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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~羽ばたきたい椋鳥篇~
673/942

277話 プロメテウスの墓 3


 ――ケヴィンたちが、無事、バンクスと、感動の再会を果たしているころ。


 地球行き宇宙船の出口に、ひとりの男が(たたず)み、ゲートが開くのを待っていた。


 見送る人間はひとりもおらず、担当役員もいなかった。

 それも当然だった。彼はだれにも降りることを告げずに、ここにいる。


 別れのあいさつなど、そんな気色悪いものは、ロビンには必要ないし、盛大なお見送りも、いらない。

 ミシェルに別れを告げられないことが、多少心残りではあったが。


(この宇宙船で、しあわせに暮らしてくれ、マイハニー)


 唯一、すべての女と自由を捨てても、捕まってもいいかなと思った女性。

 だが、ロビンはL18に、ミシェルを連れて行きたくはなかった。彼女には、平和な場所で、しあわせに暮らしてほしい。


(俺の宝石(ジュエル)


 クラウドに知れたら、つかみかかられそうなセリフを吐いて、ロビンはミシェルに脳内だけでキスをした。


 ボストンバッグに、すこしの着替えとパスポート、財布。

 そして、写真の切れ端を持って、ロビンは旅立とうとしている。


『L系惑星群L80いきのL355便、搭乗ゲートが開きました』


 ゲートが開いた。

 ロビンはまったくあとくされなく、廊下を、まっすぐに、出口に向かって歩こうとした。


「ロビン」


 ロビン以外の人間がいない構内で、ロビンは名を呼ばれて振り返り、さすがに驚いた。


「エミリ」


 どうして、エミリが?


「驚いたな。どうして俺が、降りることを知った」


 ロビンが降りることを知っているのはヴィアンカだけ。ヴィアンカは理解してくれた。ロビンがだれにも別れを告げずに、宇宙船を降りたがっているのを。


「そんな気がしたの」

 彼女はトランクを持っていた。悲壮な顔とは正反対に――彼女は、いつもの気軽さで言った。

「いっしょに行ってもいい」


 ロビンは肩をすくめた。


「エミリの自由にしな」


 俺は、だれも、縛らねえよ。


 エミリはやっと、顔をほころばせた。ロビンが黙って回廊を歩いていくのを、小走りで、追っていく。

 ふたりの姿は、やがて回廊から消えた。


 ――その日の宇宙船降船者は、記録によると、二名である。

 ロビン・D・ヴァスカビルには同行者がいた。それは間違いない。


 椋鳥は発った。

 ――王になるために。





 ロビンがふたたびプロメテウスの墓のまえに立ったのは、宇宙船を出て数ヶ月後であり、二十数年ぶりのことであった。


「ロゼッタ自然公園」のはしにある、小さな石碑群――ここが、千五百年前に、第一次バブロスカ革命の首謀者、プロメテウスとその仲間たちが処刑された場所であることを、知る人間は少ない。


「来たか」


 ロビンが振り返ると、成長した、あのときの子らがいた。

 アイゼンと、ピーターと、タツキがいた。

 オルドはいなかった。


「俺たちのことを思い出したか」


 アイゼンは、真っ赤な口を開けて笑った。今の彼に歯はある。――強靭(きょうじん)な刃が。

 なにもかも食らいつき、咀嚼(そしゃく)してしまうような、おそるべき牙が。


「ああ」


 ロビンはうなずいた。

 アイゼンが、写真の切れ端を差し出した。ロビンも取りだした。その切れ端は、まるでパズルのように、ぴったりとくっついた。


 あのときのように、雨が降り始めた。

 プロメテウスの墓のまえにいるのは、子どもたち。

 アイゼンとピーター、オルドは、ロビンの母ピトスの葬儀の帰りではなく、サイラスの葬儀の帰りだった。

 アーズガルドが表向きに発表したサイラスの死因は、「病死」。


 アイゼンは真っ赤な口を開けて笑った。


「それを信じるのか?」


「いいや」

 ロビンは首を振った。「いいや」


「てめえに、傭兵の誇りはあるか」

「俺が? 傭兵?」


 俺はアーズガルド家のものだ。傭兵じゃない。


「いいや、おまえは傭兵だ。――傭兵になれ! 世界で一番誇り高い傭兵と、アーズガルドの血を混ぜ込んでつくった、傭兵の王にな」


 傭兵は嫌いだった。昨夜、殺されかけたばかりだった。


「おまえはもう、アーズガルドにもどることはできない」


 ピーターが、底冷えする声で言った。六歳の子どもの声ではなかった。

 ロビンはそのとき悟ったのだ。

 ピーターの容姿は、サイラスの面影を宿していた。このおそろしい子どもが弟だと、ロビンは悟ったのだ。


 ロビンとピーターは初対面だった。同じサイラスの子であったが、母親が違う。


 父に、別の妻と子がいたことに、ロビンは驚きもしなかった。そんなことを考える余裕は、そのときはなかった。ただ、あれは弟なのかと思っただけだ。


 だから聞いた。弟だったら、父を殺された報復はするだろう。


「じゃあおまえが、アーズガルドの“王”になって、復讐を果たすのか」


 ピーターは無言だった。

 

 復讐。

 自分にぴったりなのは、その言葉のような気がした。


「復讐か、そうか――てめえのおふくろを殺したドーソンを恨んで終わりか?」


 そうだ。俺の母親はドーソンに殺されたのだ。だから自分は、ドーソンが憎い。

 ドーソンだけではない。すべてが憎かった。軍人と名の付くものすべてが憎かった。

 ついでにいえば、傭兵も憎かった。

 傭兵には昨夜、殺されかけたばかりだ。

 すべてが憎かった。

 あのときのロビンは、怒りに()かっていた。


 ピトスの死体は打ち捨てられた。その死体をひろって帰ったのはヤマトの傭兵だが、ピトスはアーズガルドでも、養子に入った貴族の家でも、ヤマトでも、葬儀はしてもらえなかった。


 軍人も傭兵もくそくらえだ。

 軍事惑星などくそくらえ――だが、ロビンの心に、わずかな人の感情を取り戻させたのは、あの酒屋の主人だった。


 身体を壊して、傭兵をやめた酒屋の主人。

 たったひとりになったロビンに、慈悲をくれたあの男を、ロビンは思い出した。


 彼がロビンにくれたスープとパンは、彼の、その日に食べることができる唯一の食糧だった。ロビンはそれを知っていた。


 それを知っていたのに、空腹に負けて貪ってしまったロビンを、彼はずっと優しく、しかも悲しい目で見つめていた。


 彼は、ロビンの世話をすることを、できはしない。あまりに貧しかったからだ。


 あのひとのいい酒屋の主人は、たったひとりで、あのスラムで、年を取ってだれにも看取られずに死んでいったのだろう。

 ロビンが成人してからも、さんざん見てきた、傭兵の末路だった。


 十歳だったロビンも、アイゼンたちに会わねば、さして変わらない運命を辿っていた。

 この墓のまえで、野垂れ死にしたのだろう。


 あのとき、わずかでもロビンの心が傭兵に傾いたのは、あの酒屋の主人のためだったかもしれない。


 傭兵の人権と権利を軍事惑星で持つことが、プロメテウスの悲願であると、ロビンに叩きこんできた母は、「それは血のなせる業よ」とでも言っただろうか。


 しかし違った。


 あのとき、ロビンの心に残っていたのは、プロメテウスでも、母でも、父でもなく、あの優しくも哀れな、酒屋の主人だった。


 ロビンは、絶望と、困惑のなかでつぶやいた。

 ――あのひとことを。


「ピーターがおまえの存在を迷惑がっているから、おまえの記憶を消す」


 アイゼンはおもちゃでもかくすような言い方をした。


「いいか。おまえは今から、俺の親友だ。タキが“そうする”。――その言葉を、二十年後も覚えていたなら、」

 アイゼンは、ロビンを指さした。

「俺が、おまえの望みをかなえてやるよ」





「傭兵になったぞ」


 ロビンは笑った。アイゼンも満足げに言った。


「ああ。おまえは名を上げた。メフラー商社の実質、ナンバーワンランクの傭兵だ」


 ピーターは無言で、ロビンを見据えていた。

 なんて、あのころと変わらない目をしているのだ。


「俺は、アーズガルドなんぞ興味はねえ。おまえの“席”なんか、狙ってねえよ」


 ロビンは背を向けて、墓のまえを掘り返した。

 小さなころは、深く深く埋めたと思った場所。大人の手で掘り返せばすぐ見つかった。

 ブレンダン・クッキーの箱。中には、椋鳥の紋章があった。


「俺は傭兵だ――“ロナウドの計画”にも、“アーズガルドの後継者席”にも興味はねえ」


 アイゼンは、ますますウキウキとした顔をした。対照的に、ピーターの顔色は沈んでいくように見えた。


(復讐か)


 あのときは、絶望と悔しさと怒りで、それを考えることしかできなかった。

 だが、この二十数年で、復讐はぐつぐつと煮込まれて濃厚さを増したか? 


 ――おかしなことに、そうではなかった。


 まるで濾過(ろか)されたように、胸中を飛来する感情は、()いでいた。


 記憶をなくしていたからか? つねに憎しみを抱きながら生きてきたわけではなかったから? 


 ちがう。

 ロビンは、傭兵として生きてきたからだ。

 メフラー親父やアマンダが、そう育ててくれたからだ。


 煮えくり返った腹では、なにを成し遂げることもできやしない。

 感情にとらわれるな。

 頭を冷やせ、腹をくくれ。大局を見ろ。

 ――瞬間に、ゼロに、還れ。


 どんな任務でも、それがあったから、生きてきた。

 そして。


(あの階段に、ぜんぶ捨ててきた)


 血を噴き、肉を焼かれ、すべてそぎ落として置いてきた。

 憎悪も、悲しみも、思い出も、記憶も、過去も、ぜんぶ――。

 自分の足をすくませようとする、後悔も。

 深い深い、魂の底に眠っているような過去でさえ、ほじくりかえして投げ捨ててきた気がした。


 すべてが、軽かった。

 なにも持たずに生きてきたけれども、今は、一番軽い気がした。

 この身ひとつで、生きていける。


(俺は、メンドウなことは、なにより嫌いだったはずなんだが)


 ――あの男は、だれよりも軽かった。

 まるで、羽のように軽かったのに、いつも口癖はそれだった。


 ロビンの、魂の師。


 そこまで考えて、ロビンは首をかしげた。

 あんな口癖の傭兵が、いたっけか。

 メフラー親父やアマンダは、ロビンが「面倒くさい」というと、すぐゲンコツが飛んできたから彼らではない。アダムでもない。アダムは面倒なことによく巻き込まれる男だ。

 デビッドのような気もするが、あいつの「面倒くさい」はふつうの「面倒くさい」だ。

 彼の面倒くさいは、意味が違った。


 彼は実にシンプルだった。

 綿毛が飛ぶように軽く飛び、どこへでも行く。


(あれは今、どこにいる)


 今でも相棒の黒いタカと、世界のどこかをうろついているのだろうか。 


 ロビンは椋鳥の紋章を指で弾き――パシリと受け止めた。

 そして、あのとき、アイゼンを大爆笑させた言葉を、もう一度吐くことにした。


『ここが、傭兵の星だったらいいのに』


 幼いロビンはそう言った。

 アイゼンは、あの言葉を本気にして、計画を進めてきた。

 子どもの口約束だったが、ロビンが発した言葉だ。

 それが、いつしか、「プラン・パンドラ」なんて、大層な名前が付けられて、大々的な計画になっているけれど。


 あのときの心境は思い出せない。


 だが、あのやさしいおじさんは貧しかった。彼のいた傭兵グループも貧しかった。


 母や叔母、プロメテウスたちが望んでいたのは、決して、どちらかが壊滅する道ではない。


 軍人と傭兵が手を取り合っていける道。


 傭兵が、差別と貧しさに壊滅していくのではなく、軍人たちを壊滅させるのでもなく。


 バブロスカ革命のユキトの望みも、同じだ。

 ユキトのいとこである、今は亡きブライアンもそうだった。

 

「プラン・パンドラ」は、子どものつぶやきから始まった計画だけれども、ロビンにもその重みは分かっていた。


 吉と出るか、凶と出るか。

 災厄が飛び出すのか、壺の底に希望はあるのか。

 まったく分からない、パンドラの壺。


「ピーター」

 ロビンは言った。

「おまえが俺の弟なら、協力しろ」

「……」

「おまえだって、軍事惑星の崩壊は、望んじゃいないはずだ」


 ピーターの表情が、一変した。今までの懐疑(かいぎ)的な顔つきが、驚きにかわり――そして、ずいぶんと、静かな表情になった。

 ロビンはそれを認めて、苦笑した。自分はずいぶんと、疑われていたらしい。


「――L18を、傭兵の星にするぞ」




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