277話 プロメテウスの墓 1
オルドに、「俺が迎えに行くまで、そこから離れるなよ」と言われたケヴィンたちだったが、バンクスの無事が確認され、ヒュピテムたちと再会することもできたので、カザマと一緒に帰ることになった。
一日も早く、バンクスに会いたかった。
ようやく首都トロヌスにL20の軍隊が入り、治安維持に動き始めている。ケヴィンがカーダマーヴァ村で寝込んでいる間に、情勢は変わっていた。
まだ首都近郊からは無理だが、大都市メノス近くのスペース・ステーションから、L09に向かう便があるという話なので、そのまま向かうことにした。
「オルドさんには、わたしから連絡をしておきます。どちらにしろ、極秘任務に着かれているということなので、オルドさんが迎えに来てくれるとしても、一ヶ月ほどあとになるんじゃないかな」
カーダマーヴァ地区の総責任者であるマウリッツ大佐は、ケヴィンたちがカザマたちと帰ることに賛成した。軍でも、メノスまで行く用事があるので、ジープに乗せてくれるという。
ヒュピテムとユハラム、マイヨは、見送りがしたいと、メノスのスペース・ステーションまで、ついてきてくれることになった。
「ええっ!? じゃあ――おふたりは、あの馬の人たちを倒しちゃったんですか!」
ケヴィンは、メノスに向かうジープ内で、ヒュピテムの武勇伝を聞いた。
「そうです」
「ケヴィン様、ヒュピテム様は、王宮護衛官なんですよ? あんなケトゥインの賊なんか、百人かかってきたって、平気ですったら!」
「百人はおおげさだ」
ヒュピテムは真面目に言い、マイヨの大口をたしなめた。マイヨは口をつぐんだが、そのくらいはしゃぎたくなる気持ちも、ケヴィンには分かった。
なにせ、二人は生きていたのだから。
「追って来たのは、七、八人程度です。問題ありません。ですが」
大変だったのはそのあとだと、ユハラムがつなげた。
ちょうど砂嵐がくる時間帯で、大きな砂嵐がヒュピテムとユハラムを覆い隠し、ケトゥインの賊は彼らを見失い、それ以上の追手がなかったのは幸いだったが、ふたりは砂漠に取り残されてしまった。
近くの村に避難しようにも、ケトウィンの襲撃を受けているし、ほかに、一番近いのは、カーダマーヴァ村。ふたりは砂嵐が止む夜を待ち、星を見て位置を確認し、カーダマーヴァ村に徒歩で向かった。
だが、夜の寒さと飢えがふたりを苦しめた。
砂漠をさまよい、もうだめだ、今夜を越すことは無理かもしれないとふたりが思ったとき、ふたりのまえに、黒いタカが現れた。
「――タカ?」
L03って、砂漠にタカがいるんですかと、アルフレッドが間抜けな声を上げたが、ユハラムは首を振った。
「まさか! でも、私たちは、そのタカに導かれて、井戸を見つけたんです」
カザマがはっとしたように言った。
「井戸――もしかして、ノワの?」
「ええ」
ノワの井戸。
かつてガルダ砂漠の入り口に、ノワがつくった井戸。
千年ほど前までは、豊かに水が湧き出ていたが、そこから村がなくなると、井戸も自然に枯れたという。
「まあ――では、きっと、黒いタカは、ノワの兄弟、ファルコですわ」
カザマは相槌を打ちつつ、言った。
「私たちも、そう思いました」
ヒュピテムも生真面目にうなずいた。
その井戸は、すっかり枯れていた。大きな井戸で、砂でだいぶ埋まっていて、ユハラムとヒュピテムが中に入って蓋をすると、頭まで入ることができ、寒さをしのぐことができた。
「私たちは、それで助かったんです」
ユハラムはそのときのことを思い出したのか、涙ぐんでいた。
「次の日には、水の入った甕と、干し肉とパンが、井戸の蓋の上に置いてあった」
ヒュピテムの言葉に、双子は口をあんぐりと開けた。
ケヴィンたちも、ノワの存在は知っている。義務教育で習うからだ。千五百年前の、奇跡の僧侶、ノワ。
アイスワインの話とか、鉱山から金が出た話とか、井戸から水が噴き出して、湖になった話とか。
ノワを題材にした絵本や物語もある。
「われわれは、その井戸で救助を待ちました。無事にカーダマーヴァ村についていれば、マイヨが、見つけてくれると思って――そうしたら、カーダマーヴァからはすこし遠い村ですけれども。ニガチェンダ村の行商人が、私たちを見つけて助けてくれました」
「ニガチェンダは遠いんです」
マイヨは言った。
「最初に探しに出たときは、お二人は見つからなかった。ニガチェンダにいらっしゃったんだもの。見つけ出せるわけがありませんでしたよ!」
二度目の捜索のとき、マイヨはもしやと思って、すこし遠いが、ニガチェンダまで足を延ばした。そうしたら、ふたりを見つけたのである。ユハラムとヒュピテムは、ニガチェンダ村で療養し、カーダマーヴァ村まで出発するところだった。
「ほんとうによかった――ノワが助けてくれたんだわ」
マイヨも涙ぐみ、そう締めくくった。
双子は、顔を見合わせた。
L03に来てから、ふつうでは考えられないような体験ばかりをしてきて、外れた顎がもとにもどらないような気がした。
大都市メノスのスペース・ステーションは、現在、首都トロヌスの代わりに機能していることもあって、人でごったがえしていた。
ケヴィンたちは、ここまで送ってくれた軍人たちと、握手を交わした。
「ほんとうにお世話になりました」という双子の言葉に、彼らは見事にそろった敬礼を返し、出発した。
ヒュピテムたちも、ジープを降りて、馬車で首都トロヌスへ向かう。
カザマは、L09まで、双子と一緒だ。
「では――ヒュピテム、ユハラム、お達者で。マイヨさんも、お元気で」
「ミヒャエル殿と、もう一度お会いすることができるとは、思いませんでしたな」
「ええ。――ミヒャエル。どうか、サルーディーバ様とアンジェリカ様をお頼み申します」
ユハラムの言葉にうなずき、別れの挨拶をかわしたカザマは、
「では、わたくしは、L09行きのチケットを手配してまいりますから、おふたりは、ゆっくりいらしてください」
と、双子を置いて、さっさとチケット売り場に向かった。
「えっ? あ、――」
カザマは、双子がヒュピテムたちとゆっくり別れを惜しむ時間をつくってくれたのだった。
取り残された双子は、いざ別れとなると、何も言えなくなって、ヒュピテムたちを見つめた。ヒュピテムたちも同様だった。
「あの、なんか、今日はずっとこればかり言っている気がするけど――ほんとに、お世話になりました」
「ご恩は、忘れません」
アルフレッドの言葉に、ヒュピテムが、「それは、こちらの台詞です」と返した。
「おふたりのおかげで、王宮のサルーディーバ様は生きていらっしゃるのよ。私たちも――それを、お忘れにならないで」
ケヴィンとアルフレッドは、三人と、かわるがわる握手を交わした。そしてぐずぐずと、双子は言葉を探した。でも、もう、出てくる言葉はなかった。旅路の思い出ばかり、浮かんでくるのだった。
ヒュピテムと魚を釣ったこと、ユハラムがつくってくれた鍋が、信じられないくらいおいしかったこと、寒い夜には格別だった、マイヨと飲んだ、粉ミルクの味を。
「きっといつかまた、L03にいらしてください。この星がもっと、平和になった暁には」
別れがたいのは、双子だけではなかった。いつまでもその場に佇んで、行こうとしない双子の背を押すようにユハラムは言ったが、彼女も目を潤ませていた。
「そのときは、どうか、われわれを訪ねてください」
「はい。ありがとうございます……」
ヒュピテムもユハラムも、別れの言葉を幾つも口にする中で、マイヨはなにもいわなかった。なにか言いたげな目でケヴィンたちを見つめ――やがて、あきらめたように、悲しそうな顔で、うつむいた。
そしてやっと、笑顔をつくった。
「さようなら」
「さ、さようなら――」
ケヴィンたちも、そういうほかなかった。アルフレッドは涙ながら、ケヴィンは、どこかうつろな顔で、――背を向けた。
広い構内を、チケット売り場に向かって歩いた。
「マイヨ」
ユハラムは、すがるような目で双子の背を見つめているマイヨの背を撫で、慰めるように言った。
「救世主様とは、住む世界がちがうんですよ」
「……」
マイヨは、涙をぬぐい、ケヴィンとアルフレッドの背中を見つめた。見えなくなるまで、手を振り続けていた。
だいぶ過ぎてから、ケヴィンは一度振り返った。小さくなった三人が、まだ双子のほうを見ている。マイヨが、手を振ってくれている。
ケヴィンは歩いた。まるで怒っているようにズンズンと――そして、もう一度、我慢できないように振り返った。
もう、三人の姿は、ひとごみに消えて見えなくなっていた。
「――ダメだ」
「え?」
ケヴィンが、立ち止まった。
「ダメだ。おれ、イシュメル様に誓ったんだ。もう、後悔しないって――」
「ケヴィン!?」
ケヴィンは、人ごみの中を引き返した。ひとにぶつかっては謝り、つまづきそうになりながら、ケヴィンは三人のもとまで戻った。
三人は、まだ同じ場所にいた。
「ぜえ、ぜえ――はあ、」
ケヴィンは膝に手をついて息を整えた。ケヴィンがもどってきたことに驚いたヒュピテムは、「どうしたんです?」と聞いたが。
ケヴィンは、息を弾ませながら、マイヨに向かって叫んだ。
「おれと――いっしょに行かない?」
「――え?」
「おれと――おれといっしょに行こう! マイヨ!」
突然のケヴィンの告白に、目を白黒させた三人だったが。
ヒュピテムが我に返って、「ケヴィンさん、それは――」と言いかけたのを、ユハラムが遮った。
「ケヴィンさん、ご承知? それは、プロポーズといっしょですのよ?」
「……!」
「すくなくとも、マイヨにとっては。それをわかって、言ってらっしゃるの」
ユハラムは、厳しい顔でケヴィンを見ていた。ケヴィンはごくりと喉を鳴らし――「そ、そのつもりです」と、はっきり言った。
言ってから、(何を言ってんだおれは)と我に返って、顔が真っ赤になった。ケヴィンが勝手にマイヨを好きなだけで、マイヨの気持ちはぜんぜん知らない。でも、もう後には引けなかった。
(マイヨ)
ケヴィンは、思わずマイヨを見つめた。
――すべては、杞憂だった。
マイヨの目に、みるみる、涙が浮かんだ。
「救世主さま……!」
「え? そ、それはやめて。おれは、ケヴィンだってば!」
遅れてもどってきたアルフレッドは、マイヨがケヴィンに抱き付いているのを見て、すべてを察した。
「マイヨは戸籍がありませんから。L52へ渡航するのに、時間がかかるかもしれませんが」
「ミヒャエルに聞けば、なんとかなるわ」
「ああ、待て。ちょっと待て。ミヒャエル任せでもかまわんが。ユハラム殿は見届けなくてよいのか。われわれは、トロヌスへ帰るのをすこし遅らせよう――いや、急いでいるのはたしかだが、――急いでいるんだぞ、ほんとうだ」
「ヒュピテム、落ち着いてくださいませ」
急に慌てだしたヒュピテムに、ユハラムも――双子とマイヨも、笑った。
ヒュピテムとユハラムは、結局、L09までついてきた。
マイヨの戸籍取得のために、カザマは奔走してくれ、家族をいっぺんになくしたマイヨは、ヒュピテムの養子になることによって、戸籍を獲得した。
ふつうならば、マイヨの身分では、王宮護衛官の養子になるということは、考えられないできごとではあった。法的には禁止されていないが、あり得ない部類のこと。
だがマイヨはこのままケヴィンとともにL52に向かう。L03で暮らすのではないのだからと、ヒュピテムは、マイヨの反対を押し切って養子にした。どちらにしろ、反対したのはマイヨだけで、賛成多数で可決した。
戸籍がなければ、L52に渡ることはできないのだ。
そして、ケヴィンとマイヨは、アルフレッドに先駆けて、結婚してしまった。
ヒュピテムとユハラム、カザマとアルフレッドに見守られ、ケヴィンとマイヨは、L09のホテルで、こぢんまりとした結婚式をした。
マイヨの涙は、止まらなかった。
「あたし、こんなに幸せでいいのかな。あした、死んじゃったりしない?」
と真剣に悩む顔をした。
ケヴィンが、バンクスを探しに、L03にいったと思ったら、妻を連れて帰ってきた。
ナタリアが腰を抜かすことだけは間違いがなかったが、アルフレッドがホテルから電話で報告すると、ほんとうに腰を抜かしていた。
「あたし、今日はもう歩けないわ――夕飯はデリバリーにする。と、とにかく、ケヴィンにおめでとうってつたえて――」
ケヴィンとアルフレッドの両親は、驚きはしても、反対はしなかった。
もともと、大学生のときに、L8系の鉱山労働者の待遇を改善するNPOで出会い、一週間で電撃結婚したケヴィンの両親は、相手が原住民だからといって反対することもなかった。
「結婚はいきおいよ、いきおい!」と、母は言い、「落ち着いたらでいいから、嫁さん連れて、顔を見せなさい」と父は言って、祝いの言葉とともに、電撃結婚を了承した。




