276話 再会 Ⅵ 2
思い出した。
階段を上がっている最中に――あの、不思議な男と会話したときだ。
優しい、耳にしみいるような声を持った、ロビンをかついで階段を上がってくれた男。
あの男との短い会話のなかで、すべて思い出した。
プロメテウスの墓のことも。墓で出会った、三人の子どものことも。
――なぜ、母親と自分が、逃げていたのかも。
四歳の子どもはどこかで見たことがある――当然だ、あれはオルドだった。
だから、無意識にオルドが気になって、スカウトしたのか。たしかにオルドは有能だった。だがそれだけではないなにかがあった。それが、氷解した。
ロビンはオルドを知っていた。覚えていた――小さいころ、出会っていたからだ。
あの中で、唯一、『人間の目』をしていたガキだった。残りのふたりは、狂気に満ちていた。
(――そうだ。幼くして、地獄を見たような)
彼らのほかに、あんな目を持つ子どもを、ロビンは三十三年間生きてきて、一度も見たことがない。
ロビンは、アーズガルドの家で、父と母と幸せに暮らしていた。
その幸せを破滅に追いやったのは、ドーソン一族だった。
ドーソンは、どこから嗅ぎつけたかしらないが、ロビンの母ピトスの正体を見破った。
貴族の名を借りた、薄汚い傭兵の末裔だと彼らは言った。
ロビンの父であるサイラスは、ピトスの正体を知っても、ロビンとピトスを愛していた。
ドーソンがふたりの連行に動くまえに、サイラスは、ロビンとピトスをスラムのアパートに隠した。一年ほど、ふたりは潜伏した。そのあいだ、サイラスは、ふたりをほかの星に逃がす手続きを踏んでいただろう。
――ピトスが、第一次バブロスカ革命のプロメテウスの末裔と判明したから、死に追いやられたのだ。
ふつうの傭兵が貴族の家に養子入りし、アーズガルドに嫁いだとて、ドーソンもそこまで問題視はしない。
第三次バブロスカ革命のユキトを出したアーズガルドと、第一次バブロスカ革命の首謀者の末裔が結びつく。
そのことが、ドーソン一族に危機感を抱かせた。
あの日、スラムで一年ほど暮らしていたピトスとロビンを、サイラスが迎えに来た。先にピトスだけ連れて行ったのは、ピトスとロビンを時間差で逃がし、別のルートを通らせて、待ち合わせ場所で合流させようとしたのだろう。
だが、ピトスは死んだ。
ロビンのもとに帰ってはこなかった。
サイラスもだ。
ふたりは死んだ。
逃亡先で、ドーソンの手の者に暗殺された。
ロビンはそれを、プロメテウスの墓で、アイゼンから聞かされた――。
ロビンは、思い出したことを口にすることはなかったが、右手で顔をぬぐい、アズラエルのほうを見て、にやりと笑った。
「俺が思い出したってこと、クラウドにはいうな。またアレコレと、ひとのことを嗅ぎまわるからな」
「ああ」
アズラエルはうなずき、
「バーガスには、会わずに?」
ロビンは決めたら、たちどころに行動に移す。バーガスたちの退院を待たずに、出るだろう。
「バーガスには、またL18で会える」
「……」
もう、アズラエルには会えないから、いま言った、とでも言っているようだった。
アズラエルは、ロビンにはひとことも言っていない。自分も傭兵をやめるかもしれないとか、この宇宙船の役員になることを考えているだとか――。
ロビンには分かっているのかもしれない。アズラエルがルナとともに、地球まで行こうとしていることは。
「俺は、ひとつだけ言いてえことがある」
ロビンが、真剣な顔で言った。
「なんだ」
「ふつう、天使って言ったら、ミシェルやエミリみたいなやつを言うだろ? こう、キレイで、うるわしくて、真っ白い羽根が生えてて――」
アズラエルには、彼の言いたいことが分かった。
「アロハシャツのハゲジジイが降臨してきたときの、俺の気持ちが分かるか?」
「――同情するよ」
ロビンは、やはりロビンだった。
地球行き宇宙船から遠く、L03――。
カーダマーヴァ村で、三日間、熱を出して倒れていたケヴィンは、四日目に、ようやく帰路の旅路に耐えられるだけの体力を取りもどしていた。
エポスとビブリオテカの兄弟をはじめ、村人全員に見送られながら門の前に立ったケヴィンは、見送りの中に、マクタバの姿がないことに気付いた。
「マクタバ様は、リカバリのあと、寝込んでしまったよ」
エポスは言った。
「大変な術だったらしいから――でも、起きたら、きっと喜ぶよ」
イシュメル様が、祠に入ってくださったんだもの。
そういって、エポスは寒さに真っ赤になった頬を綻ばせた。
ケヴィンは、すでに、カザマからの知らせを受け取っていた。
「ルナとロビンは無事に、地獄の審判を終えて、生きている」との吉報を。
ケヴィンの回復を早めたのは、その知らせだったかもしれない。次の日にはすっかり元気になり、旅支度を始めたのだから。
ケヴィンはもちろん、帰るまえにイシュメルの祠に詣でて、別れと感謝のあいさつをしてきた。
(――いつかまた、来れるだろうか)
ケヴィンは、すがすがしい気持ちで祠を見ながら、思った。
「それに、ポテトチップをたくさん、ありがとう」
「あれは、マクタバさんへの報酬だぜ?」
アルフレッドがありったけ買い集めて来たポテトチップスは、マクタバのゲルのまえに山積みにされている。ひと袋拝借してきたのか、エポスも持っていた。
「そうだ。これもやるよ」
ケヴィンは思い出して、バックパックから、固形栄養補助食品を取り出した。ビスケットタイプで、ナッツやドライフルーツが混ざっているもの。
カーダマーヴァ村までの旅で懲りたケヴィンは、陸軍駐屯地内で、これを購入しておいた。結局、ひと口も口にすることはなかったが。
「ほんとうに!? ありがとう!!」
外界の食べ物だ! とカーダマーヴァ村の若者たちは、たった五袋のそれに飛びつき、興味津々で、触り始めた。
「これ、なに?」
「えーっと、なんつか、ビスケットみたいな……」
「ビスケット! 本で読んだことがある! じゃあ、これは甘いのかな」
「ああ、甘いやつだよ」
「あまり、よけいなものを置いていかんでくれ! また村から人が減ったら困る」
長老はあわてた。
「ありがとう。君たちが来てくれてよかった。感謝している」
ケヴィンと固く握手を交わした壮年の男性は、イシュメルの石室を開ける作業の指揮を取っていた男性だ。エポス兄弟の父だった。
長老も、村人たちも、ケヴィンが来たときとは正反対に、みな笑顔だった。
「お世話になりました」
ケヴィンがお辞儀をしたところで、「救世主様―っ!」と声がした。
「……?」
アルフレッドの声ではない。彼を救世主様、などと呼ぶのは、ひとりしかいない。
ケヴィンが振り返ると、マイヨが手を振っていた。
「マイヨ――君、もどってきたの――あっ!!」
そこにいたのは、マイヨだけではなかった。
ケヴィンの目には、あっというまに涙が浮かんだ。
彼女の隣に――笑顔で手を振っている、ユハラムと、ヒュピテムの姿があったからだ。
「ユハラムさん! ヒュピテムさん!!」
ケヴィンは雪道を駆け出した。
陸軍の除雪車が通ったあとの、つるつるの道で転びかけたが、まっすぐにふたりのもとに走り――飛びついた。
「まあ!」
「お――おお、ケヴィン殿!」
ふたりは、ケヴィンを受け止めてくれた。
「五日ほどまえ、ここに来られたんですよ」
カザマは言った。ちょうど、イシュメルの石室の屋根が吹っ飛んだ日――イシュメルが、祠におさまってくれた日だ。
「無事だったんですね!」
ケヴィンは泣きながらふたりにしがみつき、ユハラムとヒュピテムは、戸惑い気味に顔を見合わせながら、ケヴィンの背を撫でた。
「ええ――なんとか」
「ご活躍されたようですわね、ケヴィンさん」
「ケヴィン」
アルフレッドが、目に涙をためて、ケヴィンの肩をつかんでいた。悲しみの表情ではない。――彼が流しているのは、喜びの涙だった。
「落ち着いて聞いて――バンクスさんが、生きていたんだ」
「――!?」
ケヴィンは、バックパックを落とした。
「ほ――ほんとに――」
「ああ! 生きてるんだ! 今朝、マウリッツ大佐が、そう言って」
ここL19駐屯地に、L22のアーズガルド家から連絡が入った。バンクスは無事で、今はL52の病院で治療を受けていると。
「ケヴィンさん、ほら、あちらを」
ユハラムが、ケヴィンを促した。カーダマーヴァ村の門が閉じようとしていた。
ケヴィンは、なにを言っていいかわからない顔でアルフレッドを見つめ、ヒュピテムたちを見つめ、カザマを見た。
ヒュピテムとユハラムも無事で――バンクスも生きていた。
ケヴィンは、信じられなかった。
絶望の数日間が、消えていったような気がした。
(イシュメルさまが、助けてくれたんですか?)
ケヴィンは、門の向こう――村の奥にあるイシュメルの祠を思い浮かべながら、涙をぬぐった。
イシュメルは、ケヴィンだけでなく、彼らも救ってくれたのだろうか。
ケヴィンは、元気いっぱいに、門のほうを向いた。
「みなさん! お元気で――お世話になりました!!」
門の向こうに、手を振る人々が見えた。
「元気でな!」
「L03にきたときは、ぜったい声をかけて!」
「ありがとう! ほんとうに、ありがとう――」
門は、大きな音を立てて閉まった。あとに残ったのは、静寂だ。イシュメルの像が、ケヴィンたちを見下ろしている。
あの門の内と外は、まるで別世界だ。彼らがこちらを、『外界』と呼ぶのも、ケヴィンには分かる気がした。
(――イシュメル様、さようなら)
双子は晴れ渡る空の下、万感の思いでイシュメルと門を、見つめた。




