284話 邂逅 4
「……パパも、おまえに内緒にしていたことがある」
ドローレスは、水平線を見つめながら言った。
「アズラエルと出会った以上、話しておかなければならないことも、ある」
「もしかして――お兄ちゃんのこと?」
ドローレスとリンファンは、目を見開いた。
「ごめんね。あたし、お兄ちゃんのこと、知っちゃったの……」
ルナはおずおずと言ったが、両親は、乱れなかった。むかし、急に泣きだした母でさえ、静かに水面を眺めていた。
「お兄ちゃんは、セルゲイって名前なんだよね?」
両親は、声をそろえて、「そうよ」「そうだ」と言った。
「アズから、聞いたの」
「そっか……」
ウミツバメの鳴き声がする。会話は、いったん止んだ。
「ツキヨさんから聞いたわ。ルナは、アズ君と知り合って、いろいろ知ったんだって。でも、」
リンファンは、ひといきついて、ルナに微笑んだ。
「ママたちは、それを咎めに来たわけじゃないのよ?」
ルナが、ドローレスのほうを見ると、彼もちいさく笑んで、うなずいた。
ルナはうつむき――ふたたび、水平線に目をやった。
「さっき、セルゲイが、ツキヨおばーちゃんをおんぶしてたのは、なんで?」
ルナはやっと、そのことを聞けた。セルゲイの名前を出すと、兄の話題に触れることになるかもしれないから、避けていたのだ。
「ショッピングモールの通路で、偶然会ったんだ。リンが、彼にぶつかって、」
「ね、ルナ」
リンファンは、どこか必死な顔で、ルナを見つめた。
「彼――セルゲイさんは」
「ママ、ゆっとくけど、セルゲイは、お兄ちゃんじゃないよ」
ルナははっきりと言った。セルゲイのためにもだ。リンファンは、目を見開いて、すこし残念そうな顔をした。
「あたしもたしかめたの。ほんとうはセルゲイ、あたしのお兄ちゃんじゃないかって。でも、ちがった。セルゲイはむかし、L7系かどっかで、おじいちゃんとおばあちゃんと暮らしてて、それから――いろいろあって、軍事惑星のエルドリウスさん? の養子になったの」
「ええっ!?」
「ほんとうか」
ふたりとも、驚いてルナを見た。
「エルドリウスさんって――もしかして、あの、ウィルキンソン家の」
「あたしも出会ったときは、そんなこと知らなかったんだ。L5系で、お医者さんをしてるって聞いたから――でも、そうだった」
「たしかに、ウィルキンソンと名乗っていたな……」
ドローレスが、思い出したようにつぶやいた。
「ルナに聞きたいことが、いっぱいあるわ」
リンファンはためいきをつき、海を眺めながら頬杖をついた。
「もう、あんまりびっくりしすぎて、頭が混乱しそう」
ルナとアズラエルに会うために、仕事を辞めてE353まで来て、まさかアダムやエマル、メフラー商社の面々と再会できるなんて、だれも予想などしていなかった。
ツキヨも、エマルと何年ぶりに再会できたのだろう。
(うさこ。あたしもまだ、びっくりしすぎて、現実味がわかないよ)
ルナは、荷物と一緒に持ってきた、ZOOカードの箱を見つめた。
「家族の話は明日だな――それより、予約の時間だ」
ドローレスは腕時計で時間を確認した。
「時間だよ!」
「ホテルのほうで食事だって。リン! ドローレス! ルナちゃん、行こう!」
桟橋を渡って、ルナたちの部屋の前まで来ていたエマルとアマンダが、外で叫んでいた。
「今行くわ!」
リンファンがうきうきとした顔をかくさず、バッグを持って駆け出した。
「あんなに楽しそうなママ、はじめてかも」
ルナは言った。リンファンは、まるで学生時代にもどったようにはしゃいでいた。
「うきゃっ!」
慌てすぎて桟橋で転げたリンファンを、「あんた、変わってないねえ」と笑うエマルとアマンダの声が聞こえた。
ホテルでの食事は、まるで宴会だった。レストランではなく、海が見える大部屋を貸しきってのパーティーに急きょ変更されたので、たいそうな騒ぎになったが、ほかの客の迷惑になることはなかった。
彼らは再会を祝し、食べ、飲み、笑い、マイクはなかったが、歌うものまでいた。
長旅と、再会の衝撃で、だいぶくたびれていたツキヨも、「海を見たらすっかり元気が出た」と言い、ずいぶん長く食事の席にいた。ピエトも、今夜は九時をすぎても目こぼしされていた。
とにかくアズラエルが、幹事らしき立場で、てんてこまいしていたので、ルナは十時近くには、ツキヨおばあちゃんとピエトを連れて、宴会場を出ようとした。
「待って、ルナ。ママも行く」
リンファンがついてきた。
「エマルとアマンダとは、まだお話しする日にちはあるから。いいの」
四人は、盛り上がったりしんみりしたり、急に笑い出したり泣き出したりと、浮き沈みの激しい宴会場をこっそりあとにした。
「ピエトちゃんって言ったかな?」
リンファンの声に、ピエトがびくりと肩を揺らした。――拒絶を恐れている態度だった。
「ルナの、ママです」
リンファンは、ピエトの様子をまったく見ていないふりをして、微笑んだ。
「つまり、ピエトちゃんのおばあちゃんかな?」
「あたしは、ひいばあちゃんってことだね」
ツキヨも、ピエトとつないだ手を揺らしながら言った。
「ふえっ……!」
いきなり、ルナのほうがしゃくりあげ始めたので、ピエトはびっくりした。
「ふべっ……ふひゃっ……びええええええ」
「ルナ」
貸し切りのコテージの桟橋で、謎の奇声を上げて泣き始めたルナに、ツキヨもリンファンも、ピエトまで慌てたのだった。
部屋にもどったころには、ルナは落ち着いていた。ティッシュボックスを独占して鼻をかみながら、
「ピエトはあたしの子どもなの」
とついに言った。ピエトを抱きしめつつ。
リンファンもツキヨも、もはやなにも言わなかった。
「おどろいたはおどろいたけど、もう、おどろきすぎて、いろんなことがどうでもよくなってきたわ、ママ」
リンファンは、両手を広げた。
「ルナとアズはまだ結婚していないんだから、一応、ピエトはアズの子だろう?」
ツキヨが言い、ルナはうなずいた。
「うん。最初はね、タケルさんはダメってゆったの。あたしももっともだと思ったけど、でも、一緒に暮らしてるうちに、アズが……」
ルナはおいおいと泣きながら、ピエトを撫で繰り回したので、ピエトはもみくちゃになった。
「アズ君そっくりなんだもの。アズ君が産んだのかと思ったわ」
「ママ、あじゅは産めないと思う」
「さっきアズから聞いて、あたしもびっくりしたよ。この子はラグバダ族で、アズがだれかに産ませた子じゃないんだね」
「お――俺は、エルトから来たんだ」
ずっとおとなしかったピエトは、やっと、自分の口で自己紹介をした。
ピエトとルナは、出会った日のことを、ふたりに話した。
K19区にアズラエルと海を見に行った日――ピエトと出会ったこと。ピエトがアバド病だったこと。ピエトは、アバド病で、両親と弟のピピを失い、天涯孤独になったこと。
アズラエルは、最初、ピエトと一緒に暮らしたいと言ったルナに、大反対したこと。ピエトの担当役員であるタケルも反対したが、日が経つにつれ、アズラエルの養子となることを了承してくれたこと。
みんなで暮らすうち、ピエトのアバド病はすっかり、治ったこと。
「あたしは、地球に行って、K19区の役員になるの」
「アズラエルも、なんだ。傭兵をやめて、地球行き宇宙船の役員になるって」
ピエトは言い、うつむいた。
「俺、将来は傭兵になりたいって思ってたけど――今はわかんねえ。でも、ルナとアズラエルは、ずっといっしょにいようって、言ってくれた」
ピエトの目に、たっぷりと涙が浮いているのを見て、ツキヨとリンファンは、顔を見合わせた。
「そうかい、そうかい。ルナもアズも、役員さんになるのかい」
「試験はむずかしそうね。資格とか、いるのかしら」
リンファンも、ピエトの頭を撫でながら、言った。
「ルナ。K19区の役員さんっていうのは、大変だよ?」
ツキヨが、ルナの手をにぎってそう言った。
「だけどあんたが自分で選んだ道なら、ばあちゃんは、応援するよ」
「ママもよ」
リンファンは、ピエトに向かって両腕を広げた。
「おばあちゃんにも、抱っこさせてちょうだい」
そのころ、宴会場はだいぶ静かになっていた。
ドローレスが、眠ってしまったメフラー親父を背負ってコテージに連れて行き、ベックとボリスが、つぶれたアマンダとオリーヴをかついでコテージのベッドに放り投げ、アダムがエマルを運搬した。
めずらしくつぶれたデビッドは、アダムが二往復して運搬――アズラエルが、余分に追加した酒や食事の支払い手続きを済ませて出てくると、ホテルの外でドローレスとアダムが待っていた。
すっかり日付変更線をまたいで深夜、三人は、なにを話すこともなく、波の音を聞きながら、海岸に突っ立っていた。
「アズラエル」
長い沈黙のあと、ドローレスが、ぽつりと言った。
「はい」
妙にちいさくなっている息子に、アダムがプーッと吹き出し、「そこは笑うところじゃねえだろ」と威嚇されたが、その声にもまるで迫力がなかった。
「私は、おまえとルナの仲を反対しに来たわけじゃない」
ドローレスの声は静謐だった。そのせいで、迫力が増している気が、アズラエルにはした。
「だが、ルナを――軍事惑星に連れて行くことだけは、認められない」
アダムも、その大柄な体を丸めるようにしゃがみこんで、水平線を見つめていた。
アズラエルは、ドローレスのほうを見て、言った。
「――いや、あの」
困った顔で、歯切れ悪く。
「その――だいぶ誤解されているようなんだが、――いや、無理もないんだが。その――俺とルナは、べつにつきあっているわけでもなんでもなくて」
「は?」
シリアスな空気が霧散した。アダムもドローレスも、目を丸くしてアズラエルを見た。
「俺は、ルナに雇われているボディガードです」
アズラエルの言葉を、ふたりともすぐには認識できなかった。沈黙が下りた。
さすがに雇い賃を言うわけにはいかなかった。これはなけなしのプライドだろうか?
「おめえら、いっしょに住んでんじゃねえのか?」
アダムの問いには、「ああ」というシンプルな返事。それから、あわてたように言い訳をした。
「手は出してませんよ!? いやほんとうに」
証拠はある。一緒に住んでいるルームメイトが証明してくれるだろう。
「……では、ピエトは」
「さっきも言いましたが、ピエトが、俺とルナが住んでるアパートに転がり込んできたんです。まぁ、成り行きで、親子みたいになってはいるが、アイツにはちゃんと養父母がいた。傭兵になりたいって言ったから、俺の養子にしただけで」
アダムとドローレスは、口を開けたまま、微動だにしなかった。
アズラエルは、アダムに向かって言った。
「よくある話だろ」
「よくあるったって、そりゃ、おめえ……」
アダムが呆れた声を出した。
アズラエルがピエトを養子にしたとき、タケルたちに説明したように、傭兵社会では、見知らぬ子どもとの養子縁組はめずらしくもない。
アズラエルは頭をかいた。それから、少し考える顔をして、言葉を紡いだ。
「でも、俺は、ルナとの生活は居心地がいい。――あっちがどう思っているかは知らねえが」
それを聞いて、またふたりの顔は真面目な顔にもどった。ふたりそろって表情をシンクロさせないでほしい。
「俺は、傭兵をやめようかと思って」
今度はシンクロしなかった。アダムは驚いて息子を見たが、ドローレスは静かなままだった。
「おまえのことは、さっきデビッドたちから聞いた。おまえは手練れの傭兵だ。傭兵の仕事にやりがいを感じて生きて来たんだろう。そのおまえが、別の仕事について生きていくことができるのか?」
「……ドローレスさんも、それができました」
アズラエルは言った。
「私の場合は――そうしなければならない状況だったからだ」
ドローレスの口調は終始静かだったが、そこには、悔しさも混じっている気が、アズラエルにはした。
アダムもそう感じた。
ドローレスはおそらく、傭兵をやめたくは、なかった。
けれどもリンファンと、産まれてくる娘を守るために、傭兵をやめる道を選んだ。
アダムたちは、軍事惑星を離れても、傭兵をやめなかった。けれども、ドローレスはおそらく、リンファンとルナを連れては、アダムたちのような生活はできなかった。
それに、息子を亡くした妻を癒すことも必要だったし、ひとり娘には、軍事惑星とは関わりなく、生きていってほしかった。
その結果、選んだのが、傭兵をやめるという選択だった。
「俺は、地球行き宇宙船の役員になろうと思ってます」
「……ルナも、そんなことを言っていたが」
「ええ」
「ルナのためにか?」
「いいえ。――さぁ。――分からない。本当はどうなのかな。俺にもまだ、自分の気持ちがわからない」
アズラエルは素直に告げた。ドローレスは怒らなかった。
「もう明け方になる。今日は休もう」
長い沈黙のあと、アダムがそう言った。




