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キヴォトス  作者: ととこなつ
第一部 ~時の館篇~
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36話 これからもいっしょ 1


 そしてこちらは、アズラエル。

 日づけは、数日前に(さかのぼ)る。


 リリザの宇宙港、空港、海港――すべての交通と流通の中心地であるグランポートの西のはずれに、富裕層の別荘地があった。

 歓楽星と呼ばれるにぎやかさとは一線を画し、森に囲まれた、静謐(せいひつ)な高級住宅街である。


 そのなかにはオフィスも存在していた。リリザという星を象徴するかのような、まるで遊園地のアトラクションのごとき豪奢(ごうしゃ)な城や豪邸が立ち並ぶ敷地は、強固なセキュリティが設けられ、ネズミ一匹、どろぼうひとり、侵入できないはずだった。


「変わった形してると思ったら、この城もアンジェラのデザインだって?」


 巨大な城の、何百とある部屋の一室――机と豪奢なひじ掛け椅子だけがポツンと置かれた大げさな執務室で、ペンを走らせていたララに、聞き覚えのない声がかかった。


「……だれだい」


 チャイナドレスに、地面をこするような長い長い黒髪――生まれてこの方、一度もはさみを入れたことがないような。美しいかんばせは、不意の来訪者にも、能面のように動かなかった。


「あいつ、ガラスだけじゃねえのか」


 無遠慮に扉を押し開いて入ってきた男は、スーツ姿のボディガードだった。この城を警護している、百人以上におよぶボディガードのひとり。


「おまえ、だれだい」


 ララは百人以上の警備兵の顔と名をすべて覚えている。この男は、知らない人間だった。


「“白龍(パイロン)グループ”もたいしたことねえな」


 ララは黙って椅子から立ち、男が入ってきた扉を開けて、廊下を見た。すると、男がたどってきたルートを示すように、通路の赤い絨毯には、ボディガードがそろって倒れ伏していた。気絶しているだけだろう、死んではいない。

 男がサングラスを取ったので、ララはようやく正体を知った。


「おまえ、アズラエルか」

「どうも」


 ララは肩をすくめた。彼が、ララを暗殺する目的で忍び込んだのではないことが分かったからだ。目的までは知らない――だが、これだけは分かる。メフラー商社の傭兵が、ララを手にかけることはない。


「なにしに来た」

「なにしに来たってことはねえだろ。あんたに直に会うにはこれしかない。まともにアポを取ったって、何ヶ月先になるかわかりゃしねえじゃねえか」

「そんなことはないよ。おまえは忍び込むんじゃなく、アポを取ってみるべきだった。クラウドとおまえは、なるべく特別扱いにしてあげたつもりなんだが」


 ララは愛用の肘掛椅子に腰かけ、漂白したように真っ白な足を組んだ。


「たしかに、ウチの連中はたいしたことねえな。起きたら締めあげてやらなきゃ」


 この別荘地のセキュリティは、完璧のはずだった。それなのに、メフラー商社の傭兵ひとりに、ここまであっさり侵入されてしまうとは。


「そうだな、あんたの命、いくつあっても足りねえぞ」

「なにか用か」


 用があるから、こんな面倒な真似をして、こんなところまで来たのだろうが。


「忍び込むのは簡単だったが、帰りはむずかしい。できるならあんたとの交渉がスムーズにいって、堂々と出て行けることを希望する」


 アズラエルは言った。


「コソ泥みたいなマネしやがったくせにかい?」


 ララは鼻で(わら)った。


「なにも盗んでねえよ」


 ララが椅子に座りなおし、タバコを手にしたのを見計らって、アズラエルは用件を口にした。


「頼みがある」

 要求ではないらしい。

「アンジェラに会ってくれ」


「……は?」


 わざわざ危険を(おか)してまでここに来たのだ。どんなたいそうなお願いごとかと思ったララは、拍子抜けしてアズラエルを見た。


「あんた、アンジェラが起こした騒動、どれだけ知ってる」


 ララは、肩をすくめた。


「宇宙船の警察が、あたしにまで連絡してきたよ。事情聴取は済んだ。カレンには丁重に謝ったし、ミラにも詫びた。普通なら、完全に信用失墜のところだったが、あたしにだって実績はある。説明にどれだけの時間を費やしたか。おかげで、もう五百億近くの損失が出てる。追い出したL4系の子にも、来期のチケットとこづかいを。ぜんぶあたしの自腹だ。なにか文句が……」


「俺の女をおどしたことについては?」

「ジルドをやったって話かい?」

 ララは、思い切りよくタバコを吸い、吐いた。

「でも、追い出すまでいかなかったって話だろ」


 アズラエルの無言の威嚇(いかく)に、ララは言った。


「わかった、わかった。なら、あんたの子にも、あんたにもこづかいをやろう。それから、来期分のチケットも――」

「俺の女も俺も降りる気はねえ。今期、地球に行く」


「無理に降ろそうってンじゃないよ」

 ララは嘆息した。

「なにが望みだい」


「だから言ってるだろ、アンジェラに会ってくれって」

 アズラエルは言った。

「俺はアンジェラに別れを告げた。だが、俺の女に嫌がらせをする。俺がアンジェラのもとにもどるまでだ。俺はそれをなんとかしてくれと言ってるだけだ」


「ひとの色恋沙汰に首を突っ込めって?」


「巻き添え食ってンのは、こっちだよ、ララ」

 アズラエルは両手を広げた。

「気づいたのは、わりと最近でな――俺と俺の女はどうやら、“痴話(ちわ)げんか”に巻き込まれてるんじゃねえかと」


 容赦のない男。

 アズラエルは、その語句で思い至ったのだ。

 アンジェラが欲しがっているものはなんなのか。

 それはつまり――アズラエルではない。


「アンジェラが俺を気に入ったのは、ちやほやしないからだと思っていた」


 ジルドや周りの男たちのように、アンジェラの金に群がるわけでもない、美貌に酔うわけでもない、あの女王然とした女にかしづくわけでもない、うまい汁を吸いたくて、そばにいるのではない。


「俺が一番――あんたに似ているからだ」

「あんたがあたしに似てるって?」


 ララは笑い飛ばそうとしたが、アズラエルは言った。


「アンジェラに対する態度が、だよ」


 アンジェラが求めているのは、ララだ。

 つめたく、容赦なく、冷酷な飼い主。

 アンジェラに自由を与え、飢え(かつ)えさせる、絶対者。


「あんたがアンジェラをかまえば、ぜんぶ解決する」


 ララは、まったく感情の読めない目で、アズラエルを見た。


「あたしとあの子の関係について、アレコレ言われるのは嫌いなんだ」

「だろうな。俺もできるなら、言いたくはなかった」

「だったら……」

「あんたは、自分と似たような男をアンジェラの夫に据えたが、そいつはあんたの秘書で、忙しすぎる。そちらもなかなかアンジェラの相手はできない」


「あの子は、飢えさせなきゃならないんだよ」

 ララは立って、巨大な半円形の窓越しに夕闇を見ながら、つぶやいた。

「あの子の至宝の芸術は、届かないものに手を伸ばすことからはじまる」


「俺は、アンジェラの芸術になんぞ興味はない」


 アズラエルは言い切った。


「俺と、俺の女の安寧を約束しろ」

「どうしたものかな」

「飴と鞭は、アメがなきゃ意味ねえんだぞ」

「もと高級娼婦にそっちの道を説くんじゃないよ」


 ララはふたたびタバコに火をつけた。しばらく、窓の外を見ながら考え込んでいたララは、やがて、するどく名を呼んだ。


九庵(きゅうあん)!!」

「はい」


 アズラエルは驚いた。自分の隣に、いきなり知らない男が現れたからだ。まるで、なにもない空間に、存在が浮きだしたように。


「わし、あんたの秘書にも相談役にも、ならんからね」


 アズラエルの隣にいたのは、ハゲ頭の坊主だった。袈裟(けさ)をつけた、L05出身かと思われる僧だ。

 身長は百六十センチそこそこで、細面の優男――目に電球でも埋め込んであるのかと思うくらい輝いている。この薄暗がりではまるで懐中電灯だ。


「……?」


 アズラエルは目をこすった。九庵の目の光と、それから、いきなり現れた理由をさがして。


「わしね、あんたが入ってくる前から、ずっとあそこにいたよ」


 広い部屋――左手のずっと奥の方にコの字型のソファがあって、テーブルには空になった巨大グラスが置かれていた。


「マンモス・パフェに釣られて来たのはいいけども、このひと、わしを秘書にしたいとか、びっくりするこというもんだから」


 呑気(のんき)に話す男は老人のような口調だが、見た目はひどく若い。目の異様な輝きといい、肌つやといい、アズラエルより若そうだった。

 それにしても、あの位置から、アズラエルに気づかれることなく一気に隣まで来たというのか? 

 プロの傭兵に、わずかも気取られることなく?


「そいつは宇宙船の星海寺(せいかいじ)の住職、九庵禅師(きゅうあんぜんじ)だ」


 本人ではなく、ララが自己紹介した。


「九庵、こいつを連れて、今日は帰んな」

「そうしましょうか」


「おい待て。俺はまだ、約束を取り付けてねえぞ」


 アズラエルは言ったが、ララは鼻を鳴らした。アズラエルのこめかみに激震が走る。なあなあに済ませられたのでは、苦労してここまで忍び込んだ意味がないではないか。

 なにがなんでも、「二度とアンジェラを、アズラエルとルナには関わらせない」という言質(げんち)くらい、取って帰らねば。


 そんなアズラエルを、九庵はじっと見上げていた。


「それで、秘書の件は、またそのうち……」

「秘書にはならんけどもね!」


 未練がましくつぶやくララに、笑顔で釘をさし――九庵は言った。


「このお兄さんのいうとおりですよ。あんたはすこし、運命の相手を大切にしてあげなさい」

「運命の相手ェ?」


 言ったのはアズラエルだ。坊主の口からそんな語句が出てくるとは思わなかったからだ。


「運命の相手と出会うことは――」

 九庵は、合掌(がっしょう)した。

「みずからの運命と、向き合うことと見つけたり」


 アズラエルは呆気に取られていたが、ララは真顔で聞いていた。


「あんたは水、彼女は火。惹かれあうさだめ。恋の炎は際限なく彼女を燃やし尽くしますよ」


 九庵の言葉に、ララははっとした顔をした。


「冷や水ぶっかけて、すこし頭を冷やしてやんなさい!」


 ガハハッと笑った九庵は、ララをバシバシ叩いて、背を向けた。そのまま、スタスタと扉に向かって進む。


「お、おい……ちょっと待て」


 帰るなら俺も一緒につれて帰ってくれと言おうとしたアズラエルは、ララに呼び止められた。


「アズラエル」

「あ?」

「分かった。アンジェラに会おう」

「!?」


 まるで手のひらを返したようにそういうララに、アズラエルは耳を疑ったが、ララははっきりと言った。


「おまえにも、おまえの女にも、もう手は出させない。約束しよう」

「お、おう」

「早く行きな。あいつ、存外足速いぞ」

「え? ――ホントだ」


 アズラエルが部屋を出ていくのを見届けてから、ララは携帯電話を取った。


「シグルス」

『ララ様、今お電話しようとしていたところでした』


 いついかなるときも冷静さを失わない第一秘書の声色が、乱れていた。


『じつは、めずらしい電話が、つぎつぎ入りまして……』

「めずらしい?」

『“潜龍(せんりゅう)”のタツキから、ご機嫌伺いが。アンジェラの様子を(たず)ねられています。それに、真砂名(まさな)神社のイシュマールとアントニオが、面会を求めています』

「タツキだって?」


 あの男から“ご機嫌伺い”があるときは、あまりよくない内容だということは分かっている。アンジェラの様子? いったい、どういうことだ。アンジェラが降ろそうとした人間が、タツキに関わりあるわけでもあるまいに――。


(なんだ、いきなり)


 滅多に連絡を寄こすような男ではない。いったい、何事だ。


 カレンの件は関係ない。“ヤマト”はL20への関わりはあまりない。カレンを襲った男も、後ろ盾はない。L4系の女もだ。

 だとすれば、アズラエルとアズラエルの女がらみか。しかし、メフラー商社の傭兵をかばう理由がない。


 アズラエルの女は、L77から来た一般人の女だと聞いた。


 イシュマールは絵のことだろうか。いいや、違うだろう。アントニオも一緒だということは、なにかある。

 ふたりそろって、なにごとだ。アンジェラのしたこととは、関係があるのかないのか。アンジェラのしでかしたことが理由なら、先にE.S.Cから理事解任の通達が来るだろう。


 アンジェラがしたことは、アズラエルに言われずとも、ララにとっても大きなダメージだった。ほかの者がしたことなら、とうに自分のそばから追い払っている。


 “アンジェリカの言った通り”にしたら、ともかく、ララとアンジェラの降船は(まぬが)れた。以後、アンジェラが二度と株主の権限を私的に利用しないという厳重注意は課せられたが、おそらくアンジェラは()りないだろうとアンジェリカは言った。


『ララがアンジェラをそばに置けば、ある程度解決するけど、しばらくしたら、また同じことをしでかすだろうね』

 と笑った。


 しかし彼女は、アンジェラを降ろせとは、ひとことも言わなかった。

 アンジェリカには、先の先が見えている。

 彼女には、すべてが。


『それでですね』

「まだあるのかい!」


 つづくシグルスの言葉に、さすがにララは声を荒げた。


『……コーヒーショップのクシラが、コーヒーを届けるのをやめようかなと言っています』


「気まぐれか」

 ララは額を押さえた。


 先日からトラブル続きだ。できるなら、タツキの“ヤマト”も“潜龍”も、敵には回したくない。ついに今日、メフラー商社の傭兵が来たときはさすがに暗殺を疑ったが、アズラエルだった。知らない人間ではない。同乗者のクラウド含め、親切にしてやった覚えはある。彼も、ララを暗殺しに来たのではなかった。


 九庵には振られるし――。

 クラウドも、あれだけ良くしてやったのに、一向に姿を見せない。


 宇宙船に乗ってから、トラブル続き――いいや、アンジェラをほったらかしにしはじめてからか。


「ここまできたら、かまわんわけにはいかないだろうね」

『ララ様?』

「なんでもない」


 ララは、この宇宙船を降りるわけにはいかないのだ。アンジェラの個展だけの問題ではない。

 今期の宇宙船で、「運命の相手」と出会うと予言されたのだから。

 

 ――ララ、あなたは生涯で、三人の“アンジェ”に出会う。

 ひとりは、あなたの生涯を支えるよき相談役となるでしょう。

 ひとりは、あなたに狂おしい恋の苦しみを教えるでしょう。

 ひとりは、あなたの眠りを見届ける。

 これらは、あなたが前世でいただけなかったもの。それゆえに欲しかったもの。

 芸術にその身を捧げ、孤独に生きて死んだあなたに、足りなかったもの。

 あなたはこれらを得ようとするでしょう。そしてそれは手に入るでしょう。――


 ララは、これまでにふたりの“アンジェ”と出会っている。この予言をララに与えたのは、ひとり目の頼もしい“アンジェ”だった。

 そのアンジェリカが、ララに予言した。

 今期の宇宙船は、ララの運命を大きく変える、運命の相手をもたらすと。

 だが、それは残りの“アンジェ”ではない。


「シグルス、アンジェリカをリリザに呼びな」





 ほんとうに九庵は足が速かった。アズラエルは廊下の端でやっと彼に追いついた。


「不審者が忍び込んだぞ――ララ様はご無事か!」


 ようやく、ララの部屋に警備員たちが駆けつけている。それをチラリと見ながら、アズラエルは九庵とシャイン・システムに乗り込んだ。

 来たときとは比べ物にならない、あっというまの速度でグランポート宇宙港に着く。

 地球行き宇宙船行きの定期便は出ていた。数分後には乗れそうだ。


「じゃあ、ここで」

「え?」


 着くまで、とくになにも話さなかった九庵だったが、時刻表の電光掲示板のまえでアズラエルに合掌した。


「あんた、宇宙船に帰るんじゃ」

「わし、ここで説法(せっぽう)に呼ばれててね。あさって帰るんですよ」


 九庵は明るく言った。リリザで坊主の説法? だれが聞くんだと思ったが、リリザという世界の多様さを思えば、ない話ではないのかもしれない。

 しかし、まさか、アズラエルをここまで見送ってくれたのか。


「“奥さん”、大事になさいよ」

「奥さん?」


 アズラエルはまだ、結婚などしていない。


「ふう。終わった、終わった」


 九庵は、首をボリボリ搔きながら、背を向けて、ひとごみの中へ去っていく。


 アズラエルはなぜか、「終わった」の言葉にドキリとした。九庵の言い方は、ララに呼ばれたことが――面倒なことが終了したというつぶやきであるはずだった。


 アズラエルの耳には、まったく別の意味で届いたのだが――。


 だが、すくなくとも、彼のひとことのおかげで、ララはアンジェラに会うことを決意した。アズラエルの苦労も、徒労(とろう)に終わることはなかった。これでララがうなずかなければ、宇宙船を降りるしか道はなくなっていたところだ。


「礼を言い忘れたな」

 アズラエルは(あご)を掻いた。

「しかし、できるなら、二度と会いたくねえ坊主だぜ……」


 同じ坊主なら、アントニオのほうがまだマシだ。


 

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