286話 バラ色の蝶々 Ⅱ 3
「ルナ、どうした?」
スペース・ステーション内のカフェで、ここ数日の思い出話をしながらお茶をし、地球行き宇宙船までもどったところだった。
「今回は、俺の出番はなかったみたいだな」
クラウドは、ルナが「バラ色の蝶々」の謎をすっかり解いてしまったことに嘆息し、説明をめんどうくさがったアズラエルの代わりに、ピエトから詳細を聞き、クリスマス休暇からの出来事を知った。
宇宙船に入るまで、クラウドはピエトと、延々とその話をしている。ミシェルはついに呆れて、さっさと先に行ってしまった。なにしろ、ルナもぼんやりとしているのだ。
ルナは、移動用小型宇宙船までの通路を、振り返って眺めていた。さっきから、なにか考えごとをしているかと思えば、ふと振り向いては、何度もアズラエルに、「行くぞ」とうながされる始末だ。
「ルゥ」
あまりにその頻度が高いので、アズラエルはついにルナを所持しようとしたが――。
「や、やっぱり、あたしE353にもどる! アズたち先にいってて!」
「どうしたんだ」
ルナは、低速で駆けだした。
「ルナ! おい、午後三時には、宇宙船はE353を離れるんだぞ!」
ルナは返事をしなかった。さっきE353から宇宙船まで来る際に乗った、小型宇宙船乗り場まで走っていく。
「しょうがねえな」
アズラエルとグレン、クラウドは、あとを追った。
ピエトは「俺も行く!」と駆けだそうとしたが、「お子ちゃまはおうちに帰るの!」とエマルに襟首をひっ捕まえられて、終わりだった。
だが、ルナがE353までもどる必要はなかった。帰ってきた宇宙船に、ルナの目的の人物が乗っていたからだ。
「ルナちゃん」
老女を――アンを背負ったオルティスは、目が充血していた。アンは、オルティスの背で眠っていた。
オルティスのあとから、荷物を持って宇宙船から出てきたのは、アンとツキヨの担当役員である、テオドール・A・サントスだった。
「テオドールさんよ、迷惑をかけたな」
「いいえ、とんでもない」
若い役員の顔は、どことなく緊迫していた。
救急隊が、通路途上の鉄扉から飛び出してきた。あの扉の向こうは、シャイン・システムになっているらしい。テオはルナたちに会釈をし、オルティスを「だいじょうぶですから」と励ましたあと、アンとともに、扉の向こうに消えた。
「アンドレアさん、見つかったのね?」
ルナは思わず言った。目を真っ赤にしたオルティスは、「ああ」と顔を歪めた。
「ルナちゃん、ありがとうな」
「オルティス、アンさんは――」
言いかけたグレンに、オルティスは言った。
「悪いな、すこし、時間あるか?」
一行は、通路からK15区に出ることなく、一気にK34区のバー、ラガーの厨房に出た。
「みっともねえとこ、見せちまったな」
オルティスは、店に入るなり鼻をかんだ。
「おまえらにも世話かけたよ」
読んでやってくれ。
そういってオルティスは、一枚の便せんを、グレンに渡した。グレンは受け取って読み、それから、無言で返した。言葉を失ったようだった。
オルティスは、アズラエルに渡した。ルナも、アズラエルと一緒に読んだ。
ずいぶん筆跡の乱れた、走り書きだった。
『オルティス、このあいだは、待ち合わせ場所に行けなくてすまねえ。
アンが、急に行かねえと言いだしたんだ。きっと、自分一人で宇宙船に乗るのを、嫌がったんだ。俺を置いていくのを。
アンは優しいから。
でも、俺は、アンに幸せになってもらいたい。おまえが積み重ねてきたがんばりにも、報いたい。死んじまった仲間たちや、ニコルにも、セインさんにもさ。
俺はだいじょうぶ。もういい大人なんだから、ひとりでだって生きていけるって、アンに伝えてくれ。地球行き宇宙船のチケットを譲ってくれたひとにもありがとうって言ってくれ。
アンを看取っていくのを考えたら、俺は怖くなった。そうアンに言ってもいい。
俺はしあわせ者だ。
仲間のだれより長いこと、アンといっしょに暮らすことができた。
悔いはない。
俺は消える。どうかアンをよろしくな。俺はもう、E353にはいねえから、捜しても無駄だ。
俺のことはもう考えなくていいからな。
おまえが貯めた金は、今度は女房と、娘のためにつかうんだ。
俺の人生は、バラ色だった。
さよなら、オルティ、アン。
マルセル』
オルティスは、目を覆っていた。
「昨夜、マルセルから、この店の電話に、連絡があった。オレはE353に降りていて、電話をとれなかった。帰ったら留守電が入ってて、あいつは、ホテルの名前だけ残していた。俺が朝、電話にあったホテルに行くと、ベッドに眠ったアンと、荷物と、その手紙があった。マルセルはいなかった」
オルティスは、呆然と、言葉を紡いだ。
「アンの担当役員を呼んで、アンを連れて宇宙船に乗るってンで、オレはアンを背負ってホテルを出ようとした――そしたら、海辺で、水死体が上がったって、ロビーが騒がしくて」
さすがに、アズラエルも顔色を変えた。
ルナは、持っていた便せんを、落としてしまった。
「まさか」
「そのまさかだよ――マルセルだった。マルセルは、死んじまった」
オルティスもまだ、信じられない顔をしていた。
「アンを役員に預けてオレは見にいった――やっぱり、マルセルだった。マルセルはオレの兄貴みてえなもんだった。――マルセルは、死んじまった。オレは、貯めた五千万で、アイツの分のチケットも買おうと思った。でも、アイツは、それをするなって……」
オルティスは吠えた。
「だからって、死ぬこたねえだろうが!!」
おまえは病気じゃねえのに!
大きな拳が、カウンターに打ち付けられた。彼は吠えてカウンターに突っ伏し、泣いた。しばらく、オルティスのうめき声だけが、暗い店内に響いた。
「……このことは、おまえらの胸に納めといてくれ」
オルティスはつぶやいた。
「アンにも、それから、アンの相方になるひとにも言わねえでくれ……アンには、金が貯まったら、マルセルも乗せてやるって、そういって……」
そこで、堪えきれなくなったようにオルティスは嗚咽した。
「すまん……ほんとにすまん……今日は、ひとりにしてくれ……」
ルナたちは、店を出た。だれもが、オルティスにかける言葉もなかった。
シャイン・システムに入ったところで、ルナは大声で泣き出した。無言で、アズラエルが抱きしめた。グレンが頭を撫で、セルゲイがルナの手を取った。
ルナは、屋敷に着いてからもしばらく、泣き続けていた。
(うさこ、どうして)
ルナは泣いた。
(どうして、マルセルさんの分は、なかったの)
ルナは泣きじゃくりながらZOOカードボックスを叩いたが、手が痛くなるまで叩いたが、月を眺める子ウサギも、導きの子ウサギも、姿を現すことはなかった。
(うさこのばか……!)
翌々日のことだ。
オルティスが、手土産を持って、ルナたちの屋敷に姿を見せたのは。
「話には聞いていたが、ほんとうにお屋敷だな」
オルティスの目はもとからまぶたが厚ぼったいので、泣き腫れたとしても分からない。
ちこたんが、手土産のロールケーキを切り分けて、コーヒーと一緒に出すと、オルティスはうまそうにコーヒーを啜り、「ケーキは、ルナちゃんたちが食え」と言って、皿をルナのほうへ押しやった。
ソファには、グレンとアズラエルがいる。ルナも座った。
リビングにはみんながいたが、オルティスはかまわず話し始めた。
「このあいだは、悪かったな」
「いや……」
「アンは、けっこういい歳だから、ほんとは手術するの、無理なんだが、この宇宙船で滋養を取って、体力がついたら、もしかしたら手術もできるかもしれねえって話で。今のところは転移もないみてえだし、よかった」
「そうか」
「ちゃんと治療すれば治るって」
オルティスは、それから、訥々と、昔話をはじめた。
ずっと胸におさめていた――仲間内以外では、だれにも話すことのなかった、「アンドレア事件」の真相を。
オルティスは、乳飲み子のうちに傭兵の親を亡くし、アンに引き取られた。
「オレの親は、白龍グループじゃなくて、あんまり名も売れてねえ、小さいグループだったらしいけど」
アンのもとには、オルティスのような子がたくさんいた。みんな、きょうだいのように育ってきた。
バンクスの本には、アンが傭兵グループ「ラ・ヴィ・アン・ローズ」をつくったのは、三十八歳を過ぎてからと書かれていた。傭兵の子どもを引き取る活動が公になったのはそのころからだが、アンが個人的にみなしごを引き取っていたのは、もっとずっと、昔からだったのだ。
「アンに、軍への出頭命令が出たのは、オレが十四歳のときだった」
後世の歴史には、「銃殺刑」と、残っているが、アンは助けられたのだ。アンを慕う、数々の将校たちに。
その日は、軍が出頭を命じた期限の日だった。アンは、行けば殺されることが分かっていた。だから行かなかった――あの大雨の日、オルティスの幸福の日々が崩壊したその日、アジトであるアパートに、なだれをうって軍が押し寄せた。
その前の晩だ。
アンのファンであり、恋人でもあった将校たちが、アンを逃がすことを決意した。
「子どもたちを置いていけない」というアンを、彼らはだまし、睡眠薬をつかって眠らせて――そう、マルセルのように――逃がした。
「アンは、こんなところで死なせちゃいけない」
その意見で、皆が一致した。オルティスは、アンに育ててもらった恩もあるし――なによりアンが大好きだった。だから、その意見には賛成した。
しかし、アンを逃がした将校やおとなの傭兵たちは、「アンの志」を尊んでいた。
「アンには生きてもらい、傭兵たちの希望になってもらう」のだと。
アンに育てられた一部の子どもたちと、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」の傭兵の半数は、アンを逃がすために囮になった。
オルティスは、十四歳にしては体格も立派で、射撃の腕もなかなかだったので、アジトに残った。
軍と、アジトに残った傭兵たちの戦いは、凄惨をきわめた。
傭兵も子どもたちも、次々と殺されていった。残ったのは、オルティスと、傭兵のニコルだけ。オルティスは足を撃たれ、出血が激しくて、気絶していたのだった。
オルティスは気づいたら、宇宙船の中にいた。
ニコルが涙声で、アジトが全滅したことを告げた。ニコルが、まだ息のあったオルティスをかついで、逃げたのだ。
ニコルはまるで、エマルのようにでかくて、カンタンには死なない女傭兵だった。
オルティスも、生死の境を彷徨った。もとから頑丈な身体――命はとりとめたが、治療が遅れたせいで、一生足を引きずる羽目になった。
辺境惑星群のL04に飛んだふたりは、しばらく、かくれるばかりの生活を送った。
ニコルが、アンを捜しにあちこちを回り――オルティスは、ままならぬ身体で、チンピラ同然の生活をして金を稼いだ。今でこそ言えるが、盗みも、恫喝も、詐欺まがいのこともしてきた。
ある日、やっかいな組織に関わってしまい、オルティスは半死半生の目に遭った。のたれ死にしそうになったところを、宇宙船役員だという男に助けられた。
地球行き宇宙船のチケットが当たったのだ。
オルティスが十六歳の年だ。オルティスはニコルを呼び戻し、宇宙船に乗った。
「オレを助けてくれたのは、アンソニーさんってひとだ」
「アンソニー!?」
ルナは叫んだ。
「アンソニー・K・ミハイロフさん!?」
「知ってんのか」
オルティスは少し驚いた顔をしたが、話をつづけた。
「オレたちは、アンをこの宇宙船に乗せてやりたかったが、そのころ、アンはどこにいるか分からなかった」
アンを逃がした仲間も、オルティスたちが生きていることを知らなかったのだ。
オルティスとニコルは、地球行き宇宙船に乗った。
あのとき、アンが逃げた先はリリザかE353、それかS系惑星群だと踏んでいた。
S系惑星群は、ニコルがこの二年の間に探しまわったが、ついに見つけることができなかった。
リリザとE353は、大きな惑星とエリアで、簡単に行ける場所ではないので、かくれ住むにはちょうどいい。
ふたりは賭けた。なんとかアンには生きていてほしいと願っていた。
リリザもE353も捜したが、ふたりがはじめて宇宙船に乗ったツアーでは、会えなかった。
ふたりは地球まで行き、船内役員になった。
地球まで到達すれば、学費も免除だし、短い研修で役員になれる。
ふたりの願いは叶い、役員になってはじめて、E353で、思いもかけない再会を果たした。
アンは、E353で歌手活動を再開しようとしていたのだ。
アンの歌声は、やはり誰をも魅了するものだ。彼女はすぐ有名になっていた――結果、ドーソンの追手も呼び寄せてしまったけれど。
ふたりは、アンに再会できた。
逃げる際に、バラバラになり、あるいはつかまって、アンと一緒にいるのはオルティスの二つ上のマルセルと、アンのパートナーであったセインだけになった。
オルティスとニコルは誓った。
なんとしてもかならず金を貯めて、アンたちを、地球行き宇宙船に乗せようと。
ふたりは店を開いた。店を開けば、儲かると思ったのだ。
だが、それは苦難の連続だった。店を開いた際の借金を返し終わるころに、ニコルは身体を壊して亡くなった。
傭兵としての過酷な生活が、すでに彼女の身体を蝕んでいたのだ。
なかなか、金は目標の金額には到達しない。
何年もたった。セインも亡くなり、アンもマルセルも、老いていく。
逃げ続ける生活では、ロクな仕事に着くこともできず、アンもマルセルも、E353でぎりぎりの生活を送っていた。
アンは、地球行き宇宙船に乗る気はなかった。
マルセルもオルティスも望んでいたことだけれど、アンは、オルティスが自分のために金を貯めることを反対し、ことあるごとに、「無理はするな」とオルティスに言い聞かせた。
いつしか、アンを宇宙船に乗せることは夢物語のようになっていた。だがオルティスは、夢にする気はなかった。
「それでも、五千万は貯まったんだよ――あとちょっとだった」
オルティスの話が終わると、リビングは静寂に満ちていた。
セシルやリンファン、エマルの鼻をかむ音がひびき、レオナは涙目をかくすように、「コーヒー持ってくる」と立った。
ルナは、マルセルの手紙を思い出して、涙をためた。
地球行き宇宙船のチケットは、ルナたちのように当選する人間もいれば、金で買う人間もいる。買える人間もいる、買えない人間もいる。
乗りたくても、乗れない人間がいる。
――必要としている人間のもとに、チケットが降ってくるわけではない。
二十年間もがんばって貯めてきたオルティスの想いを考えると、ルナは涙しか出てこないのだった。
「今日は頼みがあってきたんだ」
オルティスは、広いリビングを眺めて、言った。
「部屋が余ってるって、まえに言ったよな? ――アンをここに、しばらく置いてくれねえか」
オルティスの頼みと聞いた時点で、なんとなくソファの人間は予想していた。
「俺はかまわねえが――アンさんは、平気なのか」
「アンを、ひとりにしておきたくねえんだ」
オルティスは言った。
「オレは昼間も店を開けているし、――まァ、こんなこともあったんで、店はしばらく休業してアンといっしょにいてもいい。でも」
「――おまえが言いたいことは、なんとなくわかる」
マルセルの死の衝撃が強すぎたのだ。アンにも、オルティスにも。
マルセルはアンに睡眠薬を飲ませて眠らせ、つまりだまして、宇宙船に乗せた。アンは納得していない。もしかしたら、E353に帰ると言いだすかもしれない。マルセルを捜して、こっそり、宇宙船を去ってしまうことも考えられる。だから、目を離せない。
オルティスも、アンの顔を見ていると、マルセルのことを思い出して、涙腺が緩む。アンは敏い。オルティスの様子を見て、マルセルになにかあったのではないかと感づいてしまう危険がある。
「無理にとは言わねえ――アンは、入院がちだろうし、部屋を貸してくれて、滋養のあるものを食わせてくれりゃァ――アンは自分でも料理ができるし、アンのドーナツは、」
「おまえさん」
オルティスは、初めて見るおばあさんが、いきなり隣に座ったのでびっくりした。
「ともかくも、そのアンさんを、ここに連れてきてごらんよ」
「ど、どちらさんで――」
オルティスは、どもりながら、おばあさんとルナを見比べた。
「あたしゃ、アズの祖母だよ」
「アズラエルのばあさん!?」
「ツキヨと言います」
ツキヨおばあちゃんは、しっかり自己紹介をしてから、
「入院って、中央区の? いちばんでっかい病院だろ?」
「そ、そうだ」
「あたしもそこで、心臓の手術を受ける予定なんだよ。ちょうどいい。おたがい病気持ち同士で、ルーム・シェアしようじゃないか」
「ほんとかばあさん――いや、ツキヨさん!」
オルティスは、感激して、ツキヨの手を握った。
「でもね、アンさんが、あんたと暮らしたいと言ったら、そのときは、どんな理由があっても、いっしょにいておやり」
ツキヨは言った。
「あたしもそうだが、アンさんも、そう長くない。時間が限られてきたらね、いっしょにいたい人間は、決まってくるもんだよ」




