280話 バラ色の蝶々 Ⅰ 3
(ドーナツ……)
ルナは決意した。
(今日のおやつは、ドーナツにします)
「ただいま! 今日のおやつなに? ――あれ? これ、アイアン・ハート?」
ミシェルも真砂名神社から帰ってきて、ルナと同じことを言った。
「ミンシィじゃない」
「ちがうちがう。コイツはアンの曲さ」
「だれ? だれか新しくカバーしたの?」
ミシェルとレオナ、セシルの間で、聞き覚えのある会話が繰り返された。
(そろそろピエトやネイシャちゃんも帰ってくるころだし――アンの真似をして、ドーナツを揚げます)
今日は日曜日。午後三時も過ぎて、屋敷内にはだいぶひとがいる。
セシルとレオナに、エーリヒにセルゲイ、ミシェルもはやく帰ってきたし、アズラエルも自室にいた。ふたりの子どもが帰って来れば、おやつおやつと騒ぎだすだろう。
(今夜はニックとベッタラさんも遊びに来るってゆってたし――夕飯は、どうせお酒のおつまみになっちゃうから――バーガスさんといっしょにつくることにして――子どもの分はカレーとか――)
ルナが夕食のメニューを考えていると、「虹色ドーナツ」の歌詞で盛り上がっていた女三人の目が、ルナに向いていた。
「ルナあ、ドーナツ食いたい。つくって」
「うん」
ルナがめずらしく、失敗なしでつくることができるおやつ。このあいだつくったドーナツはなかなか好評で、揚げるそばから子どもたちとミシェルに食べられてしまって、跡形もなかった。
まるで、さっき読んだアンのエピソードといっしょだ。
「やった! ルナちゃん、ドーナツつくるの。じゃあ、並ぼう」
先日ドーナツにありつけなかったレオナが、すでにキッチンに自分の席を用意していた。
「あたし、手伝うよ」
セシルもいそいそとエプロンをつける。
「小麦粉出すね。あと、卵と牛乳でしょ」
ミシェルが材料を用意し始める。
「今日は、できるだけいっぱい作りますよ!」
ルナが宣言してエプロンをつけはじめたところで、アズラエルが呼びに来た。
「ルゥ」
ルナはぴょこたんと振り向いた。
「クローゼットの中、光ってるぞ」
アズラエルはうんざり顔で言った。ルナは小麦粉と卵を放り投げて、自室に走った。
「ルナーっ! ドーナツが先~!!」
「ZOOカードが先です!!」
おなかすいたよー! と叫ぶミシェルの地団太をよそに、ルナは階段をいっしょうけんめい駆け上がった。
途中でアズラエルに捕獲され、自分で走るより早く自室にたどりついたウサギは、ぺっと放り出されてから、猛然とクローゼットを開けた。
「?」
「……ン?」
アズラエルも首をかしげてのぞき込んだ。ZOOカードから、音楽が流れているのだ。
――この曲は、まぎれもなく、「バラ色の蝶々」だ。
「!?」
ルナはぺぺっと自室のドアを開け、階段のはじまで行って、大広間を見下ろした。だが、音楽はかかっていない。それもそうだ。レオナが部屋でゆっくり聞きたいというので、さっきCDラジカセから出した。
ルナはぴこぴこと走ってもどり、ZOOカードの箱をクローゼットから取り出した。銀色に光る箱からは、たしかに、さっきまで聞いていた「バラ色の蝶々」のメロディが。
ルナがおそるおそる箱を開けると、キラキラと、たくさんの蝶々が、星とともに飛び出してきた。音楽はますます音量が大きくなり、ジャータカの黒ウサギと、導きの子ウサギが、ダンスしながら現れたではないか。
「ふわ!?」
ルナが呆然と眺めていると、二羽のウサギは、声をそろえて歌い始めた。バラ色の蝶々のメロディに合わせるように。
“忘れないで。忘れないでルナ。あなたが持っているチケットは、とても大切なものよ。”
“三枚のチケット。だいじなチケット。一枚は、「傭兵のおおきなクマ」に。”
「ようへいの……おおきなくま?」
ルナが首をかしげたところで、クラウドが背後にいたので、ルナは飛び上がるところだった。
「メモはいらないよ、ルナちゃん。俺がいるから」
“一枚は、「誇り高き母ライオン」と、「お茶目なペンギン」さんに。”
“最後の一枚は、「月夜のウサギ」と「バラ色の蝶々」に。”
「つきよのうさぎ!!」
ルナは叫び、「ルナちゃん黙って」「黙れ、ルゥ」と両方から怒られた。ルナはふて腐れた。
“忘れないで、忘れないで。チケットをだれにもあげちゃダメ。たいせつなチケット。たいせつな五人のためにあるの。三人が乗ってもどうかひと席あけておいて”
“可愛い子ワニが蝶々を待っている。”
“可愛い子ワニが蝶々を待っている。”
最後のフレーズはリピートされた。二羽のウサギは、歌に合わせて踊りながら、消えていく。ウサギが消えるのと同時に、音楽も止んだ。
銀色の光も、吸い込まれるように消えた。
「アズ! つきよのうさぎって――」
「あいかわらず、おまえのアタマの中身みてえな奴らだな」
「なんだと!!」
ルナは叫んで、アズラエルをぺけぺけした。アズラエルは暴言の罰として、一番焦げたドーナツを寄越された。
いったい、クラウドはどこから現れたか知らないが、屋敷内にいたらしい。
猫舌のくせに揚げたてのドーナツが好きな子ネコは、やはり子どもといっしょにルナの周りに張り付いていた。今回は、ルナが宣言した通り余分に生地をつくったので、おとなたちの口にも無事入った。
「揚げたておいし~い!」
「ルナ、もういっこ!」
「あたしも!」
「じゅんばんね、じゅんばん!」
黙っていれば、揚げたそばから食べてしまうので、ルナはいっしょうけんめい大人の分を確保した。
もちろん、自分の分もだ。
猫舌ライオンのクラウドは、ドーナツが適温に冷めるまで待つことを余儀なくされたが、同じライオンのアズラエルは、ネコの舌をどこかに置いてきたヤツなので、焦げたドーナツを平らげたあとは、クラウドの分をちょろまかしていた。
エーリヒは、揚げたてのドーナツははじめてのようで、まるでタカのクチバシのように、ツンツンとフォークでつつきまわし――やがて、ナイフまでつかって優雅に食べはじめた。
クラウドは、ドーナツが冷めるのを待ちながら、思案していた。もちろん、さっきのZOOカードのことだ。
(チケット――宇宙船のチケットのことか?)
これから宇宙船に乗る人間のことを示唆しているのか。
「傭兵の大きなクマ」はおそらくアズラエルの父、アダム。これはZOO・コンペティションのとき、名前が出た。
(アダムさんにチケットが――)
だが、不思議なのは、チケットは「五人のためにある」というところだ。
チケットは、ペアである。つまり、六人乗れる状態なのに、必要としているのは「五人」。そして、「三人が乗っても、どうかひと席あけておいて」。
傭兵の大きなクマ――つまり、アダムに「一枚」。
ほかの二枚はペアで名前が出ているが、アダムの分だけは、「一枚」。
(いったい、どういう意味だ?)
そして、「月夜のウサギ」は、もちろん、アズラエルの祖母で、ルナの近所に住んでいたツキヨだ。
(ツキヨさんに、チケットを?)
だが、ツキヨにチケットが贈呈されたとしても、八十歳近い老女が、L77から宇宙船が停泊している星までくるには、相当の日数がかかる。
とてもではないが、四ヶ月以内に来ることは無理だろう。
来年の三月には、今期の船客の受け入れは締め切りになる。四月一日以降は、あらたな船客の受け入れはない。――間に合わないのではないか。
クラウドは首をかしげた。
そして、不明なのは、「誇り高き母ライオン」と「お茶目なペンギン」。
なんとなく想像できるが――ライオンのほうは――それよりも、クラウドがもっとも気になったのは。
(バラ色の蝶々)
大広間で流されていた曲は、クラウドも聞いていた。彼は、バンクスの本を開き、アンドレアの章をななめ読みしながら、コーヒーを際限なくかき回した。
(まさか――アンドレアは、生きているのか?)
いつのまにかグレンも帰ってきていて、セルゲイから分け前をもらっていた。クラウドの皿に、ドーナツは最早なかった。ミシェルとアズラエルが、すっかり片づけていた。
「ただいま~、いい匂いだな。――お!? ドーナツか!?」
バーガスが大喜びで、ルナに揚げたてをもらい――それが、最後の一個だった。
クラウドがはっと気づいたときには、ドーナツの配布は終了していた。
「俺のドーナツは!?」
皿に、冷ましておいたはずのドーナツがない。
――クラウドのテンションは、夕食まで、下がりっぱなしだった。




