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キヴォトス  作者: ととこなつ
第七部 ~バラ色の蝶々篇~
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286話 バラ色の蝶々 Ⅱ 2


「な――なんで、おめえが、アンのことを」


 可愛くない大ワニは、新年から店を開けていた。昼間だということもあって、客はぽつぽつとしかいないようだったが、オルティスはカウンターに立っていた。


『やっぱり、アンドレアは生きてんのか』


 電話向こうでグレンの嘆息――オルティスも、グレンも混乱していた。


『おまえが借金を重ねていた理由ってのは、アンドレアを宇宙船に乗せるために、チケット代を貯めていたってことで――あってんのか』

「……」


 重苦しい沈黙が数秒、つづいた。やがてオルティスは、「そうだ」と肯定した。

 グレンの、深いためいき。


『くわしいことは、ルナがあとから説明する。俺もさっぱりだ――地球行き宇宙船の席が一席だけ空いてる。急がなきゃ、十日には、宇宙船がE353を出立しちまう。アンドレアさんと連絡は取れる状況なんだろうな』

「あ、ああ――でもなんで――ルナちゃんが?」


 オルティスは、にわかに信じられないようだった。電話向こうで、グレンも苦笑していた。


『ゆっくり話す。今度な――とにかく、すぐ行動しろ。十日はすぐだぞ』

「お、おうっ!」


 オルティスは受話器を置き、あわただしく店内にもどった。常連客ばかりなのを幸いに、拝み倒した。


「すまねえっ! 今日の勘定はなしにするから、今から店じまいだ!」

「あんだと? 来たばっかだってのに」

「元旦からやってて、俺たちが飲める店なんてここしかねえのに!」


 もと傭兵やチンピラ出身の役員たちは騒ぎ立てたが、オルティスは謝った。


「悪いな、今度来てくれたらサービスするよ! たいせつな用事が出来ちまったんだ」


 しぶしぶ、客たちは腰を上げた。この店が年中無休なのは、彼らも知っている。オルティスが休むというからには、よほどの用事なのだろう。

 男たちは、一杯しか飲んでいない酒の代金を置いて、去っていった。オルティスは「いらん」と言ったのに、置いていった。彼らも、オルティスが借金のために奔走(ほんそう)していたことを知っているのだろうか。


 最後に、フランシスが――この店の古くからの常連で、顔中傷だらけのもと傭兵役員は、オルティスの肩をぽん、とやって、紙幣をカウンターに置いた。


「なにか困ったことがあるなら、相談に乗るぞ」

「……おめえにも迷惑かけたよ」


 オルティスが知り合いの役員に、金の無心に動いているのは、フランシスも知っていた。


「だがよ、そいつが解決しそうなんだ」

「そうか」


 オルティスは、降ってわいた僥倖(ぎょうこう)に、恐ろしげな顔を笑みにゆがめ、フランシスも、にかっと笑った。可愛くない大ワニと、ゴリラの笑顔の競演だった。


 オルティスは、店の外に「CLOSE」の札を下げ、さっそく、仲間のもとへ電話した。


「マルセル! マルセル、――いい話だ、いい話!」


 オルティスの声は、ヴィヴィアンが生まれたとき以来に弾んでいた。


「地球行き宇宙船のチケットが、手に入った!」


『そ、そりゃァほんとうか!』

 相手の声も、感激に弾んだ。

『金が貯まったのか。ほんとになんとかできたのか』

「いいや、こいつは、オレのダチから――一席余ってるんだ! アンドレアを乗せてやれる!」

『一席……』


 急に、マルセルの声が戸惑いに揺れた。オルティスも、そこではじめて気づいてはっとした。

 一席。グレンは一席だけと言った。

 けれど、すぐに思い返した。オルティスはすでに五千万は貯めている。この金で、マルセルの分も買える。


「チケットはひとり分もらったんだ! でも、五千万デルは貯まってっから、そっちでもうひとり分買える! だいじょうぶだ、ふたりで乗れるから――」


『バカ言え!!』

 マルセルが、電話の向こうで怒鳴った。

『そいつは、おめえとニコルが必死で貯めた金だろう!? そいつはおまえの金だ。アンを乗せるためにならいいが、俺のためになんかつかうな!!』


 すさまじい勢いで怒鳴られた。オルティスが、思わずひるむほど――。


「おい、マ、マルセル、」

『オルティス! わかった、アンには俺から話しとく! 明日、午前十時、E353の宇宙港のショッピングセンターの、オカリナって喫茶店で待ってる。西通路の、入り口にある店だ。行けばすぐ分かる! どうか、アンを乗せてやってくれ!』

「マルセル、マルセル……、なぁ、おめえの分も」

『いいんだ、いいんだ。おめえはよくやった! おめえががんばってるのを見て、神様が用意してくださった空き席だ! こんなチャンスを逃しちゃいけねえ――』


 マルセルの声は弾んでいた。


『どうか、アンを頼む』


 電話は切れた。オルティスは、泣きながら受話器を置いた。


「……マルセル」


 オルティスは、すぐグレンに連絡し、ルナに礼を言った。そして、中央区役所に電話をした。ルナが用意してくれた席の確認と――もう一枚、チケットをすぐにでも買えるか尋ねた。それは可能だった。

 オルティスは通帳の残高を、目が血走るほど何度も確かめて、ズボンのポケットにねじ込んだ。


 席は買える。いつでも買える。すぐにでも。

 マルセルも、アンも乗せてやれる。


 だが、マルセルの分は、本人確認が必要だ。

 直接会って、マルセルを説得しようと、オルティスは出かける用意を始めた。


 約束通り、E353に降り、西通路のオカリナという喫茶店に向かった。開店と同時に店に入り、商店街の様子が見渡せる二階の窓際席で、マルセルとアンを待った。


 ルナも、オカリナに来た。ピエトと、グレンとアズラエルと、セルゲイと。

 待ち合わせ時刻の午前十時は、あっという間に過ぎた。


 アンもマルセルも、来ない。

 一時間が過ぎ、二時間が過ぎた。

 ふたりは、一向に現れなかった。


「ほんとに、この店なのか」


 グレンが、さすがにいぶかしく思って聞いたが、「たしかにここだ」と、オルティスも困り顔で言った。

 ピエトが携帯端末で検索すると、「オカリナ」という喫茶店は、ここしかなかった。


 オルティスは、マルセルの携帯電話にかけたが、『お客様がおかけになった電話番号は、現在使われておりません』という薄情なアナウンスが流れるだけだった。


「アンは、携帯を持ってねえし。マルセルは電話を解約したのか? いったい、どうしちまったんだ?」


 二人が住んでいたアパートの大家に電話をかけてみたが、すでにふたりはアパートを解約して、出て行ったそうだ。


「俺たちが、ふたりと海岸で会ったとき、マルセルってヤツは、俺たちを不審者あつかいして逃げていった。もしかして、俺たちの姿を店内に見て、入ってこれなかったのか」


 グレンが言ったが、オルティスは首を振った。


「まさか。いくらなんでも、話しかけたヤツを、片っ端から不審者あつかいしてちゃキリがねえだろ。ふたりが人を避けて暮らしてきたのは事実だが、そこまでじゃねえ」


 ここは、L系惑星群からはずいぶん離れているんだ。オルティスは言った。


「俺の顔を知っていたとか――」


 グレンはドーソン一族の嫡男である。全員が、はっとした。


「やっと俺がドーソンだって気づいてもらえるほど、忘れ去られていた事実でよかったよ……」

 グレンは肩をすくめ、

「いったん、俺は帰る。俺が姿を消したら、姿を見せるかもしれねえ。うまくいったら、連絡をくれ」


「ああ――すまねえな、グレン」


 ルナたちは、店をあとにした。だが、オルティスの携帯には、マルセルやアンからの連絡は、いっさいなかった。

 オルティスは、閉店まで、喫茶店に座っていた。


『ルナちゃんの言うとおり、ツキヨさんのパートナーは、一応アンドレアさんにしといたわ』

 電話向こうで、ヴィアンカが首をかしげていた。

『あたしもイマイチまだ、信じてないんだけど。アンドレアさんってひとは、銃殺刑になってるはずなのに、生きてるのよね?』

「うん!」

『デジャヴュだわ……』


 ヴィアンカは電話の向こうで遠い目をした。カサンドラを宇宙船に乗せるときも似たような感じだった。


『オルティスの野郎、恩人だなんて、そんな大事なことを、あたしにも内緒にしやがって――』

「アンドレアさんは、まだ見つからないの」

『うん。テオと――ああ、ツキヨさんとアンドレアさんの担当役員と待ってるんだけど、宇宙船にはまだ来てないわ――オルティスも、彼らが住んでたアパートにも行ってみたけど、アパートの大家は、どこに行ったか分からないって』


 完全に引っ越したそうよ、とヴィアンカは言った。


「そ、そうですか」

『アンさんってひとは、末期ガンらしいから、もしかしたら急に病状が悪くなって病院にいるかもしれない。そっち方面でも探してみるけど』

「……!」


 ルナは、蝶々のカードを覆っていた、真っ黒なもやを思い出した。


『だいじょうぶよ。一月十日を過ぎても、今年の三月末まではなんとかなるから。じゃあ、アンさんが乗ったら、連絡するわね』

「あ、ありがとうございます」


 電話は切れた。

 

 カレンダーの日付は、九日を示している。ルナは、地球行き宇宙船にもどっていた。

 アンドレアのことも気になるが、みんなが明日、アストロスやL系惑星群に向かって発つ。今日は一日乗船券で、メフラー商社とアダム・ファミリーの面々が、ルナたちがルーム・シェアしている屋敷に来たところだった。

 ルナは気持ちを切り替えて、大広間にもどった。


 クラウドとミシェル、ジュリとエーリヒも、屋敷に帰っていた。


 エマルたちは、「こんなお屋敷が、アパート程度の家賃で借りれるっていうのかい!?」と、ルナたちが入居したときと同じ驚きをしたり、「心理作戦部の隊長オォ!?」とエーリヒに距離を置きながら眺めてみたり、「ドーソン嫡男に、心理作戦部のボスか……よくいっしょに暮らしてるな、おまえ」とアズラエルを(いたわ)ったりするデビッドの姿もあった。


「あなた、ハーベストさんのところの、クラウド君だったのね……!」

「そうです。一度しかお会いしたことはないはずだけど、俺は覚えています」


 リンファンとドローレスは、クラウドの成長した姿に目を見張った。ミシェルの恋人ということで、写真は見ていたが、まさか、あの「クラウド」だとは思わずにいた。

 クラウドがずいぶん幼いころ――四歳かそこらのころ、会ったことがある。


「ずいぶんかっこいい男の子になって! モデルさんかと思ったのよ」

「今は、どこにいるんだ」

「実は、宇宙船に乗るまえは、心理作戦部に――」


 クラウドと、ルナの両親の会話が弾んでいるあいだ、アズラエルは、今日明日でみんなを連れて行く店の予約にてんてこまいしていた。


「ねえねえねーねー兄貴兄貴! ラガーって行ってみたい!!」

「ラガーはしばらく休みだ」

「ええーっ!! じゃあ、マタドール・カフェとか、ルシアンとか! 兄貴がいってたクラブとか!!」

「分かった分かった。連れてくからおとなしくしてろ」


 ソファに座って携帯をいじっているアズラエルの首根っこに抱きつき、せがむオリーヴの姿に、ルナは「きょうだいっていいなあ」と、ぽつり、つぶやいた。


 それを聞き逃さないセルゲイではなかった――セルゲイは、両手を広げ、「おいで?」とでもいうように、ルナに笑顔を向けたが。


 ルナは、真っ赤な顔になって、じり、と後ずさった。そして、ぷるぷるウサ耳を振った。


「「「それで、なんでそっちに行くんだ」」」


 セルゲイ、アズラエル、グレンが勢ぞろいでつっこんだ。ルナはエーリヒの後ろに隠れていたのだ。


 ルナが、あの心理作戦部のボスに懐いているというのも驚愕の事実だったが、驚いてばかりいるヒマはない。明日の午後には、宇宙船を降りなければならないのだ。


 午後一時を過ぎると、たとえ数分遅れたとしても、さらに一人頭五十万デルが加算される――アマンダは、「明日午後一時だよ! いいね、一時だよ!」と神経をとがらせていた。


 ルナたちは、一日で、宇宙船のあらゆるところを、回れるだけ回った。


 真砂名神社近辺は、まだ工事中で一般客が立ち入り禁止だったが、カンタロウとキスケには挨拶できた。ニックのコンビニにも行ったし、K15区の市場に行ったり、K12区のショッピングセンターも行った。


 ハンシックにも立ち寄った――いつもどおり、突然の訪問も気にせず、「昼食を食べていけ」と言ってくれたが、たった一日しかないわけで。ほとんど紹介だけで、嵐のように過ぎ去るしかなかった。

 シュナイクルは、オリーヴたちに、最近発売されたばかりだというマルカの星の地ビールをお土産に持たせてくれた。それも嵐のように一瞬で消えるだろうが。


 ルシアンには、グレンの案内で、オリーヴとベックが狂喜乱舞しながら行き、そのあいだ、ほかの大人たちは、集団でマタドール・カフェに押しかけた。


 夜は、K08区の高級レストランで夕食。おとなたちは、深夜を過ぎるまで、屋敷の大広間で、談笑しつつ過ごした。


 ベックとオリーヴは、次の日の朝まで帰ってこなかったが、「永久にここにいたい……」とつぶやいて、エマルとアマンダに、思い切り耳をつねられる始末だった。


 次の日、リズンで遅い朝食をとり、まだ午後一時には早い時刻だったが、みんなは出発すると言った。


 ルナたちも一度宇宙船を降り、E353のスペース・ステーションで、みんなを見送ることにした。


 リンファンとエマル、ツキヨは宇宙船に残る。

 アダム・ファミリーといっても、ボリスとベックとオリーヴだけになったが、メフラー商社の三人と、アストロスへ。

 アダムとドローレスは、軍事惑星へもどる。


「ずいぶん予定外の出費になったよ」

 アマンダは嘆息し、

「まあ、これだけとんでもないことが立てつづいたんだから、なにをいってもしょうがないけど――それより、ドローレス、二十年のブランクがあるけど、あんた、だいじょうぶかい」


 しきりにドローレスを心配していた。ドローレスは、首をコキリと鳴らして言った。


「冷凍睡眠装置で向かうんじゃない。もどるあいだに、なまった腕は取りもどすさ」


「ルナちゃん! L18に来たら、今度はあたしが街を案内するからね!」

 オリーヴが、ハイテンションでルナのほっぺたにキスをした。

「うおい! コラ!」

 お兄様が怒ったが、この奔放(ほんぽう)すぎる妹には、叱責にもならない。


「ドローレス、どうか、きっとあの人を助けておくれ。あたしの代わりに」

 エマルが、ドローレスに言った。

「あたしたちの、恩人を」

「ああ」

「ドローレスさん、ほんとにありがとう」


 ほんとうなら、エマルとアダムが軍事惑星に向かうところだったが、ドローレスが行くと言ってくれたから、エマルは母のそばにいることができる。

 それに、ツキヨひとりでは、ここまで来られなかった。ツキヨもエマルも、深い感謝を込めて、ドローレスとハグをかわした。


「達者で暮らしてください」

「ええ。ええ。ドローレスさんも……」


 ツキヨは、ハンカチで目頭をおさえた。ツキヨとドローレスが再び会うことは、もう、よほどの奇跡が起きなければないだろう。ツキヨはこのまま、地球に行って暮らすのだ。


「あんたたちがいたから、L77の生活は、本当に楽しかったよ……! ほんとだよ」


 ツキヨは、同じく、永遠の別れになるだろうアダムとも、握手を交わした。


「エマルを――娘を――孫たちを、どうか、よろしく」

「ツキヨさんも、地球でしあわせに」


 エマルに背をさすられながら、ツキヨはむせび泣いた。

 

 ドローレスは、最後に、ルナの頭を撫でた。


「参ったな……ルナだけは、軍事惑星に関わらせたくなかった」


 途方に暮れているようにも、あきらめているようにも見えた。


「軍事惑星と名の付くものからは、遠ざけて育ててきたはずなのに、どうして……」


 めずらしくごちるドローレスに、リンファンは苦笑しつつも、「ドローレス」と言って、終わらない別れのあいさつに区切りをつけるように、その広い背中に手を添えた。


「――アズラエル、ルナを、頼むぞ」

「はい」


 アズラエルは、知らず、姿勢を正して、返事をした。


「ルナ。よおく、顔を見せてくれ」


 メフラー親父は、ルナと別れがたいかのように目を潤ませていた。ルナと別れのハグをかわし、


「軍事惑星にも、おまえのじいちゃんがいるってことを、忘れんでくれ」

「うん……!」

「手紙をくれ。わしも、返事を書くよ」


 メフラー親父はピエトも抱きしめ、手紙をもらう約束をし、ドローレスとリンファンの手もしっかり握って、「会えてよかった」と言った。


 たった二十日ほどの再会は、瞬く間に過ぎた。だが、もう離れ離れではない者もある。

 きっとまた、会えるのだ。


 それぞれの宇宙船は出発した。ルナたちは、宇宙船が、空のかなたに見えなくなるまで、見送りのロビーから手を振り続けていた。


「行っちゃった……」


 ピエトがぽつんと、つぶやいた。



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