283話 E353 3
その夜のことだ。
夕食どきから、ピエトの様子がおかしかったのは、ルナもアズラエルも気付いていた。ピエトがいつものように「おやすみなさい」と言って自室に向かおうとするのをルナは止めた。
「ピエト、今日は一緒に寝よ?」
その言葉を待っていたのかもしれない。ピエトはちいさくうなずくと、ルナに手を引かれて、ルナたちの部屋に向かった。
アズラエルはベッドで端末を手にしていたが、ピエトが入ってきたのを認めると、棚に置いた。そして、ベッドに乗り上げたピエトをひょいと抱きかかえると、膝の上に乗せた。
「二十三日は、おまえもいっしょに行くんだ」
ピエトは驚き、しかし、すぐに沈んだ顔をした。
「おまえがゴチャゴチャ考えてることは、今のうちに言っとけ」
アズラエルがピエトの小さな頭を撫でて、ほっぺたをつまんだ。ルナも毛布に入り、じっとピエトを見つめている。
「……ルナの父ちゃんと母ちゃんが、アズラエルと暮らすのをダメだって言ったら、俺たちは、もういっしょに暮らせないの?」
ピエトがつぶやいたことは、ルナとアズラエルの予想通りだった。ふたりは顔を見合わせ、ルナは、用意していた言葉を告げた。
「ピエト、あのね」
ルナの口調は、いつもの百倍は落ち着いた口調だった。
「たぶんね、あたしのパパとママは、反対はしないと思う」
「え?」
「今朝のママのメール見て、あたし、そう思ったの」
ルナは、メールを、ピエトにも見せてあげた。
ツキヨとルナの両親が、E353のスペース・ステーションで撮った写真――三人の顔はおだやかだった。娘の交際の反対をしに来た顔ではなかった。
「もし、あたしとアズの同居とか――うん――まぁ――つきあっているのかな? を反対する気なら、とっくに電話が来てると思う。わざわざ、お金かけてこんなところまで来ないと思うの」
E353に来るのって、ものすごく旅費がかかるの、とルナはピエトに説明した。
L77からは、簡単に来れる場所ではないこと。おそらく両親は、仕事もやめなければならなかっただろうし、貯金を切り崩して、ここまで来ただろうことを。
「おまえを連れもどしに来たんだったら?」
アズラエルが眉をあげると、ピエトの顔色がふたたび沈む。ルナは「アズ!」と怒った顔で言った。
「冗談だ。――だが、ルナの言うことにも一理ある。一理あるが、正解とは言えねえ。ドローレスさんの心中は複雑だろうさ」
アズラエルは肩をすくめた。男親の心中はわからないが、ルナよりは分かる気がした。
「ドローレスさんが心配してるのは、俺が軍事惑星の男からだろ」
「……ルナが、傭兵の奥さんになっちゃダメだってことだよな?」
ピエトは賢い。夕食のときに、ルナとアズラエルの複雑な縁の話を聞いて、要点は理解している。
アズラエルはうなずいた。
「ああ、そうだ」
ルナの両親は、軍事惑星で、ルナの兄にあたるひとり息子を亡くしている。そのため、ルナはぜったいに軍事惑星には関わらせないという気持ちで、育ててきた。
だから、どんなことがあっても軍事惑星群に行かせる気はない――まして、傭兵の妻になんて、とんでもないことだ。
「そのことなんだがな、ピエト」
アズラエルは、はっきりと言った。
「俺は、――まぁ、この旅行が終わったら、つまり、地球に着いたら、傭兵をやめて、この船の仕事に就こうと思う」
「えっ?」
聞き返したのは、ピエトだった。
ルナももちろん初耳で、メチャクチャ驚いていたが、今は何も言わないことにした。
「まぁ、その、ルナにもおまえにも、いつか、俺の生まれた場所を見せたい気持ちはある。俺の育ってきた場所もな――だが、それは永住じゃねえ」
「ええっ!?」
ピエトは、ついに大声を上げた。
「本気だ。俺は、この船で暮らす。おまえを俺の傭兵グループに入れてやることはできねえが、おまえを立派な傭兵に育ててもらう先はいくらでもある」
ピエトは、聞き始めこそ目を丸くしていたが、やがて、困り顔でうつむいた。
それもそうだ。いままで心配していたことが、ひっくり返ってしまったのだから。
ピエトは、ルナの両親が反対したら、もういっしょに暮らせなくなるかもしれないと、そればかり心配していた。
だが、それ以上のことが起こった。
アズラエルは、傭兵をやめてしまう。そして、宇宙船の役員になるという。
でも、そうしたら、ピエトは、アズラエルといっしょに住んでいては、傭兵にはなれない。
アズラエルは宇宙船にいて、ピエトは軍事惑星へ。そして、傭兵の学校へ行って、認定の資格を取らなければならない。
宇宙船内には、傭兵の認定資格を取らせる学校はない。
ルナも、地球行き宇宙船の役員になりたいと願っている――ピエトはそれも知っていた。
つまり、ピエトが傭兵になるといっているかぎり、ふたりとは一緒に暮らせない。
ピエトの目に、大粒の涙が浮かんだ。
「お、お、俺が、傭兵にならないって言ったら、子どもにはしてくれない?」
こちらは、ルナもアズラエルも予想外の返答だったものだから、焦った。
「おい待て――なんでそんなことを考えた?」
ピエトは大声で泣き出した。
「俺、俺、いやだよ……ずっと、アズラエルとルナと、いっしょにいたい」
ピエトがいっしょに住むことになったとき、ピエトとアズラエルは約束をした。
ルナを泣かせないこと。
二度と盗まないこと。
L85に帰りたいとは言わないこと。
病気をちゃんとなおすこと。
タケルたちと仲良くなること。
学校へ行くこと。
――ピエトは、ちゃんと約束を守ってきたつもりだった。
傭兵になるために、過去を捨てた。自分で、ゴミ捨て場に捨てて来た。
「俺は、アズラエルとルナも捨てて、傭兵にならなきゃいけねえの?」
さすがにアズラエルとルナは、顔を見合わせた。
「ピエト、俺はべつに、おまえに強要した覚えはねえ」
アズラエルはピエトの頬を両手で挟み、しっかりと目を見て言った。
「おまえが傭兵になりてえっていうから、特訓を始めただけだ。なりたくなきゃ、それでいいんだ」
「俺ひとりで、傭兵になんかなりたくねえ……俺はもう、ひとりはイヤだ」
「おまえをひとりにする気はねえよ――俺たちは、家族だろ?」
アズラエルはピエトを抱きしめた。ピエトの泣き声が、一層激しくなった。ルナも、横からピエトの頭を撫でた。
「ねえ、ピエト。――ピエトは、自由でいいの」
ルナは静かに言った。
「あたしだって、このあいだまで、なりたいものなんかなかったんだよ?」
ピエトは、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。
「地球に着いてからでもいいじゃない。ピエトが進みたい道を決めるのは。傭兵でもいい、地球行き宇宙船の役員でもいい、ほんとうにピエトがなりたいものを見つけたら、きっと、ピエトのほうがあたしたちのことを置いて行っちゃうよ」
「そんなことねえもん! ――俺は、」
「あたしもそう思ってた」
L77の田舎町で、一生を終えるのだと思っていた。ツキヨおばあちゃんのお店のお手伝いをしながら、いつかおばあちゃんの代わりにレジに座ったりして、そうやって、何ごともなく、とても静かに暮らしていくのだと思っていた。
でも違った。
ルナは今――地球行き宇宙船にいる。
「分からないんだよきっと。なにが起こるかなんて」
ルナは微笑んだ。
「でも、あたしたちとピエトは家族だから。あたしとアズがピエトのおうちで、家族なの。ピエトの帰る場所はここなの。だから泣かないで」
「ピエト、おまえが何になろうが、それはおまえの自由だ。――俺は言ったろ? 過去を捨てるときに、おまえ自身で決めろと」
ゴミ袋にまとめた過去を、捨てるか捨てないかは、自分で決めろ、とアズラエルは言った。
「おまえは過去を捨てて、傭兵になったんじゃねえ――俺たちの子になったんだろうが」
ピエトは、アズラエルにしがみついた。しばらくのあいだ、そうやって泣き続けていた。
ルナはピエトの頭を撫でつづけ――アズラエルのTシャツが涙と鼻水でぐっしょり濡れて、大洪水になったころ、ピエトは眠っていた。
やっと眠ったピエトをはがして、Tシャツを着替えに行こうとしたアズラエルだったが、ピエトがものすごい力でしがみついていて、離れなかった。
アズラエルは仕方なく、そのまま眠ることにした。
「――腹がつめてえ」
ルナは、笑って、いっしょに眠りにつくことにした。




