284話 邂逅 2
東の通路は、ほかの通路がすきまもないくらい、人、人、人でごったがえしているのが不思議なくらい、別空間だった。オフィスが立ち並ぶ通路なので、ひとが少ないのか。
だから、人ごみを突き抜けてやってきたアズラエルたちを、待ち人はすぐその目で捉えることができた。
アマンダとエマルは、あんぐりと口を開けた。
「え? ちょ、ま、」
「ほんとに、うさこちゃんだ……」
アズラエルのうしろを必死でついてくる女の子は、間違いなく、かつてロビンがメフラー商社に送ってきた写真の子である。
「兄貴マジ!? まだつきあってたの!?」
オリーヴも、世界がひっくり返ったような衝撃を受けていた。
「よう」
アズラエルは軽く手を挙げたが、彼の母親を含む一行は――だれしもが、とにかく、片っ端から、なにからなにまでを指摘したい顔をしていたが、つっこみたい要素がありすぎると、ひとは言葉を失うらしい――アズラエルは、ルナのほかに子どもをひとり、肩車していた。
ルナの存在だけではなく、アズラエルの肩に乗っかっている子どもも、由々しき事態だ。
子どもは、まるでアズラエルのミニチュアだった。
ついに、母親たちから声を上げた。
「こっちがアンタの隠し子かい!?」
「あんた、なんでそんな立派な格好を」
アマンダが絶叫し、エマルも尋ねた。
アズラエルそっくりの、よそ行きの服を着せた子どもを担ぎ、自分もスーツ姿。不審を感じたのは彼女たちだけではない。
だがアズラエルは、ふたりの質問には答えなかった。
「理由があってな。とにかく、先に話す。――相手がここに着いちまう」
アズラエルは慌ただしく言った。
低速ウサギのルナは、やっと追いついた。ぜいぜい息を切らすルナを、オリーヴは、口をあんぐりと開けて覗き込んだ。
ついにルナは、アズラエルの家族と、メフラー商社の面々と、ご対面した。
「あ、あの、ルナ・D・バーントシェントと言います! こんにちは! 今日はお日柄もよく――」
「ルゥ。あいさつはあとだ。おまえの親が来ちまうだろ」
「う、うん!」
「おまえの親? なんだって? うさちゃんの親も来るのかい?」
エマルが焦って聞いたが、アズラエルがさえぎった。
「その質問には、あとで答える――つうか、だから、時間がねえ」
アズラエルは、自分の親やメフラー商社の面々への説明のために、ルナの両親との待ち合わせ時間をずらしていたのだが、予想外のひとごみと、待ち合わせ場所の移動のために、時間がなくなりかけていた。
「いまここに、ドローレスさんと、リンファンさんと、ツキヨばーちゃんが来る」
「!?」
アズラエルの言葉に、全員が、瞬間冷凍したように固まった。メフラー親父の口から、パイプがぽろりと落ちた。
「――いま、なんつった」
ルナの姿にも、ピエトにも、めっぽう驚いていたが、口には出さなかったメフラー親父が、ついにこぼした。
「説明の時間がなくなっちまったが、――つまりだな、ルナの親が、ドローレスさんとリンファンさんなんだよ! それから、ツキヨばーちゃんは、L77で、ルナの近所に暮らしていた」
エマルが、腰を抜かした。
オリーヴがあわてるほど、エマルの動揺はひどかった。エマルの尻の下敷きになったトランクは、ガッシャンと音を立てて、真横に倒れた。
「ツキヨさんが! い、いるのか、来てるのか、ここに!」
「ドローレスが!? おい――生きてたのか!」
「リンが、リンちゃんが生きてんのかい、そりゃ、ほんとに!?」
アダムとデビッド、アマンダが叫びながら同時にアズラエルにつかみかかったので、さすがのアズラエルも尻もちをついた。
「だから見ろ! ルナを! 似てんだろ、リンファンさんに!」
みんなが、たちどころにルナを凝視したので、ルナはしゃきーん! と姿勢を正した。
「……ほんとうだ。リンちゃんそっくりだ」
「髪の色なんか、ドローレスといっしょじゃねえか!」
「生まれたんだなあ……無事に、あのときの子が……」
アズラエルを押しつぶした連中が、今度はルナへとなだれ込み、ルナはもみくちゃにされた。
「お、お待ちよ――お待ち。母ちゃんが、ここに来てるっていうのかい? リンと、ドローレスも――」
やっと立ち上がったエマルは、自分でそう言いながら、そのことに動揺して、またへたりとしゃがみこんだ。
「か、母ちゃん!」
滅多に見ない母親の動揺した姿に、オリーヴも絶句だ。
「だから、俺は言ったじゃねえかよう……」
メフラー親父が、ぼろぼろ涙をこぼしていた。
「この子は、リンとドローレスの子だってよう」
メフラー親父は、送られてきたルナの写真を見たとたんに、リンファンとドローレスの子だと見破った。周りは、親父がボケたのではないかと危ぶんでいたが、そうではなかった。
メフラー親父の言葉は、当たっていたのだ。
「おい――ほんとか」
「あんた――いや、ルナちゃんと言ったかい? あんたはほんとに、リンとドローレスの――」
エマルが、這いずるようにしてルナに近づき、ルナの肩をがっしりとつかんで、聞いた。エマルの表情は、今にも泣きそうだった。
「そ、そうです。あたしのママはリンファンで、パパはドローレス。ママはお弁当屋さんに勤めていて、ケーキが大好きなのです。パパは、デパートの、婦人服売り場の部長でした」
エマルは、いちいちうなずきながら聞いた。
「あたし、ツキヨおばあちゃんの本屋さんで働いていたんです。小さいころから、おばーちゃんとは仲良しだったの。カエデ書店ってゆって――」
エマルが口を覆って泣き出したので、アダムが背をさすった。
驚愕の事実にだれもがうろたえ、アズラエルとルナばかりを見ていた。だから、新しい登場人物の存在に、なかなか気づかなかったのだ。
通路の入り口――遠くからでも、すぐに娘の姿を見つけたツキヨは、それこそ、すぐに、自分の足で走っていきたい衝動に駆られていた。だが、ずいぶんな人ごみに疲れ果てていたツキヨは、走ることができなかった。
セルゲイは、背こそ高いが、枯れ枝のようなツキヨを背負い、声に突き動かされるようにして、待ち合わせ場所まで走った。
「――あんた、エマルかい」
「母ちゃん」
ルナたちは、なぜセルゲイが、ツキヨを背負っているのかさっぱりわからなかったが、エマルはひと目で、セルゲイの背に背負われているのが、だれなのか分かった。
「エマル、おまえ、エマルかい」
セルゲイの背から降りたツキヨが、ふらふらとエマルの肩にすがるのを、みんなは見た。
「母ちゃん――?」
「なんで? なんでだい、エマル――どうしてこんなところにいるの?」
ツキヨもエマルも、しばらくは互いの存在があるのを信じられない顔をしていた。
「エマル――ほんとだね? エマルだね?」
「母ちゃん! 母ちゃん、ごめんなさい……!」
「よかった、よかったよ会えて――無事で、よかった」
膝をつき、支えあいながら泣きじゃくる親子の再会に、ルナもぼろぼろと涙を流し始めた――すこし遅れて到着したルナの両親は、愕然とたたずんでいた。
ルナのほうに気づくことができないほど――ふたりは、見知った面々の姿を見て、声もないほどに驚き、卒倒しかけていた。
もう二度と会えないと思っていた人たち――あきらめた歳月と、あまりに突拍子もない邂逅に、だれもが、すぐには動けなかった。
だが。
「ドロォレスウ……」
メフラー親父の喉からこぼれた名に、皆がこみ上げるものがあった。メフラー親父が、ふらふらと立ち上がり、ドローレスに近づいた。まるで幻でも見ているように。本物かどうか、触れるのを怖がっているように。
メフラー親父の手の中でくしゃくしゃになったハンチング帽が、彼の込み上げる想いを表していた。
「ふぐっ……」
ベックが、くしゃみで涙をごまかした。ボリスも、背を向けてタバコに火をつけた。
「こりゃァ――反則だぜ、アズ坊」
存在を忘れられているふたりも、見られないように鼻を啜った。
「親父さん……!」
ドローレスとリンファンは駆け寄った。
メフラー親父は言葉もなく嗚咽し、ふたりを抱きしめた。それが合図だった。
「リン……リンちゃん! ドローレス!!」
アマンダがリンファンの背中に飛びついてきて、デビッドが、ドローレスの背を叩いて、堪えきれないように目を覆った。
ツキヨと再会を十二分に懐かしんだエマルが、今度はリンファンと抱き合い――アダムが、目を潤ませたまま、ドローレスの肩をがっしりとつかんで――言葉を持たない再会は、ひどくしめやかに、時間を見送った。
――だれもが、しばらく動こうとしなかった。
この東の通路は、たった今は、彼らのためだけに存在していた。中央通路の人ごみから切り離された空間は、喜びのすすり泣きで満ちた。
やがて、アダムが、のっそりとおおきな身体を持ち上げて、言った。
「立ち話もなんだ――移動しようや」
だれも反対はしない。当然だったが、思いもかけない邂逅を、これでお終いにするつもりは、だれにもない。
積もり積もった話は、場所を移動してすることにした。アダムは、妻とツキヨを、優しく助け起こしながら息子に尋ねた。
「アズ、おめえ、予約しといてくれたんだろ。宿はどこだ」
「先に宿に行くか。レストランも予約しといたんだが」
ルナとピエトが、滂沱の涙で顔中ぐっしょぐしょにしていたので、アズラエルは自分のささやかな涙をだれにも突っ込まれずに済んだ。
「ドローレス、おまえさん、宿はどうしてる」
「来た日から、同じホテルに泊まっている――キャンセルしてこよう」
ドローレスは、アダムたちと同じホテルに宿泊する気持ちでいた。尽きぬ話は、レストランで食事をした程度では、時間が足りない。
セルゲイは、いつのまにかいなくなっていた。リンファンは、しきりにセルゲイの姿を捜していたが、いないと分かると、残念そうな顔であきらめた。
(やっぱりセルゲイは、お兄ちゃんに似てるんだ……)
ルナはやはり、まだ兄のことは聞けなかった。




