278話 四人のエルピス 2
「ペリドットさんの話によるとね」
セルゲイは、ポタージュ・スープの鍋から臭う、ポタージュではない臭いに戦慄しつつ、見ないふりをして話をつづけた。
「今回は、必要だったからイシュメルをリカバリさせたけど、あまりにルナちゃんとイシュメルはちがうから、本来ならリカバリしちゃいけない前世らしい」
私もよくは分からないが、とセルゲイは首を傾げた。
「だから、ルナちゃんとイシュメルを引き離すって」
「それって、離したりくっつけたりできるもんなのか」
「できるんだろうね。イシュメルは石室から蘇ったから、もういいんだって。あとは自由にさせておいた方が、ルナちゃんにもイシュメルにもいい。いつでもイシュメルは、ルナちゃんたちを助けに来るってさ」
「――そのほうがいいな。俺たちも落ち着かねえ」
セルゲイとの会話は、おだやかに締めくくられたが、夕食はおだやかではなかった。
今日の夕食は、レオナが作った野菜炒めという名の、イカと玉ねぎしか入っていない、ずいぶんしょっぱめの野菜炒めに、セシルがつくった生臭いポタージュ・スープ。
イシュメルの魚の丸焼きに、セシルが今朝つくった、妖怪十個目玉の残りだった。
アズラエルが出る幕はなかったのだ。すでに存在感のある魚の丸焼きが、テーブルに鎮座していては。
みんなはバーガスが早く退院して、ルナとイシュメルが引き離されて、おいしい料理が食卓に乗るようになることを、真剣に願った。
「ルナとミシェルは、外出中だ」
アズラエルが不機嫌そうに言った。ララの秘書のシグルスは、
「そうですか――残念ですね。ララ様に、そうお伝えします」
と、ちっとも残念そうではない顔で言った。
ララは、このあいだの「地獄の審判」で、ミシェルもルナも怖い思いをしただろうから、それを慰めるために、もてなしを用意したというのだが――。
「椿の宿で、ペリドットに分解されてる」
「分解?」
シグルスは不審な顔をしたが、アズラエルはそれ以上説明をしなかったし、シグルスも求めなかった。
「……で?」
「で? なんです?」
シグルスは、澄まし顔でソファに座って、コーヒーを喫している。
「おまえはなんで、帰らねえ」
「今来たばかりの客を、すぐ追い出すんですか、この家は」
シグルスは、すっかりソファに尻を縫い付けていた。アズラエルは追い返すことをあきらめた。
「実に美味しいコーヒーです。どなたが?」
「あたしだけど――?」
レオナが手を挙げると、
「こんな美味しいコーヒーは初めて飲みました。あなたの指先は芸術家のようだ。こんなコーヒーの調べを生み出せるなんて――」
クラウドがコーヒーを吹き、アズラエルは噎せた。
「……さっき買って来た、モンブランだけどね」
レオナは、シグルスだけに、ケーキを出した。そして、いそいそと、カップにコーヒーを注ぎたした。
「おい、俺には?」
アズラエルは抗議したが、レオナは鼻を鳴らした。
「ケーキは真っ正直な言葉と引き換えだよ!」
予期せぬ横やりに、クラウドは新聞をコーヒーで汚したが、読む分には差し支えなかった。
「オルドが」
クラウドは、コーヒーが飛んだ紙面を隠すように軍事惑星群の新聞をたたみ、L03の新聞に手を伸ばした。
「ええ――あなたとララ様の慧眼が、証明されたということでしょうね」
三人が注視しているのは、今朝の軍事惑星群とL03の新聞のトップを飾った記事だった。
『サルーディーバ、無事救出――』
大々的な見出しは、どちらの新聞も、ほぼ変わりがなかった。
サルーディーバの無事が確認され、王宮も崩壊することなく、王都の混乱は鎮められた。
アーズガルドの特殊部隊と、王宮護衛官が、王宮側から――王都の外のL20の軍と連携し、一気に王都を封鎖していた原住民の連合軍を打ち破り――王都の治安をよみがえらせた。
一時はサルーディーバの命さえ危ぶまれたが、王宮を出ることなく、病と栄養失調も癒え、飢えに苦しんでいた王宮内の民も救われた。
王都の治安は、取り戻された。
「サルーディーバ救出の指揮を執ったのは、オルド・K・フェリクス率いる、アーズガルドの特殊部隊――」
クラウドは新聞を読み上げた。
「大活躍じゃねえか」
アズラエルも、どこか嬉しげだった。もと傭兵だったヤツが活躍するのは、同じ傭兵として、嬉しい。
おまけに、これが載ったのは、軍事惑星の新聞だけではない。トップ記事ではないとはいえ、かなり大きめの紙面で、L系惑星群全土の新聞に載っているのだ。
(オルド)
クラウドも、高揚を抑えきれなかった。オルドが成し遂げた業績を考えると、胸が弾み、悪い方ばかりに考えていた軍事惑星の未来にも、希望が見えてくるような気がするのだった。
(パンドラの箱の底に残った、希望みたいなものだな)
だが、クラウドの心中にあるのは、浮かれた高揚だけではない。
新聞にあったとおり、今回のような事態――王都に原住民が押しかけ、ついにサルーディーバの命まで危うくなる状況を招いたのは、ガルダ砂漠の戦争が一因と言っていい。
あの戦争のために、L03と軍事惑星群とのあいだにできた信頼の亀裂は、根深いものだったのだ。
マリアンヌの最期は、どんなルートをたどったか知らないが、L03の民にも周知された。
L03は、軍事惑星の残虐さに戦慄し、おびえた。
たしかに、L03の予言のせいで軍事惑星の将兵に多数の犠牲者が出たが、マリアンヌの予言ではない。
そして、マリアンヌが受けた仕打ちのむごさ――。
王宮護衛官は、軍事惑星を信頼せず、なんとか自分たちだけの力で王都を守ろうとした。
それゆえに、王都外にいるL20の軍に、救援要請をもとめるのが遅れた。結果、原住民が王都の奥深くもぐりこみ、内側から王都を封鎖し、取り返しのつかない状況を招いたのである。
そして。
(オルドにとっては、ここからが正念場だ)
この華々しい活躍を、傭兵差別主義の軍人たちはどう見るか。
オルドの立場の微妙さが、これから揺さぶりをかけてくるだろう。
「オルド・K・フェリクス」という傭兵の名と、「ヴォールド・B・アーズガルド」という貴族軍人の名のふたつを持つ彼の立場の、微妙さ。
それが、オルドを守る盾となるのか、足元を突き崩す災厄となってしまうのか。
アーズガルドでも、ドーソン寄りの人間は、多数監獄星行きとなったから、家の力自体は落ちたが、強硬な傭兵差別派は少なくなっただろう。それでも、皆無になったわけではない。
アーズガルドの軍内でも、オルドに対する評価は上がるだろうが、圧力は強くなるかもしれない――。
(オルドはおそらく、傭兵とアーズガルド軍部のあいだに立たされることになる)
クラウドが、オルドのほかに、最近注目している人物がいる。
それは、フライヤ・G・ウィルキンソンという、エルドリウスの妻になった女性だ。
(まさか、ほんとうに、もと傭兵だなんて)
出自は巧妙に隠され、新聞には載らない。だが、「もと傭兵」だというウワサがある。
その噂が真実だと分かったのは、なんのことはない、セルゲイとした、世間話からだった。セルゲイはエルドリウスから、直接聞いていた。元傭兵の女性を妻にもらったと。
グレンもそばで聞いていたから、たしかだ。
(もと傭兵の、貴族軍人――しかも、エルドリウスの妻)
ミラ首相の秘書室にいるということは、カレンがL20に到着したら、かならず会うことになるだろう。
辺境惑星群の歴史や風俗にくわしく、専門家も舌を巻くほどだという。
彼女は、おそらく、辺境惑星群に翻弄されているL20の「希望」だ。
フライヤが立案した作戦で、長年いくさが絶えなかった原住民との、平和協定が結ばれた。L18も手を焼いていた地区だ。
あまり大きな記事ではなかったし、フライヤの名ではなく、指揮官のサスペンサー大佐の名が大きく取り上げられていたが、クラウドには、急にL20に現れた新星が、どうも気になっていた。
(パンドラの箱の“エルピス”となりうるか?)
エルピスとは、地球時代の古語で、「希望」とか、「予兆」などの意味を持つ。
(だとしたら、L19の“エルピス”は)
クラウドはアズラエルを見た。
(アダムさんは、おそらく、バラディアさんの要請には応じないだろうが)
「アーズガルドの特殊部隊が救ったのは、サルーディーバほか、王宮護衛官のみではない。軍事惑星とL03の絆をもだ。ガルダ砂漠以降、L03が軍事惑星に抱いていた不審をも、彼らは拭い去っていった――ちょっと、おおげさに書きすぎじゃねえか」
アズラエルは新聞を読み上げ、苦笑した。クラウドは、考えごとの最中だったこともあって、生真面目に首を振った。
「俺は、大げさだとは思わないよ。それに、これは、L19の新聞だからね――ロナウドとアーズガルドは協力関係にある。アーズガルドに好意的な書き方はするさ。見なよ、L18の記事を。オルドはメチャクチャに叩かれてる――傭兵風情がって」
L18の新聞は、この作戦を「一介の傭兵」である、オルドに、作戦を主導させたピーターをもこき下ろしていた。ピーターの無能さを、これでもかと羅列した記事がすごい。




