283話 E353 2
さて。そのルナだったが。
「ねえ、うさこ」
『なあに』
めずらしく、呼んだらすぐにZOOカードから出てきた月を眺める子ウサギと、会話をしていた。無論、イマリのことについて。
「イマリは、けっきょくどうすればよかったの」
華麗なる青大将と出会ってしまったけれど、それでいいの。ルナは聞いた。
『いいのもなにも、それがあの子の幸せなんだから、しかたないじゃない』
月を眺める子ウサギは、用意されたソファに座り、頬杖をついて嘆息した。
用意されたソファというのは、ルナがおもちゃ屋さんで買ってきたものである。ぬいぐるみ用の、ひじ掛け付き一人用ソファ――月を眺める子ウサギは、大変にお気に召したようで、今日は長居をしてくれている。
『テーブルと、お茶セットも欲しいわね』
「うん。今度買ってくるよ」
ルナは素直にうなずき、「イマリのことだけどね」と言いかけると、月を眺める子ウサギは告白した。
『わたしも、なんとかしようとしたのよ。あの子を宇宙船から降ろそうと思って』
「え?」
『詐欺師に引っかからせたり、借金をさせたり――だって、あの子が理想の恋人と出会うには、もう、お姉さんのもとに帰るしかないんだもの』
「えええええ!?」
夢の中で、イマリがぼろぼろだったのは、月を眺める子ウサギのせいだったのか。
『あなたと友達になっていれば、最高の相手と結ばれた――でも、ダメだったわ』
「……ベンさんは、最高の相手ではないの?」
月を眺める子ウサギは、考え込むような顔つきをした。
『考えようによっては、最高の相手よ。あなたと、アズラエルのようなものだから』
ルナは、返事に窮した。
『あなたと友達になっていたら、出会っていた相手は、あなたにとってセルゲイのような相手。お姉さんのもとに帰れば、グレンのような相手と出会える』
「でも、ベンさんと会っちゃったから……」
『そうね――イマリを待ち受けるものは――』
月を眺める子ウサギは言いかけ、やめた。ぬいぐるみの表情は、ひどく分かりづらい。うさこは、ソファから飛び降りて、銀色の箱の上に立った。
『イマリのことは、もう忘れなさい、ルナ』
「……」
『それどころじゃなくなるわ。あなたには使命がある。イマリ一人に頭を悩ませている時ではないのよ』
ルナがウサギ口をすると、
『ちこたんを呼びなさいな。もう、次の出来事が動き始めている』
そういって、うさこは消えた。
「……」
煮え切らない思いのルナだったが、うさこは消えてしまったので、仕方なくちこたんを呼んだ。すると、めずらしく、メールが入っている。
『今朝、メールが来ましたとお伝えしましたよ。ちこたんは』
「そうだった? ごめん、聞いてなかったかも」
心ここにあらずのルナをよそに、ちこたんがメールを開封した。
「これわ……たいへんだ」
ルナは、ちこたんの前で硬直した。
「たいへんだ――たいへんだ――たいへんだ」
ルナのうさ耳がぴこーん! と勢いよく立ち、せわしなくぴこぴこぴこと揺れ出した。そして、部屋中をぺぺぺぺぺと駆け巡ったあと――すっ転びながら部屋の外に飛び出した。
『どうかしましたか! ルナさん!!』
「たいへんだ! ――アズ! アズ、アズ! あず!!!」
ルナは、屋敷中を、アズラエルの名を呼びながら探し回った。ルナはぴこぴことあちこちをうろつき――トイレも物置もすべて開けて、天井裏まで行ってアズラエルを呼んだ。
『アズラエルさんは、キッチンです!』
「ありがとうちこたん!!」
ちこたんのほうが、捜すのは早かった。アズラエルは、キッチンにいた。バーガスと一緒に、ラークのシチューを仕込んでいるところだった。
「どうした、ルゥ」
キッチンに飛び込んできたウサギを、ラークといっしょに煮込んでしまおうかと思ったくらいには、ルナはうるさかった。
「アズ! たいへんだ!」
「大変の先を言え」
アズラエルは、バーガスと一緒に、K15区で買ってきたワインを飲みながら、大量のジャガイモを剥いていたわけなのだが――。
「パパとママと、ツキヨおばーちゃんが、E353にいるって」
「あ!?」
ルナの台詞を聞いた瞬間、アズラエルは指を滑らせて、じゃがいもが血みどろになった。
傷口を水で洗い、申し訳程度にエプロンで拭き、エプロンも血みどろにしながら、ルナのあとを追って――いつしか追い越して、部屋にもどった。
ちこたんのメールボックスが開いている。そこには一通の新着メールが。
「今朝、けさ、今朝! 来てたの!」
置いて行かれたルナが、ぜいぜいとちこたんのそばまで来て、アズラエルの後ろから、メールを指さした。
「ママから」
件名:ママで~す!
本文:ルナ~♪ ママたち、いま、どこにいると思う?
(E353のスペース・ステーションの写真が二枚)
ジャジャ~ン♪ E353にいます!
(パパとママとツキヨの三人で撮った写真)
ルナたちの宇宙船は、クリスマス前後に着くってインフォメーションのひとが言ってたわ。
今年のクリスマスは、家族と、それからアズ君とで過ごせるかな?
ではでは、E353で待ってま~す!
宇宙船がE353についたら、連絡ちょうだいネ☆彡
アズ君にも、よろしく☆彡 ママより
「アズ君!?」
アズラエルが絶叫したが、ルナはあわただしく言った。
「たぶん、おばーちゃんは、あたしとアズのことを、パパとママに話したんだよ」
もしかしたら、アズラエルに会いたくて来たのかも、とルナは言い、メールを見たまま固まっているアズラエルに、やっと、「――だいじょうぶ?」と聞いた。
「お――おう――」
アズラエルは、かろうじて返事をした。写真に写っているドローレス。アズラエルは、かの「歩く冷蔵庫」――が自分を睨み付けている錯覚を起こしていた。
「アズ。あのね、いますぐ、アズのパパとママに連絡して」
「は? ――なんで」
アズラエルはすっかり冷静さを欠いていた。
「なんでって、アズのママはずっと、ツキヨおばーちゃんを捜してたんだよ!? やっと、E353で会えるんだよ!?」
ルナの主張に、アズラエルはやっと気づいた。
「E353で待ち合わせして、アズのママと、ツキヨおばーちゃんを会わせてあげなきゃ!」
アズラエルの親の傭兵グループが、そしてメフラー商社のメンバーが、E353に向かっている。
再会が叶うのは、エマルとツキヨだけではない。ルナの父親であるドローレスを息子のようにかわいがっていた、メフラー親父も来る。アマンダも、デビッドも。
デビッドとドローレスは、メフラー商社にいたころは、相棒同士だった。ドローレスは、もちろんアダムとも仲が良かったし、ルナの母リンファンと、アズラエルの母エマルは、学生時代からの親友だ。
アズラエルは、ルナの肩をがっしりつかんで、叫んだ。
「おまえが仕組んだのか!?」
「!?」
ルナはうさ耳と首をぷるぷる振った。
「まさか!」
ルナだってまさか、両親とツキヨがここまでくるなんて、思いもしなかったのだ。
しかし、だれが仕組んだのか、見当はつく。どうあっても、ピンクの子ウサギが、ルナを最高級に賢くしたような笑顔で「ふふふ♪」と笑っている気がした。
アズラエルはあわてて、自身の携帯電話のメールボックスを開いた。
オリーヴとアマンダのメールを受信した。彼らも明日、E353に到着する。
アズラエルは、慌ただしく日付を確認した。今日は二十一日――あと二日で、地球行き宇宙船は、E353に着く。
「……」
「あじゅ?」
顔を両手で覆い――「了解」と打っただけのメールを、オリーヴとアマンダに返したあと、アズラエルはふらりと立った。
「ルゥ。予定は明日立てよう。すこし待て。リハーサルを、――いや、気持ちの整理をしてくる」
「……うん」
ルナはぴょこたんとうなずき、アズラエルがふらふら、部屋を出ていくのを見送った。
『アズラエルさんは、どうかしましたか?』
ちこたんが聞いてきたので、ルナは首を振った。
「どうもしないんですよ、ちこたん」
「冗談だろ!?」
「うさこちゃんのご両親が、あのドローレスさんとリンさんだっていうのかい!?」
バーガスとレオナは、屋敷が揺れるほどの大声を上げた。無理もなかった。
「ああ。俺も、最初聞いたときは信じられなかった」
アズラエルは、もくもくとラークのシチューを口に運びながら言った。
動揺のあまり、ジャガイモをほったらかして外に出たアズラエルだったが、ひと気の一切ない住宅街をぐるぐると散歩してくる程度で、動揺は収まったようだ。
ルナがアズラエルの代わりに、山のようなジャガイモを剥いていた。おまけに、アズラエルのワインをちょっぴり拝借していた。
アズラエルは一時間ほどでもどってきて、「しぶい」と文句を垂れているルナのワイングラスを取り上げてジュースを与え、今度はべつの野菜を刻みはじめた。
ラークのシチューは、無事美味しく出来上がって、みんなの胃におさまりつつある。
「ルナちゃんがもしかしたら、軍事惑星で生まれるって可能性もあったわけだね」
「ルナ姉ちゃんが、もしかしたら傭兵だったなんて、想像できないよ」
アズラエルの多少長い説明が終わってから、セシルとネイシャが口々に言った。
「そうだね――その、空挺師団の事件がなかったら、ルナちゃんは、傭兵の子として、育っていたかもしれないんだ」
セルゲイも、感心したように言った。バーガスの秘伝スパイスが加わって、グレードアップしたシチューの味にも、ルナとアズラエルの、奇縁の話にも。
「おまけに、ルナちゃんのお兄さんが、“セルゲイ”だなんてね」
けれど、セルゲイは、嘆息もこぼした。
ルナがかつて、「セルゲイは、あたしのお兄ちゃんじゃない?」と言ったのは、思い付きの台詞ではなかったというわけだ。
しかし、そのころは、ルナも自分の兄のことはくわしく知らなかった。
「でも、セルゲイさんは、ルナちゃんのお兄さんじゃないんだろ?」
セシルが聞き、セルゲイはうなずいた。
「うん。私は、ちょうど空挺師団の事件があったころに、義父さんの養子になった。ルナちゃんの兄ではないよ」
レオナとバーガスが、ちょっとがっかりした顔をしたのを、セルゲイは見ないことにした。
「まあ、ちょっと待て――冷静に。冷静になろう――」
バーガスが焦り顔で言った。
「冷静じゃないのは、あんただけさ!」
バーガスを小突いたレオナも、冷静でないことだけは分かった。
「ドローレスさんとリンさんが来てるってンなら、俺たちも会いてえな」
「そうだよ! あたしたちだって、ふたりには世話になったんだ。懐かしいし――チロルも、見せたい」
レオナも、興奮して叫び、ベビーベッドで眠る娘を見つめた。
「ドローレスさんとリンさんがいなくなっちまったのは、俺たちが二十歳になる前だった」
急にしんみりとした面持ちで、バーガスは言った。
「メフラー親父の手前、そんなこたァ口が裂けても言えなかったけど、もう、亡くなってると思ってたんだ、俺たちは」
それはアズラエルも否定しなかった。メフラー親父だけは、彼らが生きていると信じていたが、ほかの皆は、ドローレスたちを死んだものと思っていた。
あの当時、逃げ遅れて命を落とした者や、つかまった者も数知れなかったからだ。
「でも、――生きていて、ほんとによかったよ。親父さんが、どんなに喜ぶことか」
レオナは、テーブルの上の布巾で豪快に涙をぬぐった。バーガスも、そんな妻の肩を撫ぜるようにして、
「ルナちゃん、知らねえだろうが、ドローレスさんは、そりゃすごい傭兵だったんだぜ」
とまるで自分のことのように自慢気に言った。レオナも鼻息を荒くした。
「そうだよ! 学校のドラフトで、ものすごい数の指名が来て――、でも、ドローレスさんはメフラー商社を選んだんだ。白龍グループじゃ、最初っから幹部の席を用意してたっていうよ」
「ああ。銀龍幇のシュウホウが、――当時は若頭だったが――ドローレスの指名に躍起で。最初から三番目の幹部席を用意してた。でも、ドローレスさんはそれを蹴って、ウチに来たんだ」
「マジかよ!」
ネイシャが驚いて、身を乗り出した。
「ルナ姉ちゃんの父ちゃんって、そんなすごい傭兵なの」
「――ここだけの話」
バーガスは、めずらしく生真面目な顔で言った。
「親父はマジで、ドローレスを跡継ぎにする気だった。――アマンダやデビッドも、それを認めてた」
「そう――あの、事件がなけりゃ――」
レオナの言外には、空挺師団の事件と、バブロスカ裁判のやり直しの事件――アズラエルたち家族もL18を追われた、あの事件があった。
急に食卓が静かになった。
セシルとネイシャもこの事件は知っている。いや、軍事惑星の者なら、知らない人間はいない。
ルナは、事故で亡くなったと言われた兄が、空挺師団の事件で死んでいたなんて、知る由もなかった。
ツキヨも父も母も、ルナには、けっして軍事惑星群の話はしなかったからだ。
そして、バブロスカ裁判のやり直しの一件――アズラエルたちの一家も、軍事惑星外に逃亡しなければならなくなった、あの事件。
アズラエルの祖父母にあたるアダムの両親は、無実の罪で捕らえられて亡くなり、アズラエル家族も、L系惑星群内を転々とした。
ドローレスとリンファンが、メフラー商社のだれにも言わず、姿を消したのは、リンファンのおなかにルナがいるときだった。
第三次バブロスカ革命の、オークスの遠縁だということで、ドローレスの逮捕命令が出されたからだ。
なんとなく、ルナはこの席にグレンがいなくてよかったと思った。今日は、エーリヒとジュリ、ミシェルとクラウドもいない。
ここにいる皆はグレンを責めたりはしないだろうが、グレンが居心地の悪い思いをすることぐらいは想像できた。
空挺師団の事件も、アズラエルたちが追われる原因になった事件も、すべてドーソンが企んだことだ。グレンがしたことではない。だが、そのことが原因で、アズラエルとグレンはかつて、一触即発になったこともある。
けれども、グレンの父バクスターが、ルナたち親子を助けてくれた。ほかの星に逃亡する手助けをしてくれたのだ。
彼がそうしてくれなかったら、ルナは今、ここにいないかもしれない。
これもたしかに、奇縁だろう。
ルナは、楽しそうな顔で、ルナの知らない両親の話をするバーガスたちを、複雑な顔で見つめた。




