277話 プロメテウスの墓 3
――ケヴィンたちが、無事、バンクスと、感動の再会を果たしているころ。
地球行き宇宙船の出口に、ひとりの男が佇み、ゲートが開くのを待っていた。
見送る人間はひとりもおらず、担当役員もいなかった。
それも当然だった。彼はだれにも降りることを告げずに、ここにいる。
別れのあいさつなど、そんな気色悪いものは、ロビンには必要ないし、盛大なお見送りも、いらない。
ミシェルに別れを告げられないことが、多少心残りではあったが。
(この宇宙船で、しあわせに暮らしてくれ、マイハニー)
唯一、すべての女と自由を捨てても、捕まってもいいかなと思った女性。
だが、ロビンはL18に、ミシェルを連れて行きたくはなかった。彼女には、平和な場所で、しあわせに暮らしてほしい。
(俺の宝石)
クラウドに知れたら、つかみかかられそうなセリフを吐いて、ロビンはミシェルに脳内だけでキスをした。
ボストンバッグに、すこしの着替えとパスポート、財布。
そして、写真の切れ端を持って、ロビンは旅立とうとしている。
『L系惑星群L80いきのL355便、搭乗ゲートが開きました』
ゲートが開いた。
ロビンはまったくあとくされなく、廊下を、まっすぐに、出口に向かって歩こうとした。
「ロビン」
ロビン以外の人間がいない構内で、ロビンは名を呼ばれて振り返り、さすがに驚いた。
「エミリ」
どうして、エミリが?
「驚いたな。どうして俺が、降りることを知った」
ロビンが降りることを知っているのはヴィアンカだけ。ヴィアンカは理解してくれた。ロビンがだれにも別れを告げずに、宇宙船を降りたがっているのを。
「そんな気がしたの」
彼女はトランクを持っていた。悲壮な顔とは正反対に――彼女は、いつもの気軽さで言った。
「いっしょに行ってもいい」
ロビンは肩をすくめた。
「エミリの自由にしな」
俺は、だれも、縛らねえよ。
エミリはやっと、顔をほころばせた。ロビンが黙って回廊を歩いていくのを、小走りで、追っていく。
ふたりの姿は、やがて回廊から消えた。
――その日の宇宙船降船者は、記録によると、二名である。
ロビン・D・ヴァスカビルには同行者がいた。それは間違いない。
椋鳥は発った。
――王になるために。
ロビンがふたたびプロメテウスの墓のまえに立ったのは、宇宙船を出て数ヶ月後であり、二十数年ぶりのことであった。
「ロゼッタ自然公園」のはしにある、小さな石碑群――ここが、千五百年前に、第一次バブロスカ革命の首謀者、プロメテウスとその仲間たちが処刑された場所であることを、知る人間は少ない。
「来たか」
ロビンが振り返ると、成長した、あのときの子らがいた。
アイゼンと、ピーターと、タツキがいた。
オルドはいなかった。
「俺たちのことを思い出したか」
アイゼンは、真っ赤な口を開けて笑った。今の彼に歯はある。――強靭な刃が。
なにもかも食らいつき、咀嚼してしまうような、おそるべき牙が。
「ああ」
ロビンはうなずいた。
アイゼンが、写真の切れ端を差し出した。ロビンも取りだした。その切れ端は、まるでパズルのように、ぴったりとくっついた。
あのときのように、雨が降り始めた。
プロメテウスの墓のまえにいるのは、子どもたち。
アイゼンとピーター、オルドは、ロビンの母ピトスの葬儀の帰りではなく、サイラスの葬儀の帰りだった。
アーズガルドが表向きに発表したサイラスの死因は、「病死」。
アイゼンは真っ赤な口を開けて笑った。
「それを信じるのか?」
「いいや」
ロビンは首を振った。「いいや」
「てめえに、傭兵の誇りはあるか」
「俺が? 傭兵?」
俺はアーズガルド家のものだ。傭兵じゃない。
「いいや、おまえは傭兵だ。――傭兵になれ! 世界で一番誇り高い傭兵と、アーズガルドの血を混ぜ込んでつくった、傭兵の王にな」
傭兵は嫌いだった。昨夜、殺されかけたばかりだった。
「おまえはもう、アーズガルドにもどることはできない」
ピーターが、底冷えする声で言った。六歳の子どもの声ではなかった。
ロビンはそのとき悟ったのだ。
ピーターの容姿は、サイラスの面影を宿していた。このおそろしい子どもが弟だと、ロビンは悟ったのだ。
ロビンとピーターは初対面だった。同じサイラスの子であったが、母親が違う。
父に、別の妻と子がいたことに、ロビンは驚きもしなかった。そんなことを考える余裕は、そのときはなかった。ただ、あれは弟なのかと思っただけだ。
だから聞いた。弟だったら、父を殺された報復はするだろう。
「じゃあおまえが、アーズガルドの“王”になって、復讐を果たすのか」
ピーターは無言だった。
復讐。
自分にぴったりなのは、その言葉のような気がした。
「復讐か、そうか――てめえのおふくろを殺したドーソンを恨んで終わりか?」
そうだ。俺の母親はドーソンに殺されたのだ。だから自分は、ドーソンが憎い。
ドーソンだけではない。すべてが憎かった。軍人と名の付くものすべてが憎かった。
ついでにいえば、傭兵も憎かった。
傭兵には昨夜、殺されかけたばかりだ。
すべてが憎かった。
あのときのロビンは、怒りに浸かっていた。
ピトスの死体は打ち捨てられた。その死体をひろって帰ったのはヤマトの傭兵だが、ピトスはアーズガルドでも、養子に入った貴族の家でも、ヤマトでも、葬儀はしてもらえなかった。
軍人も傭兵もくそくらえだ。
軍事惑星などくそくらえ――だが、ロビンの心に、わずかな人の感情を取り戻させたのは、あの酒屋の主人だった。
身体を壊して、傭兵をやめた酒屋の主人。
たったひとりになったロビンに、慈悲をくれたあの男を、ロビンは思い出した。
彼がロビンにくれたスープとパンは、彼の、その日に食べることができる唯一の食糧だった。ロビンはそれを知っていた。
それを知っていたのに、空腹に負けて貪ってしまったロビンを、彼はずっと優しく、しかも悲しい目で見つめていた。
彼は、ロビンの世話をすることを、できはしない。あまりに貧しかったからだ。
あのひとのいい酒屋の主人は、たったひとりで、あのスラムで、年を取ってだれにも看取られずに死んでいったのだろう。
ロビンが成人してからも、さんざん見てきた、傭兵の末路だった。
十歳だったロビンも、アイゼンたちに会わねば、さして変わらない運命を辿っていた。
この墓のまえで、野垂れ死にしたのだろう。
あのとき、わずかでもロビンの心が傭兵に傾いたのは、あの酒屋の主人のためだったかもしれない。
傭兵の人権と権利を軍事惑星で持つことが、プロメテウスの悲願であると、ロビンに叩きこんできた母は、「それは血のなせる業よ」とでも言っただろうか。
しかし違った。
あのとき、ロビンの心に残っていたのは、プロメテウスでも、母でも、父でもなく、あの優しくも哀れな、酒屋の主人だった。
ロビンは、絶望と、困惑のなかでつぶやいた。
――あのひとことを。
「ピーターがおまえの存在を迷惑がっているから、おまえの記憶を消す」
アイゼンはおもちゃでもかくすような言い方をした。
「いいか。おまえは今から、俺の親友だ。タキが“そうする”。――その言葉を、二十年後も覚えていたなら、」
アイゼンは、ロビンを指さした。
「俺が、おまえの望みをかなえてやるよ」
「傭兵になったぞ」
ロビンは笑った。アイゼンも満足げに言った。
「ああ。おまえは名を上げた。メフラー商社の実質、ナンバーワンランクの傭兵だ」
ピーターは無言で、ロビンを見据えていた。
なんて、あのころと変わらない目をしているのだ。
「俺は、アーズガルドなんぞ興味はねえ。おまえの“席”なんか、狙ってねえよ」
ロビンは背を向けて、墓のまえを掘り返した。
小さなころは、深く深く埋めたと思った場所。大人の手で掘り返せばすぐ見つかった。
ブレンダン・クッキーの箱。中には、椋鳥の紋章があった。
「俺は傭兵だ――“ロナウドの計画”にも、“アーズガルドの後継者席”にも興味はねえ」
アイゼンは、ますますウキウキとした顔をした。対照的に、ピーターの顔色は沈んでいくように見えた。
(復讐か)
あのときは、絶望と悔しさと怒りで、それを考えることしかできなかった。
だが、この二十数年で、復讐はぐつぐつと煮込まれて濃厚さを増したか?
――おかしなことに、そうではなかった。
まるで濾過されたように、胸中を飛来する感情は、凪いでいた。
記憶をなくしていたからか? つねに憎しみを抱きながら生きてきたわけではなかったから?
ちがう。
ロビンは、傭兵として生きてきたからだ。
メフラー親父やアマンダが、そう育ててくれたからだ。
煮えくり返った腹では、なにを成し遂げることもできやしない。
感情にとらわれるな。
頭を冷やせ、腹をくくれ。大局を見ろ。
――瞬間に、ゼロに、還れ。
どんな任務でも、それがあったから、生きてきた。
そして。
(あの階段に、ぜんぶ捨ててきた)
血を噴き、肉を焼かれ、すべてそぎ落として置いてきた。
憎悪も、悲しみも、思い出も、記憶も、過去も、ぜんぶ――。
自分の足をすくませようとする、後悔も。
深い深い、魂の底に眠っているような過去でさえ、ほじくりかえして投げ捨ててきた気がした。
すべてが、軽かった。
なにも持たずに生きてきたけれども、今は、一番軽い気がした。
この身ひとつで、生きていける。
(俺は、メンドウなことは、なにより嫌いだったはずなんだが)
――あの男は、だれよりも軽かった。
まるで、羽のように軽かったのに、いつも口癖はそれだった。
ロビンの、魂の師。
そこまで考えて、ロビンは首をかしげた。
あんな口癖の傭兵が、いたっけか。
メフラー親父やアマンダは、ロビンが「面倒くさい」というと、すぐゲンコツが飛んできたから彼らではない。アダムでもない。アダムは面倒なことによく巻き込まれる男だ。
デビッドのような気もするが、あいつの「面倒くさい」はふつうの「面倒くさい」だ。
彼の面倒くさいは、意味が違った。
彼は実にシンプルだった。
綿毛が飛ぶように軽く飛び、どこへでも行く。
(あれは今、どこにいる)
今でも相棒の黒いタカと、世界のどこかをうろついているのだろうか。
ロビンは椋鳥の紋章を指で弾き――パシリと受け止めた。
そして、あのとき、アイゼンを大爆笑させた言葉を、もう一度吐くことにした。
『ここが、傭兵の星だったらいいのに』
幼いロビンはそう言った。
アイゼンは、あの言葉を本気にして、計画を進めてきた。
子どもの口約束だったが、ロビンが発した言葉だ。
それが、いつしか、「プラン・パンドラ」なんて、大層な名前が付けられて、大々的な計画になっているけれど。
あのときの心境は思い出せない。
だが、あのやさしいおじさんは貧しかった。彼のいた傭兵グループも貧しかった。
母や叔母、プロメテウスたちが望んでいたのは、決して、どちらかが壊滅する道ではない。
軍人と傭兵が手を取り合っていける道。
傭兵が、差別と貧しさに壊滅していくのではなく、軍人たちを壊滅させるのでもなく。
バブロスカ革命のユキトの望みも、同じだ。
ユキトのいとこである、今は亡きブライアンもそうだった。
「プラン・パンドラ」は、子どものつぶやきから始まった計画だけれども、ロビンにもその重みは分かっていた。
吉と出るか、凶と出るか。
災厄が飛び出すのか、壺の底に希望はあるのか。
まったく分からない、パンドラの壺。
「ピーター」
ロビンは言った。
「おまえが俺の弟なら、協力しろ」
「……」
「おまえだって、軍事惑星の崩壊は、望んじゃいないはずだ」
ピーターの表情が、一変した。今までの懐疑的な顔つきが、驚きにかわり――そして、ずいぶんと、静かな表情になった。
ロビンはそれを認めて、苦笑した。自分はずいぶんと、疑われていたらしい。
「――L18を、傭兵の星にするぞ」




