うさこ……」
ルナは口をぽかんとあけて見つめ――、
「あ、あけましておめでとうございます!」
ぴょこん、とお辞儀をした。
『あけましておめでとうございます』
月を眺める子ウサギも、ぴょこん、とうさ耳を動かした。
『ルナ。とうとうここまで来たのね』
感慨深いわ、とピンクのウサギは言った。
『ラグ・ヴァダの武神を滅ぼすことは、ただの過程にすぎないのよ』
一番の大仕事かもしれないけれど。ウサギは言った。
『あれは、わたしたちの“前世”のケリを、つけるだけ』
あなたの本当の役目は、それからよ。
月を眺める子ウサギは、微笑んだ。
『――ルナ。ラグ・ヴァダの武神は、“満月”じゃ倒せないのよ』
「満月?」
『そう。ラグ・ヴァダの武神を倒すには、“新月”が必要なの。でも、あなたは“月”そのものにならなきゃいけないのよ』
「……!」
『月にはたくさん名前があって、姿がある。あなたは、“満月”にも、“新月”にも、“三日月”にもなれる。あなたしかできないの。わたしには、できないの』
「――!」
『そのときはじめて、あなたは原始に還る。わたしとともにあれる』
月を眺める子ウサギは、手に持った、月の形のオブジェがついたステッキを振った。
『じつは、“リスト”をリニューアルしたの。あなたがこれから手助けする人間が増えたわ』
ペリドットは、K33区の広場で、たき火にあぶられながら、星々をながめていた。
彼は待っていたのだった。
近日中にメッセージが来ると、「真実をもたらすトラ」に告げられたからだ。
足元のZOOカードボックスが光ったので、メッセージが届いたことを知った。
「お? 来たか」
彼は、ZOOカードのふたを開けた。
アンジェリカも、常に枕元に置いている、紫色の箱が銀色の光をともし始めたので飛び起きた。アンジェリカの意志では動かなくなった今、ひさしぶりの反応だった。
「銀色の光――月を眺める子ウサギだ!」
「アンジェ、今の光は」
隣室から、サルーディーバも駈け込んで来た。箱のふたは自動で開いた。ふたりは、息をつめて、それを見守った。
「羽ばたきたい椋鳥」、「文豪のネコ」、「図書館のネコ」、「色町の黒ネコ」、「孤高のキリン」、「サルーディーバ」――。
アンジェリカがはじめてルナを占ったときに、ルナが助ける人間だと表示されたカード群だった。
それらはキラキラと白銀色の輝きにつつまれて、くるくると回転した。カードの回転がぴたりと止まる。――六枚のカードは、新たな絵柄に変化していた。
「英知ある灰ネズミ」
「かごの中の子グマ」
「裏切られた探偵」
「バラ色の蝶々」
「天秤をかつぐ大きなハト」
「迷える子羊」
『順番は、多少前後するわね』
月を眺める子ウサギは言った。
「アンドレアさんも、入ってる――」
ルナがつぶやくと、ウサギは、『そうよ』とうなずいた。
「――迷える子羊」
サルーディーバとアンジェリカも、同時に読み上げた。
「これはもしかして――姉さんのカード?」
「……」
アンジェリカが必死で探しても出てこなかった、サルーディーバのカードだった。なぜ、これがサルーディーバのカードだとわかったかと言えば、カードの絵は、サルーディーバの衣装を着た子羊が、涙している絵柄だった。
サルーディーバも、自身のカードを知っていたわけではないようだ。
「迷える子羊とは……」
自嘲めいたため息をこぼしたあと、「そうかもしれませんね」とつぶやいた。
「いよいよか」
ペリドットは、「天秤を担ぐ大きなハト」のカードを、自身の化身である「真実をもたらすトラ」と見つめながらつぶやいた。
『“コイツ”が出てきたということは、軍事惑星群の転換期が近づいているということだ』
トラは重々しく言い、
『あとの五枚はおまけのようなものだ。コイツがいちばん大変だぞ』
羽ばたきたい椋鳥よりも、と言いかけたトラを遮り、ペリドットは腕を組んだ。
「まずは、“ラグ・ヴァダの武神”との戦いが先だ」
『あたりまえだ。今度こそ“ラグ・ヴァダの武神”を倒さねば、そこまでたどり着けん』
ペリドットはうなずいて、
「そうだ――これが成し遂げられなければ、軍事惑星群も、ひいては、L系惑星群が、終わりだろう」
ルナは、カードの名前を日記帳に書き写し、「このひとたちの名前って教えてもらえないの?」と聞きかけたが、マイペースなうさこは、すでに消えようとしていた。
「ちょ、ま、うさ、うさこ!」
『そうね、ルナ、ハトさんに会ったら』
半透明になったウサギは、言い忘れたといってもどってきた。
『黄金の天秤を、おねだりして』
「黄金の天秤!?」
『そうよ、おもいきり豪華な、黄金の天秤ね』
「……」
いつもどおり、さっぱりつかい道も、用途も不明な要求である。
ルナは意味が分からなくてアホ面をしたが、うさこはさらに爆弾発言をした。
『その天秤で、あなたはサルディオーネになるんだから、ものすごくゴージャスな物を要求しなさいね?』
「はえ!?」




