287話 バラ色の蝶々 Ⅲ 2
その日の夕食は、たいそう豪勢になった。
料理人は、いつものバーガス、ルナとアズラエルに、リンファンとグレンとセシルが加わった。
大きなテーブルが、料理でいっぱいだ。
ローストビーフの塊に、肉汁がたっぷり染みたマッシュ・ポテトといんげんとニンジンのバターソテー。オリーブオイルとハーブで蒸した魚やエビ、貝類――大皿のサラダに、山盛りのパスタ、三種類のスープに、バリバリ鳥のシチュー、ピザ、くだもの、エトセトラ。
これでもかと料理がならんだテーブルを、学校から帰ってきたピエトとネイシャ、ジュリは、大歓声で囲んだ。
「すっげえー!!!」
「今までで、いちばん豪勢じゃない!?」
「おいしそ~……!」
まるでホテルのレストランに出てくるような、芸術的に盛り付けられたフルーツ・タワーを見ながら、ミシェルも感激のよだれが出そうだった。
いや、すでに出ていた。
「バーガスさんがこの家に来てから、ゴージャスさが増しました」
ルナは、サラダの上に、バラ型に生ハムを盛り付けようとしてうまくいかず、アズラエルに交代してもらいながら言った。
「こら! ネイシャ! ピエト、飛び跳ねない!」
「皿が足らないねえ! 紙皿はあったかい?」
セシルの絶叫と、レオナの怒号が広いダイニング・キッチンに飛び交った。
「エーリヒ、グラスを磨いておくれ!」
「これで全部かね?」
「子どもはジュースで、おとなたちは、みんなお酒でいいかな」
「……このワイン、あけちゃう?」
「1200年代の……まァいいか。こういうときのために取っておいたんだし」
「アンさんとあたしは、お茶かジュースでいいよ」
「グレンさん、トマト・スープにクルトンとパセリを散らして。モロヘイヤのほうには、にんにく・チップを――そうそう、砕いちゃって」
「了解」
エマルが、グラスをたくさん乗せたトレーをエーリヒに預け、クラウドとセルゲイがとっておきのワインを物色し、ツキヨが冷蔵庫からジュースを出しながら答え、リンファンがグレンと仲良く、スープの味見をしていた。
「よお! ケーキ隊が到着したぜ!」
「わ、わたしたちもお邪魔していいんですか……」
「迷惑じゃありません?」
「すこしですけど、お惣菜をつくってきましたよ」
オルティスがケーキを買って、帰ってきた。ツキヨとアンの担当役員のテオドールと、エマルたちの役員、シシーもいっしょだった。
セシル担当のカルパナも、惣菜をぎっしりつめたタッパーをもって、現れた。
新しい担当役員のふたりは遠慮がちにダイニングに来て、テーブルの上の料理を見て仰天した。
「わたしたち、何の手土産も――」
シシーがあわてて、テオと顔を見合わせたが、アズラエルが苦笑した。
「いらねえよ。これ以上食い物が集まったって、食い切れやしねえ」
「まァ、座りなよ」
クラウドが、ふたりを席に案内した。
「まあ、まあ、いつもこんなに大勢で?」
アンが目を丸くしていた。
「いつもってわけじゃねえが、バーベキュー・パーティーや、なにかあったときは、こうしてみんなで集まってるんだ」
オルティスが、両腕を広げた。
「どうりで、こんなでかい屋敷に住んでいると思ったよ」
エマルがたくましい肩をすくめ、リンファンも、「こんなに大勢のパーティーは、ひさしぶりよ」と楽しそうだった。
アンが涙ぐんだ。
「なつかしいわ……ずっと昔は、みんなで……」
なにを思いだしているかは、オルティスにもわかった。オルティスも同じ光景を思い出していたのだ。
ずっと、ずっと昔――子どもたちといっしょに暮らしていたころ。
食卓にならぶ料理はこんなに豪華ではなかったけれど、みんなで囲んだ食卓を思い出して。
笑いが絶えない食卓だった。
――あのころは、一番幸せだった。
「この“居場所”を作ってんのが、ルナちゃんだ」
オルティスはこっそり言い、リンファンとツキヨは、「えっ」という顔で、オルティスを見た。
「オレはそう思う。ルナちゃんがいなきゃ、この集まりはねえ――そもそも、ルナちゃんがいなきゃ、グレンもセルゲイも、ここにはいねえからな。きっと、最初はルナちゃんとミシェルちゃんからはじまって――今は、こんなに増えてる」
リンファンはそういったオルティスを見つめ――ルナを見た。
「いい娘さんをお持ちだわ」
アンは、微笑んだ。
ツキヨとリンファンは、いっしょうけんめいケーキのろうそくの数を数えているルナを見つけた。
「あっ! よだれ!」
「……」
ルナは一心不乱すぎてテーブルに涎を垂らし、あわてて拭いていた。すなわち、いつものルナである。
「……たまに、カオスなところがあるけどね」
クラウドがそう言いながら、通り過ぎて行った。
「クリスマスから、大盤振る舞いをしすぎじゃないかい」
ツキヨは苦笑しながらも、バーガスが音頭を取った「乾杯!」の言葉に、グラスを掲げた。
「新しいルームメイトに、乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯! ようこそ、お屋敷へ!」
みんなでグラスをかかげたあと――テーブルの上は、大混乱になった。
傭兵が大多数を占める食卓は、好物をとりあう奴らで一気に戦場と化したが、みんなの胃袋の隙間がなくなっても、余るくらいに料理はあった。
「うんまい! なにこれ、うますぎる!! ごはんください!」
「ローストビーフって、こんなにうまかったっけ……? ソースが絶品だ……!」
「こっちにワインを回して! え? もうないの?」
「ピザが大きすぎるよ! 半分こしよ」
「このスープ、おいしい! レシピ教えてください!」
「もちろんよ。まずはモロヘイヤをゆでて、粘りが出るまで包丁でたたくの」
シシーが、人生初のバリバリ鳥のシチューに感激し、ご飯を入れてもらい、三杯もおかわりして、アズラエルを怯ませた。テオドールは、今まで食べたこともないくらい、おいしいローストビーフに目から鱗が落ちていたし、レオナは、ワインを要求したが、もうないので倉庫に取りに走った。
ジュリはルナと、巨大なピザの一片を半分こにして、セシルはモロヘイヤ・スープのレシピを、リンファンに聞いた。
「シ、シシー、君、よく食べるね……」
テオドールが絶句して、となりの役員を見たが、シシーは両手にフォークとナイフを武器のようにたずさえ、ローストビーフとマッシュポテト、バター蒸しの魚を一気に口に入れて、リスみたいなほっぺたのまま、叫んだ。
「ほんはふはいへし、ひまふっへほはひゃや、へっはいほうはいふふ!!(こんなうまいメシ、食っておかなきゃ、絶対後悔する!)」
おら、食え! といわんばかりに、シシーは、さっきから優雅にワインとパスタを楽しんでいるテオドールの皿に、どでかいチキンを乗せてやった。むろん、自分の皿にもだ。
ツキヨとリンファンには、エマルがいっしょうけんめい取り分けたし、アンのためにオルティスが尽力したので、食いっぱぐれる人間はひとりもいなかった。
ピエトは最後のチキンを両手ににぎってデザートに突入したし、ネイシャも、まだ手持ちの皿にピザが二枚乗っかっていて、お腹をさすりながらも、食べることをあきらめようとしなかった。
ありあまった料理の皿は、みんなが口々に「もう食べられない」と言いだしたころに、キッチンのテーブルに押しやられた。
そして、代わりに大きなケーキが、テーブルに置かれた。
「アンとツキヨさん、エマルさんとリンさんが、宇宙船に乗れたことを祝して」
オルティスはそう言って、注文しておいた大きなケーキのろうそくに、火を灯していった。
(そしてマルセル、おまえに)
オルティスは心の中だけでそういって、目を瞑った。
ケーキは、テーブルを半分も覆い尽くすほど大きくて四角いもので、五人の名が書かれたプレートが乗っている。
「キラとロイドの結婚式も、こういうケーキだったよね」
ルナとミシェルが目を輝かせてケーキを見つめたが、
「なんかこれ、墓石みたいじゃないか……」
エマルが苦い顔でつぶやいたのに、オルティスだけがどきりとし、みんなは笑いだした。
「エマルさん! 記念日のケーキは、高く積み上がった形のだけじゃないんだよ」
バーガスが苦笑し、
「まったく、そろそろ入らなきゃいけない人間を目の前にして、およしよ!」
ツキヨがエマルの尻っぺたを引っぱたいたので、さらに笑いがこだました。
「なんで、あたしはライオンなの……」
エマルは不思議な顔で、自分のプレートに描かれた動物を見ていた。エマルは欲しそうな目をしていたピエトにそれをやり、リンファンのプレートを見て、「あんたのはペンギンだ。可愛いね」とうらやましそうな目をした。
ちなみに、プレートに着くマスコットは、ルナが選んだ。
ツキヨはもちろん、月の形のお菓子がくっついていて――バラのお菓子がついたアンのそれは、ジュリとネイシャが「キレーイ!」と見つめた。
「ネイシャ! それはアンさんのよ」
困り顔で言うセシル。
「バラはネイシャちゃんにあげましょうね」
アンは、ネイシャにプレートをあげた。
「いいの? ありがとう!」
「じゃ、あたしのお月さまは、ジュリちゃんにあげようかね」
ネイシャとジュリは、それぞれ、お菓子の付いたプレートをもらって満足げだ。
「オルティ、わたし、マルセルのをもらっていい?」
「あ、ああ! もちろんだ」
アンは、じっとマルセルの名がついたチョコプレートを見つめた。
もしかしたら、アンはマルセルの不幸を悟ってしまったのではないか。オルティスは、プレートを付けるなんて余計な真似をしたことを後悔したが、アンは、隣のオルティスにだけ聞こえる声で、ぼそりと言った。
「……オルティ、今度は、マルセルを宇宙船に乗せてあげましょうね」
「アン」
「わたし、もう一度、マルセルに会いたいから――生きるわ」
オルティスはたまらなくなって、目を覆った。
「“可愛いオルティ、子ワニのオルティ”……」
アンの唇から、陽気なメロディーが流れた。「バラ色の蝶々」のアルバムには入っていない、皆がはじめて聞く曲だった。
アンは、オルティスの肩を撫ぜながら、ゆったりとしたメロディーを紡ぐ。
「“お口のおおきな、子ワニのオルティ”、“子ザルみたいにやんちゃなマルセル”に、“ゾウもびっくり、食いしん坊のサラ”、“タカのようにかしこいガラ”に、“子リスみたいにお茶目なビル”……♪」
ずいぶん明るい歌だった。場を盛り上げるためにあるかのような歌は、皆の心を和ませ、――震わせた。
にぎやかだった食卓は、急にしずけさに包まれた。
その声は、だれをも聞き入らせた。
「“みんな可愛い、わたしの子”……♪」
オルティスの嗚咽をかくすように、アンは歌いつづけた。




