285話 とんでもないクリスマスプレゼントと、穏やかな年越し 3
K34区は、ホワイト・クリスマスとはいいがたい、湿った雨雪が地面を濡らしていた。
午前二時――ラガーでもすっかり、客の姿はなくなった。
「気を付けて帰れよ。これ以上はしごすんじゃねえぞ」
オルティスが、最後の常連客を送り出し、「CLOSE」の札を下げたところで、いい匂いが鼻をついた。
「なんだァ? この匂い」
くんくんと、犬のように鼻をヒクつかせながら厨房まで行くと、大鍋に、豪勢なパエリアが出来上がっていた。
「すげえな!」
ムール貝に特大エビにホタテ、アサリ――魚介と鶏肉と、野菜がちりばめられた、アツアツのパエリアに、オルティスは顔を輝かせた。
「だろ? バーガスに習った」
「バーガスか! アイツのつくるメシはプロ並みだ」
パエリアは、グレンがつくったのだった。アズラエルほど器用とは言えないが、勤勉なグレンは、二三度の試行錯誤を重ねた末に、パエリアくらいは作れるようになっていた。
「グレン、そいつを店のテーブルに運んでくれ。シャンパンがある。ささやかだが、クリスマスを祝おうぜ」
「そいつはいい」
グレンは、パエリアの鍋と取り分ける皿、フルートグラスを薄暗い店内に運んだ。オルティスが、いそいそと、バーガスがグレンに持たせたブッシュ・ド・ノエルを冷蔵庫から持ってくる。
「そいつは、ヴィアンカと食えよ」
グレンは、とくに甘いものは好きではない。そういうと、「そうか?」とオルティスはもどっていった。
「クリスマスに野郎ふたりじゃ、色気がねえな」
そういいながら、オルティスは、何年越しにつかっている古びたクリスマス飾りをテーブルに置いた。豪勢なパエリアと並べて、すこしはクリスマス気分だ。
オルティスとグレンは、フルートグラスを乾杯させた。
「メリークリスマス」
さっそくパエリアを頬張ったオルティスは、「おお、うめえ」と感嘆の声をあげた。
「バーガスは、このまま地球まで行って、船内役員になって、レストランでも出さねえかな」
オルティスは言った。
「あいつがレストランを出したら、通うのに」
「チンピラだらけで、一般客が居つきそうにねえな」
「オレの店みてえだな」
ふたりは笑った。
「アイツは、傭兵の仕事を、なんだかんだ言いながら愛してる。無理だろ」
「あ、酔っ払う前に、こいつをやっとく」
オルティスは、エプロンから、茶封筒を取り出して、グレンのほうへ押しやった。
グレンはグラスをテーブルに置き、眉をしかめた。
「おまえ、バイト代は出ねえっていったじゃねえか」
「こっちから頼んで、クリスマスじゅうこき使っといて、一デルも出さねえ気はねえよ」
グレンは中身を確かめたが、そのまま、オルティスに突き返した。
「いらねえよ」
「そういうな。そんなに入っちゃいねえが――次を頼みにくくなるだろ」
オルティスは、あくまでもグレンが遠慮しているのだと思って、もう一度グレンのほうへ押しやった。グレンは、今度は突き返さなかったが、封筒をテーブルに置き去りにしたまま、ぽつりと言った。
「金に困ってるなら、俺にバイト代なんか出してる余裕はねえだろ」
「……!」
オルティスの顔が強張った。
「さっき、俺が店に出ていたときに、役員が来た」
グレンは、受け取っていた通知を、オルティスに差し出した。オルティスは、動揺した顔で、それに目をやった。
「イエローカードだ。おまえが、これ以上知り合いに金を借りまくるようなら、船内役員の資格を取り消すって」
「……そいつが、そう言いやがったのか」
「ああ」
グレンを従業員だと思ったらしい。彼はそう言って、店を後にした。
オルティスが、借金?
グレンは青天の霹靂で目を白黒させていたが、おりしも、店が一番混んでいた時間帯だった。オルティスに話すこともできず、通知はポケットにつっこんだまま、仕事をつづけた。
「オルティス」
グレンは、オルティスのグラスにシャンパンを注いでやりながらつぶやいた。通知を読むオルティスの手は震えていた。
「俺は、ドーソンで、金の亡者どもの目はよく見て来た」
「……」
「おまえは、そんな目をしちゃいねえ。金に困ってるっていうのは、よほどの理由があるんだろ」
オルティスは、目を上げた。涙が光っているようにグレンには見えた。街を彩るクリスマスの光が、オルティスの白目に反射しているだけのようにも。
「傭兵関係か」
オルティスは、ややあって、うなずいた。
「……ああ」
「じゃあ、きっと俺には言えねえな」
オルティスは鼻をすすり、力強く言った。
「オレは、おめえがドーソンだとか、そんなことを気にしちゃいねえ。傭兵とか、関係ねえ。傭兵時代から引きずってることなのはたしかだが――こいつは、だれにも言えねえことなんだ。オレの恩人の、命がかかってる」
「……ヴィアンカも知らねえのか」
「言っちゃいねえ」
グレンは、オルティスが抱えているものが何なのかは、さっぱりわからなかったが、どうにも、ずいぶんと長い間抱えてきたものだろうことは想像できた。
そしてオルティスは今、追いつめられている。
もう一度、オルティスがだれかに金を無心したことが発覚したら、船内役員を取り消すイエローカードもつきつけられた。
「オルティス、追いつめられたってことはな」
グレンは、シャンパンを干した。
「解決のしどきなんだよ」
「……!」
グレンはやはり、封筒をオルティスの手に握らせた。
「金はいらねえ。そのかわり、今日はとことん飲ませろ」
オルティスは、苦笑した。
「そっちのほうが、高くつきそうだな」
あまり立て続けにいろいろあったルナたちは、すっかりクリスマスのことなど頭からすっぽ抜けていたわけだが――宿泊先の水上ヴィラも、クリスマス、という気分からは今いち遠かった――しかし、クリスマスと認識したとたんに、皆々は行動を開始した。
任務の打ち合わせは、大きなところは済んだ。あとは、アストロスに着いてからだ。地球行き宇宙船がE353を発つ1月10日には、メフラー商社とアダム・ファミリー一行も、アストロスに向かって出立する。
アダムとドローレスが、L系惑星群にもどる日付も、その日にした。
「これ以上、ピエトを甘やかさないでください!!」
部屋に山積みにされたクリスマスプレゼントに、ピエトは目を剥き、自分より高く積み上げられた箱や袋を、あっけにとられて見上げていた。
初孫への、気合いの入ったじいさんばあさんのプレゼントは、そっけなさを装いながらも尋常ではなく、ひいじいさんとひいばあさんが存在することも、ルナたちは思い出した。
メフラー親父などは、すっかりピエトとルナを自分のひ孫と決めつけていたし、ツキヨは無理を押してまで、ショッピングセンターに出向いて、ルナとアズラエルとオリーヴと、ここにはいないスターク、ひ孫のピエトへのプレゼントを、いそいそと選んだ。
新しいブーツにスニーカー、帽子、時計に洋服、菓子の詰まったクリスマスボックス、ゼラチンジャーのおもちゃが三つ、ゲーム機にゲームソフト、本、カメラ……と、ピエトはルナと送り主と、中身をくりかえし見ながら、箱を開けた。
ひ孫のピエトにプレゼントが集中したのは仕方ないとしても、ルナたちも、プレゼント交換はした。しかし、ルナにも、特別なプレゼントの箱が積み上げられていたのには、ルナは焦った。
全員からプレゼントをもらってしまったルナは途方に暮れた。
ボリスとベックまで、菓子が詰まったクリスマスボックスを、ルナにくれた。
ただのクリスマスボックスではない。E353でしか出ていない、特別なものだ。リサたちなら、SNSにすかさず上げているやつ。
「ひぎい……これ、メチャ高いヤツだよ……」
“オリーヴから、オネエサマへ”とキスマーク付きのクリスマスカードがついたプレゼントは、高級化粧品のクリスマスコフレだった。
「今年は、ものすごいクリスマスになっちゃった……」
ルナは嘆息し、隣室の、ピエトの呆然自失具合を思い出していた。ゼラチンジャーの新しい変身セットが三つもあったので、ピエトは、「ネイシャとルシヤにやる」といって、包み直していた。
すっかり日は沈み、水上コテージの明かりが、点々と、星のようにきらめいている。目を瞑ると、波の音が耳をくすぐった。
みんなは、ひと部屋に集まって、クリスマス・パーティーを始めている。ルーム・サービスを運ぶボートが、みんなが集まる部屋に着いたのを見て、ルナは「あたしも行かなきゃ」と立った。
「リンさんっ……ドローレスさん!!」
「うわああ……本物だ!」
三十一日、バーガスとレオナが水上コテージまでやってきた。そして、さらなる感動の再会を果たした。
「バーガスちゃんに、レオナちゃんも――大きくなって!」
リンファンの天然ボケに、ふたりは泣きながら吹いた。
「俺たちは、もともとでかかったよ!」
「ふたりと別れたのは、あたしたちが二十歳になるかならないかのころだろ――リンさんは、まったく変わってないね!」
「ついに結婚したのね! ――まあ、可愛い子!」
「バーガスにそっくりだな」
ドローレスは、チロルを抱き上げて、笑みを見せた。ドローレスは、この水上コテージにいる間、一年分も笑ったのではないだろうか。
ルナは、砂浜に、セルゲイとグレンの姿も見つけて、目を見開いた。
「セルゲイ! グレン!」
「俺はお呼びじゃねえと思うんだが――バーガスに引っ張られてな」
セルゲイはともかく、グレンはひどく居心地の悪い顔をしていた。
「グレン・J・ドーソンじゃねえか」
ボリスが、一瞬かまえた。ベックやアマンダの顔も強張る。
「どうして、ここに」
ルナは、彼らが構える理由も分かっていたが、きちんと言った。
「グレンは、一緒に住んでいます」
「!?」
皆の顔色が、変わるのが分かった。
「ちゃんとゴミ出しもします! お掃除もするよ!? 最近は、オムライスとパエリアと、ごはんものなら、なんとか作れるようになりました! 褒めてあげてください!」
アズラエルの吹き出しそうな顔に、ルナはまったく気づいていない。
「あの! あたしたちとくらすまえは、部屋がゴミ屋敷だったグレンが! お掃除するようになったの! すごいでしょ? トイレ用のお掃除ウェットティッシュで顔拭こうとしてたんだよ? さいしょは!」
ルナは、グレンの弁護のために、泣きそうな顔でそう叫んだのだが――。
「ぐぶおふぉ!」
ピエトがついに我慢できずに尋常でない吹き方をし、グレンにどつかれた。
メフラー商社とアダム・ファミリーの面々は、一瞬固まったあと――爆笑した。
「ドーソンの!? ドーソンの嫡男にゴミ出しさせてんのか!!」
「ルナちゃんサイコー!!」
「掃除って――掃除って――掃除の仕方、分かってんのか!」
ベックもオリーヴも、デビッドも笑ったが、ルナは、
「最初は、掃除機のつかいかたも分からなかったけど、ちゃんとできるようになりました!」
と自慢げに言った。
グレンは、顔を覆った。いますぐ帰りたかった。
「うぎゃはははははは!!!」
皆は、のたうち回って、笑い転げた。
「笑いすぎだ……」
しかめっ面でそちらをにらんでいたグレンだったが、「グレンさん」と話しかけられて、振り返った。
ドローレスが、握手を求めていた。
「ルナの父です。――あなたのお父さんには、救われた」
たちどころに、笑い声が止んだ。
「父のしたことです。俺じゃない」
「あなたも、きっと同じことをしたでしょう。私はそう思う」
グレンは苦笑いし、言葉を見つけられずにいたが、ドローレスが手を引っ込めないので、しかたなく握手に応じた。
「おめえ――“セルゲイ”か」
メフラー親父が、ふらふらと立ち上がっていた。セルゲイは、用意していた言葉を告げた。
「たしかに私は、セルゲイという名です。でも、ルナちゃんのお兄さんとは、別人なんです」
困り顔で彼は言ったが、アマンダやデビッドたちも、信じられない顔でセルゲイを見つめていた。彼らの網膜に、なにが映っているか、セルゲイには分かっていた。
「あの――ごめんなさい」
リンファンが、セルゲイを見上げていた。
「失礼な申し出だとは、わかっているんです――失礼を承知で――あの、どうか、わたしたち家族と、どうか、写真を」
「リン」
ドローレスが止めたが、セルゲイはうなずいた。
「私でよければ」
「い、いいんですか」
「写真くらい」
バーガスが、セルゲイをここに連れて来た意味も、セルゲイは分かっていた。しかし、セルゲイとしては複雑な気持ちだった。
「兄」としてしか、ルナの隣に立てない。
アズラエルの親と、ルナの親の奇縁も、アズラエルが恋人としてルナの隣に立つことを、最初から決めているような配置なのも気に食わない。
セルゲイは微笑した。
(来世に期待するか)
「……!?」
アズラエルは、ぞわりとした視線を感じて、あたりをキョロキョロ見回した。




