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キヴォトス  作者: ととこなつ
第一部 ~時の館篇~
68/927

34話 ルナ Ⅲ


 ルナは、表紙を閉じた。


「いやあ、留守にしていてすまんね」

 店主がもどってきた。

「おや、ルナちゃんか。きのうは悪かったね」


「ううん」

 ルナはすかさず本を突き出した。

「これをください!」


 悲劇の女性アランに、少年空挺団の少年、アンドレア――。

 おにいちゃんは、空挺師団にいたのだろうか。

 そして、バブロスカ革命。

 この本は、第三次バブロスカ革命の本。

 第三次と言うことは、一と二もあったということだ。


 ルナは本を抱え、足早に、椿の宿までもどった。


(おにいちゃん)


 ルナは、自分の両親のことをまるで知らないことに、唐突(とうとつ)に気づいた。


 ルナはL77で生まれ、L77で育った。それはたしかだ。


 ルナには十一歳年上のお兄ちゃんがいたそうだ。いたそうだ、というのは、ルナはそのおにいちゃんとやらを見たことがないからだ。写真ですらも。

 事故でなくなった、というのはリンファンの母、つまりおばあちゃんから聞いた。


 そういえば、親戚らしい人々も、近くには住んでいなかった。

 ルナの母の両親、祖母や祖父はまだ健在だったが、生まれてこの方、三回ほどしかあったことがない。ルナの両親にもきょうだいはいるそうだが、そちらも会ったことがない。叔父叔母、むろん、いとことやらにも。


 ルナは、L74に住むリンファンの父母には会ったことはあるが、父ドローレスのほうの家族には会ったことがない。父の実家がどこにあるのかも知らなかった。


 そしておそらく、母リンファンの実家も、L74でないことだけは、わかっていた。


 滅多に会えないともなれば、おじいちゃんおばあちゃんはルナに優しかったし、何でも買ってくれた。ルナは母方の祖父母が大好きだったし、両親と祖父母の仲が悪いわけでもなさそうだったのに、なぜ三回ほどしか会った記憶がないのだろう。


 祖父母はL74の田舎でちいさな定食屋をやっている。彼らは忙しいから、というのが母の言い訳だったが、それでも、ルナたちが来ればいつも歓迎してくれた。


 それなのに、なぜだったのだろう。

 よく考えれば、家族はあまりにあいまいなところが多かった。


 一度だけ、兄のことを母リンファンに(たず)ねたら、彼女は号泣した。

 それ以降、ルナは兄のことをだれにも聞けずにいた。事故で死んだと言うけれど、きっと、母のキズは治っていないんだ、と思ったら聞けなかった。

 父親にも聞けなかった。


 両親の結婚式の写真もない。ルナが生まれるまえに、L77に引っ越してきたというのは知っていたが、その前にどこにいたのかは分からない。


 そういう話を、極力(きょくりょく)、両親は避けているような気がした。


 父ドローレスは、大きなデパートで服飾の部署の部長で、ふつうのサラリーマンだ。ルナとは似ていない。プラチナブロンドで、背が高く、授業参観に一回きてくれたときは、かっこいいと女子のあいだで評判になったことがある。無口なほうだが、ルナには優しくて、甘いほうだと思う。


 亡くなったというお兄ちゃんは、父親に似ていたという。だからルナは、見たことがないお兄ちゃんを、父の顔で想像していた。


 ルナは、母リンファンに似ているとよく言われた。母もふつうの母である。近所のお弁当屋さんでパートをしている。ケーキが好きで、「また太っちゃった」が口グセのわりに、いつも食べすぎる、ふつうのおばさんだ。


 どこからどうみても平々凡々の両親だった。


(傭兵、だったなんて)


 ――でも、両親は、すごく「普通」にこだわるところがあった。


 目立つのを、ものすごく嫌った。今から思えば、それは目立たないように、平凡に見えるように、という気持ちの表れだったのか。L77の生活に馴染(なじ)めるよう、懸命に努力しているような。


 ルナが、今回地球に行きたいと言ったとき、母がすごく気にしていたことがある。そのときは深く考えなかった。両親はもともと、とても過保護だったから。


「だって、その宇宙船って、いろんなところからいろんなひとが乗ってくるんでしょう?

 なんだか危ないじゃない。――ほら、軍事惑星からもくるんでしょう? 軍人なんて、怖いじゃない、ねえ?」


 父親はむすっとしたまま、「ちょっと考えさせてくれ」と言った。

 ルナは、この反応は当然のこととして受け止めていた。過保護な両親のことだ。地球行きも反対されるだろうなとは踏んでいた。


 ふたりを説得してくれたのは、ツキヨおばあちゃんだった。ツキヨおばあちゃんは地球行き宇宙船のことにくわしく、ふたりの質問にはなんでも答えた。


 宇宙船が、L5系以上に警備に厳しく、危ないことは起こらない。軍事惑星出身者とルナたちの住む区画は離れていて、よほどのことがなければ会うことはない。ルナたちが住む区画は、ルナたちと同い年くらいの人たちで固められる。

 すぐ帰ることもできる。しかも、役員がちゃんと一緒に来て、自宅まで送ってくれる。


 それに納得して、最終的に両親は承諾してくれたのだ。

 出発する日になったら案外あっさりしたもので、「いってらっしゃい」だけで送ってくれた。


 一応まめにメールは送っていた。返事もろくになかったけれど。

「元気だったらいいのよ」と。

 あんまりあっさりしすぎていて、拍子抜けしたのは覚えている。


(パパは)

 ルナはふと思った。

(パパが食べ物に困ったのって、軍事惑星から逃げてくるときだったのだろうか)

 

 ルナはもう一度来るといったアンジェリカを待ったが、アンジェリカもアントニオも、訪れなかった。

 アンジェリカとの約束では、もう一泊していくことになっている。最終日の宿泊費はアンジェリカが出してくれたので、帰るわけにもいかず、ルナはそのまま読書と決め込んだ。


 半日かけてバブロスカの本をすっかり読みきってしまったあと、最終的に「ムキャー!」と絶叫して、バッグの中にしまいこんだ。


 ルナは気分転換に、散歩に出かけた。


(アズは、あたしのパパとママが傭兵だって知ったら、びっくりするかな)


 そもそも、こんな話をしたところで、信じてくれるだろうか。

 自分自身も、まだ半信半疑なのに――。


 ルナはマフラーに首を埋めたまま、もふもふと口を動かし、盛大なくしゃみをした。

 そして携帯電話を見た。

 ミシェルやレイチェルからは毎日のようにメールがくるが、アズラエルからは電話もメールもなかった。


(アズ……)

 




 その夜の夢は、時の館からはじまるものではなかった。

 めのまえに、ドアもなかった。

 ルナは、アパートの廊下にいた。


(あれ? ここは)


 ……L18の、アズラエルたちが住んでいた、赤いアンティークのアパートだ。


 廊下はひどく静まり返っている。妙に()びついた感じがするのはなぜだろう。

 それもそのはず――アパートには、だれも住んでいなかった。どの部屋にも、どこにも、だれもいない。ドアが開けっぱなしで、ゴミが廊下に散乱していた。ぬるい風が吹き抜けていき、カラッポのビール缶が音を立てて転がっていく。


 ルナは、ひとつのドアのまえで止まった。

 十五号室。アズラエルの家族が住んでいた部屋だ。


「もう、だれも住んでいないね」


 声がした。来た方を見ると、セルゲイがいた。スーツ姿だ。まるで、先日見た夢のプラネタリウムからワープしてきたみたいだった。


「さびれているけど、そのうちここにはアダムさんたちが入る。アダム・ファミリーの正式なアジトとして、つかわれるんだ」


 セルゲイは、なにもかもを分かっているような言い方をした。


「開けてみよう」


 十五号室のドアを開けると、そこは覚えのある部屋だった。だが、アズラエルたちの部屋ではない。

 海が見える位置に建てられた高級マンションの七階。カアン、カアン、と工事の音が聞こえる。


「なつかしいでしょ」

 セルゲイが微笑んだ。


 ――そうだ。


 ここは、ルナが“ルーシー”だったころに建てた物件。地球行き宇宙船の――K19区。ガソリンスタンドの裏のマンション。

 当時、あまりに多忙で、どこにも逃げ場のなかった彼女の、ジェットコースターのような生を駆け抜けたルーシーの、たったひとつの安らぎの場所だった。


 “ルーシー”は、ルナの前世のひとつだ。


 セルゲイは、ドアを閉めた。


「ルナ、あたらしい生がはじまったんだよ」

「――え?」


「ルナ?」


 懐かしい声がした。セルゲイに手を引かれ、ルナは歩いてくる男を見て、声をあげかけた。


 ……アズ!


「ルナ」

 軍服姿のグレンが、うしろから歩いてきていた。

「グレン」

 ルナは名を呼んだ。グレンは優しい笑みを浮かべた。

「おまえのなかでは、もう決まってるんだろ?」


 彼は、表情と同じ優しい口調で言った。ルナはグレンを見、それからアズラエルを見――セルゲイを見た。

 セルゲイは、つらそうな顔をしていた。


「セルゲイ、終わったはずなんだ」


 グレンがしずかに言った。アズラエルは黙って、セルゲイを見ていた。

 セルゲイは、ルナの肩を抱いたまま、放そうとしなかった。そして、アズラエルに向かって言った。


「君は、また同じ間違いを犯すつもりか?」

「それはおまえも一緒だ」

 アズラエルが苦しげに言った。

「俺たちは同じだ。くりかえしてきた。だが、もう終わった」


 ルナを開放しろ。

 アズラエルは言った。


「おまえは兄でありながら、俺をルナに()きつけた。まだ分からないのか、ルナを海に失っても。俺に殺されても、何度も。おまえは間違いを繰り返すのか。ルナを閉じ込め、手元に置いて、苦しめるのか。ルナも、……自分をもだ」


 ……兄?

 ……海?

 なにを言ってるの。

 海なんて、しらない。


「私はただ、ルナを守ろうとしただけだ。妹を、“兄”として――」


 セルゲイは、ルナに優しく微笑んだ。


「おまえは、どこかに行きたいの?」


 ルナは、分からないように首をかしげた。


「私から、離れたいの?」


 そうじゃない。

 ルナは思った。でも、どういっていいか、分からない。

  離れたいわけじゃなかった。

  ただ、――ふたりきりは寂しかっただけだ。


  セルゲイは、困り顔で微笑んだが、「そうか」と言った。


「もう大丈夫なんだね、おまえは。アズラエルもグレンも、怖くない。寂しかったのは、私なのかもしれないね。――おまえがいなくなることが、いつでも不安だった」


 ルナの手を、セルゲイは離した。


 ――百三十年前、“アレクセイ”が、“ロメリア”の手を、離したように。


 そうして、そのときに、“アシュエル”は、ロメリアを守って死んだ。アズラエルははじめてルナより先に死ぬことができた。アズラエルはもう、ルナをその手にかけることも、死を見つめるだけだということもなくなった。

 “グレン”も解放された。

 グレンはもはや、父とその一族に縛られることはなくなった。


 呪いは、解けたのだ。


「うさちゃん」


 導きの子ウサギが、人間の姿をしてルナのめのまえにいた。ルナの道案内をしてきた子ども。いつかまた、出会う子ども。きっとそのうち、出会う子ども。


「いまに、それがわかるよ」


 導きの子ウサギは、そう言って微笑んだ。

 その声に呼応(こおう)するように、セルゲイも、ルナの背を押した。


「……行きなさい、ルナ」


 ルナは走った。

 なぜか、足に羽が生えたように身軽だった。


 いや、足ではなくて、ほんとうに羽が生えていたのだった。七色の鳥の羽みたいな耳が付いたウサギ。見たことのない形だ。そんなウサギが、ルナと並走(へいそう)するように駆けていて、いつしかルナを追い越し、かなたに消えていった。


 ルナは走った――ウサギの背を追うように。


 アパートの廊下を走り、なぜか突きあたりだったはずの壁にあった階段を下る。階段の下は、草原が広がっていた。


 大きなお城。その塔のてっぺんから、羽ばたくようにこちらに飛んでくるお姫様。


 ルナは受け止めようとしたが、彼女は微笑んで、透明になって消えた。


 たくさんの人とすれ違った気がした。


 ラクダと一緒に砂漠にたたずむ少年、病弱そうに見える貴婦人、子どもっぽいしぐさのお姫様、不思議な衣装を着た、大柄な男の人――黒いボアのスリッパをはいた、女の子。


 草原から、街並みへ。砂漠へ、そしてお城に、大きな館。


 いつのまにか、黒いタカを肩に乗せた男の人が、ルナと並走していた。彼の顔は、フードに隠れて見えない。

 彼はルナの前を横切って、どこかへ消えた。


 ガソリンスタンドのある田舎町を抜け、絵を描いている美しい女の人の横を通り過ぎた。


 新たな街並み。とてもにぎやかだ。

 小さなレストランの窓から、少年が手を振っていた。


 古い街並みを抜け、煉瓦(れんが)の道をひた走りに走ると海が見えてきた。


 灯台。

 ――この海。

 ルナは知っていた。


 目の前の海は、確かに青だった。(みどり)がかった、鮮やかな青。それはグラデーションによって地平線の彼方は群青、間近に打ち寄せる水は濃く深く、下が見えない。たまにこんな荘厳な光景に目を奪われることがある。岩肌に打ち寄せる波は白いしぶきだ。浅い個所(かしょ)では散らばった石が見える。


 遊ぶには不向きな海。この海は砂浜がながくつらなる海水浴用の海ではない。周りはわずかな砂浜はあっても岩場ばかり。高低差が激しく、底が見えないほどの深さが間近にある。


 弟のような幼い子どもにも、また自分にとっても危険な海だった。美しいばかりではない。


 美しいばかりではない。


 ――ルナ!


 アズラエルの声がした。


 ――頼む、俺が悪かった! 俺が……!

 お願いだ、もどってきてくれ!

 ――姉さん……!!


 ルナ!! どうして……!


 グレンの声も聞こえた。


 俺と結婚するのがそんなに嫌だったのか、そんなにこの弟が良かったのか!?


 ……そうじゃない。ルナは思った。

 この海に飛び込んだのはだれだ。

 最初に飛び込んだのは、セルゲイだった。


 ――-愛してるよ、ルナ。私の妹。


 ルナは、海めがけてまっすぐに飛び込んだ。

 深い海。息は苦しくなかった、まるで、息ができる宇宙だ。

 

 ルナは、水から上がった。

 太陽が上がっていた。

 ルナの周りから水が引いていく。

 ルナの立っているところは砂浜だった。


 季節は移り変わる、時代も移り変わる、過去の出来事。

 はるかな昔、前世の出来事。

 あれは、地球の海か。

 美しいばかりではない、美しいはずだった、本当は美しいはずだった海は。


 海は。


 ルナのめのまえを、たくさんの海が、よぎっていった。同じ海に見えたが、どれもちがうのだった。


 夕焼け色、朝やけ色、台風の海、雪空の海、――常夏(とこなつ)の海。


 ――楽園の島。


 ふたりの青年と、頑丈(がんじょう)そうな壮年の男が見えた。

 船を修理している。

 そのうちの、褐色の肌の青年と目が合い、ルナは微笑んだ。

 景色は、あっという間に消えた。


 緑碧の海、群青の海。


 目の前の海は、確かに青だった。碧がかった、鮮やかな青。それはグラデーションによって地平線の彼方は群青、間近に打ち寄せる水は浅く、遠くに地平線が見える、夕日が沈む姿は美しかった。


 たまにこんな荘厳な光景に目を奪われることがある。寄せては返す波を、兄や弟、婚約者と何度追ったかしれない。遊ぶには絶好な海。この海は砂浜が長くつらなる海水浴用の海。


 ――みんなで、よく貝や(かに)をつかまえた。


「ルナ、暑いから中に入れ」

 グレンの声がした。


「ルナ。そっち行っちゃ危ないよ」

 セルゲイの声がした。


 アズラエルがそっと、白い貝殻を手にのせてくれる。


「暑いから、皆のところにもどろう、……姉さん」


 ――暑い、夏だ。

 台風が来る、あつい、夏。


 ――ねえ。みんなで、地球の海にかえろ?





 ルナは、目覚めた。

 涙が、つぎからつぎへとあふれてくるのだった。


(あれは)


 地球行き宇宙船に乗ってから見続けているあの夢は、前世の夢だったのだ。


 ルナと、アズラエルと、グレンと、セルゲイを取り巻く悲しい宿命。

 太古から続く、四人の、輪廻転生の物語。


 ――はじまりの、物語は。


 はじまりは、地球だった。





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